REACT:005

「それで、どこへいくの?」


 学校を出てしばらくしてから姫神が行き先を尋ねてきた。


 はて、葛之葉は伝えていなかったのか。

 もちろん行き先は決まっている。


「今日は沿岸の工場地帯だ。二人乗りの駆動霊ドリヴンガイストが目撃されてるから見たい」


 悪霊退治はあてもなくするものじゃない。

 プロの退魔師であれば通報があってから動き出すし、フリーの退魔師は軍や警察の無線を傍受している。


 オレは悪霊の情報を葛之葉に収集してもらっている。葛之葉は家の事業のコネを使ってこの街の監視カメラのデータを横流ししてくれているのだ。

 プロやフリーの退魔師とぶつかる心配がないが、見間違えもあるし情報の精度は低いのがネックだな。


「そう……遠いわね」


「そうか? 飛ばせば三十分もかからないと思うけどな」


 そう言ってアクセルを開ける。心地よい駆動音を感じながらゆるゆると速度を上げていく。

 が、いきなり頭を叩かれた。


「やめなさい! ……十一時くらいまではつきあってあげるから、ゆっくりよ、いいわね」


「ふむ、わかった」


 姫神は強い口調でゆっくりと言う。バイクに乗るのが初めてだから怖いのだろうか。意外な一面もあるものだ。


 まあ、このままショッピングモールの夜景を眺めながらバイクを流すのも悪くない。

 ついでにこの街の紹介を簡単にさせてもらおう。


 オレたちが住む優姫凪ゆきな市は二十年前に起きた心霊災害の後、安優市、姫浜市、夕凪河市が合併して再建された新しい街だ。

 人口は二百万人ほどだが、都市の中心部セントラル・ユキナにあるショッピングモールやランチスポットには他県から訪れる人、さらには国外からの観光客で賑わっている。

 また、優姫凪ゆきな市は古くから人が住んでいた歴史の深い土地だ。

 都市の中心部セントラル・ユキナではなく、歴史書を片手に名所巡りをする歴史好きも多くいる。

 特に有名なのは、七百年前に悪霊を封じたと伝えられている紅大明神あかしだいみょうじんかな。


 ちなみに、国立神水流高校こくりつかみずるこうこう優姫凪ゆきな市を一望できる丘に建っている。都市の中心部セントラル・ユキナを超えて、沿岸工場地帯と姫浜水族館および姫浜海水浴場を望む絶景は一見の価値がある。


