昼日中、藤の雨

坂水

短編


 ・・・・・・こちらは、雨が降っています。


 見上げれば、青空を透かして真昼の光が燦々と降り注いでいる。

 聞き覚えのある声がしれと嘘をついたのを耳に留め、私はつい自転車を押す足を止めた。

 通っている県立T高校近くの新緑生い茂る市立公園の一画。今が盛りの藤棚の下、設えられたベンチに見知った背中がある。

 真っ直ぐな後ろ背に、真っ直ぐな黒髪が流れている。座っているのは彼女一人で、どうやら携帯電話で話しているようだった。

 どう見ても雲一つ無く、見本にしたいぐらいの五月晴れだ。どうしてそんな益体もない嘘を吐くのか、訝しんだその時。

 五限目開始を知らせるチャイムが遙か遠くに鳴り響いた。

 残響が消えると共に、世界から音が拭われる。

 そんな錯覚に陥るほど、昼食時を過ぎた平日の昼は恐ろしく静かで明るく平坦だった。毎日通る近道だというのにまるきり別世界だ。そして、本来場所で嘘を吐いた彼女。

 あまりの非現実感に〝白昼夢〟という言葉が浮かんだ。


 結局のところ、そんなふうに感じたのは、私自身が三十八度を超える熱を出していたせいだろう。

 朝からだるく、午前中の授業はなんとか持ちこたえたものの、昼休みになっても食欲がまったく湧かず、保健室を訪った。

 古式ゆかしい水銀式体温計をセーラー服の襟ぐりから脇に差し込み、きっちり五分。取り出した体温計を確認した養護教諭は眉をひそめて自宅へ迎えを頼むよう促してきたが、家人は共働きで留守だと答えた。

 母は週に二、三度パートに出ていたが、実のところ、その日は在宅のはずだった。けれど、前日、進路を巡って母と喧嘩をしており、素直に頼るのは躊躇われたのだ。そう、嘘を吐いたのはむしろ私のほうだ。

 担任教諭は熱の高い生徒を一人で帰すことに難色を示し、授業が終われば送るから保健室で休んで待つよう言ったが、私は強行突破した。




 とまれ、平日の午後、熱のために早退して近道である公園を横断していた時のことだ。

 見掛けた人物は当校の司書教諭の女性であり、図書委員である私はわりに親しく話をする仲でもある。ことによれば、同年の友人たちよりも、ずっと。年の頃は三十代前半だったろうが、私たちは意外にも話が合った。

 源氏物語でどのヒロインなら現代社会でもやっていけるかとか、今期の大河ドラマの史実とフィクションについての境目とか、慣用句やことわざの由来、物の名前の語源とか。それこそ益体のない無駄話を。

 しかしながら当然、友人というわけではなく、学校の外、もっと言えば図書室の外で会うことなどない。北館三階の突き当たり、日当たり悪く薄暗い、極端に来訪者の少ない部屋のカウンターの奥。そこが彼女の定位置のはずなのに。風薫る、光透ける、花ほころぶ下。どうして彼女がいるのか。

 そのギャップというか、日常からの逸脱に〝白昼夢〟などという言葉が転がり出てきたのだった。


 ・・・・・・ええ、お昼休み。T公園にいます。


 静寂にたおやかな声音が浮き上がる。

 病人に盗み聞きという罪悪感はない。ただ、ぼんやりと聞き入った。

 

 ・・・・・・聞こえますか、雨音。


 益体ない嘘が囁かれる。風に藤の花房が重たげに揺れ、同じリズムで黒髪が揺れ、花びらが舞い散る。


 ・・・・・・そう、薄紫色の。


 そこでふつり、声は途切れた。

 通話を切ったのかと訝ったが、彼女は右耳に携帯電話を当てたまま、身じろぎしない。しばらくその背を眺めていたけれど。

 図書室外の司書教諭は物珍しくはあるが、面白味に欠ける。私は熱と自転車を引きずり、歩みを再開させた。



 *


 

 高校卒業後、私は母の反対を押し切り関西の大学に進学した。そこで教員免許を取ったが、採用試験には受からなかった。しかし、地元の田舎特有の閉鎖的な気風が好きではなくそのまま関西に残り、臨時教員として働いた。GW、盆、年末年始と、たまに帰れば母に嫌みを言われ、さらに足が遠のいた。

 社会人になって五年、母の病が見つかるまでは。


 伴侶を得ていたなら、家庭を持っていたなら、帰らなかったと思う。けれど私は独り身で、付け加えるなら四年付き合った恋人と同棲を解消したばかりで、一応はと受けた地元の教員採用試験に受かってしまい、実家には母が拾った猫三匹がおり、猫はかわいい。帰らない理由を探すほうが難しかった。

