ニート/絲山秋子

 カクヨムをはじめて良かったとしみじみ思う時がある。好きな文章を書いている人が、普段読んでいる本を教えてくれるときとか。


 絲山秋子先生の名をいろんな書き手さんが口にしているのを聞いた。読んでみたい、と思った。書店に並んでいる中で一番薄かった本を手に取った。「ニート」とある。短編集らしい。


 買ったはいいものの、しばらく読まずに放置していた。女としての技量が狭いのか、偏った考え方をしていたので、若い阿瀬みちはだめんずを蛇蝎のごとく嫌っていた。ヒモ、だめ、むり、ぜったい。


 でも神楽坂いずみさんの感想文(コドモによるオトナみたいな読書感想文https://kakuyomu.jp/works/1177354054882337064/episodes/1177354054886842598)を読んで気が変わった。小川洋子さんと絲山秋子さんを対比して語られていたので、一層読みたくなった。小川さんは私も大好きな作家だ。ひさびさにページをめくってみると、以前ほどの拒否感は感じなかった。実際のところ年をとって寛容さを手に入れたせいかもしれなかった。今では昔ほど、他人を宛てに生きる男に拒否感を抱かなくなった。と思う。


 そういうわけで読み始めたらあっという間だった。全五編。計一六九項、一作品平均三十二項ほどの短い作品だった。あッ、なんやこれめちゃくちゃ巧みやんけ……余計なことを語らない筆致はなめらかで流れるようであった。ヒモと化したニート男子への憐憫、情、愛着、しかし一線を越えて相手の人生のすべてを掌握することはできない、という諦め。うわっ、上手い。


 統制が効かない、独立した機関。自分も、他人も、人生と言うのはそういうものだ。しっかりと手綱を握って掌握した気になっても、実際のところは不確定要素が人生のほとんどを占めている。ままならなさへの諦め。諦観。ダメな男を飼い、女友達は自らを去る。去る。作中の「私」は女友達の表面的な記号しか知らない。なぜ、引っ越すのか、どこへ行くのか。そういうことは知らされない。短い言葉だけが彼女たちの間を取り持ち、そして消える。


 『へたれ』に出てくる男はみずから人生の岐路において手綱を手放してしまう。この短編集に出てくる男はみなそうだ。手放し、自暴自棄を起こし緩慢に魂を自死させることを選ぶ。それでも彼らは知っているのだ。出迎えてくれる女がまだそこにいることを。むかつく、甘えんな、ひとりで立ち向かえ、そして散れ。


 このような呪詛の言葉は女の胸の裡にだけ潜むことができる。女が男に呪いの言葉を述べないのには、たぶん理由がある。



 最後の『愛なんかいらねー』において、ヘタレた男と、男の現実からの逃走劇、そしてそれを受け入れる女、という構図はこれ以上ないほど煮詰まっている。窒息しそうなまでに。行くところまで行く、というのはこういうことか、と思う。無邪気な逃走劇は、重ねた齢分醜悪さを増す。女の呪いを受けて初めて乾は自らの人生にウエイトを乗せることができる。わずかな重みを感じることができるのだろう。


 吹かれて飛ぶようなプライドなら捨ててしまえ。

 孤独と絶望のうちに死ね。女を姿見代わりに使うのはやめろ。


 どこまでも乾いていて孤独。優れた短編集だと思った。『愛なんかいらねー』では男の暴力性がことさら強調されている。過去に留学先で女を殺した。と乾は述懐するが、どこまでがほんとうでどこからが嘘なのか、成田は知る由もない。もちろん、読者も。ただ詐欺罪での服役を終えて舞い戻ったのだという乾の振る舞いは自分の人生を持て余した男のそれだ。成田という女が、自分のテリトリーに異物を引き入れた瞬間、制御不能に陥る感覚がどこまでもリアルだと思った。スカトロプレイの後の片づけを男女が全裸で淡々と行う滑稽さ。女を犯して殺したと自称する男を受け入れる女の無力さ。


 こんな簡単なことで

 些細な出来事で

 人は自らを手放したり失ったりしてしまう。

 それでも


 男のなすがままになってシャワーを浴びていた成田は唐突に悟る。


 “けれども立ち上がったとき、なんだって出来るのだと判ってしまった”


 実際には失った、と思った制御機能は相変わらず手の中にすべて収まっている。成田には判っていても、乾にそれを知ることはできないし、乾はきっと知ろうとはしないだろう。暴力や暴走の中に自我をゆだねる。失ったのだと、信じ続ける。乾というのはそういう男だと思った。


 もうちょっと絲山さんの小説を読みたい。

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