インセスト/アナイス・ニン


 この本は1932~1934の日付が記された分の日記をまとめたものだった。インセスト。近親姦を意味するタイトルである。十歳のアナイスを置いて家を出た父。三十路を超えて再会した二人は結ばれる。またアナイスの愛人について以外も、世界恐慌で銀行家の夫ヒューゴーが慌てる場面や、当時の出来事が垣間見えて面白い。


 タイトルにも据えられているインセスト。近親姦について。父は娘との関係を日記に書かないようにとアナイスに頼んだ。アナイスは書いてしまったし、また分析医にもそのことを話している。

 三十三年、十一月。アナイスはオットー・ランクのもとを訪ねる。患者としてだ。ランクはアナイスから日記を取り上げ、周囲の男性からも距離を置くことを勧めた。ランクの治療は精神分析としては異端らしく、これでようやくアナイスも落ち着くのかと思いきや、分析そっちのけでアナイスに夢中になる始末である。アナイス自体も執筆を辞めてしまう。精神分析家になるための勉強を始めたが、それもあまり続かない。飽きっぽい。そして目先の快楽に大きな目標を忘れてしまうところなんかに仲間意識を感じてしまった。


 当時のフェミニストはアナイスの日記の「女性」に戸惑ったというが、非常にフェミニズム的だと思う。女性版ドン・ファンなんて素敵ではないか。Bitchの物語は男性が書くと懲罰的になるので嫌いだが、彼女の日記はあっけらかんとしていて読後感もいい。

 インセストのあとがきにその後のアナイスの人生に少し触れてあった。彼女は若いころは父親の影を追うように年上の男性と次々恋に落ち、年を取ってからは若い青年と恋をしていたらしい。そして夫のヒューゴーとは生涯別れなかった。



 アナイスが亡くなったとき、ヒューゴーの胸にあったのはどんな感情だろう。思慕だろうか、憎悪だろうか、それとも明確な、勝利の二文字なのだろうか。



 日記のすごいところは「もうだめ、あの人に関心が持てない。別れたい」と書いた次のページでもう「大好き」「あの人がいないと生きられない」ってなるところ。小説だとこうはいかない。事実の提示があって、感情の変化がある。日記では出来事は多く語られないが、アナイスの感情の変化だけが連綿と綴られている。毎日ではない。熱心に綴ったかと思うと、急に日付が途切れたりする。その不連続なところが、素敵だと思う。

 おもしろい。特にアナイスの認識が周囲の男性の言葉や分析で変わっていくところ。彼女は人一倍影響されやすい。異物を飲み込んでは吐き出す真珠貝のようだ。

 彼女は肉感よりも精神の安定を求めているように読めた。多くの男性がトロフィーとしてのアナイスに手を伸ばす。美しいトロフィー。



 彼女の前ではどんな男性も子どものようだ。彼女が子供らしい男性を好んだのか、それとも男性が母親のような彼女を選んだのか、わからない。すべての愛はインセストなのかもしれない。パパとママとぼく、わたし。精神分析の「母と結ばれるために父を殺す息子」の物語の中で、今日を生きる私たちはたぶん今もまだ、親の欠けた家庭の幻想に縋っている。フロイトのマザーコンプレックスの中に、とらわれている。

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