第14話 悪魔対死神 その1

 すでに夜は明け、枝葉の隙間から陽射しが差し込んでいる。木々が林立するそこに満ちるは、極限まで張り詰めた静寂。

 シルグは群れなす大木の一つに背中を預け、細く長く息を吐いた。

 サングリクス軍は、アブリス平原を北に望む森の中で東西に広く戦線を展開していた。その西側に陣取っていたのが、シルグ率いる第三戦士団独立小隊の奇襲により司令部を破壊された第一軍団だ。

 各部隊間の通信遮断と夜陰に乗じた攻勢はサングリクス兵を大混乱に陥れ、シルグたちは百人足らずという少数でありながら、五千人規模の軍団を壊滅状態に追い込むことに成功した。

 その後シルグたちは、サングリクスの第一軍団東側に陣取る第二軍団司令部への攻撃を敢行したが、さすがにこれは間に合わなかった。

 第一軍団への奇襲成功により、ルブルーダにある総司令部との連絡を絶ちはしたが、それは音信不通という異常事態を作り出すことでもある。サングリクス軍はそれにより、第二軍団に警戒するよう指示したのだろう。シルグたちが第二軍団と接敵する頃には、彼らは北向きに展開していた戦線を西向きへと変更しており、シルグたちは敵の側面ではなく正面から攻め込む形になっていた。

 

 シルグの周囲には大穴が穿たれた倒れかけた木々や、土が剥き出しになった直径五ティトラ(約九メートル)ほどのすり鉢状の窪みが、見える範囲だけで二十以上はある。

 これは敵歩兵による射筒ゲルファレットの一斉射と、後方に位置する砲兵からの攻撃によって生じたものだ。

 起伏に富んだ森の中ということもあって敵兵の姿は見えない。しかし百ティトラ(およそ百八十メートル)ほど先に彼らはいる。その人数は四百人は下らないだろう。それが横隊となって横に広がり、シルグが潜んでいる一帯に火線を向けて待機しているのだ。

 シルグ配下の戦士たちがいかに手練であっても、数百に達する射線に正面から突っ込むのはただの自殺行為でしかない。そして当初の目的である敵第一軍の壊滅が達成された以上、無理に危地に留まる意味もない。そのため敵の第一波の攻撃をやり過ごした部下たちは、すで後方に退避していた。

 だがシルグは敵に集中攻撃をされかねない危険な場所に一人残っていた。

 それはなぜか。

 シルグにはもう一つの仕事があるからだ。

 

「アトラ、ディバイド」


 ゆっくり息を吸い込み真韻マーレを唱える。すると真横に持ち上げた左手から黒い霧が立ち上った。

 炎のように揺らめくそれは一切の光を通さない漆黒の塊。薄暗い森の中にあっても圧倒的な存在感を放つ。

 いまの真韻は真気ルフそのものに対して働きかけるもの。それによりシルグの体内の真気が切り離され表出したのだ。

 

「リア、エラール!」

 

 シルグは木陰から躍り出ると、真気を右手で鷲づかみにして前方にばらまいた。森にこだまする真韻に反応して、黒い真気は一瞬で消失する。

 その直後、激しい破壊音が響き渡った。シルグの真気を視認した敵兵からの一斉射だ。超音速で飛来した短矢サージが幹に穴を穿ち、地面を抉り、枝葉を飛び散らせる。

 しかしそれはシルグに一切届いていなかった。

 空中での足場としても使う『空気固化』の真韻により、シルグの前面の空気が固まっているのだ。不可視の壁に激突した無数の短矢が火花を散らして弾け飛ぶ。

 

「エウツ、アムリク、ティバート!」


 敵の攻撃を完全に遮断したシルグは黒い真気を右手でむしり取り、それを握りつぶしながらさらに真韻を唱えた。真気が消失するともに、言いようのない圧倒的な力が全身に漲る。

 体組織の頑健化と、運動行為そのものに作用することで身体能力を疑似的に底上げする力が作用した証だ。

 

