ストローグラス第一章

sakurazaki

第1話 来客

1、     来客


 ストローグラスは揺れ続く


 その身はどこ行くどこに着く


 天をもかくし地をかくし


 なにを守り抜くのやら


 ストローグラスは揺れ続く


 遠くの国から吹いてきたのかしら?

 ヒタキは心地よいその頬を撫でる風の冷たさを感じて目を閉じた。

 まぶたの裏に浮かんだのは石でできた巨大な塔や石畳をゆく馬の姿で、眩しいくらいに生き生きと感じられて思わず微笑んでしまう。なんでこんなになつかしいと思うのだろう。


 そっと目をあけると目の前にはまっすぐ空に向かって伸びる緑色の太い針金のような植物。

かすかに風にゆれて、遥かかなたまで続いている。この先はきっと想像した国に続いているに違いないのに。どこまでもどこまでも、太い針金の植物はつづく。

 遠い。


「ねぇヒタキ、早く帰ろうよ。長に怒られちゃうよ。こんな遠くまで来たことないんだからさぁ」

 アジサシがヒタキの背に声をかけた。

 ストローグラスを掴んでいる足が小刻みに震えている。

「それに、下を見るとくらくらするよ。真っ暗な中に吸い込まれそうだし」

 遥か足元の暗がりからストローグラスはまっすぐに天に向かってはえていた。

その名の通りストローのようなまっすぐな形状の葉はどこまでも線を引いたように立っている。

 頑丈なその葉はおとなの力でも折る事ができないくらい硬く何本か束にして足の指で掴んで身体を支えていた。

両手両足を使ってここまできたものの、アジサシは村まで帰る力が残っていないのではないかと不安に駆られていた。

「もう疲れちゃったの?意気地ないよねぇアジサシは。女のあたしよりずっと弱いんだから」

 ヒタキは何の不安もないと見える、しっかり両足の指でストローグラスを束ねて掴んでいる。

両手を離しアジサシと違って天を仰いで空を見上げているのだから疲れと言うものを知らないのかもしれない。

「じゃ、地獄に落っこちちゃう前に村にかえるかぁ~アジサシの為にもね」

 この辺一体は遥かかなたまでストローグラスが続いている。枯れ草のような匂いが充満して苦しくなる事もある。

 誰もこの先になにがあるのか、知らない。

 ヒタキの記憶の中の地図には、遥か彼方まで続くストローグラスの濃い緑が果てしなく広がっているばかりだ。

 アジサシは普通の男の子だから仕方がないのかな、村でもおとなと同じくらいの体力と忍耐力のあるあたしに比べたらね、とヒタキは思った。


 二人が村に向かって方向転換をしようとして、前にあるストローグラスを掴んで進み始めた時背後から音がして風が通り抜けていった。

さわさわという乾いた音。記憶にない匂い。

 ヒタキはもうすでに村に向かう方向に向いていたが、ぴょんと飛び上がると空中で身体を反転させ瞬時に足元のストローグラスの束を器用に足の親指と人差し指と中指で捕まえる。

 軽いからだと俊敏性、バランス感覚は村の中でも一二位を争うほどだ。

 どこまでも続くストローグラスの林が大きく二つに分けられて、そこに見たこともない舟に乗った人影が二つ。

舟と言っても小さなボートくらいで、あまり深さのない物だった。

 アジサシが顔だけ振り返り声を上げる。

今にも真っ暗なストローグラスの底に落ちていきそうだ。

怖さと不安の大声。

「お前らはなんだ!その舟はどうして浮いているんだ!」

 この林には水もなく舟が浮いているのは不思議な事だった。第一に舟に乗っている者は二人ともヒタキやアジサシの倍はあろうかと思われるほど長身だったから、村の者であるはずがない。

