第4話
アルヴァタールの指示で右往左往しながらも進んで行くと、下水道の中央部。全ての汚水が集まる処理施設へと辿り着いた。
円筒状の巨大な空間には中心に巨大な穴がぽっかりと開いており、底の見えない真っ暗なその穴めがけて壁に空いた幾つもの門から不咲区のあらゆる汚濁が流れ込んで来る。その穴を落ちた先でナノマシンにより残りの不純物は取り除かれ、純粋なH2Oのみが取り出されるのだ。
もし穴へ落ちたら命は無いだろう。
その原始的な恐怖がギンジロウの心をざわつかせ、腹の底が浮くような感覚を覚えさせた。
大量の水の流れ落ちる音はもはや轟音と化してアルヴァタールやフェイル2の肌を震わせる。
「アルヴァタール!おい!聞こえるか!」
ギンジロウの問いかけにボソボソと何か帰ってくる。アルヴァタールは難しい顔で忙しなく痕跡を辿っているようだ。
だが緑のゲルがとれほど特徴的な気配持っていようと、大量に流れる汚水の奔流に流されてしまっている様だった。
ギンジロウ達は気づかない。轟音と汚水に紛れて忍び寄る影に。ペタペタとコンクリートの床を探りながら蛇の様に迫る一本の青紫の触手は徐々にフェイル2へと近づき、脊椎反射じみたスピードで彼女の足に巻きついた。
一気に引きずり倒し、一瞬で汚水の中へと引き込まれるフェイル2。
その一端を雷電プラスのサブカメラが捉えていたが後の祭り。
「アルヴァタール!!ガキがやられた!」
それを聞いたアルヴァタールの反応は早く汚水奔流に飛び込もうとし、それをギンジロウは引き止めた。
「馬鹿野郎!あんなとこ飛び込んだら魚でも生きてられねぇよ!」
「でも!」
「でももへちまもねぇ!!クソ!マジかよ!クソ!あのゲロの中に!修理したばっかだぞ!ええい!疫病神のカギめ!」
雷電プラスが正に恐る恐るといった感じで動き出し、つま先から汚濁へと浸かった。アルヴァタールが肩へと飛び乗る。
町一つ分の汚水は数十トンある雷電プラスをグラつかせ。オートバランサーが全力稼働し演算装置の負荷が一気に高まる。ギンジロウは操縦桿をにぎる両手とペダルを踏む両足に全神経を集中させた。
「サーモくれ」
途端にカメラ映像の一部が虹色の斑になり濁流の中の熱源を捉えた。藻掻く赤い影はフェイル2。そして彼女に絡みつくように複数の青い影が瘤のような塊から伸びている。
アーマーグラインダーの先端が高速回転して金切り音を上げ、患者へメスを入れるような慎重さでギンジロウは青い瘤へと刃を差し込んだ。
回転する円盤状の刃は盛大に汚水を飛び散らせ。
"こぶ"をたしかに切り刻む感触。
青と赤の絡まりが解けフェイル2が水面から顔を出した。
「taaren vuum leewin egrng wand deen dueech beeem reeet faneet deear dir keen et macheen eeche sinden atvun deer aread 」
アルヴァタールが叫び握りしめた腐葉土が光の粒と消え、流されるフェイル2の先に一瞬にして木を生やす。
コンクリートにヒビを入れるほど力強く根を張った木は、水の流れを遮るように10メートルほど成長し桟橋のようになった。
フェイル2が木の上へとよじ登り安堵するアルヴァタールだが、彼女は油断無く太腿からプラズマブレードの柄を取り構えた。
紫電が迸り、一瞬で刃渡り七十センチほどの超高熱の刃が作り出される。
「おい!糞ガキ!お前のお友達は俺がメチャクチャにすり潰してやったぞ!早くこんなクソでかいドブから出るぞ!」
ギンジロウが木を伝って通路へと戻るよう促したがフェイル2はじっと流れる汚水を見つめている。
水面が蠢く。
水柱を立て水面から飛び出てきた幾つもの触手が、フェイル2を覆い囲むように襲いかかる!
