第11話




 完子さんの駄洒落を聞き(ちなみに今朝の洒落は「イチョウさん、私はいい調子よ。いっちょ今日もやりますか」だった)、通学通勤の人々を見送るといういつもの日課を終え、午後からやってきた権藤さんと有沙ちゃん(やはり今日も丈夫さんは完子さんに思いを伝えられなかった)が帰って間もなく、桜ちゃんは約束どおりやってきてくれた。制服姿の彼女は大きなあくびをしながら歩いてきたが、僕に気付くと誤魔化すように笑顔で手を振った。


『ありゃりゃ、眠そうだね、桜ちゃん』


『そりゃほとんど寝てないからね。うまく寝られたのは三時限目の地理の時間の時だけだったよ』


『それ、寝るための時間じゃないから。世界の国々の気候や地形、それに影響を受けて発展したそれぞれの地域の産業などを勉強するための……』


『はいはい、お説教は先生からだけで充分です。眠くて難しい説明は頭に入らないから』


 そう言った彼女は本当に眠そうでまたあくびをして僕に寄り掛かった。


『ふあー、ねむーい。龍一さんが来たら教えてね』


『立ったまま寝るのかよ』


『朝礼中に寝たこともあるから大丈夫よ。その時は支え無しだったんだから。えっへん』


『いやいや、そんなの自慢されてもね。大体そんなに都合よく龍一さんが来るわけ……』


 そう言った瞬間、僕は信じられないものを眼にしていた。


『……えっ! き、来た! マジで!? 龍一さんが本当に来たよ! 桜ちゃん!』


『ハハ、またまたー。驚かせようと思って。騙されないよ』


 確かに信じられない話だった。しかし僕は金物屋の角からひょっこり顔を出した龍一さんの姿を本当に見てしまったのだ。事実は小説より樹なり、もとい、奇なりだった。


『ホントなんだって!』


『はいはい、嘘でしょ? そんな奇跡あるわけないもん』


 桜ちゃんは目を瞑ったままで僕の話を信じてはくれなかった。僕が必死になればなるほど嘘臭く聞こえてしまうらしい。これがオオカミ少年という奴か。僕は自分のこれまでの言動を激しく後悔した。


『ねえ、マジなんだって! 行っちゃうよ? 通り過ぎちゃうよ?』


『そんなこと言って私が眼を開けた途端に「やーい、引っ掛かった」って言うんでしょ?』


『いつもなら言うかもしれないけど……、じゃなかった、今回は嘘じゃないんだって!』


『しつこいなあ。もういいって。私、ホント眠いんだよ』


 僕たちがそんなやり取りをしている間にタンクトップ姿の龍一さんは僕に寄り掛かっている桜ちゃんをちらっと一瞥して僕の横を通り過ぎていった。


 なんてこった。折角神様がこんなチャンスをくれたというのに。今、彼が行ってしまえば二度とこんな機会は与えてもらえないかもしれない。頭が真っ白になった。そして次の瞬間、僕は無我夢中で叫んでいた。


『待ってください! 龍一さん!』


 もちろん聞こえるわけはない。理性的に考えればわかっていたのだが僕は思わず彼に向かって叫んでいた。それを聞いた桜ちゃんが「えっ」と言って目を開けた。彼女が慌てて体を起こした時、同時に信じられないことが起きた。通り過ぎていったはずの龍一さんがなぜか踵を返してこちらに戻ってきたのだ。何が起きたのかわからずきょとんとしている桜ちゃんに彼は怪訝そうな表情を浮かべていた。


