巡り合うけもの 後編
「……やっぱり」
おふろばの様子を見に来たカラカルの目には、予想通りの光景が映っていた。
「どーすればいいのだー!?」
「アライさんまたやってしまったねえ」
アライグマが服を洗うのに使っていた丸い容器から、雲やアルパカの毛に似た白いモコモコ……泡が盛り上がっていて、溢れた分が床に流れ落ちている。
「アワ、アワワワワ……」
「ラッキー、そういうの良いから」
気の抜けた電子音を立てるラッキービーストに突っ込んで、カラカルは足元から正面のアライグマとフェネックに視線を戻す。
二人は溢れかえった泡に戸惑っているのか、どう対処すれば分からない様子で顔を見合わせている。こんな状況はおそらく初めてなのだから無理もない。
おふろばに足を踏み入れたカラカルに気付いて、アライグマが助けを求める。
「カラカルぅ! これはなんなのだー!?」
「アライさんが服を洗ってたら、この白いモコモコがどんどん増えてねー」
悲鳴を上げるアライグマとは対照的に、フェネックは相変わらずのんびりとした口調で何があったかを話す。
せっけんを使ったお陰で、かばんの服に付いていた血の汚れと匂いは見事に消えた。しかしアライグマそれで終わらず、たくさん使えばもっとピカピカになるはずだと息まいて、せっけんが無くなるまでかばんの服を洗っていた。
最初の内はモコモコが増えていくのを面白がっていたものの、水の表面を覆ってもまだ膨らんでいく様になんとなく怖くなり、止めた方が良いと思った時には既に遅く、手が付けられない状態になっていた。
案の定だ、とカラカルは内心で嘆息を吐く。これはせっけんをどれだけ使えば良いかを言い忘れた自分とラッキービーストが悪い。
「その白いモコモコは泡って言ってね、せっけんを使うと出てくるのよ。大丈夫。水で流せばなくなるから」
そう言いながらじゃぐちを捻り、水を入れながら容器を傾けて、水と泡を床にある格子型の穴へ流していく。
容器の中の服が見える程度に泡が減ったところで、カラカルは水を止めた。
「ほら」
ごく自然にじゃぐちを使う彼女を眺めていたアライグマとフェネックは、その声に我に返って容器を覗き込む。
「おお……」
アライグマが目を輝かせて感嘆する。泡はまだ大分残っているが、さっきよりも明らかに量が減っていた。
「凄いのだカラカル! これでアライさんも泡をやっつけられるのだ!」
「やっつけるのとはちょっと違うけど……」
「あとはアライさんにおまかせなのだー! 早く代わるのだ!」
身を乗り出して訴えるアライグマに容器を譲ったカラカルは、彼女にもう一つ助言する。
「多分まだ服に泡が残ってるから、それが無くなるまで水で洗った方がいいわ」
「分かったのだ! カラカル、ありがとうなのだ!」
「どういたしまして」
カラカルが尻尾のないラッキービーストと一緒に立ち去っていくのを見送って、アライグマは作業を開始する。
「カラカルは凄いのだ。色んな事を知ってるのだ」
「アリツカゲラも色々教えてもらったって言ってたねー」
じゃぐちから流れる水を眺めながら、フェネックがアライグマの誉め言葉に頷いた。
おふろばやじゃぐちの事もそうだが、ロッジが昔造られた施設だった事もカラカルに教えてもらったとアリツカゲラは話していた。
かばんや博士たちのように、とても賢くて物知りなフレンズ。彼女たちがカラカルと会ったら喜ぶんじゃないだろうか。
とりとめもない事を考えているフェネックの傍では、アライグマが機嫌よく鼻歌を歌って服を洗っていた。
急ぎ足で博士と助手が待つ場所に戻ったものの、そこに二人の姿はなく、代わりに別のフレンズがカラカルを迎えた。
「カラカルさん。お久しぶりですー」
アリツカゲラに笑顔でお辞儀をされたカラカルは、博士と助手が気になりつつも短く挨拶を返し、少々驚いた様子で訊ねる。
「コノ……あ、博士と助手は? ここにいなかった?」
