『死者、インゴルヌカにて』や『人でなしジュイキンの心臓』等、作者の方の作品は世の理から外れてしまった存在についてのテーマで通底していることが多いようです(傷病者、ゾンビ、幽霊etc)。
そして今作でフィーチャーされているのは「仙人」。不老不死となり数多の異能を操る超越者。人間の矮小な情緒から解き放たれる一方、永い時の中で正気を保つために自分の心の拠り所である大事之物(だいじなもの)を抱える。この設定が本作の核であったように思います。
途方もないスケールの仙術や武技が飛び交うアクションが描かれる中で、ドラマの軸はあくまでも登場人物達の個人的な執着や生活の段取りに収まっている。それ故の「家族ごっこ」というキャッチコピー。とはいえやはりメインキャラが誰も普通の倫理道徳をぶっちぎっているので、常にバイオレンスでアモラルな香り漂う無二の物語になっていました。
個人的には「従冥入冥」編がお気に入りでした。「戸籍作りのために冥府に行く」という本作らしいマクロとミクロの振れ幅、そして冥界の幻想的な情景描写の美しさが際立っていました。
終盤のえぐいはずだけれど爽快なある人物の目的遂行からのたまらなく多幸感あふれるラストシーン。最後までアウトローな幸せを貫いた家族譚でした。
鍋の縁を赤い炎が舐めるほどの強火で熱せられた、大きな中華鍋。油をどばーっと入れて鍋を回せば、紫煙がもうもうと立ち上る。その中に、何種類もの新鮮な食材を放り込んで、これまた何種類かの秘伝の調味料を加える。
中華鍋から移されて真っ白な大皿に盛られた料理は、『抜剣入刀生死不問! ~人でなしの黒と赤~』。
湯気とともに漂ってくる美味しそうな匂いは、ファンタジーとマッドサイエンス。おそるおそる箸でつまんで食すれば、それは、武侠であったり、家族愛であったり、復讐であったり…。秘伝の調味料は、作者の文章力であり、構成力でり、語彙力だ。
「あ~~、食った、食った。満足、満足」と、膨らんだ腹を撫でて、幸せの吐息をもらせば、「あら、続編の予定があるんだ?」 嬉しいな、楽しみだな。では、ちょっとそこらを一走りして、胃袋の隙を作ってきます。
圧倒的な知識と綿密さに裏打ちされる武侠系中華ファンタジー。
このタイプの物語を見るのは初めてのことでしたが、とても楽しく読み進められました。
固有名詞や世界観の難解さから読む人を選んでしまうのかもしれませんが、しかし描かれている「人」の姿にこそ、この物語の本質が隠れている気がします。
父に捨てられた子が、人ならざるモノとして生まれ変わり、純粋に、強さを求め生きることを決意する。その傍らで成長を見守る剣客。
登場人物の行動、動機が善よりも欲、というパターンが多くて「人間らしい」ですね。特にルンガオには、武に通ずる者かくもあらん、と強く思わされました。
その中で「本物の家族ごっこをさせてくれ」という言葉は、善が全面に押し出されている数少ない言葉の一つではないかと思います。
コージャンの持つ温かさと、それを率直に表現できない人生を歩んできたという事実が凝縮されている。これしかないなと思うくらい痛烈なキャッチフレーズだと思います。
この物語の主役となるのは人でなし二人。
仙人である狗琅真人によって複数の魂を持つ存在となったウーと、恐ろしげな容貌と尋常ならざる剣技を持つコージャン。
父親に突き放されたウーが、コージャンの門弟――そして息子となることから物語は動き出す。
仙人という超常の存在と、樹霊発電という植物を用いた技術が組み合わさる世界観は独特。様々な箇所で近代中国を思わせつつも、まったく新しい世界の空気を読者に味わわせてくれる。
そして物語を彩る武人、剣客達の技の冴え!
それはただ『アクション』に留まらず、使い手の精神や生き方さえも含めて表わされる。切れ味の鋭い文章によって描き出される『武技』と『暴力』の圧倒的な違いには息を呑む。
この物語の肝となるのは、ウーとコージャンという二人の関係だ。
捨てられ、人の道から外れざるを得なかった者。
どう足掻いても人の道を行けず、諦めてしまっていた者。
そんな人でなし二人の間で紡がれるのは壮絶で、凄惨で、しかしどこか切ない物語の数々。血の道を行く人でなし達の間には、確かに家族としての温かな絆が存在している。
師と弟子――そして父と子という絆で結ばれる二人は、いかなる結末を迎えるのか。『本気の家族ごっこ』の行く末を見守りたい。