第8話 悪魔の決意

「やはり百聞は一見に如かずという言葉は至言だな。シルグのおかげですんなり団長を説得できたぞ」


 イステルム家麾下の団長らを見送ったエクオルスは、砕けた口調でシルグに笑いかけた。

 自ら立案した策が受け入れられないことを見越していたエクオルスは、彼らに力を見せつけ説得するようシルグに頼んでいたのだ。

 作戦立案に関係ない立場のシルグが軍議に同席していたのはこのためだ。


「俺はエクオルスの指示通りにやっただけさ」


 答えるシルグの声には、先刻三人の団長相手に啖呵を切ったときの威勢は欠片もなかった。

 それを見たエクオルスは笑みを引っ込めて一つため息をついた。天幕の端から椅子を二つ引っ張って来て、シルグに座るように促しながら自らも腰を下ろす。


「それで例の女の子の両親は見つかったのか?」

「いや、ラプルでは見つからなかった」

 

 椅子に座りながらシルグは首を横に振った。

 エクオルスが口にした女の子とは、昨晩ルブルーダの町に潜入したシルグが助け出した少女フィルメリアのことで、ラプルとはこの野営地の北にある町の名だ。そしてそこはルブルーダからの避難民を一時的に受け入れている場所でもある。

 ルブルーダから野営地に戻ったシルグは、そのままラプルに向かいフィルメリアとともに両親を捜していたために、エクオルスへの報告が先延ばしになっていた。

 

「すまん、勝手に野営地を脱け出して」

「それは構わんさ。俺以外の誰にもバレてないからな。処分も、女の子を助けたことと相殺にしておく」


 エクオルスは指揮官とは思えないことを口にしながら、シルグを真っ直ぐに見据えた。


「それで〝凍嵐の死神〟には会えたのか?」

 

 やはりエクオルスは、昨晩のシルグの独断行動の目的を見抜いていた。

 友人の慧眼に感心しつつ、シルグは頷いた。

 

「ああ。会えたよ」

「どうだった?」

「……駄目だ。惚れてるのがはっきりとわかっちまった。もう全然頭から離れない」


 声を絞り出すシルグの脳裏には、死神の名を冠されたサングリクス王国の英雄ヴァルフェルーラ・カルミナの白金色の髪と、神秘的な青い瞳が消えることなく焼き付いていた。


「だと思ったよ。団長たちを説得するのに力を見せてくれと言ったが、あれは少しやり過ぎに見えたからな。そしてそいつは、そんな半端な心構えで戦えるのか、そう言われたような気がして苛立ったから。そうだろ?」


 エクオルスの指摘は鋭かった。あのときシルグの内に暗い衝動がこみ上げていたことを見抜き、そしてその理由も正確に言い当てていた。

 天幕内に沈黙が落ちる。

 それをエクオルスの苦し気な声が破る。


「シルグ。友人としてはお前の恋路を応援したい。それこそ全部お膳立てして、外堀も徹底的に埋めて、そのまま結婚までこぎつけられるくらいに。でも、これだけは駄目だ。相手と時機が悪すぎる。俺らを取り巻く状況はさっきの軍議で言った通りだ。悠長に時間をかければ、北と東の国境で必ず問題が起きる。それを避けるには、サングリクスを一撃で粉砕して黙らせなきゃならん。ただそれにはお前の力が不可欠で、お前が戦果を挙げてしまうと、彼女のお前に対する感情は取り返しのつかないほどに悪化するだろう。二度と元に戻らないほどに。それでも……戦えるか?」


 シルグの頭から離れないものはもう一つあった。

 昨晩助けた少女フィルメリアの悲嘆に暮れる顔だ。

 彼女の両親は、サングリクス軍がルブルーダに侵攻した際の混乱で行方不明になっており、フィルメリアはそれを必死に捜していたのだ。

 シルグは両手をぐっと握り締めた。


「やるさ。サングリクスの奴らを追い返して、フィルメリアの両親を捜す約束をした。それに比べたら俺の気持ち云々なんざ二の次だ。だから俺は……戦う」


 エクオルスは背もたれに預けていた体を起こし、地図が広げられたままの机に両肘をついた。


「……すまん。俺に神の如き慧眼でもあれば、もっといい方法を思いつくんだろうが、俺にはこれしかできない」

「エクオルスは何も悪くない。悪いのは……敵に惚れちまった俺なんだ」


 自分の都合で友人を苦しめていることが辛い。しかしシルグはさらに友人の心労を増やしかねない頼みごとがあった。

 切り出すか否か激しく迷いながらも、内から湧き上がる衝動に勝てずに、ゆっくりと口を開く。

 

