第12話 希望の光
12 希望の光
穏やかな朝の光りが、シギを包んでいた。
目の前でゆれる海を見てシギは微笑んだ。
この生まれ育った村に海が戻ってこようとは。
小さい頃魚を採って遊んだ。どこまで泳げるか友と競争した。そうだ、塩辛い海の水を飲んで咳き込んでしまって負けたんだったな。
誰にも負けたことがなかったから随分悔しかったのを覚えている。
懐かしい幼い頃の温かい思い出。
父も母もその祖先も、ずっと海と一緒に暮らしてきた。
それを壊してしまったのは、もしかしたら自分だったんじゃないだろうか?
この村に帰ってきてから長い間、罪の意識にさいなまれた。愛する者さえ奪い取られてしまったと思っていた。少なくとも愛する友や仲間、たくさんの人々。希望にみちた生活さえ。
海の水は、光を受けて輝く。何度も同じようによせてはかえすさざなみ。
(ヒトハアラソッテイキルモノ。セイトハソウイウモノ)
胸の奥に響く言葉が、いつもより近いところで聞こえた気がした。
人間は争う事から逃れられないのだろうか。それが人間なのだろうか。
(ケレドヒトハソレヲ、ミズカラノテデアイノアルモノニカエルコトガデキル)
いつもと違う、耳元でささやくような優しい言葉。
愛のあるものに変えられる。人は、そこに至るすべを見つけられるというのか。
(ヒトノアルクミライハ、アイノアルモノ。ソウイウヒトニタクサレテイル)
我のできる事は、まだまだたくさんあるのかもしれない。
ストローグラスはずっとそれを見てきたのかもしれない。
「何を考えているの?わたしはあなたの傍にいるわ。ずっといつも一緒にね」
傍らから愛するものの声が聞こえてきた。
何にも変えがたいぬくもり。
シギはそっとオオルリの手を握った。柔らかい暖かい大切な物。
こんな日が来る事を我は想像もしていなかったな。
「さあ、あの子たちの船出よ。行きましょう」
オオルリがシギの手を引いた。この手をもう二度と離さない、シギはそう心に誓った。
よせるさざなみの音が静かに聞こえていた。
小さな村の小さな池に岩がたくさん転がっていた。
シギの生まれたこの村にも、異変は起きていた。ストローグラスの海が裂け岩山が崩れた。村の上にいくつもの大きな岩が転がってきた。シギという指導者のいない時だったが、なんとか非難する事はできた。小さな池には、無数の岩が落ち穏やかな景色は変わっていた。
今は、岩山の崩れも収まりストローグラスの平原は海に変わって、穏やかな潮風が吹いていた。
そこに、エアークラフトが浮いていた。
ハヤブサとオオタカが乗ってきた舟の何倍もの大きさの物だ。数十人一度に乗り込めるその船には底部にプロペラが付いており宙だけではなく、水の中も進むことができるようだった。
「すごいよね、とうさん。こんな大きな船を作っちゃうんだから!ちょっとあたし、鼻が高いなぁ、エヘ」
ヒタキが瞳を輝かせて舌を出した。
「おまえのおやじは、もっとでかい物を造ってたらしいぜ。チビのおやじとは思えないな」
オオタカの言葉をさえぎるようにアジサシが
「チビとはなんだ!チビとか言うな!」
背の高いオオタカに掴みかかる勢いで叫んだ。
「わりぃわりぃ、アジサシくんは鳥に乗って行けなかった事をまだ、根に持っていらっしゃるようで」
「あ、あの時は、おまえが連れてきた子どもが泣き喚いていて、面倒を見てやっていたから。なのにおまえは、子どものことなんかほったらかしにして、ヒタキについて行っちゃうなんて!卑怯だ!絶対に卑怯だ!」
オオタカの胸ぐらを掴もうとした時
「まあまあ。オオタカも口がすぎるぞ!」
ハヤブサの一言にオオタカがチッと舌打ちをした。
「はいはい、ワタクシが卑怯でございました。あの時はアジサシくんに華を持たせるべきでしたね。でもまた、凍っちゃうのが怖かったんでね~」
「オオタカ!」