 シルグの正面では止むことなく火花が飛び散り、百を超える短矢が空中に突き刺さって静止していた。

 敵砲兵からの攻撃も始まり、周辺の地面が次々と爆散。樹木が根元から吹き飛ばされ、衝撃波と土砂が飛散する。

 空気固化の効果は無限には続かない。空気をその場に固定する力が消滅したときにそれは解除される。そしてそれは外部からの力が加わるほどに早まる。これだけの激しい攻撃にさらされては遠からず空気の壁は消失するだろう。しかしシルグは一切動じることなく、最後の真韻を放った。

 

「エモネア、ムドム、レウニル、スレイクダルグ!」


 腰の剣を抜き、刀身に黒霧を纏う左手を這わせる。残る真気の全てが刀身に吸収され、鉄色の刃が闇色に染まった。真韻の意味は『万象断つ刃』。この力を宿した剣は、文字通り万物を断つ能力を得る。

 戦闘準備完了だ。

 シルグは大きく息を吸うと地面を蹴った。正面に作り出した空気の壁を迂回し、弧を描くように敵前線へと迫る。

 敵兵の顔が見えるまでに要した時間は二セトン(約三秒)強。疾風のような速度で百ティトラ(およそ百八十メートル)の距離を走り抜けたシルグは、最初に目にした敵兵に襲いかかった。

 濃緑の軍服を着た兵士は射筒を手に、瞬前までシルグがいた場所に武器を向けていた。前面には半透明の膜が展開されている。

 これこそがアルテネ兵に対してサングリクス兵が圧倒的優位に立てる要員の一つ、対物障壁だ。その名の通り物体の侵入を阻むそれは、アルテネの一般兵による投射武器はおろか斬撃すら無効化する。これがあるために遠距離からの撃ち合いではアルテネ軍は有効打を与えられず、また接近戦においても劣勢を強いられるのだ。

 しかしそれも普通の攻撃ならばの話だ。

 シルグは対物障壁目掛けて斬撃を放った。漆黒の刃は何の抵抗もなくそれを斬り裂き、すれ違いざまに敵兵の右上腕部を正確に切断した。

 

 敵陣後方に躍り出たシルグは勢いを殺さないまま跳躍。複数の立木を足場に急激に進路を曲げる。その途上で眼下に目を向けると、シルグの予想通りサングリクス兵は横一線に展開していた。それぞれの間隔はおよそ二ティトラ(四メートル弱)。

 シルグは着地と同時にさらに加速。横隊を取る敵兵の背後から襲いかかった。

 

「う、腕っ……! 俺の腕が……!!」

「悪魔だ、悪魔が出た!!」

「そっちに行ったぞ! 気を付けろ!」

 

 シルグは一瞬の遅滞もない流麗な足さばきで、敵兵の合間を颶風の如く駆け抜けた。その後を追うように、苦痛と絶望の入り混じった悲鳴と、怒りに漲る絶叫が森の中に響き渡る。

 彼らが声を上げるまでにシルグが切断した腕の数は優に二十を超えていた。悲鳴がこだまする間にも、宙を舞う腕が増えていく。

 自陣に斬り込まれたことに気付いた兵士たちが対応しようとするも、シルグの動きを捉えられる者は一人もいない。

 シルグは驚愕と恐怖を浮かべるサングリクス兵の右腕を容赦なく切断しながら、敵陣の端まで一気に駆け抜けた。移動距離は二百ティトラ(約三百八十メートル)以上、腕を失った兵士の数はここだけでも二百を超える。

 個人の戦果としては十二分なものだったが、シルグは足を止めない。呻き声を上げる兵士たちを横目に進路を変更。目指すは戦線後方に陣取っている砲兵部隊だ。


 森の木々が流れるように後方へ過ぎ去る。

 左側百ティトラ(約百八十メートル)ほど先で森が途切れていて、緩やかに下りながらどこまでも続く平原が見えた。サングリクス軍が防衛線として定めたアブリス平原だ。あの向こうに、アルテネ軍とそれを指揮するエクオルスがいる。

