こじらせた惰性

ガッツリネタバレ感想です。ともかく未読の方は読んでみてください。割とこういうところに投稿される小説としてはお堅い?ので、合わないという人もいるかも知れません。でも、この小説の真意(或いは読み手がこれが真意だと感じた何かしらのエッセンス的なもの)に触れられたら、間違いなく読むのに費やした時間を遙かに上回るものが返ってくるはずです。

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修一と夏織という男女のカップル。二人の間には、修一の妹の子供(つまりは修一の甥)である怜というキャラクターの存在がある。「怜が居ないと関係を維持できない」という修一のモノローグに明示されているように、このカップルの間には何やら一悶着ある、あるいはその一悶着がないために却って立ち行かない何かしらの事情がある。
怜というキャラクターの立ち位置も非常に微妙な均衡の上に置かれていて危うい。まるで、自陣の角の通り道を塞いでいる守りの要に配置された金将ように、彼の存在なしに修一の駒組みは成立せず、しかしながら修一がこの状況を持て余す大きな原因の一つになっている。そして怜の方もただ単に無邪気かつ鈍感にそこにいて騒いでいるわけではない。彼自身もやはり居心地の悪さを雰囲気で察している。
帰り際、高校生のカップルを見てやり取りをする主人公のペアというのが、とても印象的なシーンだ。主人公二人は、その高校生二人を鏡写しのようにのぞき込み、そこに自身を投影している。修一はその二人の姿に自分自身に欠けているものを見出し、夏織は修一に期待しても返ってこなさそうなものをそこに見出している。決定的に噛み合わないかに見えた二人の齟齬は、夏織の極めて迂遠な呼びかけ(或いは非難)が修一の周囲に張り巡らされた見えない境界線をあっけなく破ることで、図らずもあらわになり、崩れていく。
いっぱしに気取ることは出来ても、キッカケがなければ一歩を踏み出せない男と、男の包容力を信用できず期待が裏切られるのを恐れるあまり、端歩を突くようにしか男の懐に入り込んでいけない女。年を重ねることで意固地になり破れなくなった何かを破れるのは、ベタと言えばベタだが、それは初心と呼ばれるものかも知れない。
男はただ構えて待つことを止め、または自ら格好悪いと認めることで一歩を踏み出し、女は求めることを遠慮せず何度も名前を呼ばせる。たったこれだけのことさえ出来なかったのだから、大人の男女というのは面倒くさいのである。