 ここまで話しておいてなんだが、優姫凪ゆきな市は明るい話題ばかりじゃない。先も触れたが心霊災害のことだ。

 二十年前の夏。

 優姫凪ゆきな市ではおびただしい数の人が死んだ。死者一万二千名、行方不明者三千人、心神喪失、PTSDでいまだ苦しんでいる人々は数万人に及ぶと言われている。

 当時、優姫凪ゆきな市に現れた悪霊を退治するためにたくさんの退魔師が投入されて、昼夜を問わぬ戦闘の末に討滅した。

 悪霊の名は、贄巫女の大百足にえみこのおおむかで

 戦後の日本において最大最悪の心霊災害と呼ばれている。


 二十年の月日は優姫凪ゆきなを一大観光都市へと変えた。時が経つにつれて人々に笑顔が戻り、悲しみに暮れる人は見えなくなった。

 その陰で、退魔師たちは心霊災害の残滓と戦い続けている。


 ふと、オレは仲間の気配を感じた。

 幽霊だ。

 仲間と言っても意思疎通できないので存在を感じることができるだけだ。かなり強い気配なので一般人の目に見えるレベルかもしれない。


 当然の如く、同乗者も気がついた。


「閑野君、近くにいるわ。あの角を曲がりなさい」


「おいおい……オレたちは」


 カキリと安全装置が外れる音が耳元で聞こえた。

 ちらりと後ろを見やると、H&K MP7サブマシンガンを構えた姫神がいた。蟲を見るような眼差しでH&K MP7サブマシンガンをオレの首筋に押し当てた。


「すぐ終わるわよ。はやくなさい、撃ち抜くわよ」


「お前なぁ……はぁ、しょうがない」


 退魔術で成仏しないとわかっているけど、強い退魔師の術は痛いのだ。痛いのは嫌なので多少のわがままは聞いてやるとするか。

 H&K MP7サブマシンガンで脅されながら、車体を左に傾ける。雑居ビルに挟まれた路地へと入っていった。


 ビルの壁面に備え付けられたLED街灯がポツリポツリと荒れたアスファルトを照らす。金属製のダストボックスや廃材が路地をさらに狭くしている。

 オレは障害物を避けながら徐行する。


 視界に何かが過る。

 ギクリと体が強張った。じっと路地の隅に目を凝らした。


 いた。


 桃色のワンピースに水色のランドセル。やや顔を俯かせてぼんやりと立ち尽くしている少女の姿がある。

 迷子と一般人は思うだろう。

 あそこまで存在が明確になっていれば触れることもできるだろう。


 観察力のある者が見れば、まだ肌寒いこの季節に薄手のワンピース姿に違和感を覚えるだろうけどな。

 二十年前の心霊災害で亡くなった人々は自らが死んだことすら知らずにさまよっている者がいる。

 ――彼女の心霊災害はまだ終わっていないのだ。


 オレはぞわぞわとする感覚に身動ぎする。

 駆動霊ドリヴンガイストのオレが言うのもなんだが、幽霊は苦手だ。

 話は通じないし、悪霊になりかけている者は攻撃的で怖い。ぶっちゃけて言えばこのまま回れ右をして走り去ってしまいたいくらいだ。


「どうするんだ?」


「見てればいいわよ。役に立たないでしょ」


 おっしゃる通りで。

 姫神の言うがまま、オレは高みの見物と洒落込むことにした。


 姫神はバイクを降りるとワンピースの少女に向かって歩いていく。その表情はどこか優しく、武器はしまっている。


 しかし、武器も使わずにどうするつもりなのか、退治するわけじゃないのか。

 頭に疑問符が浮かぶが眺めているしかない。


 姫神はワンピースの少女の前に立つと屈んで話しかけた。


「こんばんは、こんなところでどうしたの?」


「ひとりなのかしら?」


「おとうさんとおかあさんはどうしたの?」


「……」


 返事はない。ワンピースの少女は静かに俯くばかりだ。

 姫神はしばらくのあいだ一方的に語りかけていた。

 そのうち、小さな声が聞こえた。


「……おうちに、かえりたいの……」


「そう、わたしが送ってあげるわ。どこかわかる?」


「……、姫浜の、……白泉……」


 姫浜市白泉町はもう存在しない。心霊災害によってほとんどの世帯の人が亡くなったため、政府が土地を買い上げて無人のごみ処理場や排水浄化施設となっている。


 いまの話の流れからすればバイクに乗せるんだよな。

 三人乗りはやばいだろとか、ポリスメンに見つかったらどうするか、とかいろいろあるが、……幽霊を乗せることに抵抗感がある。

 だいたい幽霊を拾ってどうするんだ。退治しろよ。


 オレは控えめながら文句を言うべく口を開く。


「なぁ……」


「あとにして。こっちよ、この人のお腹にしっかりつかまって」


 バッサリでござい、一蹴されてしまった。

 このクソ女、オレの話を聞けぇぇぇ――! と、心の中で罵っている間に姫神はワンピースの少女をバイクに乗せてしまう。


 小さな手がオレの腹にそっと回される。

 このワンピースの少女はオレが幽霊であることに気がついていない。

 そもそも幽霊に意識があるのか、幽霊は記憶の残り香だけで動いているのか、そんなことすらも解明されていない。


 もぞもぞと動くワンピースの少女にむずかゆさを覚えて振り返る。腰に抱き着いたままの姿勢で、ワンピースの少女はにへらと笑った。


「……おにいちゃん、あったかい」


 ワンピースの少女は何を感じているのかわからないが、……オレは駆動霊ドリヴンガイストだ。オレに体温があるはずがない。


「落っこちるなよ」


 素っ気なく告げると、オレは前を向く。ワンピースの少女はぬいぐるみを抱きしめるように背中に顔をこすりつけてきた。


「いいわ。いきましょう」


「ち……、なんだってこんな。――あー、わかった! わかってる! こっち向けるなって!」


 まったく、銃口を人に向けてはいけませんと先生から教わらなかったのか。

 