 そうして母校であるT高校への赴任が決まったのは、一体なんの因果というわけでもなく、単純に私の担当科目と家の近さによるものだろう。第二の社会人生活は坦々とスタートを切った。

  

 私が受け持つこととなったのは一年のクラスで、入学したての彼らは浮ついていたものの、徐々に足を地に降ろそうとしていた。個々に理由はあろうが、我が母校は県庁所在地であるN市まで進学する気概のない、良くも悪くも真面目な学生が集まる傾向にある(私自身、不本意ながらその一人だ)。小さな躓きはいくつもあったけれど、大きな波風が立つほどでもなく、緩やかに四月を終えようとしていた。

 

 毎年、五月の頭、母校ではクラスの親睦を深めるため午後の授業をつぶして課外授業――すなわち遠足が催される。そしてなんとも手軽なことに、一年生の行き先は高校から徒歩十分のT公園であり、私の学生時代とそれはなんら変わりなかった。あまりの変化の無さにうんざりすると同時に、準備の少なさをありがたく思う。

 そして我がクラスは、なんとも健全なことに広場でポコペン(〝缶蹴り〟によく似た遊びで、地元ではこの呼び名なのだ)を開催するとのことで、私も付き合わされたのだった。

 十五年ぶり、本気で挑んだポコペンは存外面白かったが、いかんせん体力が続かない。一回戦で早々に戦線離脱し、自動販売機でペットボトルのお茶を購入すると広場から少し離れたところに位置する四阿あずまやに腰を落ち着けた。ここからでは生徒らの姿は見えないが、どうしてポコペンに興じる高校生が問題を起こせるだろう。私は彼らを放任し、体力の回復に努めた。


 昼下がりの公園は静かだった。時折、広場の喧噪が流れてくるけれど、それすら木々のざわめきに紛れる。

 光を受けた新緑は輝くように美しく、風は清々しく薫り、私が知るよりも尾を長く垂らす藤棚もまさしく匂い立つ風情だ。

 現在、自家用車で通勤しており、T公園に足を踏み入れるのは久しぶりだった。毎日近道として公園内を突っ切っていた頃は季節の移り変わりなど目もくれなかった。勿体無きことである。

 

 小さいけれど満開の藤棚を眺めていると、いつかの司書教諭の真っ直ぐな後ろ背が思い出された。

 

 彼女はすでに退職しており、今は別の司書教諭が勤務している(ちなみに司書教諭は十二学級以上の学校には必ず置かねばならないそうだ)。

 高校三年の春を境に、私は彼女とあまり話さなくなっていた。私が幼稚だったからである。

 私は進路について、母と折り合わず悩んでいた。というか、怒り狂っていた。

 高校受験でも母と衝突しており、県庁所在地にあるN高校にするか、最寄りのT高校にするかで大いに揉めた。第一次家庭内大戦である。もちろん私の希望は前者だが、母は電車通学を許さず、結局はこちらが折れることとなった。

 けれど中三の私は中三なりの戦略というか、野心というか、打算があった。高校は諦めたけれど、代わりに三年後、県外の大学への進学を認めてもらおうと画策していたのだ。あまりに短絡的に。

 しかし、県内の高校進学と、他県への大学進学では天秤が吊り合わない。金銭面は当然ながら、母は母で娘を手放したがらなかったのだろう。さもありなん、大学は就職に繋がり、その後の人生を決定付ける。

 そして幾度にも渡る交渉が決裂し、第二次家庭内大戦が勃発した。争いは家庭内だけでなく進路三者面談にも飛び火し、間に入った当時の担任にはさんざ迷惑を掛けた。

 母を説き伏せられず、受験勉強は遅々として進まず、一人でも味方が欲しく、私は司書教諭に相談という名目の愚痴をぶちまけたのだった。


 ……そうなの。大変ね?


 けれど、彼女の反応はこちらが期待していたよりもずっと薄いものだった。己が窮状を訴えても一向に響かない。いつもの益体のない無駄話は打てば響くもので、決して愚鈍な人ではないはずなのに。

