第5話 頂上

5  頂上


 岩山の頂上は人の背丈より大きなごつごつした岩が転がっており、その岩の間からなんとストローグラスがたくさん突き出ていた。

 そしてその先にストローグラスで覆われたこんもりした部分が目に映った。

「なんだ?ありゃあ?こんなところにまでこいつらは生えてるのか」

 オオタカがあきれた様に言った。

「オオタカ、でもあの塊は何かを覆い隠すようにも見えないかい?」

 そう言うハヤブサの顔を見上げ頷きながらヒタキが口に指を立てた。

「しっ!頂上には神様が住んでいるって聞いたことがあるよ。神様のおうちじゃないの?」

 岩と岩の間の下には真っ暗な闇が広がっておりその中からいくつものストローグラスが突き出ていた。

「ふぅ~あぶねぇな、こいつは。岩から岩を伝って行かなけりゃならねぇな!」

 オオタカが一つの岩の上に座って息を吐いた。

「でも、オオタカあまり時間はないよ、三日と言われたからね」

 もうすでに一夜は途中の岩のくぼみで過ごしたのであと二日しかないが、この先に待っているものが何なのか誰にも想像ができなかった。

 一つ一つの岩は大きく、安全に隣にくっついている岩を進んでいくのではかなりの遠回りだ。

しかもストローグラスが生えている、底知れぬ暗闇を回避していくしかない。落ちれば、その剣先に身体を貫かれてしまうだろう。

「お~い、ここはストローグラスが生えてねぇぞ!」

 大きな岩のてっぺんに着くとオオタカが叫んだ。

 そこは向こう側の岩までオオタカやハヤブサならば飛び移れそうな幅だった。しかし向こう側の岩が切り立っていて深い地の裂け目のような穴が広がっている。

その先には目的のストローグラスの塊がすぐ目の前に映る。暗い裂け目からかすかに冷たい風が吹き上がってくる。

「何言ってんの?二人にあたしが見劣りすると思ってるの?誰がいつも一番乗りしてるかわかってるでしょ?」

 ヒタキが胸をはって二人を見た。ハヤブサが笑ったが心配そうに言った。

「わかってるよ。だけどヒタキの身長の倍以上はあるからね。慎重に行ったほうが良いだろう?」

 オオタカが頷いて、回り道のコースを目で追った。

 この裂け目を渡ってしまえば、こんもり茂った塊は目の前だ。しかし安全な道を行くとなると大きくまわり込まなければならない。時間のロスは計り知れない。

「ハヤブサまで?あたしの事みくびらないでよ、こんな距離朝飯前だって言うの!みててね」

 そう言うと向こうの切り立った岩に、ヒタキはジャンプした。小さな身体はふわりと空中に飛んで、軽々と向こう側の絶壁の上に届こうとしていた。

「ばか!」

「ヒタキ!」

 ヒタキが向こう側に着く寸前に『ギー』という音が響いた。そして足をかけようとした岩がかすかに震えた。

「え?」

 ヒタキの足が岩から滑り落ちる。

 ハヤブサがそれを見て宙を飛んだ。ハヤブサの足は確実に切り立った岩の上に着き、滑り落ちようとしていたヒタキの手を掴んで引き上げた。

 軽々と空中でハヤブサに抱え込まれると岩の上におろされたヒタキ。

 すぐにオオタカが飛び移ってきて、ヒタキをしっかり掴んでいた。

 その時もう一度『ギィ~ギィ~』という音が響いてあたりが震えた。悲しみのこもったような音に足元の切り立った岩が揺れた。

「良かったな!ヒタキ!」

 オオタカがヒタキを見るとヒタキの顔はゆがんでいた。大きく目を見開き恐怖で震えている。

 振り返ると、そのヒタキの目線の先にいるはずのハヤブサの姿がない。

「ハヤブサ?」

 ヒタキが鋭利に切り立った岩に顔をこすりつけるように、真っ暗な岩と岩との裂け目を覗いた。

「あたしのせいだ!あたしのせいでハヤブサが落ちたんだ」

「ハヤブサが、落ちた?」

 ヒタキは大きな瞳を潤ませてオオタカを見た。

 オオタカは暗闇を覗いて目を凝らしたが、何も見ることはできなかった。

絶壁の側面から下は地獄に続くように闇だけが広がっていて下りてゆくことは不可能に近い。

「あたし、助けに行って来る」

 ヒタキが岩山に足をかけた。

「よせ!いくらお前でも無理だ」

「だってだって、あたしのせいでハヤブサが」

 オオタカの脳裏に、国を出てゆく時にハヤブサが言った言葉が浮かんだ。

『わたしたちはなすべき事を成し遂げるまでは帰らない。そして万が一の事があってもなすべき事を第一に考えよう。それが国を出て行くものの意志だ』

 この断崖を降りることは不可能だ。ならばオレはハヤブサの為にもやるべきことをやらなければならない。

 残された時間が迫っている。それは結局自分達の幸せにも通じることなのではないだろうか。

 迷いはなかった。

 決心して顔を上げる。

「今オレたちがやらなくてはならない事は、あれだ!」

 オオタカはストローグラスが絡みついたこんもりと盛り上がった塊を指差した。

「でも、ハヤブサが」

 すぐにでもヒタキは目を凝らしても見えない暗闇に、降りてゆこうとしている。

「ハヤブサ!今助けに行くからね、待ってて」

 ヒタキの肩を掴んで真っ直ぐに顔を見つめた。オオタカはヒタキの瞳の奥深くを見つめて、ゆっくりと落ち着いた声で話す。

「この穴には何もはえてねぇし風が抜けるのがわかる。いいか、あいつがこんな事でやられちまうと思うのか?大丈夫さ、あいつのことだそのうち元気な顔して現れるさ!あいつが来るまでにオレたちはやらなくちゃならねぇ事があるだろ?そうだ、さっきの音はなんだ?」