「お二人なら少し休むと言って近くのお部屋にいますよ。カラカルさんが戻ったらお連れするよう頼まれまして」
「そうなの? なら良かったわ」
倒れて運ばれたとかでなくて安心したと、カラカルは胸をなでおろす。
今回の騒動が起きてから、おそらくあの二人は碌に休んでいないだろう。未知の脅威への対抗、状況の把握やフレンズの指揮など、心身共に疲れているはずだ。
「こちらです」
廊下を歩いて間もなく、アリツカゲラが一つの部屋の前で立ち止まった。カラカルは彼女に礼を言ってからドアを開く。
「やっと戻ったですか」
「遅いのですよ」
途端に不機嫌な声が飛んでくる。博士は椅子に、助手はベッドに腰かけていて、尊大な態度でカラカルを迎えた。
大した時間は経っていないのに文句を言う二人に苦笑して、カラカルは部屋に入る。
「ご苦労なのです。我々はカラカルと話がありますので、お前は戻ると良いです」
「分かりましたー。何か困った事があったら、いつでもお声かけくださいね」
博士から労われたアリツカゲラが「失礼します」とドアを閉めて、カラカルは博士と助手の傍へ移動した。
博士は咳払いをしてカラカルをしばし見つめると、意を決したように問いかける。
「カラカル、お前は『みつりょうしゃ』を知っていますか」
カラカルがピクリと眉を上げ、爪が食い込むほど拳を握りしめる。忘れるわけがない。かつてパークに侵入した、動物の命を奪うヒトだ。
拳を小刻みに震わせて、彼女は伏し目がちに答える。
「知ってるわ。遊園地にいたセルリアンに食べられたっていうヒトは、多分その密猟者よ。……でも、なんでコノハが密猟者の事を知ってるの?」
パークにいたヒトを喰らい、輝きを奪って進化した。今回の騒動を引き起こした元凶のセルリアンはそう語っていたが、密猟者については一言も触れていなかったはずだ。
しかも現在のパークには密猟者の事はおろか、ヒトという動物を知っているフレンズが少ない。博士たちは知識として知っていても、かばんと会うまでは実際にヒトを見た事がないだろう。
「ラッキービーストにみつりょうしゃに関する記録が残されていたのです。みつりょうしゃと例のセルリアンは何らかの関係があると考えたかばんや、図書館に集まっていたフレンズたちと共に、その記録映像を見たのですよ」
山と遊園地を同時に攻めるために二手に分かれ、遊園地組は出立の準備を整えながら記録映像を見ていたと博士は語る。
カラカルは軽く腕を組み、口を挟まず続きを待った。
「記録映像にはかばんと同じヒトや、今のサーバルとは別個体のサーバル、お前と同じカラカルのフレンズがいたのです」
映像を見ている時はさほど気にしてなかったが、ロッジで会ったカラカルと話しているうちに、博士はある可能性を考えていた。
それをはっきりさせるため、先ほどアライグマに中断させられた問いを投げかける。
「お前はもしかして、記録映像に映っていたカラカルなのですか?」
あの記録映像はパークにヒトがいた頃のもので、ずいぶん昔の事であるのは間違いない。サーバルのような別個体と考えるのが普通だろう。
しかし今目の前にいるカラカルは、元凶のセルリアンや密猟者の事を昔から知っているような話し方をしていた。それも、妙な説得力を持って。
固唾を呑む博士と助手へ、カラカルは静かに答える。
「サーバルやミライさんと一緒に映ってたのなら、たぶん私で間違いないわ。あの時のミライさん、ラッキーと協力して色々やってたから」
あれからどれだけの時間が経ったか分からない。懐かしさと寂しさがないまぜになった表情で呟く。
彼女の返答を聞き、確信を得た博士が唸いた。
「やはりそうだったのですね」
記録映像にヒトが映っていたとは言ったが、名前までは言っていない。しかしカラカルはミライの名前を口にして、更にミライがラッキービーストを使って何かをしていた事にまで触れている。当時の事を知らなければ出てこない言葉だ。