 アジサシとは逆にくったくのない表情のヒタキ。

「あんたら、だれ?どこから来たの?それは、なに?」

 ヒタキはまったく危険を感じていないのか、無邪気に首を傾けた。大きな目を更に大きく見開いて緑色の瞳をきらきら輝かせている。


 一人の青年がヒタキを見てゆっくりと微笑んで目線を合わせるようにしゃがみこんだ。

「この舟はエアークラフトと言って底部から空気を出して浮いているんだよ。おじょうちゃんの村はこの先にあるのかな?」

 色白の顔の中で切れ長の目が優しそうに揺れている。

 金色の髪は風になびいてさらさらとストローグラスの林の中に流れていく。

「おじょうちゃんじゃない。もうじきおとなになるもの」

 子どもじゃないと主張して見せるヒタキ。あと数年で成人になるし、お嫁さんにだっていけるんだもの。心の中でヒタキはつぶやいた。

「おい!さっさと先を急ごうぜ。こんなガキ相手に何をやってるんだ」

 もう一人が腕を組んで履き捨てるように言った。こちらの青年の黒い髪は肩にかかるくらいで異国の匂いがする。

男は鋭い目つきでヒタキたちを見ていた。

「オオタカ!こっちの男の子はもう村までもつまいよ。足が震えてすでに感覚がなくなっているんじゃないかな?きみ」

 そう言ってさらりと金色の髪をかきあげるとアジサシに向かって手を差し伸べた。

「馬鹿言っちゃいけねぇ、この舟の重量がオーバーしちまうわ!そのガキを乗せたとたんこの真っ暗な地獄の中に落ちていって、ストローグラスに串刺しにされちまうぜ!」

 黒髪の青年の横でアジサシの手を取った途端、小さな舟はガクンと傾いた。

 本当にアジサシは一歩も動ける状態ではなかった。

アジサシの手をぐんと引っ張ると小さな身体を舟に乗せ同時に青年はひらりと床をけって身体を宙に浮かせた。

「なんだいハヤブサ、いつからそんな芸当ができるようになったんだ!」

 ハヤブサと呼ばれた青年は、ヒタキと同じように両手にストローグラスの束を掴んでいた。

足につけていた履物は暗い地の底に落ちていく。

ヒタキをまねて両足の指でストローグラスを掴もうとしていた。

「村まで早く行ってくれ!手の力には自信があるのでね」

 それを見るとオオタカと呼ばれた男は「チッ」と舌うちをして

「前へ!」

 と叫んだ。肩で息をしているアジサシを乗せて小さな舟はヒタキたちの村へ向かった。

「ヒタキ!安心しちゃだめだ!早く村にかえって来て!」

 舟に乗せられたアジサシの声がすでに遠くの方で聞こえていた。

「お前一人で帰れなかったんじゃなかったのか、フン、別にオレはどっちでもかまわないがな」

 野太いオオタカの声も同時に遠のいていき、瞬く間に見えなくなってしまった。


「意外と難しいんだね」

 両足だけで林の中で立っているヒタキに向かってハヤブサが笑った。

 目も鼻も村の者たちとは違う。

吸い込まれそうな青い瞳に、光を受けてきらめく長い髪。

「でも、すごいよ。アジサシだって村の中じゃうまいくらいなんだからさ。ま、あたしは特別なんだけどね、それとあたしは子どもじゃないよ。もう、小さい子の面倒だって見られるお姉さんなんだから」

 ハヤブサは舟の去った方向に向かって、腕だけで移動を試みてみた。

前方の何本かのグラスを確実に掴んで移動していく。足元はおぼつかない。

「おにいさん、足が使えるともっと楽なんだよね。足の親指と人差し指をぎゅっと力を入れて中指はそれをすべらないように爪側にストローグラス。そうそう、うまいうまい!」

「わたしの名はハヤブサ。お前の名はヒタキでよいのかな?」

 ハヤブサは少しずつ足先で何本かの硬い草の茎を捕らえる事ができつつあった。

「そう、ヒタキ。村長の子です。とうさんに今晩は歓迎の宴をしてもらうね」

 そんな事を話している間に、ヒタキはどんどん先に行ってしまう。


 その後姿を見ながらハヤブサは、この娘はいくつくらいなんだろうと見つめた。

 女性には幼く子どもというよりもおとなの表情で、あどけないけれど利発そうだ。

「小さな村だけど、うまい野菜が沢山あるよ。あたしもここんとこパンも焼けるようになったし」

「村にはどれくらいの民がいる?」

「百人くらいかな。めったによそから人が来ないからさぁ、ハヤブサはあたしが知ってる限りでははじめてのお客さんだよ!」

 ヒタキがしげしげとハヤブサを見つめて聞いた。

「ハヤブサはどこから来たの?ハヤブサの村ではみんなそんなに背がたかいの?」

「そう、わたしはずっと西の端の国から。わたしもオオタカも背は大きいほうだよ。いまや地上はこのストローグラスにおおい尽くされてしまった。国土もどんどん侵食されて人々は飢えと乾きにあえいでいる。古い歌にストローグラスに守られた小さな村が出てくるのだがそこに人々を幸せに導く者がいると。宝を隠しもった村だと」