 姫神が座席に跨ったことを確認してからバイクを発進させる。行先はワンピースの少女から聞き取りながら進むことになる。聞き取りの役目は姫神にまかせるけどな。

 せいぜいオレにできるのは、本来の目的地である工場地帯と真逆の方角にならないことを祈るだけだった。


 ワンピースの少女はバイクの背に揺られながら、途切れ途切れに行先を告げる。

 そっちを右とか。

 そこを左とか。

 案内はひどくあいまいなものでどこへ連れていかれるのだろうという不安を煽られる。怖い都市伝説にあるような道案内のされかたって言うのかな。

 オレは駆動霊ドリヴンガイストであり姫神は退魔師なので化かされても困らないが、なんとなく崖に一直線の道に連れていかれそうだ。


 景色は次第にショッピングモールの喧騒から離れていく。

 ショッピングモールの夜景を背に、市街地と工場地帯を繋ぐ大橋、ユキナベイブリッジを渡っているときのことだった。


「きれいね」


 感慨深げな姫神の声が聞こえてきた。

 つられてオレは視線を横に向ける。荷運びの十トントラックの群れに混じりながら工場夜景を眺めた。


「なんだ、夜景ウォッチングとか好きなのか?」


「違うわよ。……祖父の家で二十年前の姫浜の写真を見たことがあるの。それと比べると……ここまできたのねって思っただけよ」


「お前は移住組なのか?」


「移住とは違うわね。わたしは神水流に入るために越してきたから。中学までは東京にいたの」


 なるほど。

 退魔師を志して神水流に入学してくる学生は多い。そのために校内に学生寮が建てられているわけで、姫神が寮生活をしているのは県外からの入学だからか。

 オレは移住組だ。

 心霊災害で人口の減ってしまった優姫凪ゆきな市の転居募集に乗っかって移り住んできた世帯になる。越してきたのは父が再婚した直後なので十二年ほど前だろうか。


 姫神の想いもわからんでもない。

 十二年、思いだしてみると優姫凪ゆきな市の移り変わりを眺めながら育ってきたように思う。


「ここまで、か……。まぁ、そうだな。オレが子供の頃はまだ復興中って感じだったし、……移住者を募集したり、企業を呼び込んだり、協会がここに本部を移転して悪霊対策を重点的にやったのもでかいな」


 心霊災害が起きて数年は工事などロクに進められなかったと聞いた。贄巫女の大百足にえみこのおおむかでが振りまいた呪怨と死者の無念が混じり、たくさんの悪霊が現れたからだ。

 日本陰陽協会は本部を移転して連れてきた退魔師たちを各所に派遣して幽霊たちの対処に当たった。

 その結果、スムーズに復興工事が進められるようになったわけだ。


「この光景は守らないといけないわ。ぜったいに」


「……そうだな」


 生徒会長らしい真面目な性格なことだ。

 そのまっすぐな姿勢には感心してしまう。


 相槌を返したが、姫神のような崇高な使命感をこれっぽっちも持ち合わせていない。オレの目的はある悪霊を退治すること。それ以外のことはどうでもよかった。


 ユキナベイブリッジを超えて工場地帯を進む。


「……ここ」


 ワンピースの少女は呟いた。オレは速度を落とすと、バイクを停車させた。


 小さな街灯が規則正しく整列する厳かな雰囲気、しんと静まり返った世界には波の打ち寄せる音だけが聞こえる。白い石畳を敷き詰めた先には見上げるような石碑が立っている。


 かつて、ここには花火を眺められると有名だった高級住宅地とレストランや雑貨店が軒を連ねるショッピングセンターがあったそうだ。


 いまは何もない。

 何もないわけではないが、人が住む場所ではない。


 ここはもっとも被害が大きかった場所に作られた公園、優姫凪ゆきな霊災慰霊園。石碑には亡くなったすべての人々といまだに行方不明の人々の名が刻まれている。


 姫神はワンピースの少女を抱き上げると地面に下ろしてあげた。


「もう帰れるかしら」


「うん、……ありがとう、おねえちゃん、おにいちゃん……」


 ワンピースの少女はペコリとお辞儀をすると、まるで誰かが待っているかのように、一目散に公園へと走っていく。


「……パパ! ……ママ!」


 オレには何も見えない。暗闇が広がっているだけだ。

 姫神を見やる。

 姫神には何かが見えているのだろうか。


 公園の石碑の前あたり。ワンピースの少女は嬉しそうに誰かに飛びつき、……そのまますぅーっと夜闇に溶けるように消えていった。


 その光景を見届けると、姫神は手を合わせて目を閉じた。


 姫神の祈る姿をまじまじと眺める。

 いつもオレを目の敵にして悪霊は除霊すると息巻いている姫神と趣が異なる。どことなく神聖で近寄りがたい巫女のような雰囲気だ。


 悪霊退治と言うよりは、迷える魂を静めるといった感じか。そんなこともできるんだなと目から鱗が落ちる思いだった。


 悪霊を退治するだけが退魔師の仕事じゃないってことか。

 オレは姫神をぼんやりと見つめながらそんなことを思った。

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