遠くを目指し

 レーブとルイムント、その他十名ほどのイーグル・フラッグス隊員を飛竜に乗せ、ヒューゴとリナはラダールの背に乗って帝都をたった。先頭を飛ぶラダールの横にはロンドが並んで飛んでいる。

 飛竜の背にはロープを掴んだ十数名が乗っているので、鷲と竜の速度はとてもゆっくりである。ラダール等ドラグニイーグルも飛竜もゆったりと翼を羽ばたき、通常よりも低い高さを西へ向かっていた。


 眼下を過ぎる家屋や歩む人の様子もはっきり見える。

 急ぐ旅路ではない。数刻飛んだら休憩をとり、夕方が迫ったら近くの村で宿をとる。速度を上げ休みをとらなければ一日半で元本拠地へは着くだろう。だが、今のペースなら三日ほどになる予定。

 元本拠地からベネト村へは、半日程度で着く。


 どこまでも広がる空と大地、秋も近づいた空気は冷たい。

 ヒューゴに腕を回すリナの温もりが心地良かった。

 飛竜を置き去りにしないようにラダールの手綱を握るヒューゴに皇龍が話しかけた。


『……龍族の力を必要としない世界。それは皇龍われを必要としない世界を目指しているということだな?』


 ――ああ、そうだよ。


『フフフ、その世界ができたら、我が責任を負うこともないのだな』


 ――そういうことさ。


『人間のためだけでなく、皇龍のためにも……と考えたのか?』


 ――最初は違った。でも、皇龍を宿してから感じた感情……世界中から集まってくる感情に耐えるのは大変でさ。だいぶ慣れて楽になってきたけれど、それでも気持ち悪いのは同じでね。僕はもう仕方ないけれど、次に皇龍おまえを宿す人が少しでも楽になったらとね。


『ほう。そんなことを考えるのはおまえが初めてだ』


 ――これまでの皇龍が頑張ってくれたから、竜のことを考える余裕が僕にはあるんだろうね。


 皇龍の声が聞こえなくなった。返事はないけれど、皇龍が喜んでいるのを感じる。それは不思議なことではない。ヒューゴが伝えた考えは、過去の皇龍が積み重ねてきたことは無駄ではないという証拠の一つだからだ。

 自分の中から暖かい感情が伝わってきて、もう一頭のことを思い出した。 


 ――士龍、今日までありがとうな。これからも力を借りるだろうから……宜しくな。


『我は与えられた務めを果たしただけだ。それにおまえは面白かったからな』


 ――面白い?


『今まではな。我の力を使えると判ると、使えるだけ使って物事を解決しようとする者ばかりだった。前の皇龍クリスティアンもな』


 ――ああ、僕のように竜の力はできるだけ使いたくないなんていう甘ちゃんは居なかったってこと?


『そうだ。そして皇龍様を宿してもこれまでと変わらない。力を畏れ慎重になる者は居ても、使わない選択する者が居るとは考えてもみなかった』


 ――僕の拘りは知っているだろう?


『今は判る。良いことかどうかは判らんがな』


 ――そうだね。でもさ? 努力もせず、知恵も使わず、ただ竜の力に頼っていちゃいけないだろう?


『そのおかげで、おまえは過去に我が宿った皇龍候補の中でも成長は早かったな』


 ――別に皇龍になりたくて頑張ったわけじゃない。


『判っている』


 ――まぁいいさ。とにかくこれからも宜しくな。あ、それと飛竜の数を増やしてくれよ?


『任せておけ』


 いつもは近い雲が高い。低く飛んでいるからなのか、それとも今日の雲が高いのか判らない。だが、その雲との距離が、自分が目指すモノの高さのようにヒューゴには感じられた。


 今は、ラダールや飛竜の力を借りなければそこまで到達することはできない。


 でもいつか。

 人間が人間の創意工夫であの高さまで至れる日がきっと来るのではないか?

 そしてその時、今の世界よりももっと平和で、みんなが安心して暮らせるようになっているのではないか?