ハヤブサの大声に周りのものたちが振り返った。気がついたらオオタカは人ごみの中でそ知らぬふりをしている。ハヤブサももう笑うのをこらえ切れなくなって、笑う。
周りの者たちも、くすくすと笑った。笑顔が広がってゆく。
目の前の海は青く透き通って、小さなさざなみがよせてはかえす。
子どもの頃からあった殺伐とした灰色の景色は、跡形もなくずっと昔からそうだったように海原が続いている。
「かあさんは、ストローグラスの研究をするんだって?」
ヒタキがオオルリに抱きついた。優しく頭を撫でながら母はわが子を愛しむようにうなずいた。
「そうね、不思議な植物だわね。とうさんがわたしの目になってくれるでしょうし、いつかいろんな事がわかるかもしれないわね」
隣でシギが自分に言うように言葉を選んだ。
「まだ、未知数の多い植物だ。もしかしたら、オオルリに光を与えてくれるかもしれない。この実を食べて飛び立つ鳥たちは、ずっと一緒に生きてきた。誰もしていない研究だ。ヒタキが村に帰ってきたとき驚くような研究結果を見せられると良いがな」
空を見上げると、無数の鳥たちが旅立ちを祝うように円をかいて飛んでいる。
「ピィはどこにいっちゃったのかな」
ヒタキが眩しそうに空を仰ぐ。
「いつでも、ヒタキが必要と思った時に飛んでくるよ」
ハヤブサの優しい声。
ハヤブサは思った。
鳥は世界の変化を知っていたのだろうか。
わたしがこの地に来たのもみんな、導かれた事なのだろうか。
村の奥の森に隠された岩山、その頂上に残された化石のような鳥の卵たち。
ずっと息を吹き返す時を待っていたのだろうか。地上が変わっていくとき、そこここに残された卵が割れて現れる太古の鳥たち。
そしてその大きな鳥たちは、ストローグラスを集め、巣をつくり実を食べた。
植物が、人間の作った毒を元に戻して海を甦らせ風の川を再生した。
それは、その植物の意思なのだろうか。
人間の命を奪ったのも同じ植物なのに、救われた命がある。
ストローグラスは生と死とすべてを司る植物なのか、この地を守る物なのか。
ハヤブサは感じていた。
これから、わたし達人間はこの植物と共に暮らせる世界を作らねばならない。
オオタカが言っていた。自分たちの国にも大きな変化が訪れていると。
あの時、国に残した人々の事を思いすぐにでも飛んでいきたいと思った。
けれど、世界の変化が収まるのを待つことしかできなかった。長いような短いような、崩壊と再生の時間。ほんの数日の事だ。
ストローグラスが海に飲み込まれ、風が起き渦まいた。ハヤブサたちが鳥に乗せられてシギの村に帰ると、ほどなく嵐が起こった。たくさんの雨が降り、風が巻き起こった。このまま世界が終わろうとしているのかとも思われたし、村人たちは不安で眠る事もできなかった。
そんな想いは初めてだったに違いない。ハヤブサは自分の故郷を思っていた。
けれど、今目の前の海は穏やかで、そんなそぶりも見せない。
海も、地上に出る日を待ち続けていたのかもしれない。そんな気もする。
わたしが超えてきたのは、海を隠したストローグラスの草原だったのか、知らなかったな。
「さあ、出発だよ!」
ヒタキの声が響いた。
村人の歓声と拍手。泣く者までいる。ヒタキが誰からも愛されて育ったことがわかる。
村の老人や子どもに声をかけて別れを告げるヒタキ。
父と母に別れを告げると、ハヤブサとオオタカの元に笑顔を向けた。
希望と期待が一杯詰まったキラキラした大きな瞳。
すぐ横で、アジサシが鋭い眼光でこちらを見つめている。
「あいつがいるから、安心だな」
オオタカが呟いた。
「おやおや、オオタカったら妙に残念そうだね」
ハヤブサが笑う。
「なに言ってやがる!面倒に巻き込まれるのはこりごりだぜ」
オオタカの顔を覗き込んでハヤブサがもう一度笑う。
「本当に初めてだね。オオタカが、自分から面倒に首を突っ込むなんてびっくりしたよ。でもヒタキが無事でよかった」