 不審に思い、根掘り葉掘り聞き出せば、彼女は彼女で地元の人間であり、ごく近くの私立女子高校と県内の大学出身とのことだった。

 私はショックを受けた。あまりに一方的に。

 そして、なぜ地元に留まっているのかと、今思うと随分と無礼をきいたものだった。

 白状してしまえば仄かに憧れていた女性に、無条件に理解してほしい、応援してほしい、慰めてほしいという甘えがあったのだ。甘え心の行き場が無くなり私は単純に苛立った。

 対して、彼女はたおやかに微笑んだ。……いろいろよ、と。


 ……いろいろ。


 地元に戻った今、その〝いろいろ〟の意味を察せられないはずもない。仕事、恋人、家族、生活、愛猫。その他、諸々。

 今はまだぴかぴかの高校一年生であるクラスの生徒たちにまだその質問を向けられてはいないけれど、二年後、同じく問われることを覚悟しておかなければならない。

 もし、そうなれば……いろいろよ。そう曖昧な微笑みを浮かべることが最適解なのかもしれなかった。

 今なら理解できる。もしも彼女にもう一度会えたなら、せめて、一言。


「高崎先生、お疲れですね」


 声を掛けられ、私は大仰に肩を跳ね上げさせた。体力回復――さぼっているのを見咎められたのかと、つい、腰を浮かす。だが、隣のクラスを受け持つ初老教師はそのままそのままというふうに手を上げて押す仕草をした。

 そして彼はやはりお茶を片手に、四阿に入り込み、私の向かいに座る。年輩の、はるか先輩と相席になり、寛げるはずもない。げえ、と思わないでもなかったがなんとか押さえ込んだ。何より、彼は。


「一年生の後期予定表です。確認しておいてもらえますか」

 

 個人情報を含んでいないとはいえ、こんなところで仕事とは。いや、もちろん、今も仕事真っ最中なのだけれど。差し出されたA4用紙を受け取りながら思う。私の内心を読み取ったのか、彼は先回りして、

「教師の残業問題が取り沙汰されているでしょう。仕事はできるだけ圧縮させないと。先生にはご都合もあるでしょうし」

 圧縮させれば密度は二倍になるのだが、まあ否やはない。猫の食事はできるだけ決まった時間に用意したいから。

 彼には私が実家に戻った経緯をかいつまんで話してあった。経験豊富な教師である彼は私の世話役でもあったから。それを抜きにしても、きっと話していただろうけど。


「これ、日付と曜日間違っていませんか?」

 プリントにざっと目を通して告げれば、さすが、と軽い声音が返ってきた。

「ええ、これは去年の日程です。今年用のものを次の学年会議までに作っておいてください。ちなみに去年は退職された先生が作られていて、いくら捜してもデータが見つからないんです。いえ、大丈夫、高崎先生のやり方で構いませんよ」

 ――それに、先生の方が学校生活には詳しいでしょうからね。

 

 げえ、と。今度こそ、顔に言葉に声色に、気持ちが溢れ出た。


「相変わらずですね」


 初老教師は苦笑した。しまったと思うがもう遅い。彼は私の高校三年時の担任であり、母娘喧嘩の仲裁者でもあったのだ。ばつが悪く俯きがちに、すみません、と呟く。

 彼は、高三の私に貴方の学びたいことはここで学べないのかと問い、母には親離れ子離れを説いた。温和でありながら押しの強い彼が担任でなければ、きっと今も母へのうらみつらみをこじらせていたに違いない。色々な意味で面目次第もなかった。

 顔を上げづらく、私はそのまま後期予定表について質問を始めた。具合が悪い時は、仕事を進めるに限る。

 ボールペン四色とシャープペンシルが一体型になった愛用のペンで、初老教師と確認した事項を記入していく。その意識の端に、制服姿の二名が連れ立って広場の方角からこちらにやってくるのが引っかかった。

 私のクラスの女子と初老教師のクラスの男子だ。広場を抜け出してきた二人は、こちらに気付いているのかいないのか、四阿から少し離れた藤棚の下のベンチへと座る。

 中学以前の幼馴染みか、高校入学後に運命的に出会ったのかは知らねど、仲なのだろう。大人としてのほほえましさと独り身のにがにがしさを私は噛み締めた。

 

 ――ポコペンポコペン、だーれがつっつーいた、ポーコペン!


 と、威勢の良いかけ声が響いてくる。何回戦目かわからないが、新たな戦いの火蓋が切られたらしい。

 ポコペンはまず壁や木に顔を押し当て目隠しした鬼の背後を取り囲み、皆で背中を遠慮無く突っつく。最後に背を突ついた者を当てれば鬼の勝ち、外れた場合は百を数えて皆は隠れる。 鬼は木や壁などの拠点から皆を捜し、見つけたら「○○、ポコペン」と名前を叫び、捕虜とする。逆に皆は鬼の隙を狙い拠点に触れてポコペンと叫べば勝ち。拠点に触れて叫ぶことが「缶を蹴る」行為の代用になるわけだ。

 そういえば、どうしてこの遊びが〝ポコペン〟と呼ばれるのか、結局わからずじまいだった。「ポコペン」は元々は中国語で「話にならない」「だめだ」という意味だそうで、現代では差別用語の向きがあるとされている。捕虜=捕まる=だめだ、という連想かと推測したが、明確な典拠は見つからなかった。司書教諭曰く、典拠のない情報は信用に価しないとのことだった。彼女はそういう意識を持つ専門職員だったのだ。

