第3話
西太平洋戦隊〈トゥアハー・デ・ダナン〉陸戦部隊指揮官である、アンドレイ・セルゲーイヴィチ・カリーニン少佐は、軽く眉間をほぐし、改めて二枚のレポートを手に取った。どちらも、彼の部下である、ウルズ7――相良宗介が書いた報告書だ。一つは、情報部のエージェント一名の命と引き換えに、とある少女を保護したミッションについて。もう一つは、宗介が今後搭乗することとなる機体――ARX―7〈アーバレスト〉、およびその機体が保有する謎の機能〈ラムダ・ドライバ〉について記載したものだ。二枚とも、既に何度か見返していたが、しこりのような違和感が、ずっと消えずにいた。
〈ラムダ・ドライバ〉は、宗介が初日のテストで偶発的に発動をして以来、一度も発動していない。宗介は、そんな兵器は信用出来ないとしきりに訴えてくる――宗介が上官に意見することは大変珍しい――が、カリーニンはその訴えを毎回無視している。だが、内心は宗介と同じだ。〈ラムダ・ドライバ〉は兵器ではない。
しかし、だ。仮に、〈ラムダ・ドライバ〉をより実用的で、確実な兵器にすることが出来れば、他のどの兵器をも軽く凌駕する、無敵の戦力となり得るのではないか。そしてそれは、何も我々だけの話ではない。
〈アーバレスト〉を創り出した人間は、既にこの世にいない。設計書すら残さず、〈アーバレスト〉を完成させた後、発狂し自殺したと聞いている。〈ミスリル〉は、もう新たな〈ラムダ・ドライバ〉搭載機を製造出来ないということだ。もし、〈ミスリル〉の他に、〈ラムダ・ドライバ〉を創り出すことの出来る組織があれば、大変な脅威となり得る。
そして、〈ラムダ・ドライバ〉の開発者は、若干十六歳の少年だった。宗介が保護した少女と、同じ年齢だ。
それだけではない。〈トゥアハー・デ・ダナン〉の戦隊長であるテレサ・テスタロッサ大佐も、〈アーバレスト〉のパイロットである相良宗介も、皆十六歳の少年少女なのだ。これはただの偶然なのだろうか。運命とも呼ぶべき何かを感じるのは自分だけだろうか。
思案を巡らせていると、電話が鳴った。
「私だ」
『少佐。ヤンです』
ヤン・ジュンギュ伍長は、宗介と同じSRTに所属する韓国人だ。コールサインはウルズ9。とある命令で、現在は日本にいる。
「問題か」
『いえ。監視から一週間が経ちましたが、不審なことは何も。ですが、どうやら今週末、修学旅行があるようです』
ヤンが命じられた任務は、日本の高校に通う一人の少女の監視だ。その少女が、修学旅行に出かける、という報告らしい。
「行き先は?」
『オキナワです。飛行機で移動するらしいのですが、貸切りというわけではないので、私も一般客として紛れ、旅行先まで付いて行った方がよろしいですか?』
「では、そうしろ。〈エンジェル〉が搭乗する便を連絡しておけ。航空券の手配はこちらでやっておく」
『承知しました』
通話を切る。
そういえば、大佐が珍しく有給休暇を消化すると言っていたのは、確か今週末のことだったか。だが、特に問題はないだろう。元々ヤンもそろそろ引き上げさせようと思っていた所だ。
カリーニンはそれ以上ヤンの報告については考えることなく、再び宗介のレポートへと向き直った。
「テッサー入るよー」
適当な声をかけると、メリッサ・マオは相手の返事を待たずに、ずかずかと部屋へ入っていった。いつものことなので、部屋主は何も言わずにソファの上のクッションを整えた。
「量、多くないですか?」
テッサがマオの抱えている酒を見て、顔をしかめる。だがそんなことはお構いなしに、マオはさっさと冷蔵庫に酒を入れていく。
「多分今日、ここで寝てくからー」
「もう……いつもソファで寝て、風邪ひいちゃいますよ?」
「大丈夫、あんたとは体のつくりが違うから。……っかー!今日も一日お疲れさん!」
冷蔵庫から戻ってきたかと思うと、あっという間に缶ビールを開け飲み始める。テッサは呆れ顔をしながらも、マオの横に座り直し、一緒にテレビを観始めた。
上級幹部であるテッサに対し、マオは一下士官だ。本来であれば、気軽に話を出来るような関係ではない。しかし、二人の関係は単なる上司部下ではなく、友人、あるいは姉妹に似たものだ。テッサはマオの前でだけは、年頃の娘として振舞うことが出来る。性格も、嗜好も、長所や短所も、まるきり正反対の二人だが、だからこそお互いを尊重し合えるのかもしれない。
「ねえ、メリッサ」
しばらくして、テッサがふとマオを呼んだ。既に三杯の缶ビールを飲み終え、手製のジントニックを作っていたマオが、手を止めてテッサを見る。
「ライブって、どんな感じかしら?」
「なに、あんたライブ行くの?誰の?」
マオが意外そうに目を丸くする。
「誰のっていうわけじゃないんですけど……。今週末、〈ダーザ〉でライブをするそうなんです。身内のカラオケ大会のようなもの、って聞いてますけど」
