第 8話 過去りし日
8 過去
「わたしの父の友人だったのですよね」
ハヤブサは岩山を登りながらシギにたずねた。
「そう、本当にわたしを理解してくれた友人だった。そしてりっぱな王だった」
まぶしそうな瞳でゆっくり言葉を選んでいるようだった。その横顔は悲しみに耐えているようにも見えた。
「父の最期を知っておられるのですか?」
ハヤブサは父の最期を知らなかった。回りのものに聞いても決して誰も口を開こうとはしなかった。
町の様々な噂が耳に入ってきた。
『国王は民の為、グラスをなくす方法を探しにいった』
『地の果てで、死んだ』
『異国の村に向かったが途中でグラスに串刺しになった』
どれも信じられる言葉には思えなかった。
死んだ事など信じられなかったし信じたくなかった。
不思議なのは父と一緒に母まで亡くなったという事だった。なぜ、何があった?
なぜ、誰も答えてはくれないのだろうか。
幼いハヤブサは、周りのもの誰も信じることができなくなっていった。
けれど、人との関わりに疑問を抱くようになったハヤブサを幼なじみのオオタカは笑い飛ばした。
あっけなく、小さな事だと笑った。
「そんな事、知ってどうなる?知ったからって死んだ者が生き返るのか?話ができるのか?結局自分の気持ちだけだろう問題なのは。オレは自分がやれる事以外のことにとらわれるのはごめんだね。今オレたちは生きてる。それが真実だってことしか信じないぜ!」
オオタカの親は幼い頃に亡くなっている。戦争で死んだ。けれどオオタカは自分と同じように生きているではないか。
ハヤブサの心に巣くっていたなにかが、消えてゆくのがわかった。
父の意思を継いで生きて行こう。それが自分ができる父に近づくもっとも早い道だから。
「我らは、この村に向かった。戦争が終わった頃から海でも空でも旅立つ人々が帰ってこなくなったからだ。行った先の国に連絡をとってみても誰一人たどり着いた者はいなかった。ストローグラスがところどころ増えてきた頃の事だ。その頃我は古い昔の歌の中に出てくるトキハナツモノが自分なのではないかと強く思っていた」
シギは深く息を吐き出した。ふふっとため息と一緒に笑った。
「トキハナツモノはハヤブサだったのだな、たしか」
シギは岩山の上の方を眺めながら話し始めた。
戦争が終わった頃から、かすかにストローグラスが増えてきている事を、シギは気がついていた。
けれどそれがどれほど、忌まわしい出来事になるのかは知る由もなかった。
それよりも、他の国への使者がいつまでも帰ってこないということが続いたのは不思議だった。通信網は今と同じくらい発達していたので遠い国の者とも連絡を交わす事はできた。
受信した記号を解読する。するとおかしなことに国の使者はその国を訪れてはいないというのだ。また相手国からの使者もいつになっても訪れなかった。
戦争は終わった。戦争を始めた国同士も和解していたし、協力して国力を高めていくと言う条約も結んでいた。
シギは、頻繁に飛んでいた空船をもっと少なくしたらどうかと、提案していたところだった。
国の中にまず目を向けていこう。その上で、貿易もやっていこう。戦争で失った代償は大きい。
国の民も大地も回復に時間がかかるだろう。
しかし、貿易どころか人を他の国に運べない。
なぜ、どうして?