 放課後の図書室、忙しかっただろうに、くだらない好奇心に付き合わせてしまったものだな、と教師になった今では反省する。

 それにしても、一方では藤棚の下の逢瀬、一方ではポコペン真剣勝負とは、その隔たりというか、多様性というか、言ってしまえば〝いろいろ〟に苦笑せざるを得なかった。

 

 *


「・・・・・・そろそろ、戻りましょうか」

 後期予定表から顔を上げて時計を確認すれば、集合時間の五分前だった。声を掛けられていなければ、教師が集合時間に遅れるという失態をおかしていただろう。いや、そもそも初老教師が課外授業中に事務仕事を押し付けてくるから。

 そんないいわけを胸に押し込め、荷物を鞄に押し込め、ペットボトルのお茶を一口、立ち上がる。と、藤棚の薄紫色の御簾が揺れ、見え隠れする濃紺の制服が垣間見えた。まだいたのか、と軽く驚いた。だが、そろそろ戻ってもらわねば困る。


「もう、時間よ、――」


 聞こえやしませんよ、と。

 戻りなさいと続くはずの私の言葉が、思いがけず遮られた。初老教師は、一足先に四阿から出ており、肩越しに言う。

 だったらなおさらとの思いが顔に出たのだろう、彼は続ける。

「あと五分ある。時間通りに戻ってきますよ、おそらく」

「でも、」

「間に合わなければ二人して注意を受けるべきです。良い薬になるでしょう」

 

 教師――一般に聖職と勘違いされがちな職業につく者として適切な対応なのか。私は戸惑い、藤棚の方と初老教師を交互に見やる。

 生徒らの顔は、垂れ下がった花房の波間に吞まれて見えない。でも、必要以上に近付いているようには見えはしまいか。

 昼日中ひるひなか、陽光したたる、健全たる公園、授業のさなか。不似合いにも。

 けれど、私の迷いを断ち切るように、どうせ言ったところで、と彼は苦笑をふくませた。



「今、彼らに聞こえているのは、藤の雨音だけですよ」


 ・・・・・・聞こえますか、雨音。



 ざぁっと。初老教師の声に折り重なるように、記憶が降った。風に揺れた藤波と黒髪、たおやかな声。

 私は息を吞んだ。

 彼女が嘘を吐いていたわけではないと十年越しに知る。

 あの時確かに薄紫色の雨音を聞いていた。そして携帯電話の先の誰かとそのありえないはずの音を共有していたのだ。

 きっと多分、かつて共に、藤を眺めた、心を分かち合う相手と。


 藤の花言葉が脳裏をかすめる――『恋に酔う』。

 ……いろいろよ。彼女の微笑みは思い返すほどに、寂しげであり、幸福げであり、面白がるようでもあり。今、どの表情も薄紫のヴェールが掛けられて意味深に甦る。

 初老教師は青春只中の若いカップルをそっとしておきましょうと言っているに過ぎない。安易な結びつけはあやうい。仮にそうだとしても十年前の話なのだ。でも・・・・・・


「藤の名前の由来、ご存じですか?」


 気付けば、私は元担任の背を追うようにして投げかけていた。

 眼鏡のフレームに陽光が反射して、表情は読めない。彼は少し考えるふうに間を置き、口を開く。



「花房が風にかれてる。縮まって〝フヂ〟の仮名遣いが変わり〝フジ〟だと」



 ……そう、聞きました。数学を担当教科としている彼は小さな囁きを落として集合場所である広場へと向かう。藤波に隠れた若い二人を置き捨てて。

 私も藤棚へ一瞥を送ってから、初老教師の後を追った。


 疑問は尽きない。

 恋があったのかなかったのか、あったとしても吹き散ってしまったのか、たんなる季節の移ろいか。……それこそ、〝いろいろ〟あったのか。


 ふいに足を止め、地面に落ちていた藤の花を拾う。

 マメ科の花に見られる、五枚の花弁からなる左右相称の蝶形花。なるほど横から見れば蝶の形をしている。藤は古から人々に愛でられ、美、高貴、優雅の象徴とされるが、房から落ちた花の一つ一つは、存外、肉感的で艶かしく、グロテスクでもある。


 雨はいつ止んだのか、あるいは、いまだ降り続いているのか。

 

 昼日中の雨音に気付かなかった自分に知りえるはずもなく、高三の五月は遙か彼方、昔話だ。彼らにとってはわからないが。

 私は花を放り、集合場所へと急いだ。



 


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昼日中、藤の雨 坂水 @sakamizu

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