第2話 面会

2     面会


 オオタカはひどい頭痛で目が覚めた。

 がんがんする頭で思い出してみると、夕べ久しぶりに飲んだ酒の味は格別だった。

 酒が貴重な物になってからは、国でもなかなか手に入らなかった。たまに手に入ってもひどい代物だったし何杯目かで吐き気がしてくる。

昨日飲んだ酒の優美な味といったらたとえ様もない。

飲んだ瞬間から身体の中に染み渡っていく幸福感。甘く少し辛くゆっくり身体を温めていく。なんとも言えないうまみ。

 頻繁に酒を飲んでいたころでも、こんなに上等な酒にはお目にかかったことはない。

 さすがに感動して飲みすぎた。

 あの味を思い出すとこの頭痛もしかたあるまい。そう思うほど美味だったのだ。


「ひどかったね、夕べは。久しぶりにオオタカの醜態を見させてもらったよ。ふふ」

 もう起きてお茶を優雅に飲んでいるハヤブサが言った。

「うるせぇな、おまえは大丈夫だったのか」

「わたしは、オオタカとは違うからね。飲みすぎたりしないよ」

「あれほどにうまい酒でもか?」

 ふっとハヤブサとオオタカの目が合った。

「あの酒、ストローグラスから作ったって言っていたの覚えてる?」

 オオタカがうなずく。


 そこへドアを叩く音がした。

「客人、朝食の支度ができております」


 昨日の村長の広間に通されてハヤブサとオオタカは挨拶をした。

「夕べは醜態をお見せしてお恥ずかしいです」

「格別なもてなしに感謝しております」

 夕べ広間に集まっていた村人はおらず、村長とヒタキ、ハヤブサとオオタカが絨毯に座って朝食を取ろうとしていた。

 目の前に並んだ魚や木の実やパンを見て、ハヤブサが手を伸ばし

「この魚はどこで捕れるのですか?」

「村の池だよ。おいしいよ。パンはあたしが焼いたんだ」

 ヒタキがすぐに答えた。

「そう、とても上手に焼けているね、おいしいよ」

 ハヤブサの優しい言葉にヒタキは嬉しくなる。

「この木の実は?」

「村の奥の森の木にたくさんのつるが巻きついて実を付けるんだよ」

「森?この村にはまだ森が残っているのですか?」

 うなずいて村長が

「食べ終わったら、ヒタキに案内させよう。それからその前に会ってもらいたい方がいるのだが、良いかな?」

 手当たり次第に口の中に放り込んでいたオオタカが

「誰だ?誰に会うのだ?」

 オオタカの椀に茶を注ぎながらヒタキが

「オオババ様だよ。オオタカはもう少し上品に物が食えないの?」

 むっとするオオタカを睨んでヒタキ

「もうちょっときちんとしないとオオババ様に怒られるから!」

「なんだとっ!」

 オオタカが口の中のものを飛ばした。

「きたないなぁ~、とったりしないからゆっくり食べなよ。まったく」

 ヒタキの言葉を制して村長が

「これ!ヒタキ!客人ぞ」

 首を引っ込めてヒタキがこくんと謝る。

「ふん、ガキあいてに怒るオレ様じゃないがな」

 ハヤブサが笑いながら

「喧嘩相手にちょうどいいね、オオタカ」

 果物を運んできた村の女も笑っていた。オオタカは口をへの字にした。


 村には小さな木でできた家がたくさん立っていた。その間を縫うようにヒタキに付いてハヤブサとオオタカはあたりを見渡しながら進む。

 村は思ったよりも広くて家々の回りはゆったりとしていてたまに自分の家の庭に野菜の畑を作っている者もいるようだ。

 村の端はぐるりと背の高いストローグラスに囲まれているように思われた。まるで、ひっそりと隠しているように。

かなり歩くと家が少なくなっていき、広場のようなところに出た。

「これは!」

 ハヤブサが驚いて声を上げた。

 背の低い大木が真ん中にあった。

家の何軒分もの幹を持つその木には様々なつるが巻きついていて丸いころりとした実をつけているものもあれば緑色の細長い実も付けている。黄色い葉っぱや緑の葉、茶色の葉がからまって、色とりどりのあざやかな色に溢れかえっている。

