第3話 崖
3 崖
彼らは大木の裏にそびえたつ岩山に手をかけていた。
ハヤブサは岩山に登る前に会ったときに聞いたオオババ様の言葉を思い出していた。
(ミッカノチ、イノチハモエツキル、ソレマデニオトズレヨ)
命が燃え尽きる、とはどういうことだろう?
三日のちまでに目的の場所に着けということなのだろうと理解はしたが、それは一体何を意味するのだろうか。
しかし、今はそうするしかないのだからその為に懸命に進もう。
「おい!本当にエアークラフト置いてきちまって、良かったのか?あれがあった方がこの山楽勝で登れたんじゃねぇの?」
オオタカがでかい荷物を担いでぜえぜえ言っている。
「いや、この高さでは本当に無理なのかもしれない。たぶん酸素も薄くなっていくのじゃないかな」
ハヤブサの言葉にうなずいてヒタキがにっこりした。
「父さんは間違った事いわないよ!もう、へばっちゃったの?オオタカ。案外よわっちいね~」
「なんだと~、オレはお前達と違ってでかくて重い荷物を担いでるのを忘れるなよ!ああ、そんな事を言ってたら腹が減っちまった。あの上の方にあるくぼみで飯にしようぜ」
「ふ~んオオタカが疲れたみたいだから、休憩してやってもいいよ。ね、ハヤブサ」
「はは、ヒタキはいつでもどこでも元気なんだな。びっくりするよ」
ハヤブサが次の手の届く岩に手をかけた。
「どうでもいいから、休ませてくれ」
「わかったよ、オオタカ。じゃ、先に行ってるね」
そう言うとヒタキはするすると先に登っていってしまった。
オオタカが指差した岩のくぼみにまっさきに着いて手を振っている。
そこは三人がゆっくり座れるくらいの幅があって、風もよけられるような穴があいたような場所だった。
ふうふう言ってオオタカが荷物を放り投げた。
「よっ!やっと半分くらいか」
腰掛けて汗を拭く。隣に腰掛けてハヤブサが景色を眺めながら
「すばらしい、こんな高さから世界を見た事はなかった」
ヒタキが不思議そうに
「ええ?そうなの?だってハヤブサの国は文明も進んでてあんな乗り物まで持ってるのに?」
「エアークラフトの事かい?」
こくんとうなずく。
「あれはね、燃料がいるんだよ。わたしが子供の頃には空も飛べたらしいけど、いまその燃料が取れた場所にはストローグラスが生えてしまって、とても人が入る事ができなくなってしまったからね」
「ふん、オレが小さい頃には海ってやつもあったらしいしな」
オオタカがもたされた袋の中から木の実を出して口に頬張りながら言った。
空は晴れ渡り、空気は澄んでいる。雲が流れてゆくのが速かった。
気持ちのいい景色だな、いつも通りの。
ヒタキはそう思って遠くのほうに目をやると、かすかに小さく高い建物が見えた。
目の前に広がっている景色は、一面のストローグラスで遥かかなたまで続いている。緑一色だ。
その先に見えている茶色の塔。
何回かオオババ様に許しをいただいてこの岩山に登ったことがあった。その塔を見ると、なぜか懐かしさで一杯になる。
「海、知ってるよ、父さんに聞いた事がある。このストローグラスが生える前、地上はたくさんの水に覆われていたんだよね、この先までずっとずっと」
もう一つガリッと黄色の実を取り出してかじりながらオオタカも遠くを見た。
「知ってるのか?オレは小さい頃の事だから記憶にないがな。気がついた時にはこんなもので覆われていたからな」
ハヤブサがヒタキに木の実を渡した。
「わたしは覚えているよ。水はすごくしょっぱいんだ。それで波が後から後から岸に向かって押し寄せるんだ。すごく不思議で面白かった」
ハヤブサがため息をもらした。
「魚もとれたと聞いた、ものすごくたくさん。どうして海はなくなってしまったんだろう?どうしてストローグラスが生えると水が干からびてしまうのだろう」
地平線が見えた。
ただただ、ストローグラスに覆われた地平線。
そうして今登ってきた足元に目をやるとストローグラスに囲まれたヒタキの村がところどころに緑の畑と一緒に映っている。
