第7話 助け
7 助け
「だめだよ~そんな事したらしんじゃうよ~」
ヒタキがオオタカの身体にしがみついて、泣いた。
オオタカの身体には雛のまわりに巣として使ってあったストローグラスが巻かれていた。
「しかし、こんな柔らかいストローグラスがあるとはな!」
雛のまわりに作られていた巣は、柔らかい草で作られていた。
柔らかいと思ったものの、それは地上では頑丈な茎のストローグラスと同じものだった。
なぜ柔らかいのか、なぜしなやかなのか、わからなかったが長い紐のようなストローグラス。
オオタカはそれを、腰の辺りにまきつけてきつく縛った。長さは十分にある。
その先を近くに転がっていた大岩にくくりつけた。
「だめだよ~オオタカがいなくなったらあたしは、一人ぼっちになっちゃうよ~」
ヒタキにしては心細い台詞だった。
いつでも一人でどこでも行ってしまう。なんでも一人でしてしまう。なんでも一人で平気だった。
でも、今あたしは一人になりたくない。オオタカがいなくなるのは嫌だ。ハヤブサもいない今。
弱っていく雛をどうして良いかもわからない。
「大丈夫だぜ、オレ様を誰だと思ってやがる。こんな岩山ひとっとびで帰ってくるぜ!」
オオタカはふもとの木の実を取りに降りようと思った。
だけど来る時のようにはいかない。時間がないのだ。
降りてから登ってくるまでに、オオババ様の言った三日は過ぎてしまうだろう。
そして雛はきっと死んでしまうに違いない。
「それじゃあ、あたしが行くよ。あたしのほうが軽いし、オオタカがあたしの合図で引っ張り上げてくれればいいよ」
ヒタキがオオタカの縛られた草をほどこうとした。
「だめだ、おまえなんか無理だ!オレが行く」
ふとオオタカの頭の端をヒタキのいう事も確かかなという気持ちがよぎったが、危険だ。
それにヒタキではどれだけの物を運べるというのか?
「いいか、雛が死んじまったらオレを待たずに、村へ帰れよ!」
オオタカは初めてヒタキの頭を撫でた。こいつは無事に返さなくちゃならない。
「やだ!やだよ!オオタカなんかあたしより器用じゃないし、頭悪いんだからかえって来れないに決まってるよ!だから、あたしに行かせてよ!」
ヒタキの瞳が揺れて大粒の涙が溢れた。そばにいてほしい。
「誰が、頭悪いって?冗談じゃねぇ、行くぜ!あばよ!」
オオタカは高くなっている大岩に上り地上を見た。
一か八か、やってみなけりゃわからない。他に方法も思いつかないしな。
遥かかなたまでつづくストローグラス。その先の母国。
ふん、あの国には友も肉親もいない。それでもあの国を救いたい。そしてハヤブサの喜ぶ顔が見たい。
あいつが戻ってくるまでにオレはあいつに誇れる事をしておきたい、できるだけの事を。
さて、こいつが心配だが行くか。
泣きわめいているヒタキをチラッと横目で見てオオタカは空に向かって力強くジャンプした。
眼下にみえる村、岩山、つないでいるように緑の豊かな森。その森に向かって。
オオタカの身体は空を飛ぶかと思われるくらい、青い世界に浮かんだ。
そして、ゆっくりと地上に向かって下降して行った。
ヒタキの涙に潤んだ目の前から、オオタカの姿が小さくなっていく。そして見えなくなっていった。
「オオタカ~絶対帰ってきてよ~、はやく戻ってきてよ~。帰ってこなかったらただじゃおかないんだからねぇ~」
ヒタキの声はオオタカに届いたのだろうか。
ああ、あたしは一人だ。なんでこんなに寂しいんだろう。一人が寂しいなんて。
ヒタキの目に明るくなった空が映った。
朝の光が地上のすべてを照らし出している。美しい。
なんの問題のない綺麗な世界、このどこに悲しい人々がいるのだろう。
あたしは知らないだけなのかな?
