第13話
周囲がざわめいた。誰にとっても、こんな光景を見るのは初めての事だったろう。センターが市民(それ以外の人間が出歩いているなどとは夢にも思わないだろう)を捕獲しようとしているなど。
「なんだ、何が起こってる?」
「何をしたんだ、あの四人?」
「おかしな恰好をしているわ」
何も知らずに遠巻きに見ている市民がそう言い合っている間にも、車はどんどん近づいてくる。
「リナ! どうすればいいんだ?!」
焦り声でケンが言った、その時。想像した事もない景色が眼前に広がった。黄、黄、黄……私が前に見た、『黄色いひらひらしたもの』が何百、何千と、突然に目の前の空間に現れた。それは、私たちと壁の間の空間を埋め尽くす程に多く、宙を舞っている。
「異分子侵入!! 排除せよ、排除せよ!!」
センターからの車は急停止し、助手席のアンドロイドが通信機に向かって叫んでいる。次々にどこからか放たれる光の線が空を切って、音もなく黄色いものたちは粉々に焼き飛ばされてゆく。それでも、消されるものよりも侵入してくるものの方の数が勝っていた。
『リナ。「モンキチョウ」の侵入口まで来るんだ。今ならセキュリティは「モンキチョウ」へ焦点を絞っているから、ターゲットが変更されるまで数分は稼げるだろう。センターはイレギュラーに弱い。さあ、頑張るんだ!』
「行くのよ、壁の所まで。早く」
『声』の言う通りにするしかない。私は叫ぶと共にフェンスに飛びつき、よじ登る。肩と足が痛んで思わず手を離しそうになるが、ローリーが横から支えてくれた。ケンとレイも迷いなくフェンスを乗り越えようとしている。
「ああ、なんて事を!」
見ている群衆が口々に非難しているのが聞こえるが、アンドロイドの方は、ちらりと見ると、今や空を埋め尽くさんばかりの「モンキチョウ」への対応に追われているらしく、忙しげに通信しているだけだ。『イレギュラーに弱い』……まさにそうなのだろう。パニックに陥り、私たちの事を忘れているようだ――そう長くは続かないだろうけれども。
フェンスから隔壁を目指して数百メートルほど進む。周囲には何かの機械やパネルがぎっしりと並んでいて物々しい。だがそんなものに目をやる暇もない。ローリーが私の手を引いてくれ、走って隔壁に辿り着いた。
肩のあたりの高さだったフェンスとは違い、隔壁は数メートルの高さがある。掴む所もない。困ったような目で三人が私を見る。壁は先程よりも近づいたものの、まだまだ遠い。空にはモンキチョウとレーザー光線が、何かのショーのように華々しく舞っている。たとえ空を飛んでこの壁を乗り越えられたって、あの光線にたちまち射貫かれてしまうだろう。勿論、飛べる筈もないのだけれど。
「捕獲対象確認! 彼らは既に禁域に侵入している!」
アンドロイドの叫びに私たちははっと振り返る。車から降りたアンドロイドの一人が、銃を持ち、フェンスを素手で引き裂こうとしていた。
「指令を復唱します。捕獲対象はその場で四肢を切断した上でセンターへ搬送します!」
アンドロイドの無機質な声に私の足はすくみ上がる。でも、すくんだこの足が、もうすぐ切断されてしまう。たくさんの血を流して……? うまく想像が出来ない。ただ、怖い。
「くそっ、ここまで来たのに!」
レイが悔しそうにコンクリートの隔壁を拳で叩いた。ぱらぱらと石つぶてが落ちる。その時、ローリーが伏せていた顔を上げ、ケンとレイに向かって言った。
「なぁ、リナだけでも逃がせないだろうか?」
はっとした表情でケンとレイはローリーを見た。
「な、何を言ってるの。出来る訳ないじゃない!」
私は慌てて言う。逃げる手段なんてないのも勿論だけれど、ここまでみんなを連れてきておいて、私だけ逃げるなんて出来る訳がない。ケンとレイだって納得する筈もない。だけれど、ローリーは早口で二人に言った。
「俺は思うんだ……リナは何か、特別な存在なんじゃないかと。ずっと繰り返されてきた、センターの清浄化処分。これまで誰一人、そこから逃れる事も出来ず、逃れようと思いつく事もなかった。なのに、長い歴史の中で、彼女だけが、何かに導かれたようにセンターに反乱を起こし、ここまで辿り着いた。昔の人間には、『カミ』というものを信じて無条件にそれに従い行動するというパターンがあったらしい。『カミ』は、人間より上位で、人間を救い導く存在だとか。俺たちにとってそれはずっと、センターだった。だけど今、センターに裏切られ、俺たちにとってセンターはもう『カミ』ではなく、真逆の『アクマ』になった。じゃあ『カミ』は? それはリナを導いたものじゃないかと思うんだ。ここを越えればきっと本当の『カミ』は彼女を救う」