記録映像について初めて耳にし、そして思いがけない事実を知った助手は、目を丸く見開いてカラカルを見つめていた。
「昔のパークやヒトの事に詳しいと思ってはいましたが……」
ヒトがいた頃から生きているフレンズ。歴史の重さを感じ取った博士と助手は、ただ呆然としていた。
カラカルは腕組みを解くと、足下のラッキービーストに目を落とす。
「ラッキー、コノハが言ってた記録映像って、あんたは出したり出来るの?」
『チョット待ッテネ』
傷だらけのラッキービーストが電子音を立てて、間もなくカラカルを見上げた。
『……データバンクニ残ッテイルカラ再生ハデキルヨ、デモ』
「後で見せて。サーバルやミライさんに会いたい」
カラカルは弾んだ声で相棒の言葉を遮る。心を躍らせる彼女に返ってきたのは、無機質で淡々とした声だった。
『申シ訳アリマセン。アナタニハ記録映像ノ再生権限ガアリマセン』
「権限って……映ってる本人なんだからいいでしょ!?」
悲鳴にも似た大声に、博士と助手が思わず耳を塞ぐ。
相棒を両手で抱え上げ、カラカルが険しい形相で再度要求する。しかしラッキービーストは足をバタつかせてピロピロと情けない電子音を上げるだけだった。
『アワワ。パークノ機密保持ノタメ、再生ニハ調査隊長以上ノ権限ガ必要デス。アナタニハ再生権限ガアリマセン。記録映像オヨビ記録音声ノ再生ハ承認デキマセン』
目と耳を赤く光らせ、ビービーと耳障りな警告音を発し始めたラッキービーストに、カラカルはこれ以上要求しても無理だと悟る。
調査隊長の権限。つまりヒトでなければ再生の許可は出せないという事だ。それにパークスタッフの証である羽根飾りも必要だろう。
「……かばんじゃないとダメって事ね」
どんなに願っても自分は正式なスタッフにはなれない上、あの羽飾りも持っていない。かばんと会うまでは、親友やミライの姿を見るのはお預けだ。
カラカルは諦めの溜息をついて、光と音を放つのを止めたラッキービーストを床に下ろす。
ラッキービーストが見上げる先で、カラカルは博士と助手に向き直る。
「かばんと会えるのは明日になるし、ロッジの修理とか手伝ってくるわ。長としてやることあるかもしれないけど、あんたたちも無理しないでさっさと休みなさいよ?」
もう十分頑張ったんだから。カラカルは博士と助手に労いの言葉をかけると、踵を返してラッキービーストと一緒に部屋を後にする。
静かな音と共にドアが閉められて、助手が苦笑を浮かべた。
「……見透かされていますね。博士」
「疲れているのはあいつも同じでしょうに。……まったく、いつまでもひよっこ扱いなのです」
未だに自分を博士と呼ばず、一人前と扱ってくれないカラカルに、博士は不服そうに頬を膨らませていた。
「ん……」
【みはらし】の部屋のベッドで寝息を立てていたかばんが身じろぎ、ゆっくりと瞼を開く。
寝ぼけ眼に映る部屋の中は暗く、辺りがうっすらとしか見えない。寝る直前までサーバルと話していた時はまだ明るかったはずだが、すっかり夜になっているようだ。
「あれ……?」
数日前に泊まった時も夜中に目を覚ました事を思い出し、その時よりも部屋の中が明るい事に気付いて、かばんは身を起こした。
隣のベッドではサーバルが【ふとん】を抱き込んで横になり、心地よさそうに寝息を立てている。
「うみゃ……」
彼女は寝言を言ってもぞもぞと動いたかと思うと、すぐにまた安らかな寝顔を見せた。その仕草に頬を緩ませたかばんは、ふと窓の方へと視線をずらす。
窓の外には夜の闇が広がっている。しかし黒い夜空にはくっきりと白い月が浮かんでいて、その月明かりが部屋を薄明るく照らしているようだった。
煌々と輝く月に目を奪われていたかばんは、ベッドの脇に置かれた棚へと視線を移す。
