第6話 声
6 声
(カレハチニノミコマレタ)
シギはオオババ様の前に座っていた。
昨夜夢を見た。
いとしい人が自分の手を取っていた。『あなたの助けがいるの、あなたの助けを待っているの』
金色の美しい髪、青く澄んだ瞳。最後に会ったあの時のままだった。
胸のどこかに重くのしかかる不安が広がっていた。
(チガヨブノダロウ、チノセカイニユクガヨイ)
オオババ様は地面を指差して言った。
シギはうなずいて立ち上がった。
シギは険しい岩山の周りを注意深く探しながら裏側にたどり着くと、そこにある深い岩と岩の裂け目をのぞいた。周りの裂け目やすき間にはストローグラスが突き出ている。
ストローグラスは揺れ続く
その身はどこ行くどこに着く
天をもかくし地をかくし
なにを守り抜くのやら
ストローグラスは揺れ続く
小さい時から歌われた歌。この先はなんだったのだろう、あまり歌われなくなって久しい。
ストローグラスは幼い頃から、ずっと一緒にあって特別な存在でもなくましてや地上の人々にこれ程までに疎ましく思われたりするなど、想像もしていなかった。
小さな過ち隠しぬき
守るものだけ目をこらし
ストローグラスは揺れ続く
いつかその身を捧げつつ
天まで届け
愛と想いを抱えながら
ストローグラスは揺れ続く
解き放つ者の来る時まで
シギはストローグラスの生えていない岩の裂け目に目を凝らした。
息を大きく吸い込むと、片足を岩のふちにかけてその身を真っ暗な穴の中にゆだねた。
目の前が何も見えない真っ暗な世界となり、身体が深い底に落ちてゆくのを感じていた。
ハヤブサは顔の上に落ちてくる冷たい雫で、意識を取り戻した。もう一度顔に雫が落ちる。
「ああ、ここはどこだろう?わたしはどうしたのだろう?」
まぶたをゆっくりと開けると天井に真っ暗な穴が見える。その先にかすかな光。
そうか、わたしはヒタキがバランスを崩すのを見てこの暗い穴の上をジャンプしたんだ。
ヒタキの身体は確かに岩を踏みしめていた。大丈夫だ、落ちたりしていない。
自分も足元に岩を踏みしめたつもりだったのだが、何かの音に足元が揺れた。そしてわたしはこの穴に落ちてしまったと言う事なのだろう。
かなり深い穴だった。途中何度か切り立った岩肌に手を伸ばしたが細い植物の根っこを掴むだけだった。そうして何か柔らかいものの上に投げ出されたような気がする。意識が遠のいていった。
わたしは、どれだけ気を失っていたのだろうか。
ハヤブサは顔に落ちた雫をなめた。
「塩辛い」
その水は塩分を含んでいた。
そうか、だからわたしは幼い頃に遊んだ海の夢を見ていたのだ。
とても満ち足りた気分の中で寄せては返す波をよけて遊んでいた。青い海の彼方から次々と沸き起こる波は、子供心にとても不思議だった。いまではそこがどこなのか思い出せないが、空は青く、海は澄んでいた。傍らにはオオタカが嬉しそうに笑い、父と母が優しいまなざしで見守ってくれていた。ヒタキがシギと手をつないで現れ、二人の隣に美しい女性がいて淡い金色の髪を風になびかせて笑っている。
あれは一体誰だろう?ヒタキの母なのだろうか、何処かで会ったことがあるような気がする。
ハヤブサは起き上がって驚いた。
ハヤブサのいるのはストローグラスの上だった。
硬く人の身体をも貫く植物、しかしハヤブサの身体を包んでいるのは柔らかく優しい感触の茎を持つストローグラスだ。
「こんなグラスを見たことがない。なぜこんなに柔らかくしなやかなのだろうか?」
この草がクッションになり落ちてきた身体を守ってくれたのは明らかだった。
ハヤブサの周りを囲んで生えている草のカーテン。しかし地上で見るストローグラスと違うのは根元を見ることができると言う事。しっかりと岩に根を張っている。
起き上がりガサガサと音をたてて、草を掻き分ける。さして力も要らず草は左右に押し開かれた。
この草はまだ若いのか?これから地上めざし伸びてゆくのだろうか。硬く険しく、何者をも貫くように。
カーテンの向こう側には、草は生えていなかった。