プラズマブレードで何本かを焼き切り後方に飛ぶフェイル2。だが恐るべき事に触手の切断面が泡立ち、新たな触手が幾つも生み出された。そのスピードは切られた触手が水面に落ちるよりも早く、まさに瞬きの間。
フェイル2に追い縋る触手が彼女に絡みつくすんでのところで、風を切って振られたアーマーグラインダーによって宙にばらまかれたが、それもつかの間。触手は即座に再生、増殖する。そこにアルヴァタールのまじないで生み出された炎の奔流が命中し触手をボロボロに炭化するまで焼き尽くした。炎の壁を突き破り炭化しながらもなお再生しフェイル2へ追い縋る。
恐るべき執念と殺意。
まどろっこしくなったギンジロウは熱源探知で映し出された水中の青い瘤目掛けてアーマーグラインダーを再度突き入れた。
青い血潮が飛び散り水面に汚い模様を描く。水面がひときわ大きく盛り上がり、アーマーグラインダーに絡みついた本体が雷電プラスによって持ち上げられた。
全身が毒々しい青紫の斑に包まれ、タコの頭のような袋状の本体からヒトデの様な触手が無数に伸びている。触手の生え際の中心には幾つも連なった鋭い牙。瞳はなく、原始的。歪なクラゲの様にも見える。
異形の怪物はまるでイルカのような甲高い叫び声を上げ、アーマーグラインダーに自ら飛び込み自傷する。
いや、傷ついた所から湧き上がるように再生し拡大しているのだ。
既に元より三倍は巨大になった化物は雷電プラスに絡まりつき締め上げ始めた。
雷電プラスのエンジンが唸り、絡みついた触手をむしる。
異色の鮮血が迸り、黒鉄を染め上げるがイタチごっこだ。
いや、このまま行けば化物に雷電プラスは押し潰されるだろう。既に化物のサイズは雷電プラスと拮抗していた。
ギンジロウはこの闘いで化物は傷を負わせれば負わせるほど巨大になっていく事を見抜いたが、違和感にも気付いていた。
既に元あった化物程度、全てすり潰すほどの損傷を与えているのだ。本来であればオーバーキル。しかし化物はどんどん巨大化する始末。
「おい!どうなってやがる!どう考えてもおかしいだろうよ!元のサイズより大きくなってんぞ!」
「だめ、全然弱まらない。こんな獣、最初だよ!」
「糞ガキィィィィ!どうなってる!!」
「機密事項です」
「バカヤロォォォォ!共倒れだぞこのままじゃ!」
雷電プラスが化物と押し合いへし合い。
「アルヴァタール!アルヴァターール!水揚げするぞ!」
「ういさ!」
雷電プラスの肩にしがみついていたアルヴァタールの手から触媒が消え去り、指先で化物に触れたと思うと、途端に雷電プラスに掛かっていた負荷が軽くなった。雷電プラスのパワーが上がったのではない。化物の重量ががくりと減ったのだ。
軽くなった化物を背負投げの要領でアーマーグラインダーごと通路へと投げ捨て。
「エンリコ99寄越せ!」
雷電プラスの背面にマウントされていたアサルトライフルが瞬時に跳ね出され、アーマーグラインダーを投げ捨てて空いた右手で取られる。
汚水の中を移動しながらも迸るマズルフラッシュ。
フランジブル弾が雨霰の様に化物へ降り注ぐが、所詮金属粉を押し固めた弾頭だ。巨大化した化物にはさしてダメージを与えられず粉々に砕け散ってしまう。
「次!CAB!」
アサルトライフルを投げ捨ててコンクリートの通路に踏み込む。
同時に雷電プラスから飛び退き地面に着地するアルヴァタール。
胸部のストレージから現れた柄を抜き払うと漆黒のカーボン製刀身を持ったナイフ。
それを手に駆け出し、投げつけられた衝撃で動きが鈍った化物へと組み付いた。
ナイフを突き立て急所を探し抉る。更に抉る。"中身"が飛び出て鮮血が吹き出し、雷電プラスが血に濡れていく。
痛みは感じているのだろうか、化物は気味の悪い叫びを轟かせた。呼応するように傷口から肉が溢れかえり、爆発的に再生し更に巨大化する化物。
既に雷電プラスよりも幾まわりか大きくなり、サイズ差のアドバンテージは失われた。
絡みつく触手を引き千切ろうと手を掛けるが、木の幹程も太くなったそれは逆に雷電プラスの腕を軋ませた。
過負荷に警告音が鳴り響き、モニタに表示された雷電プラスの3Dモデルの左腕が赤く明滅する。
アルヴァタールが風を投げつけギンジロウを助けようとしたが、触手を切断するほどの威力は出せずより化物を強くするばかりだ。
「ジャリガキィィ!弱点はねーのか!コイツによオオォォ!」
「機密事項です」
数十本まで増えた触手の一部を軽業師の様にプラズマブレードを振るい、飛び跳ねながら躱しフェイル2は無情に答えた。
「このままじゃコイツが!積み重なったクソほど大きくなって!諸共お陀仏だぞ!」
化物の熱烈な抱擁を全力で拒否しながらギンジロウは叫んだ。
「ギンジロ!逃げたもう!」
一本釣りみたいに木刀に絡みついてきた触手と格闘しながらアルヴァタール。フェイル2は懲りずに切っては再生し切っては再生しを繰り返して戦況を悪化させていた。
