第7話 作戦会議

 天幕の中央に置かれた机の上に、アルテネ王国南部アンテット州からサングリクス王国北部にかけての地形を描いた地図が広げられている。

 シルグの正面にあるそれを囲むのは、濃緑の軍服を纏う三人の男と、黒い軍服を着た金髪碧眼の青年だ。

 青年はシルグの友人であり上官でもあるエクオルス。三人の男はアンテット州を治めるイステルム家の家臣であり、麾下の戦士団を率いる団長だ。

 いずれも屈強な体躯を誇る面々を、エクオルスの碧眼が見渡す。


「私は直轄領警備軍第三戦士団団長イブルクイット・エクオルス。バルコリス殿からイステルム戦士団の指揮権を委任され、団長方の指揮を執ることになりました。一時的にしろ私の指揮下に入ることに色々思うところがあるでしょうが、今だけはしがらみを忘れ、ともにこの国難を打破しましょう」


 エクオルスは王家アウルテットの分家筋に当たるイブルクイット家の次期当主であり、王族に名を連ねる人物だ。一方の団長たちは地方領主イステルム家の臣下、すなわち陪臣に近い地位にある。

 ゆえにエクオルスは彼らに命令形で話しかけてもおかしくはないが、彼の口調は目上の者に対するそれに近い。

 これは実際に年齢差があるからではなく、アルテネという国家が形成された歴史に理由があった。

 

 アルテネ王国はエアデラム大陸西部の内陸に位置する中堅国家で、王国としての形を成す以前は七つの小国だった。それらが一つにまとまったのは、ひとえに周辺国からの外圧のためだ。

 一国では対処できない難事に立ち向かうために、後に王家となるアウルテット家が他の六つの国々に呼びかけ成立したのが七国同盟。そしてそれが母体となりアルテネ王国が誕生した。

 このような経緯により、王家アウルテットは王国各地を治める領主たちのまとめ役としての色が強く、その権限は他国の王に比べてかなり限定されたものになっている。

 そのため各地の領主は強い自尊心と自治権を持ち、相手が王家に近い人間だからといって無条件に平服することはない。そしてその気質は領主の臣下にも脈々と引き継がれていた。

 いまエクオルスと相対する団長たちも礼をもって接しているものの、目の奥にはエクオルスの度量を見極めんとする挑戦的な光が覗き見えている。

 

「我らの指揮官バルコリス様より与えられた命は、殿下の御指示に従うこと。その前には個人的な感情が入り込む余地などございません。我らの力、存分にお使いください」


 机を挟んでエクオルスの正面に立つ団長の一人が代表して答えた。武官というよりも文官といわれたほうがしっくりくる知的な容貌の男だ。

 事前の自己紹介で名乗った名はベナンテ・ラリク。

 彼の言葉に同意するように、机の左右に陣取る男たちが揃って頭を下げた。いかにも戦士然とした彫りの深い顎髭の男と、商売が似合いそうな福々しい丸顔の男で、それぞれ名をザルサ・ウルティル、テルーメン・ストロブスという。

 頭を上げた二人のうち顎髭のウルティルが口を開いた。

 

「ラリクが申しましたように、我ら一同、身命を懸けて敵を撃退する所存ではありますが、精神論だけで駆逐できるほど楽観できる状況にもありません。殿下はいかにしてこの事態を打開なされるおつもりなのか。是非ともお聞かせいただきたいと存じます」

「わかりました。ではまず現状の把握から参りましょう」


 エクオルスは三対の視線を受け止めながら、木製の指示棒で机上の地図を指した。合わせて二十個ほどの赤と青の駒が、平野部を挟んで向かい合うように並んでいる

 

「この地図はアルテネ南部から、サングリクス国境付近までを網羅したもので、赤い駒がサングリクス、青い駒がアルテネの軍勢の現在地を表しています。昨晩から今朝にかけて、我が第三戦士団の偵察部隊が集めた情報なので、確度はかなり高いでしょう。ご覧のようにこの野営地の南約八ミルト(十五キロメートル弱)付近に、サングリクス軍の三個軍団およそ一万五千人が、東西八ミルトに渡って戦線を構築し、一万の我がアルテネ軍がそれと対峙しています。バルコリス殿は東に広がる森を突っ切ってこれを迂回し、団長方とともに南北から挟撃しようと試みられたが、〝凍嵐の死神〟に阻まれ、撤退を余儀なくされました。このように機動力を生かした作戦は、死神に迎撃される可能性が極めて高い。あれはまさに鳥と同じ。戦域を縦横に飛び回り、強大な真韻術マーレクスを持って、我が軍を蹴散らす」


 エクオルスはそこで一度言葉を切った。険しい表情で押し黙る三人の団長を見やり、再び指示棒を動かした。それが差すのは赤と青の駒に挟まれた場所だ。

 