だとしたら、そんな悲しい世界だって知っていたい。
すべての事を知りたい。そしてすべての人の幸せを考えたい。
その為になにができるんだろう。
少し肌寒い空気。見上げた空はいつもの青空だ。
遠くの果てまで澄んでいる。
この空が汚れて人を危険に追いやった時期があったと、父さんから聞いたことがあったっけ。
そして昔、海という水に村の周りは囲まれていたとも聞いたっけ。
ああ、あたしの知らない世界がたくさんある。
異国から来たハヤブサとオオタカ。彼らの国。
見たこともない異文化。
もっともっと、知りたい。見てみたい。ずっとずっとそう思ってきた。
だから一人でどこまでも行くのは、全然平気なはずだった。
きっと海ってやつがあったら、あたしは一人で舟に乗って異国を目指したに違いない。
そんな事を思っていた、ついこの間まで。
なのに、今ハヤブサとオオタカと一緒にいたい。
ずっとずっと一緒にいたい。別れたくない。
かあさん、別れたくないよ、一人になんかなりたくない。
このまま、オオタカもハヤブサも帰ってこなかったらどうしよう。どうしたらいい?
馬鹿だよ、オオタカ。あんたが帰ってこなかったら村に帰れだって?
そんなことできるはずないじゃないか。
(ヒトリデハナイヨ、イツモダレカガソバニイル)
胸の奥にふわりと言葉が湧き出した。オオババ様?ヒタキは空を見上げた。
それとも、かあさん?
見たこともない母の顔を思い出そうとしても、脳裏には浮かばない。
けれど、ヒタキの胸の中に湧いた言葉はやんわりとあたたかく、不安をやわらげてくれる。
ヒタキは胸に手を当てた。
今の言葉は、あたしのこの胸に届いてる。
空には、朝日が昇りだしあたりを光のベールで包んでしまう。眩しくて暖かい日の光。
ヒタキは、雛のほうを見上げた。
雛はうっすらとまぶたを明けた。
「おはよう!」
ヒタキはにっこり微笑んだ。
オオタカは岩肌すれすれを落ちていった。
ストローグラスの茎はそうとうな長さがあった。
うまくいけば、地上まで降りれるかもしれない。
降りれれば木の実を取って茎をたぐって岩山を登ろう。
今落ちているところは急な斜面で歩いて登るのは不可能だがロープがわりに茎を手繰れば最短距離だ。
そう思った矢先、まだ半分も来ていない距離。
ガクンと岩肌に身体を打ち付けられた。肩を打ってオオタカは痛みにうなった。
「なんだってんだ?」
頂上付近に目をやると、突き出た小さな岩に茎が絡まって引っかかっている。
「くそっ!」
オオタカはぶら下がりながら、茎を思い切り引っ張った。しかし、茎はびくともしない。
オオタカは突き出た岩をめざして茎をたぐって岩肌を登った。しかし足元の岩は崩れやすく、力を入れるとガラガラと崩れていく。
「くそう、これじゃあ木の実を取っても戻れねぇじゃねぇか」
オオタカが考えあぐねていると、ぱぁっとあたりが日の光に包まれた。
「朝か!雛が起きちまう!ちきちょう!」
打った肩がズキンと痛んだ。
「オレはこんなところで、くたばっちまうのか!」
頭の中にハヤブサと遊んだ幼い頃の映像が流れた。
親をなくしたオオタカと兄弟のように接してくれた。口の悪い自分を理解してくれた。
一番自分の近くにいたハヤブサ。
王の亡き後ハヤブサは国を守っていかなくてはならない立場におかれた。
その時、「オオタカ、誰より信頼しているお前に一緒に手伝って欲しいんだ」
そう言って瞳の奥を輝かせてまっすぐに見つめられた。
ハヤブサを一番理解しているのもやはり自分なのだと、その時そう思った。嬉しかった、心から。
「オレは国の事なんかどうでもいいんだ。ハヤブサが幸せで喜べば、それでいい。その為に自分のできる限りの事をする。お前の幸せが国の幸せなら、オレはその為に協力しよう」
国を出る時に、オオタカはハヤブサにそう言おうとした。
けれど、言葉に出す事はできなかった。
何度も何度も、伝えたいと思った。
だが真の気持ちを伝える事は、気恥ずかしく照れが口に出すのをためらわせた。
「くっそう、何も伝えられずにくたばれねぇ!」
オオタカはもう一度、茎を握って足を踏ん張った。