「……もしそれが本当だとして、リナを逃がして、我々はどうなる?」
耳を傾けていたケンが、当然の疑問を口にする。
「わからない……というか、多分殺されるだろう。だけど、リナが救われれば、それはこの都市始まって以来の事であり、このどうしようもない都市そのものの救いのきっかけになると俺は思う。長い間、人はセンターに殺されてきた。なら、今更そこに俺たちの血が数滴加わったところで大した差じゃああるまい。リナがいなければ、今頃は既にフードにされていた俺たちだ」
「それに、リナはもしかしたら『カミ』を連れて俺たちを助けに来てくれるかも知れない?」
レイは努めて明るい声を出そうとしているようで、私には痛々しくさえ感じられた。私は、自分でも耳障りな程に甲高い声で叫んだ。
「ちょっと待ってよ! 私にはそんな事は出来ない。何も出来ない。ただ、聞こえた声の言うがままに従っただけ。私が何もしなければ、苦痛もなく終われていたのに、こんな所までみんなを引っ張って来て、私だけが逃げるなんて出来る訳ないじゃない!」
「リナ、我々がここに辿り着けたのは、未来へ繋がる希望だと思う。私はローリーに同意する」
ケンが言う。
「三人で死ぬか四人で死ぬか、どっちが効率がいいかは明らかだ。俺はエンジニア、効率を重視するぜ」
レイも笑って言った。私は自分の耳で聞いた彼らの言葉が信じられなかった。アンドロイドはフェンスを破り、ゆっくりとこちらに近づいて来る。私たちが逃げられないと思い、悠々とした足取りだ。
「決まった。じゃあ、ケン、体格のいいあんたが下になってくれ」
「わかっている」
その言葉を聞くと同時に、ローリーは、壁に向かって手をついて立ったケンの背中を踏み、肩の上に立つ。すぐに、小柄なレイがローリーの上に這い上がる。男性二人を肩で支えたケンは微かに呻いたが、がっしりした両脚がよろめく事はなかった。
「さあ、リナ、行くんだ! 肩が痛いだろうが、レイの頭を足場にして、何とか壁の上に手を伸ばせ!」
ローリーが叫ぶ。私はようやく彼らの意図を呑み込み、泣きながら首を横に振った。
「ダメだよ、そんな事できない! みんな一緒じゃなきゃ!」
「早くするんだ、あいつが来てしまう!」
アンドロイドもまた、私たちの動きに気付き、
「無駄な抵抗はやめよ! 横一列に並んで手を挙げよ!」
と警告しながら歩調を早める。
「リナ、早く早く。かっこ悪い終わり方をさせないでくれ!」
レイが言い、
「気にする事はない。我々はきみに感謝している」
とケンが告げた。
「早く、リナ。愛してる!」
ローリーの言葉を聞くと、急に私の身体は何かに操られたかのように動き出した。素早くケンの身体にとりついて、ローリーの足に触れる。
『アイシテル』……? それは単に、セックスの時に囁き合う、合図のような言葉に過ぎなかった筈なのに? 何故、こんなに胸が痛いのだろう。何故、私にはローリーの気持ちが解り、涙を流しているのだろう?
「ああ、ローリー!」
私は呻くように彼の名を呼んだ。
「きみは大丈夫だ」
と彼は答えた。
「ごめんなさい」
私は、ローリーに対してか三人に対してか判らない謝罪の言葉を口にした。
「いいから、早く行きなよ! 俺、もう少し身長があればよかったのにな」
レイが促す。私は彼の背中によじ登った。
その時、光線が私の肩をかすめた。
「止まれ、止まれ、元人類番号WA-Oh76-k3692-y5271!」
アンドロイドは今や銃を連射しながらこちらへ駆けてくる。
「ううっ!!」
そのうちの一発がケンに当たったらしい。三人の人間梯子がぐらりと揺れた。
「ケン!」
「大丈夫だ、早く行け!」
ケンの怒鳴り声に私は無我夢中でレイの頭を踏みつけ、肩の痛みにも構わず一生懸命に手を伸ばした。指先が壁の上端を捉えた。そのままそれを掴み、激痛に堪えながら自分の身体を引き上げる。私の足がレイの頭を離れた瞬間、ケンは膝をつき、ローリーとレイは地面に叩きつけられた。
「ケン! ローリー! レイ!」
私は隔壁に跨がった状態で下を見下ろした。倒れた三人に浴びせられるレーザーガンの光線。アンドロイドは、生かして捕獲する、という指令を切り替えたのだろうか? 私の頬を光線がかすめた。
「いいから、見なくていいから、早く行くんだ!」
ローリーが叫んだ。私に向かって放たれた光線が腕の皮膚を浅く裂く。私は反射的に次の光線を避けるように、壁の向こうへ倒れるように落ちていった。
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