「今、あんた、俺の名前呼ばなかったか? 初対面だよな? どこかで会ったことある?」


「えっ!?」


『まさか、君の声が龍一さんにも聞こえたの?』


 驚く桜ちゃんだったが僕にそんなことを聞かれてもわかるはずがない。何しろ僕の方がよっぽど驚いているんだから。


『わからないよ。でもこれはチャンスだ』


『そ、そうだね。よし、任せといて』


 気を取り直した桜ちゃんはにっこりと微笑んだ。この辺の切り替えはさすがだ。


「いえ、会ったことはありませんよ」


「でも俺の名前を呼んだよね?」


「呼び止めはしましたけど名前は呼んでいません。空耳じゃないですか?」


「そ、そうか。そうだよな。それで? 俺に何か用なの?」


「これ、落としましたよ」


 そう言って桜ちゃんは右手を差し出した。そこには彼女が昨晩命懸けで取り戻したあのペンダントがあった。それを見た龍一さんの表情は明らかに変わった。


「こ、これを、俺が? い、いや、そんなはずは……」


「いえ、確かにあなたが落としたんです。私、見ていました」


「いや、でも、これを俺が持っているわけはないんだ」


「あら、身に覚えがないんですか? それとも見覚えがない?」


「見覚えはある。だってこれは俺が皐月に……、い、いや、なに言ってんだろうな? 初対面のあんたにこんなこと言ってもしょうがないのに」


「事情はよくわかりませんけど見覚えがあるなら受け取ってください」


 そう言って桜ちゃんはまたにこりと笑って右手を前に出した。その有無を言わさぬ笑顔の迫力に押されたのか、龍一さんは反射的にペンダントを受け取った。


「もう落とさないようにしてくださいね。大事なものなんでしょ?」


「あ、ああ……」


「あっ、そうだ、こんな話知っています? このイチョウの樹には願いを叶えてくれるっていう都市伝説があるんですよ」


「あ、ああ、そんな話を聞いたことはあるな」


「但し、それには条件があるって知ってました?」


「条件?」


「この樹の前では嘘を吐くことが出来ないんです」


「嘘を吐けない? そんな馬鹿な」


「本当ですよ。試してみましょうか? 質問するのでそれに答えてみてください。あなたはそのペンダントの本当の持ち主を心から愛しているんでしょう? 違いますか?」


「もちろん愛しているが……、えっ!」


「ほらね、嘘吐けなかったでしょ?」


「……おい、あんた、何者なんだ? 俺の何を知っている?」


「何も知らないですよ? 初対面だって、さっきも言ったじゃないですか。その様子だと図星を突かれたんですね? それはこの樹の力なんです」


「この樹の? そんなお伽話みたいなことが……」


「あるんですよ。私、この樹のお陰で実際願いを叶えた人、何人か知っているんです」


「……へえ。でもそういうあんたはどうなんだ?」


「私の願いはこれから叶うんです」


「これから?」


「私の願いは『この樹にお願いした人の願いがみんな叶いますように』なんです」


「なるほど。フフ、随分優しいんだな、あんた」


「だからあなたもお願い叶えてくださいね」


「俺の願い? 神頼みかい。ハハ、初詣も行かないんだぜ? 俺は」


「神社と違ってお賽銭もいらないんですよ? ただでお願いできちゃうんです」


「ただで願いが叶うか。信じられないな。うまい話には必ず裏があるものだ。世の中ってのはそういうもんだからな」


「疑い深いんですね。そんなに心配ですか?」


「そりゃそうだ。願いを叶えてやったんだから後で見返りをよこせなんて言われたらたまらないからな」


「じゃあ、こんなのはどうでしょう? 私からあなたにあるお願いをするのでそれを叶えてくれませんか? その見返りにあなたの願いが叶う、これならいいでしょう? 願い事の交換です」


「何だと? ふん、急にきな臭い話になったじゃないか。宗教か何かならごめんだぞ? 金もないし壺とか御札なら間に合っているよ」


「そんなのじゃありませんよ。私の願いはさっきも言った通り『この樹にお願いした人の願いがみんな叶いますように』なんです。でもその願いは抽象的すぎるでしょ? だから具体的な願いをひとつあなたにお願いしたいんです」


「何だ、そりゃ。まあ、聞くだけ聞いてやってもいいが」


「ありがとうございます。それじゃあ、言いますね。『今、あなたの知らない所でチームの仲間が大変なことに巻き込まれようとしているので助けてあげてください』、それが私からのお願いです」


「何だと!? それはどういう意味だ? 本当にあんた何者なんだ? 誰かに頼まれたのか?」


「頼まれてなんかいませんよ? それに私は普通の高校生です」


「嘘つけ!」


「だから、この樹の前じゃ嘘なんか吐けないんですってば」


「うっ……、で、でもそれが本当かどうか俺にはわからないじゃねえか」


「まあ、そうですよね。でも本当に信じられるものはそのペンダントが教えてくれるんじゃないでしょうか? あなたのお願いはそこにあるんでしょう?」


「俺の……、願い……?」


 そう呟いた龍一さんは自分の手に確かに存在しているペンダントを暫く見つめた。彼がそこに何を見たのかはわからなかったが、やがて彼は大きく一つ頷いた。


「……正直、何がなんだかわからねえ。だが不思議と自分がやらなくちゃいけないことはわかった気がする。しかし本当にあんた何者なんだ? 最後にそれだけ教えてくれよ。気になって眠れなくなりそうだ」


「本当に普通のどこにでもいる女子高生なんですって。羽も牙も生えていないでしょ?」


「ふっ……。アハハ、そうだな、こいつは一本取られた。じゃ、そういうことにしておいてやるか。さて、そろそろ失礼するぜ」


「はい。あなたの願い、叶うといいですね」


「ありがとう。じゃあな、これで」


 僕が初めて見るような晴れ晴れとした笑顔で左手を上げた彼は去っていった。その後ろ姿が見えなくなるまで桜ちゃんは心配そうに彼を見送っていた。


『ご苦労様、桜ちゃん。ペンダント、返せて良かったね』


『まだ返せたとは言えないよ。後は龍一さん次第だもの。……ねえ、私、ひょっとしてやばいこと頼んじゃったのかな? 彼に何かあったらどうしよう?』


『龍一さんならきっとうまくやってくれるさ。それに何かが起きてしまった後じゃ彼は余計に責任を感じてしまうと思う。これで良かったんだよ。あとは彼を信じて任せよう』


『うん、そうだよね。私も信じるよ』


 僕たちは全てがうまくいくと信じていた。


 しかしこの時の僕らはまだ「大塚」という奴の本当の恐ろしさを全くわかってはいなかった。





 あれから三日後。


 いつもと変わらない朝。


 いつもの完子さんの駄洒落。


 見覚えのある通行人たち。


 穏やかないつもの午前中。


 一転曇り出した昼の空。


 やってきた桜ちゃん。


 いつもの馬鹿話。


 笑い合う僕ら。


 突然それを引き裂いたサイレン。


 僕らを襲った言い様のない不安。


 そして雨は降り出した。


 その時に何が起こっていたのか、僕たちは後に知ることになった。





 折角やってきてくれた桜ちゃんを追い返してしまった突然の雨はその後もずっと降り続け、ようやく青空が見えたのは次の日の午後になってからだった。明るさを取り戻した街には少しずつ人通りが戻り、いつもの時間になると金物屋の角から黄色い棒のような物を持った制服姿の桜ちゃんが現れた。彼女は僕に向かって手の代わりにそれを振って見せた。


『やっほーい。昨日はすごい雨だったね。お陰でずぶ濡れになったよ』


『いきなり降ってきたもんね。ところでその派手な棒は傘だよね?』


『あっ、これ? やっぱり気になる?』


『まあね』


『よく「幼稚園児みたい」って言われちゃうんだよね。私は黄色が好きだから使っているだけなんだけどな。そんなにおかしい?』


 彼女が黄色い傘の花を咲かせながら雨の中を歩いて姿を想像してみる。


 ……なるほど。


『おかしいっていうか、可愛いね。撫で撫でしてあげたくなるよ』


『あー、やっぱり子供っぽいって思ったでしょ? ひどーい』


 いつものようなやり取り。昨日と同じような展開。しかしその会話を中断させたのは昨日のような雨ではなく思わぬ訪問者だった。その姿が印鑑屋の向こうから現れた時、僕は思わず声を上げていた。


『あっ、皐月さん!』


『皐月さん? え、どこ、どこ?』


『印鑑屋さんの方からだよ。水色のシャツにグレーのパンツの女性』


『ああ、あの人か。うわあ、綺麗な人ね。ひょっとして君に用があるのかな? 私、邪魔にならないようにどこかへ行った方がいいかもしれないね』


 そう言った桜ちゃんは僕の側から離れようと歩き出したのだが、そこへ意外な言葉を掛けたのは他ならぬ皐月さんだった。


「あっ、ちょっと待って! あなた、ひょっとしてペンダントを拾ってくれた人じゃない?」


「えっ、あ、あの……」


「あっ、ごめんなさい。いきなりそんなこと言われてもびっくりするわよね? でもあなたを見掛けた瞬間に『あっ、この人だ!』って思っちゃったの。ねえ、そうなんでしょ?」


