第14話

 数メートルの隔壁を乗り越えて落ちて、私はしたたかに下に叩きつけられた。幸いだったのは、落ちた所が固い床でなかった事だ。暫し息がつけなかったが、手を伸ばすと、湿り気を帯びたがさがさしたものに触れた。


「なに、これは……?」


 緑色のものが身体の下にある。辺りを見渡した。これは……過去にあったという、資料で目にした本物の『草』ではないだろうか。


 都市の公園には樹木も芝生もあるが、全て人工物だ。本物の植物も存在しているという話だが、それはセンター内の施設でのみ栽培されているという。一般人は誰も見た事はないのだ。


 草らしきものは、都市内の公園などと違って、長さも密度もまちまちに辺りに生い茂っている。湿って柔らかい不思議な感触を一瞬味わったが、すぐにローリー達の事を思い出す。


「ローリー! ケン! レイ!」


 私は泣きながら叫んだが、今や隔壁の向こうは不気味な程に静まり返っていた。銃の音も人やアンドロイドの声も全くしない。みんな……死んでしまったのだろうか。




 その時、また『声』がした。


『リナ、彼らはまだ大丈夫だ。ほんの僅か、時間を止めている。だが早く君がこちら側に来なければ、そう長くは保たない』


「こちら側、ってどっちなの?!」


『そこからまっすぐ。モンキチョウの筋を辿って、壁の方へおいで。早く』


「わかった!」


 もう私は、声が何者なのか、その内容が何を示しているのか、考えるのも疑うのもやめていた。考えたって判る筈もないし、疑ったって今更どうしようもない。声の言う通りにしてここまで生き延びられたのだから。『彼らはまだ大丈夫』……時間を止めるなんてさっぱり意味は解らないけど、今はその言葉を信じるしかない。私は痛む足を引きずり、声の示した方に向けて走った。湿った草が、土が、足の裏に今まで感じた事のない感触を与える。センターが作ったもの以外踏んだ事がなかった。でもここはもう、センターの支配する都市と、外の世界の境目なのだ。


(外……)


 外は死の世界。放射能の渦巻く荒廃した地球。私たちはそれから守られる為にセンターに生まれ、保護されてきた。ずっと、そう教えられてきた。だけど……。


(センターの中にいても、本当の生はない。だったら、どんなに外がひどい所でも、出て行く以外に生きる道はない)


 何故、センターに管理されていた私にこんな考えが出来るのか不思議だった。センターが与えてくれる永遠の生を信じ切っていた私たちにとって、外の世界は、唯一、浄化されずに死=終焉を迎える怖ろしい闇なのだと、刷り込まれてきた筈なのに。


 だけど、声が来いと言うのなら、それでローリー達を助けられるのなら、行くしかない。例え、声が死の使いのものであっても、あのアンドロイドよりひどい存在という事もないだろう。




 次第に、草の丈が高くなってきて、私の身長と変わらないくらいになった。私は一生懸命草をかき分けて進む。手足にたくさん掻き傷が出来たが、それよりも痛む傷が既にあちこちにあるので気にする余裕もない。


 唐突に、草藪が途切れた。


「ああ……」


 私の目の前に、『壁』があった。隔壁の更に向こうのフェンスから遠くに見ていた壁、絶対不変に都市を守る象徴である壁が。それは、想像していたような神々しいものではなかった。何かの金属である事は判るが、ひどく汚れて所々腐食している。ひび割れた部分がいくつかあって、一番大きな割れ目から、モンキチョウが次々と侵入しているのだった。私はその割れ目に触れてみた。ばさばさと飛び出てくるモンキチョウが逃げるかと思ったが、そこで不思議な事が起きた。モンキチョウは私の掌をすり抜けたのだ。


「これは……3D映像?!」


 思いもしていなかったので私はひどく驚いた。センターは、ただの映像に向かってあんなに攻撃していたのか?


『そんなものではないが、とにかく早くそこをくぐってこちら側に来なさい』


 私の独り言に答えて声が言う。その割れ目は、何とか人間がくぐり抜けられそうだった。私は亀裂に手をかけた。すると金属はぼろぼろと崩れて、割れ目は更に広がった。一体どういう事だろう? 壁がこんなに脆いなんて、割れ目が出来ているなんて。何故放射能は侵入して来ないのだろう?


 先にも幾層か金属の厚い壁があったが、全て同じような有様で、私が通る度に穴が大きくなって行った。私は不安になる。私のこの行動のせいで、都市が滅びてしまうのでは、放射能の嵐が侵入してきて、皆の命を奪うのでは、と思うと、先に進むのが躊躇われる。自分の命は最早既に失っていた筈のもの、どうとでも出来るものでも、無関係な都市住民全体を道連れにするなんて事は出来ない。


『リナ、心配しなくていい。顔を上げて前を見なさい』


 私の心を見透かしたように声がした。俯いていた私は顔を上げた。……光だ。光が見える。外の世界の光。センターが作りだしたものではない光。どこかあったかくて、包み込むような光。私は我を忘れて足を踏み出した。そして、遂に壁の外へ出た。近づいただけで死に至る放射能が、渦巻く暴風に含まれた荒野……?




 違った。


「よく頑張ったね、リナ。もう大丈夫だよ」


 目の前に、数人の人が立っていた。皆、不思議な色合いの、簡素だが小綺麗な服を着ている。にこにこと笑っている人々を見て私は、壁の外にはもう一枚の壁があったのか、と思った。それくらいしか考えつかない。


「ちがうちがう。見てごらん、外の世界を。ほら、こんなに広いだろう。壁なんかない。君たちが教えられていた終末戦争から、既に数千年が過ぎているんだ。地球は立ち直った。私たちは、自然の生活をしているんだよ」


 中央に立っていた年配の男性が歩み寄り、耳障りのよい穏やかな声で私に言った。そうだ、この『声』だ。私を助けてくれたのは、この人だったんだ。


 彼の背後には、壁の向こうで見たものの数百倍もの草が広がっている。爽やかな風が吹いて、草はそよそよとなびいている。そんな光景が、見渡す限りに存在していた。


「あれ……あれはなんなの?」


 私は指さした。男性は振り向いて私の指したものを見て、またにっこりした。


「本物を見た事がないのだったね。あれは、『太陽』だよ。そして、あれが沈もうとしている所が『地平線』だ」


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