そこはなだらかな岩山になっており、下って行く先に見えるのは湖水に思えた。
「ここは、いったいどうなっているのだ?」
岩山を下っていく。
天井はびっしりと草の根が網目のようにしっかり続いている。
草の根でできた天井と地下洞窟のように湖面が広がっている。ところどころ草の根が長く下にたれさがっているが、草の根の天井から細かい光が落ちて薄明るかった。
「これはストローグラスの根が絡みついてできているのだろうか」
地上から見た時、ストローグラスの生えている底は遥か地に近く見ることはできず、真っ暗で底を知るものはいなかった。
底には小さな鋭利な刃先を天に向け生えてくる高さの違うストローグラスで一杯だったからだ。
「なぜこのような空間があるのだろう」
ハヤブサは緩やかなスロープを降りてゆくと目の前に広がる湖面に目を見開いた。
「これは、なんだ?」
澄んだ水は遥かかなたまで続いている。そして草の天井も遥かかなたまで、見えない先まで続いている。ふと目を凝らしてみると、魚影が映った。
「魚?」
遠くのほうから漣が起こっている。ハヤブサはふと冷たい水に手をつけて舐めてみる。
「海?」
水はかなりの塩分を含んでいた。小さな頃に口に入った塩辛い海水と同じような気がした。
キラキラと水面に落ちる日の光。水色と緑色に輝く海は小さな頃に見た海より何倍も何倍も美しい気がした。その海と平行して枯れた色の天井が見えなくなるまで続いている。きっとハヤブサの国まで行くに違いない、もはや過去に海だった地下には海が再生しているという事なのかもしれない。
そのとき、背後から声が聞こえた。
「これは、驚いた。地下に失われた海が息づいているとは」
振り向くとそこには身体中に切り傷やアザをつくったシギが立っていた。
「そなたの声がオオババ様に届いたようでな、無事なようでなによりだ」
そう言って髭の中の顔をくしゃくしゃにして柔らかく微笑んだ。
「そうでしたか、ありがとうございます。けれど約束の三日はもうじきに過ぎてしまうのではないでしょうか?わたしはそれだけが心配です」
「ならば、急ごう。ヒタキの泣き声が胸に響いてくる。なにかうまくいっていないのかもしれない」
ハヤブサとシギはハヤブサの落ちてきた天井を仰ぎ見たがシギの来た方向に進んでいった。
「なぜ、わたしの落ちてきた場所に生える草は柔らかかったのでしょうか」
ハヤブサは先を急ぎながら口にした。
柔らかな草はハヤブサの落ちてきた穴の下にだけ生えており、ずっと上の手の届かないところにぽっかりと穴が口を開け上ってゆくのは無理だった。
「わからぬ。海がなくなっていくその時を目の当たりにした我には地下にこのような海が広がっていようとは思わなかったし、ストローグラスがなぜ外の世界からその海を隠しているのかもわからない」
ふとハヤブサはシギの後姿に懐かしさが湧いてくるのを感じた。
「海の失われる時を見たのですか?この村で」
「いや、我はそなたの国にいた」
驚くハヤブサを横目で眺めながらシギは話し始めた。
自分が若い頃に作ったものが戦争に利用された事。
そして戦争を止めたのは、ハヤブサの父だと言う事。
「そなたを見た時、父君をすぐに思い出した。我の愛する者の面影も残っておった」
ハヤブサは浮かんだ名前を口にした。
「イソシギ」
空飛ぶ船を作った者の名。
エンジンや浮遊艇を作った発明家。
けれどその発明したものは戦争に利用されて物を作ることをやめた。その後、姿を見る者はいなかった。
戦争が終わる時、空はガスで覆われ地上に毒が流れたままになりその処理に父は生涯をかけた。
ハヤブサが生まれた頃には、薄桃色の空とにごった川の水に人々が困り果てていたと聞く。
「そなたの父は偉大な王だった。人々の為美しい森と空と海を取り戻そうと必死だった。すべては順調に進んでいるように思えた」
そうだ、その矢先地上のあらゆるところにストローグラスが生え始めたのだ。
田畑を突き破り池を被い、硬い岩盤をも突き破ってストローグラスは増えていった。