そこにはボディを失って小さくなったボスと、セルリアンの核に似た赤黒い石……黒かばんの核が並んでいる。ボスは通信しているのか、それともかばんが見つけやすくするためか、レンズの部分がほのかな光を放っていた。
かばんは息を潜めてボスを手首に巻きつける。そのまま出来る限り静かにベッドから抜け出そうとしたところで、ふいに動きを止めた。
「……」
瞳に映るのは、棚の上に残った黒かばんの核。かばんは一瞬迷った後、赤黒い石をそっと手に取った。
熟睡しているサーバルを起こしてしまわないようにそろそろとベッドから降り、足音を忍ばせて見晴台の方へ移動すると、極力音を立てないように扉を開いて外へ出る。
かばんは充分注意していたが、サーバルの優れた聴力は微かな物音を捉えてしまっていて、扉が閉まると同時に彼女の耳が小さく動く。
「んみ……かばんちゃん……?」
サーバルは身を起こすと、フレンズ化が解けて獣化した右手で寝ぼけ眼をこすった。
「わぁ……!」
見晴台で月を眺めようと顔を上げたかばんは、思わず小さな歓声を漏らす。
夜空には相変わらず神秘的な印象と光を放つ月と、今にも振りそうな満天の星が瞬いている。ここ数日雲に覆われた空しか見ていなかったのもあってか、心なしか夜空が澄み渡って見えた。
吸い寄せられそうな錯覚を覚え、星空に向かって手を伸ばした時。
「かばんちゃん」
びくりと肩を震わせたかばんが手を引っ込めて振り返ると、片方だけ開いた扉からサーバルが姿を現していた。
「サーバルちゃん。……起こしちゃった?」
かばんは気まずそうに声をかけたが、サーバルは笑顔を見せて首を横に振る。
「ううん。でも夜に起きても大丈夫だよ。夜行性だから!」
開いた扉はそのままにかばんの隣に並ぶ。
「かばんちゃんはどうしたの? 眠れないの?」
「眠れない……っていうより、目が覚めちゃったんだ。いつもよりも早く寝たからかな?」
寝たのは汚れた服をアライグマに任せ、ご機嫌斜めになった博士が部屋を去った後だ。その時はまだ日が高く、サーバルと少し話をしてから眠りについたのだ。
「目が覚めたら月がすごく奇麗で、せっかくだから外で見たいなって……見て!」
はしゃいだ様子で言ったかばんが空を指差して、それにつられてサーバルが顔を上げる。
「わああああ! すっごーい! 今まででいちばん奇麗に見えるよ!」
「サーバルちゃんもそう思う? じゃあ、気のせいじゃなかったんだ」
なんでだろう。かばんが何気なく呟いた直後、彼女の腕に巻かれたボスが喋り始めた。
『雨ガ降ルト空気中ノチリヤ埃ガ雨ト一緒ニ地面ニ落チテ、空気ガ洗ワレタヨウナ状態ニナルンダ。ソノ結果、空ガ澄ンデ星ヤ月ガヨク見エルヨウニナルンダヨ』
「そういえば、このところ雨が続いてましたね」
相づちを打ちながら、かばんはボスを装着した右手首を持ち上げる。
数日前までロッジに泊まっている間はほとんど雨が降っていて、晴れて出発したらサンドスター・ロウの嵐が発生し、その後ロッジに戻ってから図書館へ向かった夜にまた雨が降り出した。
思い返すと、短期間でこれだけ雨が続いたのは初めてな気がする。
「お月さまもいつもより明るい気がするなー。それにちょっとおっきく見えるよ!」
手が届きそうだと言ってぴょんぴょん飛び跳ねるサーバルを、かばんはやんわりと窘めた。
「無理をしないでね」
「あ……そうだった」
跳ねるのを止めたサーバルが耳を垂らして、かばんは気まずさを覚える。
休んでないといけないのは自分も同じで、そもそもこっそり抜け出したのはこちらなのだ。サーバルは起こされていないと言ってくれたが、多分抜け出すときの物音には気付いていたと思う。
彼女の特徴でもある大きな耳は、激しい胸の音さえも聞こえてしまうのだから。
「かばんちゃんも無理はしないでね? 博士やライオンたちにも休めーって言われてたし」
「あはは。そうだね。……ここにいた事はみんなに内緒にしておこうか」