 そして低い大木の枝は手を長く伸ばし、決して高くないが威圧するようにどっしりとそこにかまえている。緑の影を落とし、その広場全体に涼しい癒しの空間を作っていた。

 ここまでは少しづつ坂道になっており、大木は背に大きな岩山をしょって立っていた。岩山と村の境目に絡みつくようにその木は息づいていた。

 いくつかのつるは岩山にも伸びており、すべてが同化していた。岩山を抱え込むかのように大きく枝葉をのばしりんと胸を張っているように見える。

 そして、もっと驚く事にはその岩山に近いところの大木の幹の部分に扉があった。

「ここだよ」

 ヒタキが言って扉を開けた。

 幹と見間違えるような扉はぎっと音がして開いた。中から涼しい風がすっと足元に吹いてくる。


「オババ様ってやつはこんなところに住んでいるのか?」

 オオタカを睨んでヒタキはため息をもらした。

「オオババ様だよ!もうオオタカの事見てるよきっと。へんな奴が来たってさ」

「なにがへんな奴だ。ガキのくせに生意気だな!ちびっ子のくせに」

「ちびって言うな!あたしは将来はハヤブサみたいに大きくなるんだからね!」

「なれる訳ねぇだろ!人種がちがわぁ、なれたらなんでもしてやろうじゃねぇか!」

「言ったね、あたしが背が高くなったらオオタカのとこに絶対訪ねて行ってやるんだかんね」

 二人のやり取りを面白そうに見ていたハヤブサは

「人間信じられない事もあるさ、オオタカ。第一この村は想像を超えているじゃないか」

 次の言葉を飲み込んだオオタカがむっとした。涼しい風が三人を包んで誘っているようだ。


 中は真っ暗だったがヒタキが持ってきたカンテラに火を灯すとおぼろげながら中の様子が見えてきた。扉の内側には狭い廊下が続いていて三人は先へすすんだ。


 程なく目が暗闇に慣れてきて中を見ると端にはきのこがたくさん生えている。

「これ、食えるのか?」

「オオタカは食いしん坊だね。もちろん食べられるよ、鍋に入れるとおいしいよ」

 ヒタキは息を整えると振り返った。

「ここだよ、二人とも驚かないでね。オオババ様は本当にお優しいからたいていの事は許してくれるけどさ」

「オレは許してもらう様な事は何もしてねぇよな」

 自問自答をしているオオタカをハヤブサが笑った。

「正直者なのは確かだね」

 薄暗い広場の奥につるの絡み付いたいすに座っている人影を見つけた。




 ハヤブサたちを見送ってから、村の長であるシギは遠い目をして空を眺めていた。

 胸の奥があまく切なくうずく。

 遠い遠い昔の自分を思い出してみた。

 若かった。

 今でさえ、後悔する事がある。自分の能力に対する自信。うぬぼれ、そんな自分を嫌悪する。


 平和と安心と引き換えに置いてきたもの。自分の本当に必要なものは果たしてなんなのだろう。

 失った物の大きさ。

 シギはふと振り返って絨毯に置いてあるエアークラフトをみた。

「こんなにコンパクトになるとは」

 そうだ、それになんて軽いんだ。シギはもう一度空を仰いだ。

 抜けるような青空が続いている。


 ハヤブサ、あの青年はいやおうもなく昔を思い出させる。

 金色の長い髪、まっすぐ人を射抜くように見つめるまなざし。抜けるように白い肌。

 この村に帰ってきたとき、毎晩毎晩夢に出てきた後姿を思い出させる。

 できる事ならば、もう一度だけ会いたい。会ってこの手に抱きしめたい。

「ふふ、かなわぬ夢だと知っているのに。我も未練がましいものだ」

 開け放された窓から涼しい風が吹き込んできた。


 ストローグラスの匂いがした。わたし達を引き裂いた植物。

 この村にずっとずっと共存してきたこの植物が、世界にもたらした破壊はどこまでゆくのだろうか。

 自分だけの幸せだけを願っている訳ではないのに。

 やるせない気持ちとゆるせない気持ちがない交ぜになる。苦しいのはハヤブサたちが来たことによるものなのだろうか。

 いや、うすうすは感じていたことだ。感じていたのに知らない振りをしていたに過ぎない。

 忘れた振りをしていたのだ。村人の事を案じる村長を演じていたのかもしれない。

 自分は悪なのだろうか、心がせまいのだろうか。

 その答えはこれからハヤブサたちが教えてくれるのかもしれない、そうシギは感じていた。




 薄暗い広場の椅子には鳥の羽だろうか、真っ黒い羽をまとった人影が浮き上がっていた。

「オオババさま、お客さんが来たんだよ。あたしはじめて異国の人に会ったよ」

 ヒタキが持っていたカンテラを床に置いた。はずんだヒタキの声が暗闇に響いた。

 ハヤブサもオオタカも息を呑んだ。その椅子に座っていた人影は人であるのだろうかとても奇妙に映ったから。


 背はオオタカと同じくらいあるようだった。黒い大きな羽はまとっているのか生えているのか定かではなかった。全身がつややかな羽に覆われて首元が細かい羽毛にびっしりと包まれている。

 髪は黒く長く後ろに流れている。ハヤブサもオオタカも目と口元を見た途端、目が離せなくなってしまった。

 その目は丸く瞳も丸くまっすぐ前を見つめているが、どこを見ているのかわからない。たとえるならば、鳥の目を取ってつけたようだった。

 口元は人と同じようにしゃべるのだろうか、唇がくちばしのような硬い皮膚になり真ん中が少しとがっている。その口元がかすかに開いた。


(マッテイタ、センネンノオモイデ、マッテイタゾ)