「……エクオルス、一つ頼みがある」

「何だ?」

「これはまだ話していなかったんだが、実は昨日の夜〝凍嵐の死神〟が襲われたんだ」

「……そいつはもしかして、暗殺か?」

「引き際がどう見ても玄人のそれだったから間違いない。……こっちの放った刺客じゃないよな?」

「少なくとも俺は聞いてないな。刺客を用意する時間があったとも思えんから、俺らとは無関係だろう。まあ、立場上あちこちで恨みを買っているだろうから、そういったことが起きても不思議じゃない。頼みってのは、これと関係あるのか?」


 シルグは頷いた。


「これを材料に撤退するように彼女に勧めて来たい。戦場なんざ暗殺には格好の場所だ。注意は敵兵に向くから背中が留守になるし、戦死に見せかけられれば犯人が追われることもない。彼女もその危険をわかっているはずだから、何とか説得したい」

「……なるほどな」


 エクオルスは顎に手を当てて目を伏せた。

 シルグの行動が大局的にどのような影響を及ぼすのか計算しているのだろう。

 そこから導き出されるのは、おそらくは否定。友人の頼みとはいえ、戦術に私情を挟むのは言語道断であり許可するはずがない。〝凍嵐の死神〟の死はアルテネにとって有利に働くのだから。

 ただシルグが死神に接触したところで、アルテネに負の効果がもたらされることもないはず。

 シルグはそのように考え、親友を説得しようと身構えていたが、結局それを使う場面は訪れなかった。


「わかった。行って来い」


 予想に反して、エクオルスはシルグの頼みをあっさりと聞き入れてしまった。


「……いいのか?」

「駄目っつってもお前は行くだろうが」

 

 思わず聞き返すシルグに向けて、エクオルスが苦笑で答える。

 

「ただそれじゃあ撤退させるには少し押しが弱いな。相手は〝凍嵐の死神〟の異名を持つ英雄だ。暗殺の一つや二つ、日常茶飯事かもしれん。そこでだ、明日俺らが反撃するってことも伝えて来い。すぐに退かなけりゃ、悪魔が本気であんたらを叩き潰しに行くってな」


 あろうことかエクオルスは情報漏洩を指示してきた。

 表情には笑みが残ったままであり、何も知らない者が聞いたならば冗談を言っていると思うだろう。

 しかしシルグはすぐに気付いた。

 エクオルスの碧眼に宿る光が、先刻団長たちを前に堂々と作戦指示していたときのものだということに。

 

「説得に失敗したとしても、相手を撹乱できるってわけだな」


 シルグはカルミナにとって敵だ。その人物から攻め込むと伝えられて、真に受ける可能性は限りなく低い。そしてそのとき相手はこう考えるだろう。アルテネは裏で何を企んでいるのかと。エクオルスはそれを狙っているのだ。


「……友人失格だな。シルグは純粋に説得しようとしてるってのに」

「そんなことはない。俺のわがままに戦術上の意味を持たせてくれたんだ。軍師としては正しい。むしろ俺はお前に感謝しかない」


 眉間にしわを寄せてため息をつくエクオルスに、シルグは本心をそのままぶつけた。

 それなりに重要な立場にいるとはいえ、麾下の一隊長の事情をここまで汲んでくれる軍師など、この友人以外にいるはずがなかった。

 エクオルスが立ち上がった。呆れたような申し訳なさそうな、何とも言いがたい笑みを浮かべながら、シルグの肩に手を置く。


「お前は何一つ嘘はつかなくていい。ありのままを伝えて口説き落として来い。死神の発言力は決して小さくはないはずだ。説得が成功すれば戦争を終わらせる大きな力になる」


 エクオルス自身が楽観視していないことは、その硬い口振りからわかる。

 しかしシルグは何としてでも成功させようと強く思った。わざわざ策を練ってくれた友人に応えるために。

 

「じゃあ準備を終わらせたら行って来る」

「おう。無理はするなよ。夜半までには必ず戻って来い」


 シルグは立ち上がると、友人に手を上げて答えながら天幕を後にした。

 自分のわがままを通す以上、必ず〝凍嵐の死神〟に接触しなければならない。

 そのためにやるべきことは少なくない。

 それらを思い浮かべながら、シルグは天幕が立ち並ぶ野営地を力強い足取りで進んだ。

 

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