「あたしの村はずっとずっとストローグラスに囲まれているけど、宝なんてものはなにもないよ!」

 少しずつ器用に足の指を使えるようになってきたハヤブサは、ヒタキを見て感心した。

 身体を貫くほどに硬い葉を持つストローグラス、しかし地の底から伸びているその先に身体を預けるのは難しく安定してバランスを保って立っているヒタキの身体の力は相当なものだろう。

 おそらくは、自分の国にもこれほどの筋力とバランスの持ち主はいないかもしれない。

 ストローグラスの林を散歩する娘なんて、想像もしていなかったな。

「おじょうちゃんの村の民はみんなおじょうちゃんのように背は大きくないのかい?」

「おじょうちゃんじゃないよ。ヒタキです。うん、あたしやアジサシは特別に小さいけどハヤブサみたいにでっかい村人はいないよ」


 ハヤブサと名を呼ばれて少しだけ心地よかったのは、誰も自分をそう呼ぶものがいなかったから。

 幼いときから一緒に遊ぶ、オオタカくらいだろうか。

 オオタカは幼い頃、親を失った。

そしてハヤブサはオオタカと幼少期をいつも一緒に過ごしてきた。

ガサツでそっけない物言いのオオタカは、周りのものに敬遠されて生きてきた。

それゆえ、気心のしれたハヤブサにはオオタカの考える事は手に取るようにわかったものだ。

そのオオタカが再びエアークラフトに乗って現れた。

「村までたいした事はない、すぐだ。乗ればすぐにつく。ハヤブサは乗って行くがいい。おまえはどうする?」

 ヒタキを横目で眺めながら、冷たく笑う。

オオタカの目にもこの娘は、安心な様にうつったらしい。

「あたしは心配ないよ。さっきまではアジサシがいたから、ゆっくりだったけど。ものの十分もあれば村につけるからさ。じゃ、村まで競争だね」

 嬉しそうにそう言うと、ヒタキはストローグラスを次々に掴んで進み始めた。

「ものすごい身体のバランスだよ。おどろいたね、オオタカ」

 クラフトに乗るとそう言って遥か小さくなってしまったヒタキの影を見つめた。

「けっ!サルの子どもみたいだぜ!」

 舟を進ませながら、オオタカはつぶやいた。

「それに、小さいが面積としてはかなりある村のようだ。村人は小柄で色の浅黒い人種だ。オレを見て驚いてやがったぜ」

 肩についた黒髪がさらさらとスピードと共になびいて、瞳はきらりと輝いていた。

「楽しみだねぇ。きっと優しい人たちだろうね。ヒタキと同じように」

 こちらも金色の細い髪が風に揺れて光を受けていた。

深い水色の瞳はまっすぐに進む先を見つめて輝いた。これから出会う人や出来事が楽しみだというように。


 突然視界が開けてストローグラスが二人の目の前から消え丸太で杭を打った中に、池が現れた。

 湧きだしているのだろうか、水は澄んで底の白い砂まで見える。

「水だ。なんて清らかな水なんだ!」

 ハヤブサが驚きの声をあげた。

「池、ないの?ハヤブサの国には」

 いつのまに現れたのか、ヒタキが池の周りにめぐらせてある丸太の杭の上に立っていた。

いくつもの木の杭は人が行き来できるくらいの幅で橋の様にぐるりと池を囲っている。

「おまえ、もう着いてたのか!信じられねぇくらいの速さだな」

 オオタカがあきれたように言い放った。

「あたし?あたしはもう一足先についてるよ。父さんにも話をしてきたし、歓迎してって頼んできた。異国の話、あたしたくさんききたいしね!」

「ふん、こんな閉鎖的な村に住んで平和に暮らしてる民にオレらの話なんて聞いたところで、なんの為にもならないがな!」

 オオタカがクラフトを小脇に抱えて丸太杭の上に立って歩き出した。

「なんで?話、してくれないの?」

 がっかりしたようにヒタキが肩を落とした。

「なにが聞きたいんだい?オオタカは話すのが好きじゃないだけだよ」