シギの妻のオオルリは小さなヒタキを抱きながら首をかしげた。
「大地や空気が変化しているのかもしれない。そんなデータがいくつか見つかったの」
オオルリは地質学者でもあった。
「行ってみようと思うの。この目でこの地上に何が起こっているのか確かめてみたいの」
兄の国王は首を振った。
「そなたは幼子の母ではないか。何かあったらどうするのだ?」
国王とその妻も一緒に行くといった。二人にはハヤブサがもう生まれており、戦争で両親をなくしたオオタカがいつも遊び相手をしてくれていた。ハヤブサは残ることになった。
ハヤブサとオオタカを残して、空船に乗った。国王の妹オオルリの子ヒタキはまだ生まれてまもなくて、一緒に世話をしてくれる人が必要だったから。
空に出て少し行くと突然空にオレンジ色のカーテンのような光が揺れた。
「オーロラ?」
「いいえ、オーロラではない。オレンジ色の色素だけに反応する何か、気体が集まっているのでしょうが一体なんなのかしら」
船がその不思議な地域に近づくとオオルリは、ヒタキをシギに押し付けた。
「あれが何なのかわかったわ!このまま進んではだめ。この船に乗っている者がみな死んでしまう!」
何が起こるかわからない旅ゆえ、船に乗っている人数は少なかった。
しかしオオルリの声とは別に叫び声が聞こえてきた。
「ああ、なんということだ!」
国王が青ざめて地上を見ていた。
その時の信じられない光景は、シギも忘れる事ができないだろう。
その場にいた者が、地上で起こっている信じがたい光景に目をそむける事もできずにいた。
そこには大海原の中、海のまっただなかに裂け目ができその裂け目に向かって海水が滝のように流れ落ちている。裂け目の脇には無数のストローグラスが、葉の先端を空に向けまっすぐに伸びていく。見ている間にその葉はぐんぐんと伸びきり、海水を掻き分けるように出現する。そして裂け目は広がってゆく。増えているのだ。ものすごい勢いで。
流れ落ちる海の水音。そこここに渦巻く潮の流れ。いつもの穏やかな海は、荒れ狂い何隻が浮かんでいた船を飲み込んでゆく。
「海が消えてしまう!」
「ストローグラスに飲み込まれてしまう!」
誰もが頭を抱えた。
「前を見て!」
オオルリが叫んだ。
空を飛ぶ船先が空一杯にゆれるオレンジ色の光のカーテンに突っ込んだ。
ゆらり、空船の床がかしいだ。
光のカーテンはふわりとめくれあがる。それと同時に強い突風が吹き空船を木の葉のようにさらった。
何人かの乗組員が、空中に投げ出される。叫び声、うなり声、泣き喚く。
「シギ!オオルリ!無事か?」
王は妻を抱えて、なんとか投げ出されずにいた。
シギはオオルリと幼子を抱きかかえて、柱に捕まっていた。鍛えられた身体はしっかり愛する者を守り離さなかった。
シギがなんとか船の舵を取る事ができた時には、何人もの人が投げ出されて残るのはほんの数人だった。船は空から締め出されて、海のすぐ上を飛んでいた。
空のカーテンと海のストローグラス、行く手を阻まれて船は旋回した。
その時、船のそこから突き上げるような振動を感じた。
バキバキ、船の床から飛び出したのは、ストローグラスだった。葉先が鋭い剣のように硬い植物。果てしもなくのびてゆく不気味な植物。
船は無数のストローグラスに串刺しになったように、その場に留まった。
「逃げて!この子を連れて逃げて!」
オオルリの目の前に鋭い葉先が伸びている。傾いだ柱につかまって身体を宙に浮かして叫んでいる。
その声に突き動かされるように飛びのいたシギの目の前にストローグラスが床を突き破って現れた。オオルリから幼子を託されてシギに渡そうとした王の妻はシギに子どもを渡した瞬間、底から現れたまっすぐに伸びた草の剣に身体を貫かれた。彼女を助けようとした王もまた、同じように地上からの剣に動かなくなる。
シギは目の前の信じられない光景に我を失っていた。オオルリの声だけが耳に聞こえた。
「はやく!トキハナツモノ!この世界を救うことができるのなら、行って!」