  さっきの音、あの音が響いて岩が揺れた。

 二人が耳を済ませているとまた、『ギギギ』と聞こえる。さっきより力がない。

「なんかの声だね。あの声がして足元がゆれたからハヤブサが落ちちゃったんだ。やっぱりあたしが無理言ったせいかな」

 涙が溢れてきて止まらない。でもでも、ハヤブサが言う言葉が聞こえてきそう、そんな気がした。

『先へ進んでくれ!わたしの事は後で良い。大丈夫だ』

 真っ直ぐに見つめるオオタカの瞳。そうだ、ハヤブサはこんな事でどうにかなったりしない。

 不思議とハヤブサの無事が確信できた。胸のどきどきがすっと消えてゆく。

 ヒタキが顔を上げる。塊の中から何かの気配が感じられる。すぐ目の前だ。

 ヒタキとオオタカが目の前の針金のような茎を両端によけた。しかしなかにはいくつものストローグラスが生えていて二人の邪魔をする。

「オオタカ、この茎地上に生えてるのよりやわらかいよ。手で除けられるなんて」

「そうらしいな。なのに岩を突き破って生えてやがる」

 足元は岩場だった。大きな裂け目も穴も開いていなかった。その岩のすき間からストローグラスは生えている。

「ああ!オオタカ見て!」

 先に両手で茂みを押し開けたヒタキが叫んだ。

「なんだ?これは」

 オオタカが目を凝らした。

 そこには、大きな生き物らしき物体が横たわっている。しかももう息が止まりかけている事は明白だった。茶色い綿のようなものに覆われてかすかに息をしていると思われた。

 人より何倍も大きなそれは、鳥の雛に見えた。そばに孵化したような卵のからのようなものが崩れている。ぐったりとして頭を力なく横たえている。

「ここ、巣なんだよ!オオタカ」

「こいつは、鳥の、ああオレは鳥と言うものを見たことがないんだが」

「ええ?見たことないの?」

「おまえはあるのか?地上に鳥が飛ばなくなってかなりの年月がたつと聞くが」

「あたしは小さい頃に一度あるよ。空高く翼を広げて飛んでいった」

「そうか、ここに巣があるのか。おい!親鳥が帰ってくるんじゃねぇのか?」

 ヒタキが雛の向こう側を指差した。

「あそこに、たまごの殻のとこ。親鳥なんじゃないのかな?もう骨になっちゃってる」

 オオタカが目にしたのは、明らかに鳥の死骸だった。卵を最後まで温めていたのだろうか。

 しかしその雛も、すでに天国に行く用意をしているように見える。

『ギィ~』声をふりしぼって、まだ見えない目を顔をヒタキの方に向けた。

「オオタカ、茶色い実なかったっけ?」

 オオタカはあわてて肩にかけていた袋に顔を突っ込んで捜した。底の方に丸くて大きな茶色の実がいくつかみつかった。

 ヒタキは受け取るとポケットからナイフを取り出しヘタの付いている方を削った。実の周りは薄いが硬くてそこに穴を開けると中にとろりとした白い果汁がつまっている。

