第2話

 ヤン生還の報は、瞬く間に知れ渡った。念のため、精密検査と経緯のヒアリングが行われたが、二日後には復隊の手続きも完了し、見慣れた隊服に身を包んだヤンが宗介達の前に現れた。


 流石にかなり痩せてはいたが、五体満足で元気そうなヤンの姿を見て、宗介が安堵のため息をつく。瞬く間に、基地の入り口にヤンの復帰を祝う人だかりができ、宗介はクルツやマオと、少し離れて喧騒が落ち着くのを待った。


 やがて、一通り荒々しい歓迎を受けたヤンが、宗介達に近付いてきた。


「ごめん、心配かけたね」

「無事で良かった」

「SRTが簡単にくたばってたまるかってな」


 クルツがヤンの肩を乱暴に小突く。


「マオも、随分痩せたみたいだけど……大丈夫?」

「あのねえ、アンタに言われたくないわよ。一体、どこで何してたのよ?」


 マオの問いに、ヤンは困ったように笑った。


「情けない話だけど……日本で敵に襲われてから、しばらく意識不明の重体だったみたいなんだ。テスタロッサ大佐から聞いたんだけど、ソースケに因縁のある相手なんだって?」

「ああ。ガウルンという。今は捕虜として情報部が管理している」

「僕じゃ歯が立たなかったよ。全く、自信を失っちゃうね……。何とか逃げるのが精一杯だった。どうも、失血で意識を失った所を、一般人に助けてもらったらしい。気付いたら僕は日本の病院に入院してて、目が覚めた時には三か月経ってたってわけ」


 ヤンが自嘲気味に肩をすくめる。その二回りほど華奢になった肩や腕を見れば、戦線復帰までには過酷なリハビリが必要となることは明らかだ。


「この稼業には付きものとは言え、大変な目にあったわね。困ったことがあったら何でも言って、力になる」

「ありがとう、マオ。とりあえず、クビになる前に戦線復帰できるよう、頑張るよ」

「何はともあれ、今日はパーティだ!〈ダーザ〉でも貸し切って、ぱーっとやるぜ!」


 そう言うと、ヤンの返事も待たずにクルツが電話をかけ始める。あっという間に話がついたらしく、電話を切ったクルツは、


「んじゃ二○○○フタマルマルマルに〈ダーザ〉で!」


 と言うや否や、どこかへ去って行ってしまった。






 宗介達が指定時間に店に着くと、既に店内は喧噪で満たされていた。マッカランやスペックなどSRTのメンバーは、既にヤンを囲み飲み始めている。その後も続々と客が集まり、テッサやカリーニン、そしてあのマデューカスまでもが姿を現した。


 こうして、SRTと将校、そしてヤンと仲の良い面子が揃い、飲めや歌えやの大宴会が始まった。


 こうした馬鹿騒ぎが嫌いなはずのマデューカスも、流石に今日は野暮なことは言わないようだ。ヤンに何事か話しかけると、労うようにぽんと肩を叩き、カウンターで静かにウィスキーを飲み始める。


 幹事のクルツはと言えば、何やら腕相撲大会を仕切り始めていた。周囲の盛り上がりようを見るに、賭けでもやっているのだろう。無理矢理舞台に引っ張り上げられたヤンが、マッカランに右腕を叩きつけられ悲鳴をあげる。その様子に豪快な笑いが起きた。


「こりゃ相当リハビリが必要だな!」

「エスティス少佐のキャンプで鍛え直してもらえ!」

「いーや、この場で俺たちが訓練してやる!」


 下品な野次をとばす男達は、一様に嬉々とした表情を浮かべている。誰もが、心からヤンの生還を喜んでいるのだ。


とんだブラック職場ミスリルに戻ってきた馬鹿野郎ヤンに!」


 スペックのかけ声に合わせ、店にいた全員が杯を高らかに掲げる。様々な国籍の者が入り混じる店内で、それぞれの“乾杯”の発声が飛び交った。


「ソースケ、何飲んでんだ?」


 腕相撲大会の優勝が決まった所で、マデューカスとは反対のカウンターに座っていた宗介にクルツが近寄る。


「オレンジジュースだ」

「お前は相変わらずだな。今日くらい酒を飲め、酒を」


 そう言いつつ、宗介のグラスに自分のグラスを軽く合わせ、クルツはジントニックをぐいと呷った。


「あれ、ところで姐さんは?」

「む、さっき見かけたが。……いた、あそこだ」


 宗介が顎で示した先には、隊員達に紛れるように、壁際にポツンと立っているマオがいた。その表情は笑顔だが、どこか物憂げな印象を受ける。


「まーた姐さんは……」


 クルツはため息をつくと、マスターにテキーラを注文した。なみなみと注がれたショットグラスを二つ持ち、マオへと近づいていく。


「普段とは違う儚げな表情も、セクシーだぜ。セニョリータ」


 マオの横に立ち、壁に右肩を預けたクルツが、グラスを差し出しながらウィンクする。


「もう酔ってるの?」

「ああ、君の濡れた瞳に、な。……ちょ、待てって!」


 嘆息しその場を去ろうとするマオに、クルツが慌てて反対側へ回り込む。


「いつまでいじけてんだよ。らしくねえぞ?」

「別に、そんなんじゃないわよ。ただ……酒飲んで馬鹿騒ぎしようって気分には、まだなれないってだけ」

「それがいじけてるって言ってんだよ」


 クルツが苦笑し、柔らかな口調でそう言う。いつもの軽薄なノリではなく、妹を慰める兄のような声色に、マオが顔を上げる。


「最近さ、あの〈コダール〉のパイロットテストで、相当自分のこと追い詰めてるだろ?」

「そんなこと、なんであんたに分かるのよ」

「そりゃ分かるさ。テストの時は、いつもと様子が違うからな。おおかた、〈コダール〉のパイロットになって、少しでも〈アマルガム〉に復讐を、って考えてるんじゃないか?」


 マオは図星を指され、口をつぐむ。それを肯定の印と受け取ったクルツが続けた。


「まあ、気持ちは分かるし、それはいいさ。けど、余裕が無い奴は早死にする。もしも姐さんが〈コダール〉のパイロットに選ばれたって、今の姐さんじゃ危なっかし過ぎるぜ」

「だから……飲めって?」


 マオがそう言うと、クルツは返事の代わりに、もう一度グラスを差し出した。マオはしばらくグラスを見つめていたが、やがて観念したようにおずおずとグラスを取った。


「生まれて初めて禁酒してたのに、あんたのせいでパアよ」

「そりゃ申し訳ない」


 クルツが白い歯を見せて笑う。


「でもさ、俺たちにとっては……仲間が死ねば弔い、悲しむのがルールなら、仲間の生還を祝って乾杯するのもルールだろ?」


 マオは店内を見渡した。ヤンは既に顔を真っ赤にし、足元がおぼついていない。ステージでは何故か、アメリカ海兵隊讃歌の合唱が始まった。それに負けじと、様々な国の軍歌があちこちで響き、もはやハロウィーンパーティのような騒がしさだ。


 だがこの場にいるほとんどの人間が、あの日順安で死んでいった仲間たちと大なり小なり関わりがあったはずだ。中には、〈ミスリル〉入隊以前から友人であった者や、恋人同士であった者もいると聞く。


 しかし、いつまでも下を向いてはいられない。仲間の死を忘れることなど無くとも、仲間の死を一生十字架として背負って生きていくことなど、何の弔いにもならない。それは単なるエゴだ。


 いつ死ぬか分からない、こんな稼業だからこそ。仲間の死をも糧にして、前に進むべきなのだ。


 マオは思う。もう、あの日に思いを馳せるのは今日で最後にしよう、と。


「今日はほんのちょっとだけ、アンタがカッコ良く見えるわ」


 そう言うと、クルツがすかさずマオに顔を近づける。


「ようやく俺の魅力に気付いた?そんじゃ、乾杯はここじゃなく、俺の部屋で……あ、あだだっ!」

「調子に乗るな」


 マオが、頬に手を這わせてきたクルツの指をひねりあげる。手を離した後、恨みがましくこちらを睨んでくるクルツの視線の先に、マオがグラスを掲げた。


「とんだブラック職場に戻ってきた、馬鹿野郎に」

「……ああ。とんだブラック職場で働く、馬鹿どもおれたちに」

 

 マオがグラスを一気に傾ける。喉を通った灼熱は、格別に美味かった。

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