「この状況でどうやって逃げんだこのスカタン!糞ガキも攻撃止めろ!もう雷電プラスで抑え込めんくなるぞ!」
「いいえ。フェイルシリーズの殲滅は当個体の至上命令として登録されています」
「猪かお前は!!」
言い合いしている間。ついに雷電プラスの左腕が限界を迎え、鉄柱が曲がる様な金属の歪み音を響かせながらひしゃげた。
「あああぁァァ!!もぉおおオォ!!お前!"お前は何をどうしたい"んだヨォォ!」
修理帰りの雷電プラスが壊れ、ギンジロウは頭を両手で掻きむしりたかったがなんとか堪えた。操縦桿から手を放したら次は右手の番だからだ。
「はい。フェイル28のOUTR器官の位置を走査、後に殲滅モードによる最大火力で対象を破壊します。その為に対象に接近する必要があります」
「糞ガキが!お前は確かに失敗作だよ!!」
ギンジロウは雷電プラスに搭載された探知装置。音響探知や熱源探知をフルに稼働させ化物を走査。だが見えるのは混迷を極めた色彩。
「解らねえ!怪しい所だらけじゃねえか!アルヴァタール!何か見えるか!」
アルヴァタールが指で輪っかをつくり、そこを覗き込んだ。彼曰く"星の光に照らされて見えるもの"を見ていると言う。ギンジロウには理解不能な概念だったが、時に分厚いコンクリートの壁の向こうや、遥か遠くのもの。"目に見えるものが見えず、見えないものが見える"。そして目に見えるものが見えない。
「ある!真っ暗!何も無いところ!」
「場所を教えろ!」
ギンジロウに応えるように、アルヴァタールが全て石で出来た鏃のようなナイフを投げた。一筋の印が化物に突き立つ。
「真っ直ぐに!」
ギンジロウがアクセルを蹴飛ばした。雷電プラスから噴出する排気に炎が混じり、爆発的な高熱の帯が作り出される。
ガタガタ揺れる操縦席内では過負荷に対する警告音が鳴り響き、メーター類の針が忙しなく振れて、ジリジリと化物に押されていた雷電プラスが押し返した。
押されれば押し返すのが道理。
化物がすべての力を雷電プラスへと注ぐ。
フェイル2やアルヴァタールへ費やしていた触手もすべて雷電プラスへ殺到し、肉の奔流とでも言うべき質量に飲み込まれた。
「やれ!」
「フェイル28の抹消を提案します。敵対存在の
プラズマブレードの光が溢れ返り、刀身が小柄なフェイル2の数倍にまで伸びた。
フェイル2が駆ける。
無防備なフェイル28へ向かって。
扱いきれなくなった刀身はコンクリートの地面をやすやすと切り裂きながら軌跡を描いた。
そして十分な速度が乗ったところで、アルヴァタールが付けた印まで一直線に跳躍し、今や家屋ほども大きくなったフェイル28へプラズマブレードを突き出した。
プラズマブレードか更に伸び、フェイル28の体内を突き進んだ刀身が反対側から飛び出る。串刺しだ。
しかしこの程度では致命傷にもならないだろう。
急所を潰さねば。
フェイル28が触手を繰り出す。
無限に再生する化物からすれば血を吸いに来た虫を潰す程度の気分だろうが、この虫は致死の針を持っている。
振り落とされないようにフェイル2が空いた左手で抜き手を繰り出し、肘関節ほどまで化物の肉へと突き入れた。
そしてぶら下がったまま右手でプラズマブレードを捻り、抉り、回した。
フェイル28のOUTR器官を探しているのだ。
時間にして数秒。
飛び出た剣先が複雑模様を描き、フェイル28がびくりと一度震え活動を停止した。
※※※
「で、いつ出てくのかね」
迷惑そうに、カウンター席を占拠しているギンジロウを見下ろしたのはこのバーの店主であるミドリコ。
「うーん、あと3日」
「あんた。昨日もその前も同じ事いってたじゃあないか」
「仕方ねーだろ……。雷電プラスがまた修理行きになっちまったんだから……」
カウンターでうつ伏せになったギンジロウが起き上がりもせずに答えた。その息は昼間だというのに酒臭い。
「ちょっと!また昼間っから酒をのんで!」
ゆさゆさとギンジロウの肩を揺さぶるが。
「うっせーババァ……。自分で注いでんだから良いだろうがよ……」
そう言って夢の国へ旅立とうとするギンジロウは、アルコール度数だけが高い安酒を己の口に注いだ。脳が痺れて多幸感が彼を包み込み、己を襲う様々な悩み事が溶けて消えた。
フェイル2の事や、下水道の修繕費(化物との戦いで破損させた分だ。監視カメラで証拠はバッチリ)減ったと思ったら増えた借金。整備屋に出戻りした雷電プラス。
現実が自分から遠ざかってゆく……。
へらへらと笑いだしたギンジロウを見てミドリコは溜息をつくと、バーカウンター奥にある棚からボトルを取り出してギンジロウが飲み干してしまったグラスに酒を注いだ。
ついでに机に伏したギンジロウにブランケットをかけてやり。
「全く、母性本能ってやつかね。いつまでもボーヤなんだから」
バーカウンターに片肘をついてギンジロウを見つめるミドリコの、その視線は優しかった。
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