「問題は他にもあります。サングリクス軍は、このアブリス平原を防御線に設定しています。地元の団長方なら周知のことでしょうが、ここはめぼしい森林がない開豁地。その幅は最大で六ミルト(約十キロメートル)以上もあり、南に向かって徐々に標高が上がっています。アルテネの戦士はいずれも身体能力が高く疾風のように走れますが、それでも六ミルトという距離、それも上り坂を走破するには時間がかかります。一方のサングリクス軍は、最大射程三ミルト以上の遠距離攻撃を可能とする砲兵部隊を多数揃えています。平野を駆け抜ける間に我が軍は雨あられと攻撃を打ち込まれ、甚大な被害を受けることは必至。またそれを抜けたとしても対物障壁を操る敵歩兵部隊が待っており、その堅い防御をかいくぐって敵兵を打ち倒せるのはごく僅かになるでしょう。さらに悪いことに、我が国は周辺国への備えをおろそかにできないために、これ以上の増援は非常に厳しい。一方サングリクス軍は、まだまだ余力を残しています。さらに戦力が増える可能性も否定できません」


 団長たちが渋面で低く唸る。

 エクオルスの淡々とした現状説明は何の誇張もない事実。それが彼らの態度からもわかる。

 顎髭のウルティルが歯を食いしばりながら声を漏らす。


「……白兵戦ならば、遅れは取らぬというのに」

「サングリクスも我らがそれを得意としているからこそ、多少の無理をしてでもアブリス平原まで一気に侵攻し、防衛線を構築したのでしょう。敵の力を削ぎ、己の力を最大限に発揮する状況を整える。戦術の基本です」

「殿下、現状が厳しいことは十二分にわかりました。これをどのようにして打開なさるのでしょうか」


 丸顔のストロブスが眉間にしわを寄せながら答えを求める。


「古来より劣勢の軍が敵を打ち破るには奇策を用いるものですが、こちらの動きを読まれやすい開豁地では不適です。そこで基本に立ち返り、火力を集中して敵戦線を一点突破しようと考えています。具体的には、戦線の西と中央の第三軍と二軍からいくつかの大隊を引き抜き、それを東の第一軍に編入。この一軍をもって敵戦線へ突撃し、速攻で打ち破ったのち、敵後背に回り込み前後から挟撃します」

「殿下、少々お待ちを。殿下の立案された作戦は、火力の集中と迅速な移動に主眼を置いた大変素晴らしいものです。ただ少し気になる点が」


 淀みなく話すエクオルスに対して、文官風の団長ラリクが怪訝な表情で尋ねる。

 

「どうぞ。何でも仰ってください」

「単刀直入に申し上げますと、時間が足りないのではないでしょうか。殿下の作戦は第一撃で敵戦線を突破し、その部隊をもって前後から挟撃するというものですが、それは南のルブルーダからの増援が来る前に完遂せねばなりません。そうでないと敵後背をつく部隊が、増援と敵戦線との挟み撃ちに遭うからです。そしてこの増援には件の死神がいることはほぼ確実。時間の猶予はおそらく二ルムス(約三時間)とないでしょう。これらを鑑みますと、戦力を第一軍に集中しての戦線突破は可能と思われますが、その頃には死神を含めた増援が合流し、進撃を遅滞させられている間に包囲されるものと思われます」


 ラリクの態度はあくまでも慇懃であり、エクオルスへの敬意も損ねていない。しかしその目には侮りと少なくない失望とが滲んでいた。エクオルスの策を、若輩者の浅薄な経験から出たものとでも思っているのだろう。

 それに気付いているのかいないのか、エクオルスはラリクの進言に真剣に耳を傾けていた。そして引き結ばれていた口元をふっと緩める。

 

「さすがはイステルム家に仕える団長の一角です。サングリクス兵の防御力と火力は強力であり、死神の機動力と打撃力は人外の領域にあります。このままではラリク殿の指摘が現実のものになるでしょう。そこで、第一軍が突撃する前に敵の注意を別方向へ逸らしつつ、死神をルブルーダから誘い出します。その上で攻撃を仕掛ければ反撃は鈍化し、戦線突破の時間も短縮されるでしょう。死神を含めた増援も別方面に投入されますから、挟撃の恐れは大きく減ります」

「陽動を行うというわけですか。しかし生半可な戦力では敵の注意を引き付けられないでしょう。殿下の策では戦線突破に戦力を集中しなければなりませんし、敵軍を挟み撃ちにする兵も残しておかなければなりません。陽動を行うほどの余力が残らないのでは」

「余力ならあります」


 エクオルスは自信ありげに言うと、斜め後ろに控えていたシルグに目を向けた。


「この男アクリナクス・シルギットには異名があります。お三方とも耳にしたことがあるでしょう。〝剣の悪魔〟と」


 三人の団長の意外そうな視線がシルグへと集中する。軍議の前に名乗ってはいたが、異名までは告げていなかったためだ。

 シルグが会釈する中、エクオルスが説明を続ける。

 

「このアクリナクス率いる小隊を陽動として投入します。アクリナクス隊長。貴公には、敵戦線西側の部隊を動揺させてもらいたい。砲兵と歩兵五千人からなる大軍だが……できるか?」