「これ、小さい赤ちゃんが栄養を取れないときにあげるんだよ」

 そう言ってヒタキは大きな雛のクチバシを手で押し開けて、果汁を流し込んだ。

『グググッ』苦しそうにもがいたようにも見えたが、雛はそれを飲み込んだようだった。

 ふっと息を吐くともう一度ほしいと言う風に口を開けて『ギィ~ギィ~』と鳴いた。

「なんだか、すげぇな!息を吹き返したぜ」

 オオタカがヒタキにもう一つ手渡した。ヒタキが雛の口の中に果汁を流し込むと、雛は『キキキキ!』と澄んだ声で鳴いた。

(ミッカノノチタドリツカネバ、キボウハシニタエルダロウ)

 そうだった、オオババ様とやらはそんな事を言ってたな。こいつの事なのか?まさに死に絶えそうだったじゃねぇか。

 この目の前にいる大きなやせこけた雛が、世界の希望になるのだろうか。オオタカはまじまじとヒタキにえさをねだる雛を見ていた。

 いくつめの実を飲み込んだ頃だろうか、大きな雛は薄目を開けてこちらを見た。

『クグゥ~』そう鳴いて身体を震わせたような気がした。そのとたん、ヒタキとオオタカの目の前にフワリと茶色い小さな雲が現れた。

「なんだ?こりゃ」

 オオタカが腕を振り回す。

「雛だよ、オオタカ。今身震いして身体の羽毛が抜け替わったんだよ!」

 ヒタキの声にオオタカがふわふわ浮かんでいる茶色の羽毛を手で掴んでみた。それは鳥の羽毛なのだろうか、手を離すと宙に浮かんで軽い綿のようだ。

 見ると雛はもう一度身体をブルブルッと震わせた。そのとたん、身体のあちこちに残っている茶色い毛の塊がぶわっと宙に舞った。その後には羽のようなものがつややかに生えている。

 鳥というものを図鑑の中でしか見たことがなかったオオタカは、美しいと思った。

 絵に描いてあった鳥類は、くちばしと丸い目と大きな羽を持ち空を飛ぶとあった。けれどどの絵もこんな風に美しいつややかな羽を描いてはいなかったから。

 羽は生まれたばかりだからなのだろうか、日の光に輝き密集して雛の身体を被っていた。

「この子、こんどはこっちの実が食べたいって言ってるよ。かわいいね」

 オオタカの持ってきた大袋の中のオレンジ色の実を見つけて、頭を下げてヒタキにねだっていた。

「こんなにでかい雛、持ってきた食料じゃ足りねぇんじゃねぇか?あと半分もねぇぜ!」

 袋の中をのぞいてオオタカがあきれたように言った。

 ああだけど、オオババ様の言っていたミッカノノチってやつには間に合ったに違いない。後は、こいつが死ななきゃオレらの使命は達成されたってことなんだろうか。


 オオタカは国を出てきた日を思い出していた。

 飢えと渇きに苦しむ人々、幼なじみは国の為に民の為に旅立つといった。オレは何ができるだろう、何一つできはしないではないか。ならばハヤブサについて行こう、幼なじみの目指すところに。

