第9話
「あのう、できればお呼び出しの理由を先に知っておきたいのですが……」
呼び出しというよりもはや罪人の連行のような形で歩きながら、明花は使いの者におずおずと訊ねた。
「私語を慎みなさい」
「……はい」
緊張で胃がひっくり返りそうだった。
見習い宮女が女帝に呼びだしをくらう理由。どう考えてもいい話ではない。いやな予感しかしなかった。
(やっぱりアレ? 姦通罪? 後苑でのお泊りが処分される!?)
ですよね! と絶望に叫びたかった。ダメに決まってる!
王公認となればなんとかなるのかなーなんてつい思ってしまったのがまちがいだった。
それにあの男!
(実際に手を出したってもみ消せるとか! ウソつき――――っっ!)
もしかしてクビなのだろうか? どうしよう……!
行きたくない! でも行かなければそれはそれで終わりだ。
紙のように血の気を失った顔で明花は歩いた。
大王大妃の住まう鸞和殿は、まさに女帝のための豪華な宮殿だった。入母屋造りの屋根には光り輝く黒瓦、軒を彩る極彩色、広い
「おまえが李明花か」
板の間に入ると威厳のある老齢な声が明花に問う。
「はい。大王大妃媽媽」
とっさに深く深く頭を下げたが、視界にうつった威厳ある姿に胃がきりきりと悲鳴をあげた。
金の
たしかあの裳は私が縫ったはず、とあまりの緊張で薄れそうな意識をなんとか保った。
――ねえ知ってる? 大王大妃さまの機嫌を損ねた宮女はどうなるか。
美成がいつだかそんなことを訊いてきた。「え、どうなるの?」なんて興味本位でのっかった過去の自分を思い切り責めてやりたい。知らないほうがいいことって世の中にはたくさんあるのだ。
(粗相がないように粗相がないように……っていうか、こういうときの礼なんて知らないんだけど! どうしたらいいの……!?)
大王大妃はじっと黙し、明花を値踏みするように注視している。
(なにかしゃべるべき!? 大王大妃さまにおかれましては今日もごきげん麗しく? いやいやそれとも見習い宮女ごときがなにかしゃべる方が無礼? いったいどうしたら!)
果てしなく迷う。
ようやく声がかかったのは、意識が飛んで石になりかけたころだった。
「おまえ、この内命婦を管理するわらわの許可も得ず、王の枕席に侍るとはなにごとか」
「はいっ申しわけございませんんんっ!」
(怒られてる! すっごく怒られてるぅ!)
勢いでとっさに謝ってから、ん? と思う。
(……ちんせき。珍席、珍、珍? 賃席? ちん………………ち、ちちち枕席!?)
ぎょっとした。枕に侍る、すなわち夜伽のことだ。
「ちがっ、ちがいます先ほどのは単なる勢いで言っただけでして、枕席どうこうを肯定したわけでは決して無く……っ!」
「黙れ。見習い風情が頭を下げよ」
「は、はいっでもあの!」
どっと大量の汗が噴きだした。
口ごたえは許されない。でもこれは認めたらまずい。枕席とか本気で言ってる? なんでどうしてそうなった。
頭を下げながら、誰か助け舟はないかと周囲をうかがう。何人もの宮女や内侍が控えていたが、誰も彼も刺すような厳しいまなざしで明花を見ていた。地獄だ。
「これほど軽んじられたのははじめてだ。みすぼらしいなりをしてよくもまあ大それたことをする」
「も、申しあげます! これはなにかの誤解でございます!」
「娘! 大王大妃媽媽に黙れと言われたのがわからぬか!」
侍女に一喝された。でも言わなければ……どうしたらいいのだろう。焦りばかりが脳内に警鐘を鳴らす。
「おまえがわらわのまえで否定したい気持ちはわからないでもない。王の手つきになるという野望を叶えたまではいいが、不興を買いたくはないのであろ。なにせ内命婦の管理者はわらわ。わらわが否といったら、それは否だ」
笑いをふくんだ声音につい視線を上げる。
それを見計らったように、大王大妃はしわがれた指でスッと首を水平に掻くしぐさをしてみせる。明花ののどが鳴った。
(もしかして、殺される……)
背筋どころか全身が冷えた。
言いようのない虚脱感とともにあきらめが湧いたその時、「だが」という声が響いた。
「あれにもまあ、娯楽は必要か。玩具のひとつでも与えておけば余計なものも望まず満足をするであろ」
(あれって? 玩具? なんの話……)
「教旨を下す。見習い宮女李明花を正式に針房内人と認め、針房内人李氏を正五品に昇格、
「え…………?」
李明花を、なんですって?
望まざる出世録はこうして始まった。
宮廷女官ミョンファ 太陽宮の影と運命の王妃 小野はるか/角川ビーンズ文庫 @beans
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。【発売前試し読み連載!】宮廷女官ミョンファ 太陽宮の影と運命の王妃の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます