REACT:008 姫神 穂乃香

 最悪ね。

 なんでこんな、……もう最低、最悪だわ!!!


 姫神 穂乃香ひめがみ ほのかはぐるぐると回る視界の中心で悪態をつく。

 喉の奥から酸っぱいモノが溢れだすたびに、胃液を吐き、ただただ苦しいだけの時間が過ぎ去るのを耐える。


 どうしてこんな無様な姿を晒しているのかを罵りながら経緯を思い出す。

 もともとのはじまりはあの女、葛之葉 湊くずのは みなとに秘密の特訓をしている場面を見られてしまったことだ。


 よく周りに注意して国立神水流高校こくりつかみずるこうこうの生徒が立ち寄らないスポーツセンターを探したと言うのに。


 秘密の特訓とは、乗物に酔わないようにすることだ。


 姫神が乗り物酔いを体感したのは幼稚園の頃だった。両親に連れられて買い物にでかけたとき、車に乗って数十分もしないうちに視界がぐるぐると回りだして何もできなくなった。

 飛行機だろうと、フェリーだろうと、電車だろうと、ありとあらゆる乗物で気持ち悪くなった。

 大人になれば治るだろうと乗物を避けて生活をしていたが、……退魔師になったことで状況は変わった。


 二人一組アサルト・セルだ。


 国立神水流高校こくりつかみずるこうこうでは二人一組アサルト・セルの授業がある。この年齢になっていれば平気だろうと電車通学をしてみたが、数十分で電車から飛び降りてトイレに駆け込む羽目になった。


 治ったどころかより悪化していた。

 このままでは授業中に醜態をさらすことになる。


 トイレの便器に縋りつきながら嫌な思考が巡った。


 あの生徒会長が乗り物酔いだって?

 あんなので退魔師とか笑うぜ。だっせぇ――。

 頭も良くて運動もできて最高の生徒会長だと思ってたけど幻滅よね~。


 退魔師の生徒たちは選民的思想を持っている者が多い。彼らからの評価が地に堕ちればと考えるとゾッとした。脳裏に浮かぶ悪意の言葉に震えが奔った。


 これはまずい、とあわてて乗り物酔いを治す方法を調べた。


 酔い止めは集中できなくなるのでダメ。

 窓の風景を眺める、新鮮な風に当たる、寝ていれば酔わない、……悪霊との戦いではムリ。

 辿りついたのは三半規管を鍛えることだった。

 ものは試しとスポーツセンターのトランポリンをつかった運動をやってみることにした。あとは回転いすに座ってグルグル回ってみるとか試した。


 そして、ある日のこと。

 スポーツセンターでの運動を終えて建物をでたところで、囁くように声を掛けられた。


「姫神さんって、乗り物酔いするんだねえ……?」


 悲鳴を上げそうになった。全身が総毛だった。

 跳ねるように振り返れば、そこには柔らかな笑みを浮かべた葛之葉 湊くずのは みなとの姿があった。


 はじめはブラフだと思い涼しい顔で言い逃れをしようとした。

 しかし、葛之葉は狡猾だった。

 姫神の寮生活をはじめとして乗物を使わない生活をしていること、はじめは電車通学していたこと、同級生との会話で二人一組アサルト・セルの話題にあまり触れたがらないこと、ありとあらゆる情報を集めており足掻くほどに泥沼にはまった。

 もはや観念するよりなかった。


「……それで、どうしようって言うのよ」


「んふ、そんな怖い顔しないでよ。ちょっとある人に協力してあげて欲しいんだよねえ」


「協力?」


「そそ。それに、姫神さんの乗り物酔いも治せるかもしれないよ?」


「……聞かせてもらおうじゃないの」


 葛之葉が協力を求めてきたのは、学校の生徒になっている幽霊、閑野 貴久しずの たかひさの悪霊退治に協力してあげることだった。

 閑野が悪霊退治のための退魔師を探していることは学校中の生徒が知っている。

 もちろん、協力する気持ちがある者など皆無だろうが……。


「あの悪霊を助けてあげることが、どうしてわたしの乗り物酔いを治すことに関係あるのかしら?」


「悪霊退治ってことは二人一組アサルト・セルをやるんだよ? 嫌でも慣れるでしょ」


「ちょっと乗っただけで酔うのよ。戦いながらなんてムリに決まってるじゃない」


 葛之葉は意地悪な笑みを浮かべる。


「それじゃあ、……貴久くんをちょいとばかり脅してさ、乗り物酔いを克服するために手伝わせればいいじゃん? そのついでに彼に協力してあげるって流れでさ」


「どうやっていうこと聞かせるのよ。……あの悪霊に退魔術は効かないのよ」


 閑野の退魔術に対する抵抗力は異常だ。

 初日に閑野に襲いかかったクラスメイトたちは未熟とは言え退魔師。強い弱いの差はあれど退魔の力をもっているはずなのに、すべてを払いのけてみせた。

 閑野は危険な悪霊だ。

 あんな悪霊が溢れることになれば人の生活は破壊されてしまうだろう。


「まるっきりってわけじゃないよ。強い退魔の力なら殴られたくらいの痛みは感じるはずだよ。ボクの退魔術もちょびっとは通るしね」


「ふぅん」


 姫神は考える。

 脅迫なんて人としてあるまじき行為だ。カツアゲをする不良や集団で内気な生徒をイジメる卑怯者と変わらない。

 だが、相手は悪霊だ。

 気にする必要などないかしら、と嫌な思考が首をもたげる。

 いや、ダメだ。人として悪意をもって接するなんてゆるされないことだ。

 ためらう姫神の思考を読むかの如く、ぬるりと葛之葉の言葉が滑りこんでくる。


「悩んでる余裕あるのかなぁ。このまま時間が経てばどうなるかわかるでしょ、姫神さん?」


「ぅ……く……」


 二人一組アサルト・セルの授業は六月にははじまる。時間は一月も残されていないのだ。

 授業を欠席し続ければ単位を落として卒業できなくなる。


「やるわよ……」


 悩んだ末に姫神は葛之葉の話を受けた。

 閑野の悪霊退治に協力しつつ、脅して乗り物酔いの克服するために利用する。


 ワンピースの幽霊の女の子を成仏させるまではよかった。手綱をとれていると思っていたのに、思っていたのが……この有様だ。


 学校から出発する前の葛之葉の笑みを思い出す。むふふと忍び笑いをしていた葛之葉はこの結末を予想していたのかもしれない。


 化かされた。

 女狐にはじめから騙されていたのだ。


 胃液のせいで喉がひりついていた。

 口の中がベトベトで気持ち悪い。


 ぜいぜいと喘ぐ姫神にミネラルウォーターの入ったペットボトルが差し出される。

 見上げると、困った顔をした閑野がペットボトルを差し出した姿勢で佇んでいた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る