ぽっかりと小さな世界が残されている。まるでこの世にたった一つの世界のように。
村の外側のストローグラスとの境目には水色の光に輝く池まで見える。
「なぜ、この村はストローグラスに侵食されないのだろう?」
時折風に揺れるストローグラスが乾いた音をたてる。
「この岩山を守るためだよ」
ヒタキが言った。前に父さんがそんな事を言っていた気がする。
「この岩山には何があるんだ?」
オオタカが持ってきた水を飲みながら遥かにそびえる崖を見上げた。
「あたしも知らないよ。この辺までしか来たことないもん。オオババ様に許されたのは一時だけだから」
本当に夕暮れの日が沈むまでとか、朝日が影を落とすまでとか、そんなちょっとした時間だけ許可された。
ヒタキだからこの中腹まで来られただろうが他の者では到底無理だったろう。
急な岩山はごつごつして落ちたら怪我では済まされそうになかった。まず、登って行ける体力のあるものはごく少数しかいないだろう。
思いついてヒタキがハヤブサを見る。
「ねぇハヤブサの国の塔だよね、あれ」
肉眼でようやく認められるくらい小さな遠くの塔を指差した。
「あれは心の塔だよ。戦争がさかんに行われていた時に亡くなった人たちを、忘れないためのものだ」
ハヤブサは目を伏せた。横からオオタカが
「墓みてぇなもんさ。オレらが小さい頃戦争が終わって建てられたものって事だな。気がついたら建ってたなぁ」
ああ、とうさんが言ってたっけ。まだあたしが赤ちゃんの頃ずっと続いていた戦争ってものがようやく終わったんだって。
「オオタカもその戦争で両親を失ったと聞いている」
オオタカが舌打ちをした。
「チッ、戦争が終わったのになんでこんなに苦しまなくちゃならねぇんだ!」
苦しむ、ヒタキはストローグラスによって苦しいと感じたことはなかった。
いつだってこの村は、みんなで食料も水も分け合って、暮らしてきた。
そうだ、誰かが言ってたっけ。父さんが村長になってからだよ、って。こんなに仲良く暮らせるようになったのはとうさんが帰ってきてからだよって。
だけど、ヒタキは遠くに見える塔にあこがれた。
外の世界には何があるんだろう。ストローグラスの向こうにはどんな人が暮らしてるんだろう。どんな国が広がってるんだろう。
行ってみたい。会ってみたい。そう思う気持ちが止められなくなって、しばしばストローグラスの中に分け入ったり岩山に登ってみたりした。だけどずっと何にもわからなかったし、知る事はできなかった。
でも、ハヤブサとオオタカが現れた。見たこともない異国の服、長い髪、美しい瞳。不思議な乗り物に乗って。
やっぱりあたしの知らない世界がどこかにあって知らない社会があって異国の人たちが生きているんだ、この地上に。
それだけで、ヒタキの胸はわくわくした。どんな苦しみが訪れようとも異国に行くことができるのならなんでもできる気がしていた。希望の火が灯っている。
「だけど、今はこの岩山を登ってみるしかない」
ハヤブサが独り言のようにつぶやいた。
「なにか良い事がありゃいいがな!」
オオタカも独り言のように言うと、持ってきた食料の大袋を担いだ。
「きっと、待ってるよ。幸せにつながる何かが!」
ヒタキは、心の中から湧き上がる言葉を口にしていた。
何があって何が幸せにつながるのかはわからないけど、きっとすべてを変えてしまうような何かが待っているという確信があった。不思議だな、どこから来るんだろうこの気持ちは。
空を見上げると真っ白い雲が流れてゆき、澄み渡る青空がまぶしかった。子どもの頃よりずっと濃い青色をしている。
今、この時世界は平和に映っているのにな。異国の人々の苦しみを想像する事ができない自分がなんだか悔しいような切ないような、そんな気持ちが胸に芽生えているのを感じた。
遥か彼方に、たしかに異国の塔が見えていた。
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