「殿下のご命令とあれば」


 シルグは欠片も気負うことなく平然と答えた。

 そこへラリクが動揺を抑えきれない声音で尋ねる。


「お、お待ちください、殿下。少隊と仰いましたが、どの程度の人数なのでしょう……?」

「アクリナクスが率いる独立小隊は総数約百人です。残りの我が第三戦士団は戦線突破の要員に回す予定ですから、陽動を行うのは彼らのみです」

「百人で五千人を相手にすると……?」

「その通りです。仮にルブルーダからの増援を引き付けられなかった場合、本隊の突撃は中止し、改めて別の作戦を立てることになります。イステルム戦士団の兵力をいたずらに損耗させるようなことはしませんので、どうかご安心を」


 団長たちが顔を見合わせた。そこにあるのは強い困惑と疑念だ。

 三人の団長を代表して、再びラリクが口を開く。

 

「殿下が彼を信頼していることはわかりました。昨年のモンタルサスとの戦いで活躍したという〝剣の悪魔〟の噂も聞き及んでいますし、立ち居振る舞いからも、相当な実力者であることは容易に窺えます。かの国と停戦するだけでなく、アクニス川の使用権も勝ち取った成果を見ても、多大な戦果を挙げたのでしょう。しかしそれは殿下の作戦指揮や友軍の働きあってのもののはず。いまの戦は、古代の集団同士の戦いではなく、小隊を広範囲に展開させる散兵戦術が主流です。アクリナクス殿がいかに武勇に優れていようとも、百人ほどの兵力では陽動できると思えないのですが」


 ラリクを含めた三対の視線がシルグとエクオルスへと向けられた。戸惑いと疑いに染まっていたそれに、侮蔑の気配が混じり出す。それも当然だろう。ラリクが指摘したように、エクオルスの作戦は実現不可能な妄想と呼ばれても仕方のない非常識なものだからだ。

 しかし団長たちの反応はエクオルスにとって想定済みのことだった。平然と彼らの視線を受け止めつつ、机の下に隠れている左手人差し指をくいっと曲げる。

 シルグはその合図を受けて一歩前へ進み出た。机上にぬっと左腕を突き出す。

 

「私はできないことをできるなどとは言わない。数万の兵士だろうが、死神だろうが撃退して見せる。それが信じられないと言うのなら……私と手合わせしてみますか?」


 シルグの一言に団長たちが後ずさった。

 一様に顔を引きつらせる彼らの目に映るのは、シルグの左手から溢れ出した漆黒の真気ルフ。それは地獄から召喚されたかのような禍々しい気配を撒き散らしながら、激しく揺らめいていた。

 

「シルグ、落ち着け」

「……申し訳ありません」


 エクオルスにたしなめられて、シルグは左手を握り締めた。溢れた真気の全てを手中に収め、友人の斜め後ろに退く。

 エクオルスは、部下が失礼しましたと前置いて話し出した。


「団長方が懸念を抱くのはもっともなことです。ですが先ほども申し上げたように、先陣を切るのはアクリナクス率いる独立小隊です。陽動に失敗した場合、本隊の突撃はありません。ですからここは私を信じて任せてはいただけませんか」


 腰を折るエクオルスを見て、絶句していた団長たちは慌てて机に身を乗り出した。

 

「殿下、頭をお上げ下さい」

「出過ぎたことを申しました。もとより我ら一同、殿下に命を預ける覚悟でここに参っております。殿下の立案された策に異存などあるはずがありません」


 エクオルスを押しとどめつつも、団長たちの視線はちらちらとシルグの様子を窺っていた。彼らの顔からは、つい先刻まであった疑念の色は完全に消え失せている。代わりにあるのは恐れ。

 変化の原因は言うまでもなく、シルグが見せた漆黒の真気だ。

 団長たちに促されてエクオルスは頭を上げた。


「感謝します。では早速ですが団長方には、第二軍と第三軍の一部を、第一軍に編入する手続きを進めていただきたい。敵方には飛翔機動兵がいます。おそらく上空からこちらを偵察をしているでしょう。ゆえに動きを悟られないよう、細心の注意を払って下さい。引き抜く大隊の数と、編入後の指揮系統ですが──」


 エクオルスは時折地図を指示棒で指しながら、今後の作戦について必要と思われる指示をてきぱきと下していく。団長たちもその都度疑問点を口にし、それを一つずつ解決していく。

 

「──さて、あらかた問題は潰しましたが、他に何か指摘などありますか」


 エクオルスの問いに団長たちは沈黙を保った。

 

「ではこれで軍議を終了します。今夕にもう一度軍議を行いますから、そのときまでに半分程度は編制を終えていただきたい」

「承知しました」


 団長たちは姿勢を正してエクオルスに礼をすると、足早に天幕を後にした。

 それは作戦準備を急ぐようにも見えたが、シルグから逃げ出そうとしているようにも見えた。

 

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