第11話 猛る死神

「俺は……あなたに惚れてしまったんだ」

 

 シルグの告白に、カルミナの目が撤退を呼びかけたとき以上に大きく見開かれた。

 

「…………何だって?」

「だから……! 俺はあなたに一目惚れしてしまったんだ。あなたを傷つけたくないし、死んで欲しくない。あなたの同胞に危害を加えたくもない。だから退いてくれ……!」


 墓地を渡る夜風が、シルグの告白の余韻を運び去っていく。耳に届くのは林から響く枝葉のざわめきのみ。

 カルミナは目を逸らすことなくシルグを見据えていた。

 月光を浴びながら佇むこと数瞬、彼女の青い瞳がゆっくりと細まる。

 

「……そういうことか。あのとき、空中で斬りかかってきた貴様が剣を止めたのは、私が女だったからか。そして女であれば、歯の浮く台詞の一つでもかけておけば簡単に籠絡できると、そう思ったわけだな、貴様は……!」


 雲行きが怪しくなってきた。

 カルミナの美貌を染めるのは静謐な怒り。時を追うごとに危険な気配と青い眼光が強くなっていく。

 シルグは説得を試みようとした。しかしカルミナはその隙を与えることなくさらに言葉を紡ぐ。

 

「一つ教えてやろう。戦争を終わらせる方法は、我らが退く以外にもある。それも絶大な効果を発揮するものがな。それは貴様がいなくなることだ。そうすればアルテネの士気は地に落ち、戦いはすぐに終わる。ちょうどここは墓地だ。遺体を葬る手間も省ける。私をただの女と侮ったこと、後悔するがいいっ!」


 カルミナが叫び、左手首をつかんでいた右手を横に薙ぎ払った。

 シルグが身構えたその瞬間、周囲の地面が弾け飛ぶ。体を激しく打ち据える土塊と衝撃波。

 一瞬そちらに向きかけた意識をシルグは慌てて正面に戻した。

 カルミナが薙ぎ払った右手は、膨大な青い真気ルフを水平に撒き散らしていた。シルグの胸から腰にかけてまとわりつく。


「リディルバール!」


 カルミナの鋭い真韻が夜気を斬り裂く。

 霧状だった真気が一瞬のうちに氷のように固化した。青い半透明のそれは、物体の侵入を防ぐ対物障壁。

 シルグは咄嗟に膝を曲げたものの、首から腰にかけての上半身の大半を障壁内に取り込まれてしまった。束縛から逃れられたのは、剣を抜こうと鞘に添えた左上腕から先の部分のみ。

 いまの攻撃は、周辺に潜伏していたカルミナの味方によるものに違いない。そうしてシルグの注意を逸らした隙をつき、本来は防御に用いる対物障壁でシルグを拘束したのだ。

 カルミナの瞳が一際強い青光を放ち、魅惑的な赤い唇が殺意に漲る真韻を紡ぐ。

 

「ティバート!」


 青い真気纏う左腕がシルグ目掛けて突き出された。

 眼前の大気が歪む。それは真気が変換されたことで生じた衝撃波。数棟の屋敷を容易く崩壊させるであろう凄まじい威力がそこにはあった。直撃すれば対物障壁に拘束されていない部分は、跡形もなく吹き飛ばされてしまう。

 シルグは鞘に添えていた左手親指で鍔を弾いた。柄が浮き上がった瞬間に鞘をつかんで引きずり下ろす。

 鞘から剣を抜くのではなく、剣から鞘を引き抜くことで、闇色に染まる刀身の全てが現れた。

 鞘が地面に落ちるよりも早く、逆手で柄をひっつかみ手首の力だけで斜め上方に放り投げる。

 鋭く回転した黒刃は、カルミナが作り出した青い対物障壁を難なく斬り裂いた。その一撃で障壁の一部が霧散し、左腕が自由を取り戻す。

 シルグは宙を舞う剣を再度つかみ、それを振り下ろした。

 漆黒の刀身が夜気を一閃。

 シルグの放った斬撃は迫りくる衝撃波を上から下へと真っ二つに斬り裂いた。左右に分かたれ、シルグに命中することなく後方に過ぎ去っていく。

 