かばんは苦笑いを浮かべると、なんとなしに自分の手に目を落とす。サーバルが彼女の視線の先を追うと、赤黒い石が月明かりを浴びて鈍く光っていた。
「それって、あの子の石だよね?」
「うん。外に出る時に一緒に連れて来たんだ」
黒かばんの核を軽く握りしめて、かばんは静かに語り始める。
「今回の事でサーバルちゃんはもちろん、図書館から一緒にいてくれた博士さんたちや、フィルターを直してくれたアライさんたち。遊園地に来てくれたフレンズさんたち。他にも大勢のフレンズさんたちに助けてもらったんだよね」
博士が部屋から去った後にボスから伝え聞いただけでも、アムールトラやゴリラ、オカピやタヌキ、ダイアウルフやディアトリマといったフレンズが仲間を守るために頑張ってくれていたらしい。
獣化したサーバルの右腕をとり、手を繋いで、かばんは新しくできた『やりたい事』を話す。
「サーバルちゃんとボクの体が治って、今回の事が落ち着いてまた旅ができるようになったら、そのフレンズさんたちに会いに行きたいな」
海の外にヒトを探しに行きたい気持ちはもちろんある。だけどその前に、もう一人の自分ともいえる彼女に見せたいのだ。
【獣】とは違う生き方を選んだ【けもの】たちの生き方を。
そんな【けもの】たちがいるジャパリパークの良いところを。
かばんの手を優しく握り返して、サーバルはにこにこと笑う。
「早く治って欲しいね。また一緒に色んな所に行きたいもん。……ちょっと心配だけど、その子も楽しんでくれると良いね」
核の状態になった黒かばんに伝わるか分からないという疑問。パークを危機に陥れ、かばんに重傷を負わせた相手に対する不安。複雑な心境を隠せないサーバルに、かばんは神妙な面持ちで頷いた。
「やっぱり心配だよね。……博士さんにはああ言ったけど、ボクもちょっと心配なんだ」
軽く持ち上げた黒かばんの核を撫でて、かばんもまた不安を口にする。
「この状態で意識があるか分からないし、意識があったとしても、ボクたちの生き方やパークの良いところを理解してもらう事はないかもしれないって」
だけど、と微笑んで言葉を続ける。
「ボクは奇跡が起こるのを信じたい。いつか彼女と笑い合える時が来たら良いなって思うんだ」
黒かばんと最後まで分かり合う事は叶わなかったけれど、一緒に旅をして、彼女が【セルリアンのフレンズ】になってくれたら。
望むものと欲望が違ったからぶつかり合うしかなかった彼女と、やり直す事が出来ると思うのだ。
「……かばんちゃんはやっぱり凄いや」
屈託なく笑うサーバルに褒められて、かばんは少々気恥ずかしそうに俯いた。そのまま黒かばんの核を持っていた手を下ろし、そろそろ戻ろうかと口を開きかけた時。
『カバン、サーバル。チョットイイカナ? バスノ中ニ誰カイルミタイダヨ』
「バスの中に?」
突然伝えられた情報に驚きつつ、かばんはボスを装着している方の腕を上げる。
遊園地から一緒にいたフレンズたちは全員ロッジにいて、今頃それぞれの部屋でぐっすり寝ているだろう。運び込まれたフレンズや様子を見に来たフレンズが、バスをロッジの一部だと勘違いして入ってしまったのだろうか。
「誰だろう?」
「うん……ちょっと気になるね」
首を傾げるサーバルに返しながら、かばんは無意識のうちに考える。
ボスからは絶対安静、博士には休んでいろと言われたし、まだ体も本調子じゃないからそうした方が良いと思う。
しかしバスにいるらしい誰かはもちろん、ボスがその事をわざわざ知らせて来たのが妙に引っかかった。
「……ラッキーさん。バスの所まで行っても良いですか?」
「え?」
無理を承知で訊ねると、サーバルが驚きの声を上げた。直後にボスの返事が聞こえてくる。
『アマリオ勧メハ出来ナイネ。朝ニナルマデ待ッテ、ソノフレンズヲ呼ンダ方ガ良インジャナイカナ』