茎が引っかかっている小さい岩を見上げて、一歩を踏み出した。今度は崩れずに何歩が登ることができる。
その時、上から声が聞こえた。丁度、茎が引っかかっている場所あたりから。
「ヒタキはどこにいる?こんなところで何してる?」
岩のすぐ横から小さな顔がのぞいている。
「おまえは!ストローグラスの中でへばってたチビ」
初めて村を目指してここに訪れた時、ヒタキと一緒にいた少年の顔があった。
「チビじゃない!アジサシって名前がある。こんなところで何してるんだ」
アジサシ、そうかそんな名だったな。
しかし力も無さそうだったし、ここでこいつがいても何の役にも立ちそうにないな。
そんな風に思ってオオタカは考えていた。
「上がってくるなら、引っ張る。どうしたいんだ?」
アジサシが声をかける。
「オレは下の森に果実を取りに行くところさ。できればその小さい岩に引っかかっているこの茎をはずして欲しいね。お前にできるとも思わねぇがな」
アジサシはむっとした顔をした。
すっと立ち上がると急な斜面を抱え込むように、手を伸ばして岩に絡んでいる茎を掴んだ。
「おお、やるじゃねぇか!」
これでなんとか、下まで降りられそうだ。
「絡まってるのくらい、はずせるよ。だけど、僕はたくさん果実を持ってきているからオオタカは下に降りる必要もないと思うけどね」
そう言うと、茎を引っ張ってほどいた。
「えっ?」
果実を持っている?それじゃあ、オレが降りて持って来るよりはやいじゃねぇか。
そう思った瞬間、絡んでいる茎が緩んでオオタカは下に落ちていった。
落ちてゆくオオタカの目に背にたくさんの荷物を背負っているアジサシの姿が映っていた。
「ばかやろう!」
オオタカの声は小さくなっていった。
大きな雛はゆっくりと目を覚ました。ヒタキはにっこりして
「おはよう!少しだけ待っててね。おなか空いてるだろうけど待っててね」
雛は頭を上げると全身を震わせて鳴いた。
今までと違う濁りのない澄んださえずりだった。ピィ~という小鳥の声。
そして震えた雛の身体から、いくらかの羽毛が抜け落ちた。
両方の翼をゆっくりと伸ばすとそこらへん一体は影になった。不器用に翼を折りたたむと、ヒタキの方に顔をむけて哀願するように、頭を下げた。
猫のようにごろごろのどを鳴らす。
大きく口を開けると、明らかに餌をねだっているのがわかる。雛独特の餌をねだる時に見せる大口だ。
「どうしよう、まだオオタカは帰ってこないよ。こまっちゃった」
ヒタキがオオタカの降りた岩から地上を覗いてみた。するとオオタカよりずっと小さい影を見ることができる。
「オオタカ!じゃないよね。あれは、アジサシ?」
小さい身体で手を振って満面の笑みをたたえているのは、アジサシだった。
「ヒタキ~果物も芋もたくさんあるよ~」
「え?本当?」
アジサシは身体と同じくらいの荷物を背負っていた。いつも一人じゃ何にもできないアジサシ。一つ年下の男の子、かわいい弟分のアジサシ。
いつの間にこんなに力持ちになったんだろう?
アジサシはヒタキが驚いている間に、汗を拭きながら登ってきた。
「すごいね、アジサシ。どうしてわかったの?あたしたちが欲しいもの。それにそんなに重いもの良くもって来れたね。ううん、ここまで一人でよく来られたね」
アジサシは特別に嬉しそうに笑った。
「すごい?僕ヒタキが困っている夢を見たんだよ。オオババ様に言ったらすぐに行きなさいって言われたんだ。一人でこんなところまで来られると思わなかったんだ。でもヒタキが困ってる顔が悲しくて一生懸命頑張った」
ヒタキはアジサシに飛びついて笑った。
「すごい!すごいよ!アジサシ、本当にすごいよ!」
まさか、こんなところまでアジサシが来られるなんて。自分を思ってくれて頑張ってくれた、そう思うとヒタキは涙が出そうだった。
「お腹空かせてるんだ、はやくあげなくちゃ!」
そう言うと頬を赤く染めているアジサシの荷物から、果実と芋を取り出して雛に与えた。
雛はおいしそうにヒタキの手から果実をもらって食べていた。
食欲は、ものすごくて瞬く間にアジサシの荷物が半分になってしまった。
「この雛、僕が来たさっきよりずっと大きくなっているよ。成長するのがものすごく早いんだね」