 シルグはカルミナからの第二波が放たれるより早く、縦横に黒刃を走らせた。

 体を拘束する対物障壁が粉微塵に切り刻まれ、大気に溶けるようにして消える。そしてすぐさま体を翻した。墓地に隣接した林の中に逃げ込み、振り返る。

 

「俺はあなたを侮ってないし、嘘もついていない! 信じてくれ!」

「まだ言うか!」


 叫ぶカルミナは、炎のように夜天を衝く青い真気を操り、第二撃を放つべくシルグに左腕を向けていた。

 たったいま極大の真韻術を行使しておきながら、纏う真気は衰えるどころかさらに勢いを増している。そしてシルグに向けて叩きつけられる殺意も。

 もはや説得は不可能。どれだけ言葉を重ねようともカルミナの理解は得られない。

 そう確信させられるほどにカルミナから放たれる殺気は苛烈だった。

 撤退するしかない。そう決断せざるを得なかった。

 

「もう一度だけ言う! 同胞のことを思うなら撤退しろっ!」

 

 シルグは苦渋に満ちた声で叫ぶと、カルミナに背を向けた。

 同時に何もない前方の空間を剣で斬りつける。すると夜の闇よりも暗い漆黒の裂け目が空中に出現した。そこに目掛けて飛び込み、そして着地。

 寸前までシルグがいたのは墓地に隣接した林の中だった。しかし目に映るのは、暗闇に覆われた深い森だけで、墓標の群れも炎のような殺気を放っていたカルミナの姿もない。虫の音と獣の遠吠えが時折耳に届くのみで、人の気配は皆無だ。

 正確な位置はシルグ自身にもわからないが、ここはルブルーダの町から最低でも三ミルト(五キロメートル弱)以上離れた森の中だ。

 つまりシルグはそれだけの距離をいまの一瞬で移動したことになる。

 いったい何をしたのか。

 シルグが用いる真韻スレイクダルグは『万象断つ刃』という意味があり、この力を宿したものは、世界に存在するあらゆるものを斬ることができる。

 それは形のあるものだけではなく無形のものも対象であり、その中には空間そのものすらも含まれる。

 空間とは端的に言えば世界そのもののことだ。

 それを斬るとどうなるか。

 答えは、ここではない別の世界への入口が開く、だ。

 シルグが別世界と呼んでいるそこは、シルグたちが普段何気なく意識している時間や長さ、重さといった様々な概念自体が存在しない異形の世界。

 そういった性質を持つためか、別世界側からこちら側に向かって再び〝世界を斬る〟と、決して刀身が届くはずのない遥か彼方に出口を作り出すことができる。

 シルグがいま実行したことがまさにそれだった。

 すなわち、予め『万象断つ刃』の力を宿していた剣で別世界への入口を作り、そして別世界側からこちら側への出口を作って、そこを通過する。

 シルグが飛び込んだ黒い裂け目は、こうした過程を経て作り出された長距離移動のための通路であり、これを利用してルブルーダの墓地から遠く離れた森の中へと一瞬で移動したのだ。


 シルグは歯を食いしばりながら無念の息を漏らした。空間を斬ったことで漆黒から鉄色に戻った剣をだらりと下げる。

 カルミナへの説得が成功する可能性は、決して高くはないと思っていた。それでも戦を忌んでいる彼女ならば、耳を貸してくれるのではないかと希望を抱いていたのだ。

 しかしか細い光明にすがった上での説得はあえなく失敗に終わった。それどころか、彼女の怒りの炎に油を注ぐ結果となってしまった。

 シルグの心は森を覆い尽くす闇よりも暗く、踏み出す足は鉛よりも重くなる。

 もはや選べる道は一つのみ。意に沿わない戦いに赴かねばならない。

 しかし逃げるわけにはいかない。シルグが戦わねば、いまも苦境にあえぐ人々に安寧を取り戻せないのだ。

 シルグは拳をぐっと握り締めると、迷いを振り払うように夜の森の中へと駆け出した。

 

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