 過去を思えば、そう簡単には訪れないだろうことは判る。

 人の欲、欲じゃなくても迷いなどで、過ちが繰り返されてきた。それはきっとこれからも同じだろう。だけど、高いところを目指して、ちょっとずつでいいから近づいていかなきゃいけないのだとヒューゴは思う。

 そして自分がそのために役立っていればいいなとも。


「ねぇリナ、ベネト村へ戻ったら……みんなに報告を済ませたら、しばらく何もしないでボーッとしていてもいいよね?」


 後ろを振り向いて話しかけるとリナはクスクスと笑って返事した。


「ヒューゴさんにそんなことができるのかしら?」


 ブラウンの瞳にいたずらっ子のような光を浮かべ、シルバーブロンドの髪を風になびかせ、クイッと首を傾けて微笑んでいる。ヒューゴの性格をよく知るリナの態度にヒューゴは苦笑した。いつも優しい妻の返答は正しい。でも、今回は何も考えず、何もしないひとときが欲しいと思っているのも事実だった。


「僕だって疲れてるんだよ? 休みが欲しいと思うこともあるさ」

「アイナさんやラウドさんのお子さん達とも遊びたいでしょう?」

「ああ、うん」


 兄貴分のライカッツと姉のようなアイナの子供達は甥っ子のような感覚で、たくさん遊びたいと思っている。また幼馴染のラウドと無紋ノン・クレストだったナリサの子も他人とは思えずにいる。

 そんなヒューゴの気持ちをリナは判っていた。


「お父さんとまた鍛冶仕事もしたいでしょう?」

「面白いからね」


 鍛冶仕事は体術や武術よりもヒューゴの性に合っていると感じていることもリナには判っていた。仕事としても楽しみとしても、ヒューゴは手を出したくなるだろう。


「パリスちゃんが戻ってきたら、剣の稽古にも付き合うんでしょう?」

「ああ、判ったよ。降参、降参。んじゃ、傭兵関係の仕事は休むというのでは?」

「それもきっと無理よ。セレナさんが魔法の効果を付与した武器や防具を売り出そうとしていたし、イルハムさんや他の隊員さんが働いているのに、何もしないでいられるの?」


 イルハムはヒューゴが何をしていようと気にせずに村周辺の警備や隊員達への訓練をレーブと共に務めるだろう。セレナは隊員達への給与を捻出するために、新たな仕事を作るに決まっている。それらを見ていてジッとしていられるかと言われるとヒューゴには無理そうだ。


「……ちぇっ、リナにはお見通しってことかぁ。……なんか悔しいな」

「でも、二人で居られる時間が増える……私はそれだけで嬉しいな。もちろんできるだけ休んで欲しいけれど、でも、ヒューゴさんが何もしないで居るなんて無理よ」


 そう言ってヒューゴに回した手に力が入った。


「うん、僕も嬉しいよ」


 ヒュドラが居なくなろうと、帝国や世界の有り様が変わろうと、人の営みは基本的に変わることはない。

 だからみんなの生活が少しでも楽しくなるようにしたい。

 その為にこれから何ができるのだろうかと、ヒューゴは前方に広がるセリヌディア大陸を見つめる。


 皇龍として、人として、ヒューゴとして。


「とにかく帰ってからだな」


 これからも何かしら面倒なことは起きるのだ。

 帝国関係にしても大陸の他の地域にしても、このまま平穏に物事が進むと考えるほどヒューゴは楽観的ではない。

 だが、しばらくの間は静かに暮らせるだろう。


 そのささやかな時間を精一杯楽しもうと、胸のあたりにあるリナの手に触れた。


 ラダールはそんなヒューゴの思いを汲み取るようにクゥウと鳴き、広げた翼をひとつバサッとはためかせる。遠すぎてまだ見えない目的地目指し、大きくゆっくりと蛇行して飛んでいった。






 後世、人々からは英雄と称えられ、各国の重鎮達からは大陸の新たな有り様を作り上げた軍師と呼ばれたヒューゴは、この時まだ二十八歳。

 この時確かに訪れた平和は恒久的なものにはならない。

 ヒューゴの行いは伝聞で知られるだけで大勢の目に止まるような行為はなかった。だが、それでも、ヒュドラを倒し、新たな体制の基礎を築いたことは皇帝や統龍紋所持者等によって広められた。


 華々しい活躍はなかったかもしれない。だが大勢の命が失われるような戦争は生じなくなった。その功績によって、ヒューゴは後世「皇龍のストラテージ」と称えられるようになる。

 


―― 了 ――

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皇龍のストラテージ ~英雄と呼ばれた青年の物語~ 湯煙 @jackassbark

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