 友人の立てた作戦が成功するか否かは、ひとえにシルグの働きにかかっている。そのためにすべきことは一兵でも多くのサングリクス兵を戦闘不能に追いやること。そして視線の先に半円状に並ぶ十人ほどの集団を捉えた。

 あれが、数人がかりで真韻術を行使し、一個人では届かない遠方にその効果を投射する砲兵部隊だ。

 それぞれが弾道計算や真気供給、対象を破壊する真韻術の行使、術の発動停滞、そして停滞させている術効果の射出などの役割を担っている。

 砲兵と呼ばれているのは、かつては砲を携帯し、それを利用して金属弾や石弾を撃ち出していた名残で、真韻術の効果そのものを射出するようになっても名前だけが残っているためだ。

 

 隊長と思しき一人の兵士が、通信兵と思しき兵士に向かって動揺極まりない語調で叫んでいる。

 シルグが戦線に斬り込んでから二ノイ(約三分)も経過していない。何が起きているのか情報を求めているのだろう。

 シルグはそこに容赦なく襲いかかった。

 およそ五十ティトラ(約九十メートル)の距離を一瞬で詰め、刃を一閃。敵が気付くより早く一番左の兵士の右腕を切断し、踏み出した足で急停止しながら、返す刀で二人目に襲いかかる。その後は彼らの合間を流水のような体さばきですり抜けた。


「……あ、あぁぁぁ!」

「俺の……腕、腕っ……!」

 

 シルグは足を止めて振り返った。

 兵士たちの悲壮な声が耳を打つ。彼らは瞬前まで右腕があった部分から溢れる鮮血を、残る左手で必死に押しとどめていた。

 無造作に打ち捨てられた右腕と草木とが朱に染まる中、シルグは後方にいて難を逃れた兵士に目を向けた。

 

「ひ……!」


 兵士はシルグから逃げようとして、地面の起伏に足を取られて転倒した。

 彼は明らかに戦意を喪失していたが、シルグは欠片も油断することなく距離を詰める。隙を見せた途端、反撃される恐れは消えてはいない。そして戦友が傷つけられた恨みを晴らすため、再び戦場に赴く可能性も残っている。だから二度と相対することがないように右腕を奪わなければならず、そこに例外はない。

 

 尻もちをついたまま恐怖に染まる目で見上げる兵士に向かって、シルグは踏み込んだ。右腕目掛けてすくい上げるような斬撃を叩き込む。

 とそのとき、背後で空気が揺れた。動作を止めて素早く振り向く。

 目前に青い物体があった。縦に細長いそれが恐ろしい速さでシルグに迫る。その速度は射筒から放たれた短矢に匹敵するほど。

 シルグにできたのは、とっさに左腕を持ち上げて防御することだけだった。

 その直後、凄まじい衝撃が襲う。真韻術で肉体を頑健化していなければ、確実にばらばらになったであろう威力。視界が明るくなり、青い空が目に飛び込んできた。

 

 シルグは一瞬で森の外にまで砲弾のように弾き飛ばされていた。

 体をよじって草原に両手足を使って着地。それだけでは勢いを殺しきれず、二条の足跡を地面に刻み込みながら、ようやくのことで停止した。

 全身に意識を向ける。打撲はあったが骨折などの重大な負傷はない。

 シルグはそれを確認しつつ、空を見上げた。大気を切り裂いて飛翔する青い翼が目に飛び込んでくる。その上には紺の軍服を纏った人の姿があった。兜をかぶった襟足から白金の長髪がなびき、青い真気が全身を覆っている。

 シルグにとって忘れようにも忘れられないその人物の名はヴァルフェルーラ・カルミナ。〝凍嵐の死神〟と呼ばれるサングリクス軍の英雄だった。

 

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