第12話 届かぬ思い
「……消えた?」
カルミナは呟きながら辺りを見回した。
そこにあるのは暗闇の中に黒々と屹立する木々の群れだけで、たったいま木陰に逃げ込んだはずの〝剣の悪魔〟の影も形もない。感じ取れるのはあの悪魔が放っていた黒い
静かに草を蹴立てる音が耳を打つ。顔を上げると、周辺に配置していた部下たちが走り寄ってくるところだった。
その中で真っ先に駆けつけた副官アイビシアが、弾む息を整えつつ尋ねる。
「殿下、いまの男は〝剣の悪魔〟でしたか?」
「ああ。ぬけぬけと顔をさらしたから、間違いない」
カルミナが肯定すると、アイビシアの表情が険しくなった。集まって来たおよそ二十人の部下たちに、カルミナを中心とした円状に布陣するように命じる。
「奴を見た者はいるか?」
カルミナの部下たちは墓地周辺を囲むように配置されていた。そのためここから離れようとする者は、誰かの目に触れるはず。しかしカルミナの問いに、円陣を敷く隊員たちは口をそろえて確認していないとの答えを返した。
「……まさか透明になっている?」
「いや、真気の気配がほとんど感じられないから、それはないだろう」
辺りを注意深く見回すアイビシアの言葉をカルミナは否定した。
自然界に存在する真気は、例外はあるものの一般的には非常に密度が薄いため、
特に透明化の真韻術は、光を全て素通りさせる〝場〟を作って自分自身を包み込む術。〝場〟が消えると姿が見えてしまうことから、それを維持し続けなければならない。
つまり透明化しているときそこには常に真気の気配があるため、それを探ることで比較的容易に発見できるのだ。
「もしかしたら瞬間移動かもしれない」
「瞬間移動……ですか?」
「ですがそれは神話やおとぎ話の中でしか見られないもので、存在も原理も確認されていない術と言われているでは」
カルミナの推測に隊員たちがそろって驚きと疑問を口にする。
「おとぎ話や神話だからといって全てが作り話とは限らないし、私たちが知らないからといって存在しないと判断するのも早計だ。相手は悪魔の異名を持つ者。何があってもおかしくはない」
カルミナはそう答えつつ、もう一度闇の帳に覆われた林に目を凝らした。じっと神経を研ぎ澄ませるも、感じられるのは周りを囲む隊員たちの気配のみだ。
「……やはりいないようだな。仕方ない、町に戻るぞ」
「了解しました。各員、警戒隊列をとれ」
「はっ」
アイビシアの指示を受けて、円陣を敷いていた隊員たちが立ち位置を変える。カルミナの前後左右にそれぞれ二人の隊員が、残りの隊員は前方先行組と後方警戒組とに分かれて決められた配置についた。歩き出すカルミナに合わせて部下たちも動き出す。
すぐ傍らに突き従うアイビシアが口を開いた。
「殿下、あの悪魔と何か話されていたようですが、どのような内容だったのか、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「取るに足らん戯言だ。明日アルテネ軍が反攻作戦を開始するから、そのときまでに戦線を下げろと言ってきた。そうすれば、我が軍の兵士はあの悪魔にやられることなく、五体満足のまま帰国できるとな」
「……目的は撹乱でしょうか?」
「それしか考えられない。これから攻め込むと言われて信じる奴などいるはずがない。だから奴はそれを見越して、私がこう考えると予想しているはずだ。アルテネ軍は、いま攻められるとまずいから虚勢を張った。ゆえに攻め込む好機だと。つまり奴らはこちらから打って出るのを待ち構えている」
「いかがしましょう。この件を参謀に伝えますか?」
「その必要はない。時間は我らの味方だ。時が経つほど、補給路も防御態勢も充実していく。だがこのことを伝えて見ろ。アルテネ侵攻作戦を練った上の好戦的な連中は、喜び勇んで夜襲を仕掛けろなどと言い出しかねん。それを避けるためにも、予定通り守りに主眼を置いた状態を維持していればいい。それに奴が瞬間移動できたとしても、それは大軍を運ぶのに適さないもののはずだ。そんなことができるなら、いまここで町を陥落させてしまえばいいのだからな」
カルミナはそこまで言って、少し声量を上げた。
「皆も今回の件は伏せておいてくれ。悪魔がこんなところにまで侵入したとの噂が広まれば無用の動揺を招く。それこそが奴の真の目的かもしれない。もしいまの物音について尋ねられたら、余計なことは言わずに私の名を出してこっちに回せ。適当にごまかしておく」
警戒しながら歩く隊員たちがそろって了解した旨を伝えた。
それきり誰も口を開くことなく、月明かりを浴びながら黙々と墓地の脇を進む。
彼女たちと同じように周辺に注意を向けつつも、カルミナの頭の中では〝剣の悪魔〟が放った言葉が繰り返されていた。
一目惚れしただとか、暗殺の危機があるからここから立ち去れなどという話は、当然ながら欠片も信用していない。
カルミナを気遣う言葉を吐きながら、裏では女と侮り侮辱していた男は、それこそ数え切れないほどにいた。仕官養成学校に通っているときや、飛翔機動兵として配属された直後などは、特に酷かったものだ。
だがそれもカルミナが〝凍嵐の死神〟の異名で呼ばれるようになってからは、ぱったりと収まっていた。最近では侮辱されることよりも恐れられることの方が多く、それにうんざりしているところだったが、あの男のおかげで久しく忘れていた不愉快な感覚を呼び起こされてしまった。
初めて相対したときに攻撃を手加減されたことも相まって、心中で燃える暗い炎が静かに激しく火勢を増す。
「私を侮ったこと、必ず後悔させてやる……!」
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