 果てしもない旅になるかもしれないと覚悟はできていた。もどれない事も覚悟した。だけど、ハヤブサとはぐれるなど微塵にも考える事はなかった。

 この先、ハヤブサがいないのにオレは何ができるんだろう。

 オオタカは、目の前でヒタキにいろいろな種類の木の実をもらって嬉しそうにつつく大きな雛を見ながら不安に胸が押しつぶされそうだった。


 夕闇にあたりが暗くなる頃大きな雛は、目を閉じて眠った。

「こいつに餌をやるのも、体力勝負だな!お前って奴は本当にタフなやつだな」

 不思議そうな顔をしてヒタキは聞いた。

「オオタカやハヤブサの国では女の子は弱虫なの?」

「そうだな、お前みたいな奴は見た事ねぇな」

「そっか、ハヤブサもか弱い女の子が好きなのかな?」

「あいつか?あいつはわからねぇな、趣味悪いからな。なんだ?お前ハヤブサが気になるのか?」

「ちがう!ちがうよ!オオタカってなんて頭悪いんだよ!ちょっとハヤブサの事心配になったから聞いてみただけだよ!」

「なんだと!頭は良くはないが悪くもないぞ!いい加減な事言うとはったおすぞ!」

 ふとオオタカの頭に小さい頃ハヤブサに勉強を教えてもらっていた映像が浮かんだ。

「ハヤブサはいいさ、頭がいい。でもオレはばかじゃないんだから」

 困った顔をしたオオタカがおかしくなってヒタキは笑った。

「ハヤブサ、大丈夫だよね?」

「大丈夫、あいつはきっと笑って帰ってくる」

 空に輝く星を眺めながら、それぞれの胸にハヤブサの無事を祈っていた。

 濃紺の夜の中、取り残されたように切り取られたように広がった小さな世界に二人はいた。



 うとうとしていると、物音で目が覚めたオオタカ。

 オオタカの袋をヒタキが開いて座っている。

「なんだ?どうしたんだ?」

 ヒタキが泣きそうな顔をした。

「雛は朝が来たらまた餌をねだるだろ?だけどもう雛にあげる木の実も芋も残り少ないんだ。これだけじゃきっと足りないよ」

 オオタカのもたされた袋はもうほとんど空に近かった。底の方に残っているのは小さな果実だけだった。

 雛が好んで食べていたのは木の実と芋類だったから、かなり腹にはたまっただろう。だが瞬く間に平らげてしまう食欲は驚くほどだった。

「オオババ様は三日って言ってたよね。明日で三日目だよね」

 ヒタキの顔を見ながらオオタカが考えた。

「ミッカノノチ、イノチハモエツキル」

 声に出してみる。命が燃え尽きる、というのは雛をあと一日面倒を見なければならないと言う意味なのだろうか?餌がなければ飢えてしまうだろう。

 確かに瞬く間に成長して行くのは、目の前で感じられた。しかし、餌を与えなければ燃え尽きるのかもしれない。そうだ、あの雛は死んでしまうかもしれない。

 希望の雛なのじゃないのか?

 その為にハヤブサは今危険な目にあっているのじゃないのか?どうする?どうしたらいい?

「いくらあたしでも、明日中にふもとの村まで降りて行って木の実を取ってくるのは無理だよね」

 自分達でさえここまで来るのは至難の業であったのだから、慣れているといってもヒタキでも無理だろう。

「ハヤブサ!ハヤブサがいてくれたら、こんな時にどうすればいいか教えてくれるかもしれないのに!あたしが代わりに落ちれば良かったんだ!」

 ヒタキの目から大粒の涙が落ちた。

 慰めなくては、そう思うオオタカの心にも同じ気持ちが渦巻いていた。

 こんな時、冷静なハヤブサならどうするだろう?

「泣くな!ヒタキ、泣いたって何にも思いつかないぜ!」

 そういうオオタカは心の中で大粒の涙を流していた。泣いてしまえたらどんなに楽だろう。

 頭の中に浮かぶのは、ハヤブサの笑顔だけだった。

「ハヤブサ、どうしたら」

 もうすでに夜もしらじらと明けてきていた。明るい雲が流れていって、ストローグラスの海原の向こうに小さいけれどりんとした茶色い塔が見える。

「希望の塔」

 声に出してみる。亡くなった者たちを忘れぬよう、作られた塔だ。

 (わたし達を忘れないで、前を向いて生きていって)そんな風に言っているように思えた。

 不思議だ。今までそんな風に感じたことはなかったのに。

 オオタカは、じっとその先を見つめた。

 さあ、オレはどうする?


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