第3話 苦悩する親友

「……まずいかもしれないな」


 シルグが立ち去った天幕の中でエクオルスは一人呟いた。

 交戦状態にあるサングリクス王国の英雄〝凍嵐の死神〟に惚れたとのシルグの告白は、エクオルスにとって衝撃的だった。

 シルグには疲労からくる気の迷いなどと言って休むように促したが、本当に死神に惚れてしまっていたとしたら、それはとてつもなくまずい事態だ。

 このアルテネ王国とサングリクス王国との紛争の行く末は、シルグの働きにかかっていると言っても過言ではない。

 なぜなら、周辺諸国に〝剣の悪魔〟の異名を轟かせる戦士アクリナクス・シルギットは、優に一個軍団に匹敵する戦闘能力を有しているからだ。

 一個軍団とは各国の編制によって増減はあるが、概ね五千人程度からなる。

 つまりシルグは、一人で完全武装した五千人の兵士と渡り合えるだけの力があるというわけだ。

 これは比喩でも何でもなく、シルグは実際にそれだけの軍勢を一人で撃退したことがある。それも謀略や知略ではなく、己の武力を用いて。〝剣の悪魔〟の異名は、そのときの戦いぶりから知れ渡ったものだった。

 そんなシルグが恋煩いで戦闘不能となってしまったら、戦力が減るどころの話ではない。エクオルスが考えていた様々な作戦全てが遂行不能となってしまう。サングリクスに占領された町ルブルーダの住民は助け出せず、捕虜になった同胞の兵士は囚われのままとなり、戦略上の重要拠点であるアウブルム鉱山も広大な土地も奪われてしまう。

 そして問題はそこで終わらない。

 この紛争での敗北は、新たなる紛争の呼び水になることだろう。

 アルテネは東と南北の三方を強国に囲まれた中堅国家。むざむざと領土を切り取られるほどに弱体化していると判断されれば、周辺国は一気呵成に攻め寄せ、領土や資源、そこに住む人々などあらゆるものを奪いに来る。

 さらにこれら最悪の想定以上にエクオルスを悩ませるのは、自身の立場が親友シルグを追い詰めてしまうことだ。

 エクオルスは紛争解決の救援に駆けつけた、アルテネ王国直轄領警備軍第三戦士団の団長であり、シルグはそこに属する独立小隊隊長。つまりは部下だ。

 本当にシルグが〝凍嵐の死神〟に一目惚れしていたとしたら、エクオルスは友人が好意を寄せる人物を殺せと命じなければならない立場にいるのだ。

 シルグの社会的な地位はエクオルスよりも下だが、彼は親友であり命の恩人でもある。そのような無慈悲なことができるはずがない。しかしそれを命じなければ、エクオルスが守らねばならない多くの命が失われかねない。

 友情と数多の命のいずれかを選べと言われて、果たして自分は選択できるだろうか。

 

「明日にはいつものシルグに戻ってくれよ……」


 エクオルスは心の底からの願いを込めて呟いた。

 しかしそれが叶うことはなかった。

 それを知ったのは夜の帳が落ち、月が中天に差し掛かった夜半頃のこと。

 イステルム家から指揮権を譲り受けることになった戦士団をどのように運用するか、一通りの戦術をまとめ上げたエクオルスは、床に就く前にシルグの様子を確認すべく彼の天幕へと向かった。

 森の中に築かれた野営地は静まり返っており、大樹に寄り添うように建てられた天幕の数々が夜闇の中、微かな明かりに照らされぼんやりと浮かび上がっている。

 それらの中の一つに、黒い兜に軍服の兵士二人が入口を守る天幕があった。

 エクオルスの姿を認めた二人が姿勢を正して、左手に持っている射筒ゲルファレットの先端を天に向ける。


「ご苦労。シルグは中にいるか?」

「はい、お休みになられています」


 兵士がエクオルスに答えつつ左右に退く。

 エクオルスは天幕入り口を覆う布を持ち上げて中を覗き込んだ。

 本来なら四人で使う天幕も、シルグの役職を鑑みて一人用となっており、中央には毛布を敷いた簡素な寝台がある。軍団内でも重要な役目を担うシルグを、一般兵士のように地面に雑魚寝させるわけにはいかないための措置だ。

 エクオルスはじっと目を凝らした。

 月明かりがあっても天幕の中にまでは届かないため真っ暗だったが、すぐに目が慣れてくる。ほどなく寝台の上の毛布の膨らみを確認できた。どうやらシルグは寝ているようだ。

 起こしてはならないと引き返そうとして、ふと違和感を覚えた。

 シルグは超のつく一流の戦士だ。

 エクオルスも厳しい鍛錬を積んだ戦士であり、雑音を立てるような無駄な動作がないとはいえ、天幕の入口にまで接近されてシルグが気付かないはずがなかった。

 

「……まさか」


 天幕の中に踏み入り、寝台の上の毛布をめくる。

 エクオルスの予感は的中した。

 中はもぬけのからだった。毛布が膨らんでいたのは、私物を入れる鞄と丸めた毛布があるためだった。

 暗がりの中、鞄の上の紙片が目に留まる。エクオルスは、いかにも見つけてくれと言わんばかりのそれを手に取ると、毛布を元通りに戻して天幕を出た。

 

「引き続き頼むぞ」

「お任せください」


 護衛の兵士に声をかけて、野営地内を歩く。

 十分に彼らと離れたところで、今ほど入手した紙片を月明かりに照らしてみた。そこにはエアデラム大陸西部で広く使われているグレアセス語でこう書かれていた。

 

『自分を見つめ直してくる。夜明け前には戻る』 


 エクオルスは額に手を当てて天を仰いだ。シルグがどこに行ったのかすぐに閃いた。普通の人間ならまず実行しないであろうその行動も、シルグならやりかねない。

 

「処分はなしにしてやるから、無事に戻って来いよ……」


 エクオルスの呟きは誰に聞かれることもなく夜の空気に呑まれて消えた。

 

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