第2話
「♪~♪~」
朝食の後、アルヴァタールが鼻歌を歌いながら掃除機を掛け始めた。
少し前にヤクザを追い払ったギンジロウはソファに座り、神に祈るように手を組んでその上に額を乗せている。難しい顔で瞳を閉じ何か考えているようだ。
テレビCMが幾つか流れ、その片目がゆっくりと見開かれた。
「逃げるぞ。荷物を纏めろ」
ギンジロウの表情はいつになく深刻だ。
───ところで、フェイル2は朝は絶対に起きてこない。絶対だ。
動物のように寝たいだけ寝て起きたい時に起きる。食いたい時に食う。
何をしても一向に改善されない生活サイクルはギンジロウを諦めの境地へと至らせ、朝食の時間にフェイル2を起こしに行くのが日課になっていた。
その日もまた、彼女を起こしに与えた部屋(といってもウォークインクローゼット)へ向かった所。
正直、ギンジロウは白目をむいて倒れそうになった。
自宅のウォークインクローゼットが一夜の内に武器庫になっていたのだ。
それもそこらの武器屋レベルじゃない。
企業から横流しされた様な、えげつない非人道的兵器が無数に。
ギンジロウはフェイル2を叩き起こして問い詰め、そしてもう一度倒れそうになった。
ヤクザ事務所に殴り込んだだと。
「何処の者か尋ねられました」
しかもご丁寧にどこから来たかを丁重に答えただと。
どの組へ乗り込んだかジャージの襟を掴んでガクガク揺らしながら更に問い詰めたがフェイル2からは。
「貧困者相互扶助会です」
とかなんでもなさ気に曰ったのだ。
ギンジロウは一瞬目の前が真っ白になりガクリと跪いた。
貧困者相互扶助会。
日本列島のヤクザ界を二分する巨頭の一つだ。
殺し、暴力、地上げ、金貸し、密売、ギャンブル、売春、火事親父。
カネになることならなんでもやる。1円元になるなら親も殺す。
その資金力は小国の国家予算に相当するという。
幾多居るサイコパスインテリヤクザの献上金による莫大な資金力。
さらに倫理観を完全に無視した無数のクローンテッポー弾を従えるこのヤクザグループは、数々の
元は貧民者が膨大な企業の内部保留を分配させることを目的に集まった義勇団だったようだが、既に当初の目的は手段となっており。
暴力、知力、資金力の三馬力で動くこの巨大組織は幾多の人間を押し潰す巨大戦艦と成り果てた。
”貧困者相互扶助会に逆らった者にはキノコ雲が浮かぶ”
これが巷の幼稚園児すら知っている風説である───。
「おい!クソガキ!なんだその糞でかい荷物は!」
「はい。
「馬鹿野郎!どこに戦争に行く気だ!このケースに入るだけに………。いや、全部もってこい!車に積み込むぞ!」
とにかく持てるだけのものを全てボロボロのワンボックスカーに積み込んで、アパートメントの地下駐車場から飛び出した。
街の空にぶちまけたスパゲッティの如く広がる
ヤクザ事務所から拝借した武器を詰めるだけ積んだオンボロカーは老人のマラソンランナーみたいなエンジン音を上げているが、構うものかとアクセルペダルを全部踏み込んだ。
どうする?ワビを入れるか?
駄目だケジメを付けられる未来しか見えねぇ。
ほとぼりが冷めるまで逃げる?何処に?
最悪アルヴァタールの故郷に行く羽目になるかもしれないな。
ギンジロウはそう考えながら後部座席のアルヴァタールをバックミラーで見た。
ついでにアパートメントの方角から立ち上るキノコ雲も見えた。
遅れてやって来る衝撃と音がビリビリと車を揺らし、ギンジロウの額から一筋の冷や汗が零れる。
「俺の家財が……」
赤信号で止まり、頭を抱えて呻くギンジロウ。
「問題ありません。必要火力は確保されました」
「ぬぐぁあぁあああ」
後部座席でバターを齧りながら、何も問題無いとばかりにフェイル2が答えた。
「馬鹿野郎が!火力でメシは食えねェーんだよ!!それと銀紙を車内に捨てるな!」
「ダイジョブダイジョブ。家なくても、公園でメシくれるヒト居ますよ。ワタシも貰いました」
「そりゃ慈善団体のホームレス支援だろうが!俺はなぁ、エアコンの効いた部屋も柔らかいベッドも要るんだよ!」
わなわなとする心を落ち着けようと胸ポケットから取り出して口に咥え、車のドアポケットを漁りライターを探す。無い。
「くそ。吸いたいときに見つからねぇ」
レシート、キャバクラでもらった名刺、9ミリパラベラム、ストロー、ワリバシをハンドル片手に必死にかき分ける中。
"pew"
アルヴァタールが気を利かせて火を付けてくれたのか。唐突に燻ったタバコをふかす。
「おう。たまには気が利くじゃねぇか」
「違う!ギンジロ!3時!3時!」
「あ~ん?まだ10時はおおおおおおおおおおお!?」
ギンジロウの眼前を光の線が横切った。
光線は右ドアと左ドアのガラスに茹で上がったスパゲッティ麺みたいな穴を綺麗に空けて霧散。
発射元はいつの間にか隣に付いていた黒いセダン。ドアガラスの開いた助手席にはサングラスをつけたスーツ姿の男がメカメカしいレンズの付いた銃をこちらに向けている。
レーザーピストルだ。
反射的に
めちゃくちゃな運転に鳴り響く抗議のクラクション。
知ったことかとばかりに逆走して交差点を斜めに横断し、元の車線へと割り込む。
後方では玉突き事故が起こり追手の白いセダンが立ち往生を食らっている。
だが依然として油断はできない。
そこらの細路地から出てきた車が、或いは停車していた車両が動き出しギンジロウの行く手を阻む。
「どけどけどけ!」
窓から片手を出してやたらめったらにオートマチック銃を乱射。
弾丸は立ち並ぶコンクリート造りの建物に命中し、無数の歩行者が悲鳴を上げて逃げ去った。
面倒事は御免と左右に割れていく車の列にギンジロウは構わず自分の車をねじ込み、目についた
膨大な人的物量を持つヤクザ共から逃げるには複雑怪奇に張り巡らされたこの
ミルフィーユみたいに重なった道路はヘリ コプターみたいな上空からの目を遮り、神出鬼没な高速出口、分岐路、廃サービスエリア。まさに人工ジャングル。
"Bratatat! Bratatat!"
背後から迫る黒塗りセダン達からマシンガンが連射される。
車の屋根に取り付けられたスピーカーからは和太鼓の音が轟いた。
手出し無用の合図だ。貧困者相互扶助会の。
放たれた弾丸は助手席を通り過ぎ、フロントガラスを貫通した。
視界がガラスに入った罅で真っ白になる。
「うおおおお!前が見えっねぇ!アルヴァタール!」
『遥か紺碧の光より空を泳ぐ金色のトゥールトゥール!鰭から溢れた風を貸せ!』
アルヴァタールが何事か呟き、その掌から光が散る。
"Bratatat! Bratatat!"
再び行われた掃射はギンジロウ達の乗るオンボロ車をスクラップにすると思われたが、驚くことに銃弾は不自然に逸れた。
逸れた弾丸が回りを走る無関係の車に命中しスピン。周りの車両を巻き込んで大クラッシュ。
アルヴァタールが弾除けのまじないで弾丸を反らしたのだ。
僅かな時間ではあるが、強力な風圧で銃弾を逸らすことが出来る。
ギンジロウはオートマチック銃のグリップをフロントガラス叩きつけ粉々に砕いた。
一気に風通しが良くなり車内のゴミがばたばたと舞う。
「提案」
「なんだぁ!?」
「1981年10月3日から1981年10月6日まで、第3カナサキサービスエリアにて世界の肉食展が開催されています」
「それがどうした!」
「今日は1981年10月6日です。第3カナサキサービスエリアへの立ち寄りを提案します」
「そんな事よりも応戦しろ!後ろにしこたま積んである武器を使ってよォ!」
"Bratatat! Bratatat!"
