エピローグ

エピローグ

 4人の学生と4本の卒業論文を乗せて、銀色のレンタカーは教授の自宅を目指し、国道を走っていた。

 運転席に沖くん、助手席に兼子さん、後部シートにたえちゃんとわたし。

 気まずい関係のはずの3人だけれど、若さゆえの軽さが良い方向に作用したのか、「保土ヶ谷って遠いからよかったらまとめて乗っけてくよ」という沖くんの提案が通ってしまい、本当にこんな状況になった。

 他のゼミのメンバーも、それぞれに保土ヶ谷へ向かっているはずだ。


 車内に流れるBGMは、沖くん選曲のベタベタなクリスマスソングばかりだ。WAM! に、マライア・キャリー、山下達郎に桑田佳祐。

 平常と変わらずクールな表情でハンドルを握る沖くんの横で、兼子さんは「太宰と三島は本当に犬猿の仲だったのか」というテーマについて口角泡を飛ばして持論を展開している。たえちゃんはそれをにこにこと聞いている。

 たえちゃんが昨日こっそり教えてくれたところによると、兼子さんは数日前にたえちゃんを呼びだし、「赤ちゃんの御見舞い」と称して一万円札の入った封筒を差しだしてきたそうだ。「彼氏の不始末のお詫びとして」と言い添えて。

 強いひとだな、と思う。兼子さんも、たえちゃんも。沖くんが好きになったのもよくわかる。

 これから教授や教授の奥さんに会いに行くというのに、わたしの心は驚くくらい落ち着き、満ち足りていた。


「あ」

 さっき飲み物を調達するために立ち寄ったサービスエリアで、小銭入れしか持たずに出たら消費税分が足りず、兼子さんに立て替えてもらったのを思いだした。

 鞄から財布を取りだして開いたとき、お札とは別の仕切りに入れてあった青い紙切れが目に入った。

 今まで気にも留めていなかったそれを各種ポイントカードの間から引っぱりだすと、キリさんとデートした品川駅前の水族館のチケットだった。

 水廊トンネルの写真がプリントされたそのチケットを手のひらの中でしばらく見つめたあと、わたしは

「沖くん」

 と運転席に声をかけた。

「あい」

「ごめん、一瞬だけ窓、開けてもらえないかな」

 返事の代わりに、わたしの隣りの窓ガラスがするすると下がってゆく。冷たい北風が車内に流れこんでくる。「寒っ!」と兼子さんが声を上げる。

 わたしはチケットを窓の外へ突きだし、そっと指を離した。

 青い紙切れはくるくると縦回転しながら後方へ飛びすさり、すぐに見えなくなった。




【完】

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キリさんの左手 砂村かいり @sunamura

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