シギは子どもを抱きながら、オオルリの元に草を分けて数歩進もうとした。
ぐらり、船の床が割れてすき間から海の水が地獄の底に流れ込む裂け目が映った。
「だめ!一人なら行けるわ!かまわず行って!」
調査する為に持っていたエアークラフト。始動したエンジン音。捕まってオオルリの元に手を伸ばすと同時に、船が大きく傾いた。
「手を!オオルリ、のばして!」
その声は船の壊れる音と海水が落ちてゆく音に飲み込まれた。クラフトの頼りない力に引っ張られ船の落ちてゆくのを、呆然としながら眺めていた。
シギの手の中に握られていたのは薄桃色の石だけだった。オオルリを掴もうとして手に触れた、オオルリの胸でいつも揺れていたペンダントの石。
すべては流れ落ちる海水の滝しぶきの中に消えていった。
それから先、シギはどうやってこの村まで来たのか、記憶になかった。
ただ、自分の愛する者たちを失ってしまった事。
そして、たぶんそれはきっと、戦争が引き起こした何か。その戦争を引き起こしたのは自分の作った物のせいだと自分を責めた。涙が枯れるまで泣くと、胸の真ん中にぽっかりと空白ができる事を初めて知った。
なにも感じない、なにも思い出せない空虚な砂を噛むような毎日。
シギは希望を失って生きる意味をも失っていた。ヒタキの成長だけをかすかに希望の光としてここまでシギは生きてきた。
「我はそなたの父と母を見殺しにした。すまない」
ハヤブサは、初めて聞く父と母の最期に涙を流していた。
「いいえ、あなたのせいではない。ただ、最後の姿を見た気がしました。そして、両親の想いだけは受け止めて生きていこうと思います。つらい話をさせてしいましたね。ありがとう、悲しい事を思い出させてしまってごめんなさい」
シギは顔を横に振った。
「我はすべてを背負って生きねばならぬ。トキハナツモノを助ける事こそ我の勤めらしいからな」
シギの瞳の奥に深い決意を感じた。
「おや、ご無事でなにより!」
後一歩で頂上と言うところで、岩陰から声が聞こえた。
「オオタカ!どうしたんだ?ヒタキは?」
ハヤブサの問いに頭をぼりぼりかいて決まり悪そうにオオタカが座り込んででつぶやいていた。
「木の実を取りにいったんだが、あのくそボウズに先を行かれた」
「ボウズって誰だ?」
「ほれ、一番最初に会ったよわっちいチビ。あいつくそ生意気なやつだったぜ!」
「アジサシか?」
シギが聞いた。
「ああ、そうそうそんな名だったな。あいつオレの事を見捨てていきやがった!ひでぇやつだぜ」
「どうしたんだ、その足」
ハヤブサがオオタカの足に触れた。足首のところから血が流れている。
「下から這い上がってくる途中、何度か岩がくずれてやっちまったらしい」
「くじいているみたいだな、骨は大丈夫みたいだ」
シギがあたりを見回していた。すぐ傍の岩の裂け目からストローグラスが突き出ている。
その中を注意深く探していたシギが「よし」と言って何かをナイフで切り取っている。
シギはオオタカの足を見ると、手の中にあるものを差し出した。
「これを口に含んで。そして半分は足に塗りこんで、半分は飲み込みなさい」
手に中には、手のひらと同じくらいの大きさのそら豆のような物がのっていた。
「これは?」
ハヤブサが聞くと困ったような顔をしたシギは
「実だ。ストローグラスの実、種だ」
それを聞いてオオタカが
「ええ!ストローグラスに実がなったのなんて見た事ないぜ。大丈夫なのかい?」
「この実はこの村の周辺には、昔からできるようだ。この岩山にできていたのは運がいいな」
「実がなるんですか、知らなかった」
ハヤブサは不思議そうに大きな茶色のそら豆を見つめた。
「この実には、身体の毒素を浄化する力がある。傷も怪我も良くなる。葉と違ってさやはびっくりするほど柔らかい」
シギの手にそら豆と同じようなストローグラスのさやが揺れていた。
「うげっ!あんまりうまいもんじゃないな~。くそっ酒でもありゃ流し込めるのにな」