 ハヤブサもゆっくりと村の土を踏んだ。何かが始まる一歩なのかもしれなかった。

 彼らの胸の辺りまでしかない身長の村の民がぱらぱらと、あちらこちらから三人を伺っていた。


 ヒタキに連れられて村を進むとひときわ大きな赤い屋根の建物に行き着いた。

ちょうどこの村の真ん中あたりに位置するのだろうか、そこから四方に道が伸びていた。

「ここだよ。とうさんがこの村の長だからね。歓迎してくれるよ」

 木でできた扉は重くぷんと森の匂いがした。

 小さい頃森でオオタカと遊んだ記憶が呼び起こされて、懐かしさにハヤブサは胸に手を当てた。

 今ではその匂いをかぐ事も森を見ることもできないのだから。胸の奥がきりきりと痛む。


 一つめの広間はかなりの広さがあってりっぱな絨毯が敷き詰められており、周りにたくさんの人々があぐらをかいて座っていた。

ハヤブサとオオタカを物珍しそうに眺める者もいた。

「こいつらオレらが、そうとう珍しいとみえる」

 見られることに不快感をあらわにしてオオタカがつぶやく。

「そりゃそうだよ。わたし達は彼らと肌の色も違うし背だって高くて、まったく異国の民なんだもの」

 ハヤブサが自分の柔らかい服を見て言った。

たしかに座っている村人はつやのない生地でできた着物を着ていたし、髪も男は短く女は肩のところでばっさりと切ってある。

皆一様に肌は浅黒く背はあまり大きくない。ただ男たちは鍛えられた腕も足もがっしりとして、かなりの体力がありそうだ。

「これはこれは、遠路はるばるとようこそお越しくださいました」

 奥の扉をあけて一人の男が現れた。

「とうさんだよ、村では二番目に偉いんだよ」

 ヒタキが紹介した男は民の中では大柄であり、身体中にエネルギッシュな空気をまとっていた。

黒い髭に覆われた顔の中で人のよさそうな黒い瞳が笑っている。

「わたしはハヤブサ、これはオオタカです。わたしたちはこの村に希望の宝を見つけに参りました」

 周りに座っていた村人から「希望の宝だってよ」とささやき声が聞こえてきた。

「はて?希望の宝、ですかな。この村にあるのでしょうか?聞いたことはありませんが」

 ヒタキが二人に座るようにうながすと、村長と三人の前に白いにごった水の入った木の器が置かれた。

 村長が二人にそれを勧めると奥から若い女たちがいくつもの料理を運んできた。

「これは!酒だぜ」

 そう言うとオオタカはすぐに飲み干しもう一杯ヒタキに注いでもらった。

「この村は昔からストローグラスに囲まれているのでしょうか?」

 村長がうなずく。

「何も変わりなく?」

 ハヤブサが確かめるように聞く。

 もう一度村長はうなずく。

「本当かい?幸せな村だな」

 オオタカがもう一杯もらって飲み干して言った。

「そうですか」

 ハヤブサがゆっくりうなずくと自分達の事を話し始めた。ヒタキが瞳をきらきら輝かせてハヤブサの横に座った。


 ハヤブサの国は大陸を一つにして繁栄していた。

それまであった国同士の戦いやたくさんの民が血を流した対立を一つにまとめたのは、ハヤブサの父、国王だった。

 武器をすてよう、そして共に生きよう。

 そう言って統一をはたしたウルマ国はたくさんの農耕を推奨して栄えていき大地は緑に覆われて荒れた地に住む者も裕福に暮らしていく事ができるようになっていった。

 戦いや憎しみも癒え、少しずつ心の平静を取り戻しつつあった時だった。

 突然のように、田畑にストローグラスが生え始めたのだ。

それは瞬く間に広がり、緑の豊かな大地はストローグラスに覆い尽くされた。

「わたしも小さい頃、この植物を森で見たことはあったんですが、これほど大量にはえたところなど見たこともなかったので、正直わたしの国がこんな荒れ果てた事になろうとは思ってもみませんでした」