オンボロ車のボディに風穴が無数に空いた。
並走してきた黒塗りセダンに体当り。火花が散る。
「いいえ。あなたにフェイル2の戦闘指示権限は付与されていません 。第3カナサキサービスエリアへは32キロメートル先の分岐を左です」
ミラー越しに見たフェイル2の瞳。じっとギンジロウの瞳を見ている。
本気だ。こうなればテコでも動くまい。
ギンジロウはハンドルを回しながら考えた。
コイツは拒否すれば今にでも車両から飛び出て行くだろう。
あるいは有り余った腕力でこちらの考えを首ごと捻じ曲げに来る。
ガキに腕力で屈服されるって、どんな気持ちか分かるか?
まるで
しかし今はマズイ。
今を逃げ切るにはクソガキの手も欲しい!
「分かった!分かった!だがその前に追手を何とかしなきゃ行けねぇ!だからお前は後ろのヤクザ共を何とかしろ。その代わり俺は第3カナサキサービスエリアに寄ってやる!どうだ!」
フェイル2は一瞬考え、後部シートを倒してごそごそと荷室へ向かった。
しばらくしてバリバリと銃声が鳴り響く。
ヘビーマシンガンだ。
弾丸がベルトで供給されてもりもりと排莢されたカラが溜まっていく。
幸か不幸か、ギンジロウは本人の意思に反してフェイル2の使い方がうまくなっていた。
主に提案を彼女の欲望に沿わせる形で進めればプロテクトを解除できる。
彼女のご自慢の機密情報を守る判断思考とやらはずいぶんフレキシビリティに溢れていた。
要はアメとアメで制御するのだ。 とんだ欠陥品だ。
「殺すなよ!タイヤを撃て!ヤクザを殺すと後が厄介だ!」
アルヴァタールが弾丸を反らし、フェイル2が順調にヤクザを討ち取っていく。
5車線のうねる急カーブ。唐突に両脇の車線が消えて1道になる。
急ブレーキをした黒セダンに後続が次々とぶつかって道を塞いだ。
直角みたいなカーブの途中で現れる神出鬼没の車線減少だ。
その中をオンボロワンボックスカーが車両の合間を縫って飛び出した。
ギンジロウの指が自主規制の形状を象る。
「地元民を舐めるなよ!このままトンズラするぞ!」
「やた!ギンジロ!」
急カーブが明ける。
次に現れたのは道路の合流地点。
様々な車両がギンジロウ達の走る本線に合流してくる。
だが忘れてはいけない。
ヤクザ家業も地元密着型だという事を。
"drumming!! drumming!!"
和太鼓の音が鳴り響く。
追手をまいて勝利ムードだったギンジロウとアルヴァタールの顔が階段を転げ落ちるみたいに曇っていった。
一般車両をかき分けて黒塗りのピースメーカーが二台。分離帯を隔ててオンボロワンボックスカーに並ぶ。
緻密な開発設計の末生まれた流線型のフォルムに市街走行のみを考えたエアタイヤ。高い機動性と
ラクライラ社のレムレス。その基本性能は雷電プラスとは比較にならない。
入れ墨みたいに東洋のドラゴンと富士山が両腕にペイントされたレムレスのモノアイがギンジロウ達を捉える。
「オンドリャー!ヨウナメテクレテッテッタラー!!」
「二度と飯食えん体にしたったるからのォー!」
”BLAAAAAAAAM!!!!”
2機のレムレスから巻き舌のかかった叫び声が発せられ、天に向かってライフル弾が連射される。
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