さすがにオスマン帝国という言葉くらいは聞いたことあるけど、それ以外はまったく知りません。
が、史実に則った歴史小説みたいです。とにかく地理も地名も人名もまったく分からないぼくが読んでも、引き込まれてしまう物語世界。
正直地名と人名がごっちゃになって、訳分からない部分もあるのですが、そこはノリでカバーしました。
短編小説であり、すぐに読めてしまう割には、壮大な歴史の流れと人の運命の妙を存分に楽しめます。創作に頼らず、きちんと史実を見据えた上で小説に出来るのは凄い。安心してみ読めます。
短い時間ではありますが、ぼくの心は確実に時空を超えました。
そして、題名にもなっている羅針盤が最初から最後まで、比喩として物語の中心に据えられてるのも上手い!
羅針盤――本作ににおいてこの言葉は、実際のコンパスではなく、人の心の、そして、“北”は、物語の主人公であるサファヴィー朝の建国者、イスマーイール1世の暗喩に用いられている。
イスマーイールの美しく高潔な容姿とその精神に、周囲の人間はまるで羅針盤が北を示すかのように跪いてきた。
しかし、オスマン軍との決戦において、オスマン軍の羅針盤は“北”を示さなかった。
その挫折の一戦とその後の彼の転落を描いた短編だが、戦記物かという先入観は数話読み進めるうちに払拭され、崇高で濃密な人間ドラマであることに気づく。
敗戦が濃厚となった場面で交わされる、親友タフマースブとのやり取り。
命を賭す戦場でのやりとりだからこそ描ける、登場人物達の研ぎ澄まされた人品。
そして、タフマースブとの離別後、敵将スレイマンの登場で更に紐解かれる親友の決意。
この辺りの件(くだり)からはもう、ラストまで目頭が熱くなりっ放しだった。
ラスト、イスマーイール自身を羅針盤に例えることで作品の主題に再びスポットを当てるタイトル回収もお見事。
詩のように美しい地の文と感動的な台詞の数々で紡がれる珠玉の歴史短編!
十六世紀初頭、現在のイランの王《シャー》であったイスマーイール1世。救世主を自称する彼は、邪悪なほど美しい王だった。父の死のためにわずか十歳で王となった彼は、無敗を誇っていた。オスマン朝最高の軍事的手腕を持つとも讃えられる一方で、その冷酷さを恐れられたスルタン・セリム1世とチャルディラーンで見えるまでは。
容貌のみならず心も並外れて高潔で美しい王イスマーイール。救世主に相応しい美を己に律したがために敗北した彼と、その腹心の部下であり友人である騎士タフマースブ。そしてタフマースブの妹であり、イスマーイールの妃であるタジルー。そして「敵」であるオスマンの王子スレイマン(後の大帝です!)……。それぞれに魅力的な人物の想いが、運命が糸となって織り成されるのは、静謐で美しい結末です。
羅針盤は北を指さない。全てはこの秀逸なタイトルが示しています。しかし、物語が終焉を迎えてさえ、一瞬でもいいから針が北を向いてくれていたら……と願ってしまう。イスマーイール1世の時代から約五百年が経ち、全ては遅すぎると分かっていてもなお。これぞまさに、優れた歴史小説のみが成せる技です。
万人を統べる王たるもの、常に美しく正しくあらねばならない。
否、美しく正しき者にこそ万人は従い、彼を王と讃えるだろう。
若き王たるイスマーイールはその美しさと正しさによって、
おのずと兵民に選ばれ、救世主と崇められて歩んできた。
であればこそ、敵国との戦に当たっても厳正たらんとする。
それが彼にとって生涯最初で最大の負け戦となるのだった。
高校世界史の資料集で一際エキゾチックな魅力を放っていた
中東およびイスラーム世界を舞台とする、繊細な歴史物語。
羅針盤は北を指すものだ。指すこと能わざるならば、何故。
羅針盤とは一体何の比喩なのか。彼は王か、はたまた罪人か。
勇壮な戦装束に身を包みながらも、彼はなんとも耽美で儚い。
平時ならば羅針盤は常に北を指し続けただろうか、とも思う。
サファヴィー朝の創始者イスマーイール一世がオスマン帝国のセリム一世に破れるところから始まるこの物語。
チャルディランの戦いと言えば中東の長篠の合戦としてご存知の方も多いのではありませんでしょうか?(いや、日本国内の戦国時代の話と超大国オスマン帝国の話を並列させるなと思われるかもしれませんが、騎馬戦法が火砲に負けた転換期を示すという点ではやはり類似性を感じざるをえないですよね……)
邪悪なほどの美少年シャー・イスマーイール――しかしこの作品でのイスマーイールはただ容貌が美しいだけではない。その心持。大砲などという卑怯なものには負けない、夜襲などという卑怯な手は使わない――だがその美しさが彼を追い詰めていく。
誇り。気品。志。そして友との絆。
尊い……。うっかりクソ語彙オタクになってしまう。このイスマーイール、サイコーすぎる……。
このイスマーイールが高潔でかっこよすぎて、彼がお父さんだったら息子の方のタフマースブはあんまり苦労しなくて済むのでは!?などと楽観視してしまいますが、それはそれ、これはこれですね!(笑) この優秀そうなスレイマン、大帝の若き日々よ……おいおいこいつに勝てる気がしないぞ……。
封印されたという続編が読んでみたいです。
13C末にアナトリア高原に勃興し勢力を伸ばしたオスマン帝国。その「冷酷者」とも称されるセリム帝が、サファヴィー朝のイスマーイール1世を破ったのが、本作の背景となるチャルディラーンの戦いである。
物語は敗北者であるイスマーイール1世の独白を中心に語られ、他にも親友でありまた忠実な臣下であるタフマースブ、タフマースブの妹でもある妻、そして敵方の聡明な王子スレイマン(のちのスレイマン大帝)などが登場する。
羅針盤は北を指さない。
謎めいたタイトルではあるが、3人の人物がそれぞれに語るこの言葉、「イスラーム=神への絶対的帰依」の本質を表したものであり、それでもなお神ならぬ身で北斗星になり磁石ともなってしまった「罪人」のありようや、その磁石に引かれてしまう人間の性(さが)が、透明感のある文章で哀しみを込め描かれる。
イスラーム世界を舞台とした、芳醇さと繊細さ溢れる、珍しくも美しい一篇である。ぜひご一読を。