 大まかに説明するとハヤブサは息をはいた。

「ハヤブサは遊んだ事ある?ストローグラスで遊んだりした?」

 横から、ヒタキが無邪気にハヤブサに問いかけて首をかしげた。

 愛くるしいその仕草についハヤブサは微笑んでしまう。

 なんてくったくのない表情をするのだろう。

昔はわたしたちの国の子供達もこんな顔をしていたものだよね。今では飢えと不安で凍えそうな表情をしている子ども達が多い。

「ああ、森に生えているストローグラスは背もひくかったし簡単に引き抜けたからね。その名の通りストローにして水を飛ばしたりして遊んだよ」

「ハヤブサの国はどんな街並をしているの?街は石でできてる?馬は荷物を運んでる?」

 顔を近づけてヒタキが聞く。

「そうさ、街中は石畳で家は石を積み上げてできているものが大半さ。馬は荷を引いているよ。ヒタキはなぜ知ってるの?」

 はっとしてハヤブサは村長を見上げて聞いた。

「この村の民はもしや我が国にいらした方がおいでなのでしょうか?」

 ゆっくりと酒を口に運びながら村長は首を横に振った。

「ヒタキは昔から異国の夢を見るのです。残念ながらこの村の民は誰もこの村を出た事はないでしょう、最近は」

 酒を桶から自分で注ぎ足して飲んでいたオオタカが

「最近はってことは、少し前はそんなやつがいたってことか」

 村長はオオタカのほうを向くと

「若い時分は外の世界にも興味をもつものでしてな」

 ぐいと入れた酒を飲み干して

「若い者は外の世界に出て行くもの、ってのはオレたちの事じゃねぇか!はは」

 かなり酔いがまわってきたようで、オオタカの頬が薄く色づいていた。

「オオタカ!飲みすぎるなよ!」

 ハヤブサがオオタカを睨んだが、そ知らぬふりをしてもう一杯自分の椀に酒をついでいる。

「いいじゃねぇか、酒なんていつ飲んだ以来かねぇ、しかしこの酒うめぇ。おい!これはなんと言う酒だ?」

 ヒタキがにっこり笑い

「ストローグラスだよ」

 ハヤブサもオオタカも目を丸くしてヒタキを見つめた。やわらかい笑顔で村長が言う。

「ストローグラスは壊すだけではないのですよ。実もつけるのです。明日にもご案内しましょうね」

 ヒタキがハヤブサの手を取った。

「あたしが、連れてってあげるよ。とうさん、いいでしょ?」

「その前にオオババ様に会ってもらおうな」

 ハヤブサがヒタキに顔を近づけた。

「オオババ様というのは?」

「うん、ここで一番偉い村の者だよ。めったに会うことはできないけれどさ」


 その晩オオタカは足がもつれるほど大酒を飲んだ。最後は寝床までハヤブサが抱えていかなければならないほど酔っ払ってしまっていた。

 ヒタキはハヤブサの隣から片時も離れず、ハヤブサの飲んだり食べたり話したりする姿を見つめていた。

 この人はなんでこんなにきれいな立ち振る舞いなんだろう。

 酒を飲むのもオオタカみたいにだらだらこぼしたりしないし、物を飲み込む時ののど仏が動くさまさえ美しい。

話す声は小鳥のさえずりみたいに澄んで聞こえるし、切れ長の目の奥に青く光る瞳。

 あたしこの人に昔どこかで会ったことがあったような気がする。

 そう、すごく美しい男の人、青年。

 夢の中だったのかな。

 異国の夢に出てきたっけ。こんな金色の髪をした美しい人。


 その晩、ヒタキは胸が締め付けられる夢を見た。

 そこは緑濃い草原だった。

 白いドレスの裾を風にたなびかせた女の人が立っている。

その人のところにかけて行きたい。でも足が緑色の草にもつれて進めない。

たなびく草。ストローグラスとは違う柔らかなしなやかな草だ。

「まって!あたしも連れてって!」

 声に出したけれどヒタキの声は風の音にかき消されてしまい届かない。

 白い大きな帽子をかぶって表情は伺う事ができないが、向こうの方に手を振るその姿は嬉しさでいっぱいだ。

 遥かかなたに見える人の影。長い金色の髪が風に流れている。

背の高い男の人はこちらに向かって手を振っている。

 ビュっと吹いた風に女の人の帽子が飛ばされてゆく。

ヒタキの目の前を大きな花で飾られたつばの大きな帽子が飛んで過ぎる。

「あ」と声を上げて手を伸ばすけれど、すれすれのところで帽子は指をかすって空中に舞い上がる。

 みるみるうちに帽子は空高く飛ばされて、遠くなっていく。

 女の人を見れば、そんな事は眼中にない様子で走っていた。

白いドレスの裾をたくし上げて足元の不安定な草原を男の人の元に走っていく。

 なんて嬉しそうで、なんて幸せそうなんだろう。あたしの声はもう届かないだろう。

 あの人はもうあたしの事を忘れてしまうだろう。

 そう思うと、胸が痛んだ。大きな何かに胸が掴まれているみたいに苦しかった。

 だけど、ヒタキはもうあきらめていた。あの人は帰ってこない。あたしは忘れられた。

 さようなら、いとしい人。大好きだった人。


 ヒタキは泣きながら目を覚ました。

(イイヨ、ナイテモ)

 心の中に聞こえる声。ヒタキはそっとベッドを降りると自分の部屋を出た。外に出ると月がきれいだ。明るく村を照らしている。ヒタキはふらふらと村の奥に進む。

 道が上り坂になり、そこにある木でできた大きな建物の中にヒタキはすっと消えた。




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