池の横からのびた桟橋にヒタキが手を振りながら歩いてゆく。青い海と青い空、白い雲が絵の中の景色のように見える。
船に乗り込んだアジサシは、ぴったりとヒタキの横にいた。
船が桟橋を離れ、大海原に漕ぎ出た。
アジサシは皆と一緒に手を振りながら自分の生まれ育った村、島を見渡す。村の中からは見えなかった岩山の頂が見える。小高い丘の上に黒い人影が映った。
あれは、特定の村人のみ会うことが許された人。一度だけ会ったことがあったっけ。ヒタキが泣いている夢を見た時に通された広場で、
(ユキナサイ。アイスルモノヲタスケテ、ササエテアゲナサイ)
そう言った。不思議な人だった。
アジサシはヒタキの肩を叩いた。
「ヒタキ!あれ、あそこ!」
ヒタキが驚いて思い切り手を振る。
「オオババさま、あたし行ってくるね。たくさんの事、見て聞いてくるよ。待っててね、帰ってくるまで待っててね」
(イッテオイデ、ヒタキ。マツコトハデキソウニナイ。モウオマエニハナクトキニウケトメテクレルムネガアル。ヨウヤクチカラガヌケル。タクサンノアイヲウケトメテ、タクサンノアイヲアタエテオクレ)
遠くの方に見えていたオオババ様の姿が、ヒタキの目に大きく映った。身体をまとった黒い羽が風に舞っていく。こぼれていく黒い羽毛。小さくバラバラに散っていった。
「待って!お願い、待っていて!」
(ダイジョウブ、コノミハチッテモヒタキトトモニイル。アンシンオシ、ココロノナカニイツモイルカラ)
黒い羽毛は膨らんで大きく雲を作り、風がその一つ一つを持ち去っていった。
風が舞い上がり、森の上に上り頂を覆うように広がった。
後には何もなかった。オオババ様は消えてしまった。
ヒタキは泣いた。
母がいない悲しさを受け止めてくれた温もりはもういない。物心ついた頃には、泣きながら岩山に行って眠った。耐え切れない寂しさも苦しさも全部、抱えてくれた。
村人は怖がって近寄らなかったけど、あたしには優しかった。大人は偉い人だって言ったけど、あたしには母のような存在だった。父の心にいつもある悲しみを感じていたから、甘えてはいけないような気がしていた。ヒタキが甘えられる唯一の場所だった。
ああ、でももうそのあたしを受け止めてくれる場所はなくなったんだ。
ヒタキは、不思議だけど心のどこかがシャンと立ち上がるのを感じた。
(イツモイル)そう言ったよね。
深く息を吸い込んだ。ゆっくり吐き出すと涙が止まった。自分の背筋が伸びているのを感じる。
あたしは、あたしの信じた道を行こう。
沢山の愛を受け止めて、沢山の愛を与えよう。その為にこの海を越えて行く。
明日を信じて、明日に向かって。
隣をみるとアジサシが見つめている。
幼い頃から変わらない大切な友、あたしは一人じゃない。
振り向くとハヤブサとオオタカが微笑む。金色の髪は風に吹かれてサラサラときらめいている。
オオタカの心の中に、優しさが人一倍詰まっているということも知っている。
大事な仲間たち。
空には、鳥たちが声を上げて飛んでいる。
いつの間に増えたのだろう、沢山の鳥たちが旅立ちを祝うように舞っている。
ハヤブサの目指す先に、故郷の空が広がり、オオタカはそれに寄り添う。
ヒタキは未知の希望に胸膨らませ、アジサシは少しの不安と、夢を胸に持って空を見上げる。
どこかで、ピィと声がしたように思って、皆いっせいに空を見上げた。
すぐ傍に、大きな銀色の翼をきらめかせた鳥が映り、笑ったように思えた。
ヒタキが両手を広げて大きく振る。
どこまでも、続く海原。
ともに生きよう。愛する者たちよ。ヒタキは心の中で呟いていた。
第一章 終わり
ストローグラス第一章 sakurazaki @sakurazaki2
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