「……はい。よくわかりましたね。私のことは彼氏さんから聞いたんですか?」


「うん。不思議な女の子からこれを受け取ったって話してくれたの。正直どんなオカルトじみた女の子なんだろうって不安だったんだけど普通の女の子で良かったわ」


 皐月さんはそう言ってにこりと笑い、言われた桜ちゃんは苦笑いを浮かべた。


『イメージ壊しちゃったかもね。いのりさんに代わってもらえば良かったかな?』


『えー、そんなのごめんだよ。僕に釘を刺そうとした奴なんだぜ?』


『アハハ、そうだったね。それにしても皐月さん、私に何か用なのかな?』


 僕たちの声は皐月さんには聞こえていないはずだったが彼女は何かを察したようだった。


「今日はね、報告に来たの。色々あったから何から話せばいいか、自分でもまだ整理ができていないんだけど。でもそうしなくちゃいけない気がして……」


「あの、ひょっとして彼氏さんに何かあったんですか?」


「……うん、ちょっとね。できるだけ最初から順序良く話してみるわ。あなたからペンダントを受け取った次の日、彼、龍一はチームの仲間に会いに行ったそうよ。あなたと話をしてチームのリーダーである大塚が良からぬことを企んでいるって確信したみたい。あなたがいったい何を知っていたのか、なぜそれを知っていたのか、とても不思議だけど、それは今聞かないことにする。彼も詮索する気はないみたいだったしね」


「……ごめんなさい。本当なら詳しく説明してあげたいんですけど」


「謝らなくてもいいのよ。色々事情があるんでしょう? 気にしないで」


「はい」


「うん、じゃあ話を続けるね。彼は翔君と健君っていう二人の後輩に詰め寄ったの。『俺に隠していることはないか?』って。だいぶ口は固かったらしいけど結局二人は教えてくれたみたい。『大塚さんがコンビニ強盗を計画している』という話をね。それを聞いた彼は急いで大塚の所に行ったの。馬鹿なことは止めるように説得したらしいけど大塚は全く耳を貸す様子がなくて逆に何発か殴られて話し合いはそれでお終いになった。大塚が一度言い出したら絶対引かない奴だっていうことは龍一もよく知っていたからもう残された方法は一つしかなかったのよ」


「龍一さんは何をしたんですか?」


「警察に行ったのよ。自分のチームがこんな計画をしているって。タレコミって奴ね」


「警察に自ら? でもそんなことしたら……」


「うん、それは覚悟の上よ。匿名で電話しようかとも思ったらしいけど、それだといたずらだと思われて信用してもらえない恐れがあったから。彼、やんちゃしていた時に知り合った顔見知りの刑事さんがいてね。その人に全部話したみたい」


「それでどうなったんですか?」


「警察がチームの溜まり場になっている場所へ踏み込んだそうよ」


「じゃあ、みんな逮捕されたんですか?」


「そんなにうまくはいかなかったの。大塚って奴は頭が良くて龍一が計画を止めるように直訴に行った段階で彼が警察に行く事まで予想していたみたい。だから強盗を計画していると思わせるような証拠は出て来なかったそうよ。ナイフを持っていた数人は逮捕されたらしいけど大塚本人は何のお咎めもなかったって」


「そんな、じゃあ、龍一さんの訴えは無駄になっちゃったんですか?」


「無駄じゃないよ。これからは警察だって眼を光らせているわけだから強盗なんて馬鹿なことはさすがの大塚だってもうできなくなったはずだもの。……ただね、やっぱり彼に逆らった代償は大きかったの」


「えっ、それって、まさか……」


「昨日の夕方、この近くで龍一は何者かに襲われて病院に運ばれたわ」


 僕は反射的に昨日のサイレンを思い出していた。それは桜ちゃんも同じようだった。


「彼ね、誰にやられたか、警察にも全然喋らないんだけど『もう、チームは抜けたから心配するな』ってそれだけ私に言ってくれた。彼だけじゃなくて翔君と健君、他にも何人かが一緒に辞めたんだって。たぶん龍一は自分だけじゃなくて一緒にチームを抜ける決断をした仲間全員の責任を一人で取ったんだと思う」


「そんな……。わ、私のせいだ。ごめんなさい!」


 そう言うと責任を感じた様子の桜ちゃんは俯いたまま震え出した。それは僕も同じだった。


「それは違うよ。彼は自分でけじめを付けただけ。あなたがいなかったらそれすら出来無かったと思う。自分の仲間が事件を起こしたことに深く傷付いて絶望していたに違いない。ありがとう、あなたのお陰で龍一が私の所に帰ってきてくれた」


「それはあなたが信じて待っていたからです。それで、あの、怪我ってひどいんですか?」


「手酷くやられたみたいね。体中アザだらけだし右腕骨折だって。ああ、それで、あいつさ、右手が利き腕だからご飯が一人で食べられないとか、あの風貌のくせに駄々こねるのよ。でかい割に甘えんぼなんだから。意外と可愛いでしょ?」


