第14話 とある傭兵の物語 前編

2010年 3月 横須賀の老人シェアハウスにて


私の名前はゲイリー・ムーア元アメリカ合衆国海軍元少佐戦闘機パイロットである。

私の寿命もそう長くはないので私の人生の回想録をここにつづることにする。


私は1910年にシカゴという都市に住む貧乏な街の夫婦の元で生まれた。まあ、例によって大都市の吹き溜まりというかごみ溜めというかその場所で俺は多感な幼少期を過ごすことになった。で、シカゴといえばアルカポネ達のマフィアの抗争ってやつで私も小遣い稼ぎというか生活のためギャングの走りやらカッパライと何でもやったさ。で、そんな俺も年貢の納め時というのかな。

1925年に俺はポリスに逮捕されて留置所さ。で、両親はとっくに死んじまっていたさ。まあ、15歳だったので少年ということでそのまま少年院送りとなり。そこで読み書きなんかを教わったんだ。で、16の年に少年院を出所した俺はなけなしのお金をもってシカゴからサンディエゴへと渡ったんだ。で、サンディエゴの軍港近くのガソリンスタンドの店員として生活の糧をえていたんだが、28年の夏だった。あの日は忘れられない日だったな。


いつものようにガソリンスタンドで車への給油業務をしていたら空から爆音がしたのでふと見上げると4機の飛行機が編隊を組んで大空を駆け上がる姿をみた。そしてその印象はとても焼き付いたのを覚えている。


「おい。ゲイリー。何ボーとしているんだガソリンが漏れてるぞ」

「あ。ボス。あれはいったい何だ?」

「ありゃあ。近くの海軍航空隊の訓練飛行だよ。おめえ知らなかったのか」

「ああ。空なんか見上げたことがなかったからな。で、さ。ボス?海軍に入ったら俺でもあんな飛行機操縦できるのかな」

と聞くとボスは言う。

「はは。そりゃあ。無理だ。あれを飛ばしている連中はアナポリス出の連中ばかりさ。お前さんが頑張ってもせいぜい一等水兵ってところだぜ。って何そんな顔している。兵隊からだって努力しだいじゃあパイロットになれると聞いたことがあるぜ」

「そっか。ボス俺。兵隊になろうと思います。少年院上がりの俺を雇ってくれた恩義はありますが。その可能性とやらにかけてみたくなりまして」

「そうだろうな。若いというのは良いことだ。じゃあ軍の事務所に行って志願するのか」

「ええ。18なんで徴兵年齢には達したので入隊しようと思います」

「そうか」

そんな感じで俺は海軍事務所に行ってそこで入隊志願して身体検査をうけてパスした俺はサンディエゴで基礎訓練を経て最初は空母のりを志願するも、結局戦艦アリゾナの副砲に配属されそこで弾薬庫から砲塔への弾運びの日々だったな。

そして1933年俺は下士官昇進試験に合格し伍長に昇格し、その際兵科を選らべるとの事なので、俺は航空を選びパイロットを目指して試験勉強に明け暮れたよ。まあ、挫折しそうになったこともあったけれどそのたびにあの日のダイヤモンドを組んだ編隊をおもいだしていたなぁ。

そして試験を無事に通過した俺はそのまま航空パイロット養成所に配属され、そこで気象、航空、化学、電信、数学、航法、機関の座学に加え訓練機による飛行訓練をへて練習機での操縦課程へと進んだわけだ。まあ、俺はどうにかクリアしたが同期の連中は次々と脱落していった。

そして1938年に俺は晴れて戦闘機パイロット課程をクリアし憧れのウィングマークを手にすることができた。そのまま俺は空母サラトガに配属され空母戦闘機であるF4Fワイルドキャットを操縦し日々の訓練に明け暮れた。時代は徐々に危うくなっていきついに1939年に第二次世界大戦が勃発した。我々合衆国は武器援助のみに徹していたが俺の方は転属命令が下り空母サラトガから空母レキシントンの部隊に転属となった。そして私事であるが1940年に俺はジェニファーという女性と結婚した俺は幸せの絶頂ともいえる状態だったよ。

そして1941年の12月。空母レキシントンの艦内で我アメリカ合衆国が参戦することを知らされた。その開戦の知らせの直後にハワイの真珠湾基地が日本の空母機動部隊攻撃を受け大損害を受けたという知らせを聞いたね。それにはおまけもあって夜間に連中は旧式となった伊勢級、扶桑級による夜間真珠湾砲撃で港湾施設、飛行場は完膚なきまでにやられおまけに軍港内にあった燃料補給所にも砲撃があったらしく備蓄していた約100万tの艦隊燃料と3万tの航空ガソリンのすべてが煙になったそうだ。

それでハワイは事実上落ちた状況だったな。そして俺がジャパンの航空隊と戦うことになったのがサンゴ海海戦だったが、まさにあの当時の日本の戦闘機はすごすぎた。あとで聞いたが零式艦上戦闘機という名称で我々はゼロで読んでいたが、その後無線でのコードが発表されてジークというコードで呼ばれていた。

そして日本の海軍機と交戦して結果は見事にぼろ負け編隊の大半は撃ち落され。俺の方も機材は弾痕だらけでかろうじて飛んでる状況だったが艦隊上空で母艦がやられたと聞いたな。乗っていた空母レキシントンは敵の空母部隊によってコテンパンにやられて撃沈となった。で、レキシントン級はサラトガ、ヨークタウンに着艦せよとの事だったが俺は着艦の段になり油圧が逝かれたようで車輪が下りずやむ負えず駆逐艦の近くに着水し救助されたな。

そして俺はそのままヨークタウン飛行隊に編入されたのだが、はっきり言って寄せ集めの飛行隊だったよ。元のヨークタウン飛行隊の連中もいれば俺たちみたいな撃沈された空母飛行隊の連中。あと何らかの理由で流れてきたパイロットたちのあつまりだったな。

そしてミッドウェーで再び海戦がおこなわれたのだが結果は引き分けというべきかな敵の空母に損傷を与えるもわが軍が参加していた空母ヨークタウン、ホーネットが撃沈、エンタープライズ大破、サラトガも大破航行不能となったな。まあ、エンタープライズは曳航できたけれどサラトガの方は曳航不能ということで結果処分雷撃となったな。で、与えた損害として加賀、蒼龍の飛行甲板を破壊するも雷撃機はすべておとされるという始末だったよ。まあ、とてつもない巨大な戦艦が盾になっていたのにおどろいたな。

で、おれはそのまま内地に戻り妻の元帰ったわけだ。で、しばしサンディエゴで飛行教官をしていた俺だった。で、其の時に軍司令部から空母エンタープライズの戦闘機隊長として転属を命じるという命令が下った。

で、妻にそれを言うと。妻はひどくうろたえそして俺を詰ったよ。で、任務ということで俺はなだめようとしたが彼女は反対してどうにもならなかったな。そして結果的に彼女は精神的なストレスに耐えかねて俺が家を出た数日後若い男の元へと去って行ったさ。まあ、離婚届が出された以上もはやどうにもならぬということで俺は書類にサインして役場に届くように手配したわけだ。

まあ、彼女はその後どうなったのか俺は知らん。風のうわさによるとシカゴの実業家のボンと以前から浮気していたそうだ。そいつのところへと行ったということだが、だが、シカゴは45年にカナダ軍の侵攻で猛烈な市街戦により根こそぎ破壊されたと聞く以後妻のことは聞かなくなったということは多分死んだのだろうな。


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