アジサシが驚いた。
「そういえば、途中で嫌なやつに会ったっけ」
アジサシは地上を眺めながら、口を尖らせた。
「オオタカ?果実を取りに言ってくれたんだよ。アジサシが来るんだったらオオタカはあんな危険な事しなくてすんだのにな。あいつ口悪いけど、心ん中は結構いいやつみたいなんだ。まだ戻って来れないのかなぁ?」
「さあ?」
アジサシはもう一度下界を見た。
最初からあいつは気に入らなかった。僕のこと弱虫みたいに言ってたし。ヒタキをどこか遠いところに連れて行ってしまいそうで、怖かった。もう一人のやつの方が気に入らないけど。
雛はもっとと言うように頭を下げて、餌をねだった。
「こんなにでっかいのに、すごくかわいいんだよ。この子」
ヒタキは自分が飲み込まれそうな大きな雛の口の中に、芋を頬り投げて言った。
「ヒタキったら、怖くないの?そんなに近づいて」
「なに言ってるの?アジサシ。目を見てごらんよ、小鳥のきれいな目をしてるよ。あたしの事大好きだって言ってる」
「でも、つつかれたらどうするの?」
アジサシがどぎまぎしているリュックの中から、次々に果物を取り出して
「本当においしそうに食べるんだね」
雛に向かって手を差し伸べる。
雛はブルンと身体を震わせると、たくさんの羽毛を飛び散らせた。
「ヒタキあれ、すごくきれいな大きな羽が伸びてる」
アジサシが指差した鳥の翼はすっと伸びて、美しい朝日が力強いりっぱな羽に注いでいる。
「わ!おとなの羽だよね、きっと。すごいね、おまえすぐにおとなになっちゃうんだね」
雛は身体中が細かい羽に覆われて、翼は銀色に輝いていた。
「おまえ、飛べるの?」
ヒタキの顔を見ると大きな鳥は、ピチピチピチとおしゃべりをするように音をさせるとピィ~~と鳴いた。
翼をゆっくり広げて下ろすと、まわりの枯れた茎が飛ばされ舞いあがる。
大きな銀色の羽。岩山の頂上を覆いそうな翼。翼の内側の白い細かい羽が風に揺れる。
何回か手を伸ばすように、大きく羽ばたく。
「ヒタキ、危ないよ。逃げようよ!」
風の舞う中、アジサシは大きな岩の陰に隠れた。
「大丈夫だよアジサシ。ピィ!この雛名前決めた!ピィだよおまえの名前!」
風の中、ヒタキは両足を踏ん張り立っている。
相変わらずかなわないなぁ、ヒタキには。
こんな小さな身体のどこにこんな力があるんだろう。
ヒタキを守ろうと思ったら、どれだけの鍛錬が必要なんだろう。
風に吹かれてアジサシは自分の細い足を見つめた。
その時、鳥はゆっくり身体を宙に浮かせた。緩やかな風が二人をつつむ。
「がんばって!ピィ!」
ヒタキと鳥の瞳が見詰め合う。鳥が目線をヒタキから空に上げたその時、身体が大きく舞い上がった。大きな身体の尾っぽの部分が長く風になびいて揺れた。何回か羽ばたくと上空に浮いてゆく。揺れながら羽ばたき岩山の上まで飛んで、そして満足したようにゆっくり巣に降りてくる。
「すごいよ!飛べるね、気持ちよさそうだね!」
ヒタキと鳥は、まるで会話を楽しむように、見詰め合った。
巻き起こった風が、収まるのを待ってアジサシが近づいた。
鳥の瞳をみつめてヒタキが
「アジサシ、この子あたしに一緒に来いって言ってる」
緊張と喜びで高揚しているのがわかる。
「行くってどこへ?」
ヒタキがにっこり微笑む。
「わからない、でも来いって言ってる」
急にアジサシの胸の中に不安が沸き起こった。ヒタキを守りたくてやって来た。こんなでっかい鳥と一緒にどこへ行こうと言うんだろう。
行ってしまったら帰って来ないんじゃないだろうか。そんなの絶対にいやだ。
小さい頃からずっと、後姿を追いかけてきた。いつか、ヒタキを守れるような強い男になろうと思いながら生きてきた。
異国から来た二人を見つめるヒタキを横で見ながら、いつかヒタキがどこかに行ってしまうのではないかという不安に駆られて追いかけてきた。
この村をヒタキが出る時は、共に。そう思ってこの山を登ってきたのだ。
「行くんだったら、ぼくも一緒に行く!」
ヒタキは空を飛んだ。
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