ボスの言葉は至極もっともで、自分たちの状態を案じての事だとかばんは理解していた。
頭にはまだ包帯を巻いたままで、体はだるさと疲れを感じる。サーバルの腕もフレンズ化が解けた状態で戻っておらず、体調を考えるならもう部屋に戻って休んだ方が良いのだ。
そもそも相手が誰なのかも不明で、どうしても今会わなくてはいけないという訳でもない。
そこまで分かっているはずなのに、かばんは何故かボスの意見を聞き入れる事が出来なかった。
「ラッキーさんがボクたちの心配をしてくれてるのは分かってます。でも何か……行かなきゃいけない気がするんです」
無理はしませんから、と頼み込む。ボスはしばし沈黙していたが、やがて緑の光を点滅させた。
『……分カッタヨ、カバン。ダケド体ノ不調ヲ感ジタラスグニ戻ッテネ。モシモノ時ノタメニ、2号ヤ近クノラッキービーストタチニ通知シテオクヨ』
言い終わるや否や、光を放ったままじりじりと音を立て始める。ロッジ内と近隣全てのラッキービーストたちへ一斉通信しているのだ。
間もなく連絡を終えたボスが光と音を収めて、腕を下ろしたかばんへサーバルが言う。
「私も行くよ! 心配だもん」
「ありがとう。サーバルちゃんも無理はしないでね」
かばんは黒かばんの核をズボンのポケットにしまい、サーバルと一緒に歩き出す。
二人の視界から外れ、連絡を終えたはずのボスが再び光を放つ。
『カバントサーバルガソッチヘ向カウヨ。彼女ヲ起コシテクレルカナ?』
ある特定のラッキービーストへ、こっそりとそんなメッセージを送った。
ロッジの入り口前。森の中を通る道に、一台のバスが停まっていた。
それはかつてパークスタッフやフレンズ、来園者を乗せて活躍していたジャパリバス。少し前まで運転席と客席が分かれた状態でジャングルに放置されていたが、とあるヒトとフレンズたちによって本来の姿を取り戻し、再びヒトとフレンズを乗せてパークを旅している。
黒セルリアンによって引き起こされた騒動の解決にも貢献したジャパリバスの中で、尻尾のないラッキービーストが目を点滅させていた。
暗闇に浮かぶ光の先には座席があり、一人のフレンズがそこで横になっている。
バスの中から明かりが消えて、代わりに声が聞こえてきた。
『カラカル。カラカル』
房毛の生えた耳がラッキービーストの方を向き、座席で眠っていたカラカルが目を覚ます。
「ん……どうしたの、ラッキー」
懐かしいバスで気持ちよく寝ていた所を起こされて、カラカルは若干機嫌が悪そうにラッキービーストを睨む。バスの中は暗闇だが、ネコ科の彼女には何の支障もなくラッキービーストの姿が見えていた。
ロッジの部屋が空いているのは博士やアリツカゲラから聞いていたものの、怪我をしたフレンズや野生暴走になっていたフレンズが優先であること、そして偶然再会したバスで休みたいと思い、カラカルは寝床にジャパリバスを選んだのだ。
久しぶりにバスに乗った後、懐かしさのあまりラッキービーストに頼んで動かしてもらおうかと思ったが、口に出す寸前で何とか飲み込んだ。
バスの車内はずっと昔に無くなった本来の座席の代わりに、最近作ったと思われる新しい座席が載っていた。
その座席で身を起こしたカラカルへ、ラッキービーストが無機質な声で伝える。
『誰カガコッチニ来テイルヨ』
「こんな夜中に誰よ、もう……」
カラカルは文句を言いつつも立ち上がる。ラッキービーストがわざわざ起こしたという事は、無視できない何かがあるという事だ。
ラッキービーストが運転席に移動して、直後に開いたドアからカラカルはバスを降りる。外は月明かりで思いのほか明るく、段々とこちらに近づいてくる二人分の足音が聞こえた。
足音を頼りにその方向を向くと同時に、バスのライトが点灯する。
「あっ! 明るくなったよ!」
「一体誰が……」