 その声は耳には聞こえなかった。胸の奥深いところに聞こえた気がした。

「オオババ様、ハヤブサを知っているの?」

 ヒタキがびっくりしたように聞く。

(トキハナツモノ、イママサニソノトキ)

「何を言ってるんだ?オオババ様とやら、オレたちはここに何しに来たのか知ってるのか?」

 オオタカが大きな声で叫んだ。

「だめだよ、オオタカ。オオババ様はなんでも知ってるんだよ」

 ヒタキがオオタカを両手で突いた。まるで大男にでも突かれたようにオオタカは宙を飛んでしりもちをついた。

「なにするんだ!ちびっ子のくせに怪力だな、女とは思えねぇぜ!」

「違うよ。あたしの力じゃないよ。オオババ様が力を貸してくれたんだ。あたし、怪力じゃないよ」

 赤くなってヒタキが下を向いているのをハヤブサが慰めた。

「大丈夫だよ。オオタカだってヒタキが女の子だって思ってるんだよ。ただ、ちょっとかっこ悪かったから吠えちゃっただけだよ」


(ヤサシサトオモイヤリ、タイセツナモノヲモッテイルヨウダ)

「そうだよ、ハヤブサはとっても優しいんだ!」

 ヒタキが頬を赤く染めた。

(ソウカ、ソノモノタチ、イマスグニタテ!ミッカノノチタドリツカネバ、キボウハシニタエルダロウ)

「死に絶える?わたしたちはどこに行かねばならぬのでしょうか?」

 ハヤブサが一歩前に出た。

 黒いつややかな羽は身体から生えているようだった。丸い金色の目が動いてハヤブサを見た。

(ヒタキガアンナイスルダロウ、シギニハ、スデニヨウイヲサセテイル)

「シギ?そいつはどいつだい?」

 尻をはたきながら立ち上がってオオタカが聞いた。

「父さんだよ。オオババ様はどんな遠くでも話ができるんだよ」

 ヒタキに顔を寄せてオオタカが小声で聞いた。

「さっきの力は本当にお前じゃないのか?オオババ様は力も貸す事ができるのか?」

 オオタカは恐る恐る顔を上げた。


「わかりました!わたしは何かに突き動かされるようにここに参りました。わたしがなすべき事が何なのかはわかりませんが、今の世界を変えることができるのならどこにでも参ります」

 ハヤブサは大きな声で暗闇から遠くの何かを見るように、前を見据えていた。




 シギは声にうなずいた。

(トキハナツトキ、キタレリ、スグニヨウイヲ)

 そうか、その時が来たのか。

 思えば我がこの村に帰ってきたとき、自分はトキハナツモノなのだと確信していたのだったが。

 しかしそれは、様々な事に心を奪われて出した希望でしかなかったのだ。


『行って!わたしは兄さまの傍にいるわ。この子は安全なところに!』

 今でもあの時の声が聞こえる。なぜ我はこの村に帰ってきてしまったのだろう。

 我がトキハナツモノに違いない。あの時はそう思った。しかし、違っていたのだ。時はまだ熟していなかったと言う事なのだろうか。

 自分の力も頭脳も誰にも負けぬ、そう思っていたあの頃。

 ハヤブサ、彼は似ている。似すぎている。

 もはや血のつながりがあることは確かな事に違いないではないか。

 そして、そのハヤブサこそトキハナツモノなのか?

 運命の皮肉、己の自信過多、天の定め、胸の中で後から後から様々な思いが湧いてくる。

 今はこの平和な残された村に住み、村人の幸を願い生きている毎日。

 昔のようにたぎる思いに突き動かされる若さもなくなった。

 我は祈る事しかないのだ。

 ハヤブサたちのなすべきことを。




 ハヤブサたちは用意されていた大きな袋を受け取ると、村長であるシギに挨拶をした。

「なんだ?何が入っているんだ?」

 袋の中をのぞいてオオタカが素っ頓狂な声を張り上げた。

「木の実?芋?なんでこんなにたくさんもっていかなきゃならねぇんだ!オレたちゃこんなに食わねぇぜ!」

「しかたないよ、オオババ様の言いつけだよ。素直に言う事を聞きなよ、オオタカ」

「何考えてるんだあのババア!」

「オオババ様に聞こえるよ!本当に口が悪いんだねオオタカって。口だけじゃないけどさ」

「なんだと!このチビ!」

「チビチビってうるさい!あたしの母さんって人は背が高かったんだよ。だからあたしももう少ししたら背が高くなってきれいになるんだからね」

「そりゃよかったね、一生そう思って死んで行け!」

 オオタカの尻をハヤブサが叩いた。

「それでは、行って参ります。ヒタキを少しの間お借りしていく事をお許しください」

 ハヤブサが頭を下げた。それを見てオオタカも頭を下げる。

 嬉しそうにヒタキが

「あたし、ハヤブサに借りられていきます」



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