 明るく話してくれる皐月さん。そのお陰で桜ちゃんは少し表情がほころんだ。


「あら……、アハハ、そうですね」


「まあ、そんなわけで結構楽しくやっているから心配しないでね」


「はい。わざわざ来てくださってありがとうございます」


「うん。……そうだ、大事なこと忘れるところだった。一つだけ彼から伝言があるの。『大塚に気を付けろ。あいつは知っているぞ』って」


「知っている? それってどういう意味なんですか?」


「龍一が大塚を説得に行った時にね、あいつが言ったそうなの。『薬局前のアイツに誑かされたのか。この裏切り者め』って」


「えっ!」


「どうしてあいつがそのことを知っていたのかわからないけど充分に気を付けてね。私たちはもうあいつに関わるつもりもないけど龍一たちがチームを抜けたことであなたたちを逆恨みしてくるかもしれないし」


「わ、わかりました。気をつけます」


「……あらっ、今、私、『あなたたち』って言ったわよね?」


「あっ、そういえば……」


「おかしいな? あなた一人しかいないのにね。なんでそんな風に言っちゃったんだろう? でもふとそんな気がしたんだよね」


『君の存在を感じ取ってくれたのかもね』


 桜ちゃんはそう言ったがそうなのだろうか? そうだったらちょっと嬉しい。


「じゃあ、私はこれで。もうここに来ることはないと思う。これからは神頼みじゃなくて二人の力を合わせて何とかやっていくつもりよ。うまくいくかはわからないけど」


「あの、龍一さんにも言ったんですけど、私、このイチョウにお願いした人の願いがみんな叶うように祈っているんです。だから大丈夫です」


「ありがとう。フフ、最初に普通の女の子って言ったけど話してみたらやっぱり不思議な女の子だったかも」


「えへへ、これも龍一さんに言ったことですけど、羽も牙も生えていない普通の女の子ですよ?」


「アハ、そうね。そういうことにしておこうかな? じゃあね、お元気で。気を付けてね」


「はい。皐月さんもお元気で」


 皐月さんは軽く桜ちゃんに向かって頭を下げると今度は僕の方をチラッと見て同じように頭を下げてくれた。言葉は通じなくてもそれで充分だった。彼女の後ろ姿を見ながら僕も願った。もう彼女がここに来る必要がありませんようにと。僕がそんな感慨に耽る中でいつの間にか桜ちゃんは僕に寄り掛かっていた。


『龍一さんと皐月さんには幸せになってほしいな』


『そうだね。これで僕らの役目は本当に終わったんだ。あとは二人次第だよ』


『うん。それでさ、どう思う? 大塚って奴は何を考えているんだろう?』


『わからないな。でも桜ちゃんは暫くここに来ない方が安全かもしれない』


『えっ、私に逃げろって言うの? 人が多い時間なら大丈夫でしょ? 私、そいつに会ってみたいの』


『あ、危ないよ! 今、龍一さんがやられた話を聞いたばかりだろ? 怖くないの?』


『確かに怖い。でも会ってもみないで避けるっていうのもね。どんなに乱暴で無茶苦茶な奴でも言い分はあるんだから。実際会って話してみないと』


『そりゃそうかもしれないけど龍一さんの件は解決したわけだし避けられるのならわざわざトラブルにすることはないでしょ?』


『それはそうなんだけど……』


 なんだろう? 桜ちゃんはどうも歯切れが悪かった。まるで大塚って奴と会いたがっているようにさえ思えた。僕はなぜか少し変な気分になった。


『何だよ、桜ちゃんを心配しているのに! とにかく危ないから暫くここには来るな! いいね? わかった?』


 つい口調が荒くなっていた。その時やっと自分の抱いている感情が嫉妬だということに僕は気付いた。しまったと思った時にはすでに遅く桜ちゃんの表情が変わっていた。


『ちょっと、何よ、その言い方! わかった、来なきゃいいんでしょ? 頼まれても来ませんよ!』


 怒った桜ちゃんはあかんべえをして帰っていった。僕は何も声を掛けられないまま、それを見送った。


 やり方はまずかったがこれで良いような気がした。大塚という奴はただの乱暴者というだけでなく得体が知れないところがある。僕の直感が彼と桜ちゃんを会わせるべきではないと告げていた。出来る事なら僕だって会いたくないくらいだ。しかしやはり僕の直感がいつか僕は彼と会わなければならない運命であると囁いていた。






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