口に含んだ豆を自分の足首に塗りこんで、飲み込みにくそうにオオタカは目を白黒させている。
「ははっ、そなたの気に入っていた酒はその実からできているのだがね」
「本当かい、そりゃ。この硬くて味気ない豆があのうまい酒に本当になるのか?あ~~酒の方がよっぽどいいぜ」
ハヤブサがオオタカを見ながら笑った。
「オオタカ、少し贅沢を言いすぎだよ。わたし一人だったらおまえを連れて行けなかっただろうよ」
そう言ってオオタカに肩を貸そうとした。
「うっ!」
オオタカがうめいた。
「どうした、オオタカ!」
オオタカがハヤブサに向かって白い歯を見せてにやにやと
「どうやら、手を貸してもらわなくてもいいらしいぜ」
そう言って、立ち上がって歩き出した。
「すげぇな!治っちまったぜ」
どうやら腫れも痛みも消えたようだった。まるで何事もなかったようにオオタカが手を振った。
「いそごうぜ!あのチビ何してるかわかったもんじゃねぇ!」
シギもハヤブサもくすくすと笑いながら、すぐ目の前に見えてきた頂上を目指した。
ストローグラス、なんて不思議な植物なのだろう。その実は身体から毒素を追い出し痛みや腫れをも落ち着かせる事ができるなんて。
ハヤブサは岩山を登りながら思った。
この村のそれは、自分の国に現れてうとまれて嫌われたものとは違う物なのだろうか。薬であり、潤し人々の中に昔から溶け込んでいる。
なのに海の水をも飲み込んでしまう力を持っているという。なぜ、ストローグラスは海を裂き山を砕き野や畑を荒らし、人の命の泉まで奪ったのか。
そして人々が口ずさむこの歌。
ストローグラスの歌、本当にシギが伝えたのだろうか。一度聞いたら忘れる事のできない旋律。
そして胸によぎる不安と安堵。
幼い子どもたちは歌い、不安にかられておとなは歌うのを嫌った。
自分の国は今、ストローグラスにどれだけ侵食されてしまったことだろう。考えると、きりがないくらい不安が押し寄せてくる。
けれど、この村ではずっと昔から生活を共にし助けられてきたと言う。
自分達が犯した過ちを、この植物はどのように裁こうというのか。
大きな岩の向こうに声がした。ストローグラスが邪魔をして良く見ることはできないが、大きな鳥が羽ばたこうとしていた。
「いたいたあいつ、あのチビすけ。なにやってやがるんだ?」
先を歩いていたオオタカが叫んだ。
大きな銀色の翼を持った鳥が、ぐんと両方の翼を広げると羽ばたく。
「うわ!」
風が巻き起こり、硬い葉を持つグラスさえカーテンを開くように頂上周辺をあらわにした。
「なんということだ!」
シギは風に飛ばされないように地に足を踏ん張り、大きく目を見開いた。
羽ばたいた鳥の背に、ヒタキが手を振っている。
「わ~~い、とうさ~ん。あたし空を飛ぶよ~~」
ぐわんと今までより大きく風が巻き起こり、銀色の羽を持った鳥は空に舞い上がった。
そのたくましい身体、りっぱな翼。そして、岩をもつかんで砕きそうな強靭な足とカギ爪。
「ばかか!あいつ!」
オオタカがあきれたように叫んだ。そしてもう一度、目を凝らすように飛び上がった鳥の姿を見ながら大声を張り上げる。
「チビすけ!、手を離せ!」
ハヤブサも見て驚いた。上昇してゆく鳥の足にアジサシがしがみついていたから。両手を鳥の足にぎゅっとまわしているものの、身体は宙で風を切って左右に揺れている。今にも飛ばされそうだ。
「もう遅い、あれだけ上空に飛んでしまっては、手を離したところで地上に叩きつけられるだけだ」
シギが首を左右に振った。
太陽が光を注いで、鳥は大きな姿を銀色に輝かせる。岩山の上空を旋回すると、更に小さくなった。
「どこへ行ってしまうんだろう?」
ハヤブサがつぶやく。
オオタカもシギも一言も答えることなく小さな点になっていく鳥と、一緒にいるヒタキとアジサシの姿を思い描いて立ちすくんでいた。
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