声が耳に入った瞬間、カラカルは思わず目を見開く。最初に聞こえたのは誰か分からないが、後に聞こえたのは野生暴走や変異サンドスター・ロウの事を伝える通信で聞いたのと同じ声。
「この声、かばん? でもやっぱり……」
かつての調査隊長とよく似ている。本人が話していると思ってしまうほどに。
呆然と佇むカラカルの足下にラッキービーストがやって来る。彼女がぼんやりしたまま下を見ようとした時、突如正面が明るく照らされた。
二人分の足音がすぐ近くで止まる。懐かしい匂いが鼻をくすぐった。
「わっ!?」
「なになに!?」
ラッキービーストの目から放たれた光をまともに浴びて、ロッジの方からやって来たフレンズが眩しそうに手をかざしている。
「え……」
照らし出された二人の姿を認めたカラカルは、呼吸を忘れて立ち尽くす。セルリアンが何か仕掛けて来たのかと一瞬疑ったほど、今見えているものが信じられなかった。
一人は、ずっと前にいなくなった親友と同じサーバルキャットのフレンズ。
もう一人は、尻尾や耳と言った特徴が見られないフレンズ。いや、ヒト。おそらくはかばんだ。
親友と同じ姿のフレンズと、パークを去ったはずのヒト。それだけでも驚きだが、頭に包帯を巻いているかばんはあるヒトを彷彿させて、カラカルは知らず知らずにその名前を口にしていた。
「……ミライさん……?」
口をついて出たささやき声を、サーバルははっきりと聞き取っていた。
「え? ミライさん? どこにいるの?」
いるはずのないミライを探してきょろきょろと辺りを見回すサーバルに、カラカルは現実に引き戻される。
「サーバル……。そう、そうよね」
雰囲気と匂いがそっくりだったので勘違いしてしまったが、サーバルの隣にいるヒトはミライではない。……ミライのはずがないのだ。
「私のこと知ってるの?」
サーバルは首を傾げている。初対面のフレンズに名前を呼ばれたのだから当然だろう。
「ええ。よく、知ってるわよ……」
分かっている。親友だったサーバルはずいぶん昔にいなくなって、ミライはその前にパークを去っている。
姿形は同じでも、声や雰囲気がそっくりでも、目の前の二人は自分が知るサーバルとミライじゃない。よく似た別人だ。
「ここで何してるのー?」
それでも、無邪気に話しかけてくるのは親友と同じサーバルキャットのフレンズで。
「あなたは、何のフレンズさんですか?」
彼女の隣にいるかばんからは、懐かしい匂いがして。
目が熱くなって視界がぼやける。違うフレンズとヒトなのは分かっているのに、あの二人じゃないのは分かっているのに、感情と嗚咽がこみ上げてくる。
「どうしたの? どこか痛いの?」
「もしかして、怪我をしてるんですか?」
突然泣き出した相手を案じて、サーバルとかばんが歩み寄る。
自分よりも誰かの心配をするところもあの二人とよく似ていて、そしてフレンズ化が解けてしまっているサーバルの右腕に気付いて、カラカルは胸が締め付けられた。
「怪我をしてるのは、あんたたちでしょ……」
絞り出すような声で言ったカラカルをますます心配し、彼女を憂い顔で見つめていたかばんは、ふと思い出したように尋ねる。
「あれ? あなた、どこかで会ったことがあるような……」
記録映像の事を答えようとして、カラカルははっと口をつぐむ。
ミライと雰囲気や声、匂いもよく似ているかばんは、帽子に付いていたヒトの髪から生まれたフレンズだと言っていた。
今はその帽子を持っていないが、もしかしたら……。
カラカルは涙を拭い、潤んだ目でかばんとサーバルを見つめる。
色々訊きたいことはあるが、それは後にしよう。
カラカルは笑顔を浮かべて、親友とミライの面影が重なる二人へ名前を名乗る。
「私はカラカル。……はじめまして」
「けもの」の本能 三次創作 ふかでら @matatab1
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