「そう、海をストローグラスが飲み込む時、人々は手も足も出なかった。なすすべもなく見ているだけだった。そして我の愛する人を飲み込んだ」
ハヤブサとシギはごつごつとした黒い岩が転がっている斜面を上っていった。
ハヤブサがこの村に乗ってきたエアークラフトを、シギは手に抱えていた。
「我はこれを作ったことを後悔していた。空飛ぶ船もだ。」
「けれど空船ができた為に国同士の移動が簡単になり、どの国も流通が増え産業が栄えていったのではないのですか?」
「そう、空から見る地上はすばらしかった。人々はこぞってすばらしい眺めを楽しんだ。それまで馬車や徒歩、あるいは海を行く船しか移動の手段はなかったからな。国々で空船は生産されたくさんの船が空を飛ぶ日は瞬く間に訪れた。しかし、国と国との距離が縮まればすべてを支配したいと願う国が出てくるのは人の常だ」
「戦争が起きた」
「我は世界を狭くしてしまったのだよ。狭い世界を人は奪い合う」
ハヤブサの記憶に戦争の映像はなかった。
しかし戦争後の世界はおぼろげながら記憶している。
負傷した兵士たち、家族をなくした人々の悲しみをたたえた瞳。
多くの悲しみ憎しみ、それさえ感じなくなってゆく心を失くした民。
戦争は何も生み出さない。痛みだけが続いてゆく、いつまでもいつまでも。
「空船からたくさんの毒がまかれた。クラフトにつけられた大量の爆薬で街は崩壊した。すべて我の作った物が兵器として使われたのだ。戦争が終わっても毒は空高いところで留まったまま、地にも水にもその害は及んでいた」
ハヤブサは小さい頃の薄桃色の空を思い出した。
「空船は空を飛べなくなりました。海にも危険だから入ることができませんでした。わたしが生まれる前には美しい空と海が広がっていたと聞きます」
ただ、父や母は昔の空や海をとりもどそうと、たくさんの科学者を呼んだ。その成果はどんどん進んでいたと聞く。
『ここは昔のままの海よ』母は青い水で満たされた浜にハヤブサを連れて行った。
『覚えていてね、母さんが若いときは海はこんな風にどこも美しかったのよ』
しかし、その海は突然現れる植物で消えてしまう。
「そなたにストローグラスの歌を歌って聞かせたのは我なのだよ」
ハヤブサの脳裏に浮かんだ一枚の写真があった。母が大切にして持っていた写真。
思い出した。父と母と自分、その横にいたのはイソシギとその妻、淡い金色の髪が緩やかにカールして美しいその人は父の妹。
「イソシギ、わたしの叔父ですね。ヒタキはわたしの従妹」
「今はただのシギだ。イソシギはもういない」
二人が上っていったスロープの先、目の前の天井の岩に幾つかの穴があった。
登って行くにはかなり急な斜面、幅のない地面の裂け目。
手がかけられるほど近く、登ってゆけば地上に出る事ができそうだ。しかし地上まではかなりの距離があるに違いない。
「ここを行くしかないのですね」
シギはうなずき、手に抱えていたクラフトを置いて身体にロープを巻きつけた。その端をハヤブサに渡すと
「身体にしっかりと縛り付けなさい」
クラフトのエンジンをかける。低くうなる音が聞こえた。ハヤブサの聞いているいつものエンジン音とは何かが違っていた。
「でもおとな二人を空に連れて行くのは無理ではないですか?オオタカと二人でこの村につくのが精一杯でしたから」
シギはくすっと笑うと瞳の奥をきらめかせた。
「ちょっと手を加えた」
見上げるとその先に小さく眩しい光が見えた。ずっとずっと先の光が希望にも思えて、ハヤブサはうなずいていた。
イソシギは死んだ。今目の前にいるのは地の果ての村に住むシギ。
だけど会えるならばいつか会ってみたいと思っていた叔父。その叔父に会えた喜びにハヤブサの胸は熱くなっていた。
シギとハヤブサは目指す眩しい日の光を、見上げて笑った。
その光がかすかに希望の光のようにみえて。
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