マオが、ますます驚く。
「ダーザって、あのパブ?テッサ、お酒飲まないじゃない」
「そうなんですけど、誘われて……」
そう言った途端に、マオの表情が輝いた。これは、何か面白いものを発見した、悪ガキの顔だ。
「いつ!?誰に!?どんな風に!?」
こうなっては、もはや誤魔化すことは出来ない。テッサは自分の迂闊さに嘆息し、宗介との間にあったやり取りを、一から説明していった。マオは、酒を飲むのも忘れる程興味津々の様子で、「それで!?」と何度も督促をしてきた。
「へー、テッサとソースケねえ……」
一通り聞き終わると、マオは何やら一人納得した様子で、うんうんと頷いている。
「あのー。何か勘違いしてませんか?」
「いえいえ、そのようなことはありません、大佐どの」
明らかに邪推をしているマオをじろりと睨むが、マオはどこ吹く風で笑っている。
「でもまあ、マジな話、意外とお似合いかもね、アンタたち」
「だから、そういうのじゃないんですって……。……でも、ちなみに、何でそう思うんですか?」
「同い年ってのもあるけど、二人とも真面目で堅物だし、どっか抜けてるっていうか、世間知らずなのよねー。そういう所、結構似てるわよ」
「何か、馬鹿にされてません、わたし?」
マオはこれには答えず、ジントニックをぐいっと呷った。
「ま、とにかく。あの朴念仁がどういうつもりかは知らないけど、楽しんできなさい。折角の機会だし、ただでさえ休暇らしい休暇、取ってないんだから。あ、でも羽目を外し過ぎちゃ駄目よ?ちゃんと避妊は……」
「メリッサ!怒りますよ!?」
テッサが顔を赤くして立ち上がる。マオはその表情を見て、背筋にぞくぞくと刺激が走るのを感じた。この娘を見ていると、いつも悪戯心が掻き立てられる。普段は泣く子も黙る戦隊長として、巨大な潜水艦を手足のように操りながら、プライベートではドジで天然で
マオは、頭に浮かんだ背徳的なイメージを、なけなしの自制心で必死に追い出し、笑顔を作った。
「冗談よ、冗談。ま、でも、良いリフレッシュになると良いわね」
「もう……」
テッサはソファへ座り直し、再びテレビへ向き直った。テレビでは、アメリカで有名なお笑いタレントが、一般人にドッキリを仕掛けるという番組をやっていた。これが中々面白くて、テッサも時間のある時は良く見ている。
だが、マオにからかわれた所為だろうか。何度も宗介の顔が頭に浮かび、全くテレビに集中出来なかった。
金曜。宗介は、タンクトップの下は野戦服、といういつもの出で立ちで出かけようとし、クルツに呼び止められた。
「ちょっと待て、お前そのカッコで行くのかよ!?」
「……?おかしいか?」
「当たり前だっ!初デートでそんなもん着てってみろ!『私にはその程度の価値しかないってわけね。さよなら』って、店入る前に終了だっつの」
「……そんなものか?」
「そんなものなんだよ」
「むう……」
宗介が、困った顔をした。
「だが、他に服など持っていない。時間もそろそろだからな。万が一にも大佐殿をお待たせするわけにはいかん。やはりこれで行くしかない」
「俺の服を貸してやりてえが、体格差がな……」
クルツは高身長に加え、足が長い。そのルックスから、某有名雑誌のモデルに抜擢された経験もあるほどだ。宗介も決して背が低いわけでも、足が短いわけでもないが、クルツの服を着るのは無理があった。
「だが、おめーの服装は許しがたい。待ってな、俺が誰かから適当に借りてきてやっからよ!」
「待て、時間が……」
「大丈夫、走りゃ間に合う!良いか、部屋で待ってろよ!?」
言うが早いか、クルツはどこかへ駈け出して行った。それからきっかり五分後、何やら衣服を抱えて戻ってきた。
「随分早かったな」
「おう、ちょうどソースケとよく似た体格の、新兵っぽいやつが歩いてたから、貸してもらった」
「そうなのか。後で礼を言わねばならんな」
実はその新兵も、まさにデートに出掛けようとしていた所を、クルツに身ぐるみ剥がされたのだが、宗介には知る由もない。
「二十ドル渡しといたから大丈夫。ンなことより、さっさと着替えろ!」
宗介は頷くと、クルツから渡された服にせっせと着替えた。黒のVネックにジーンズと、シンプルな出で立ちだが、引き締まった体格に良く似合っている。
「まあ、ちょっと地味だが、さっきよりマシだ。さっさと行って来い」
「ああ」
クルツに送り出され、宗介はダーザへと向かい始めた。着替えに約十分ほどロスしたが、元々一時間前に着く予定だったため、時間には余裕がある。
だが、宗介がダーザに着くと、既にそこにはテッサの姿があった。宗介の顔から血の気が失せ、全身からは冷や汗が噴き出す。
「大佐殿!」
「あ、サガラさん」
「申し訳ありません!大佐殿をお待たせしてしまうなど……」
「ち、違うんです。私、時間を勘違いしちゃってて……。着いてから気付いたんです。こんなミス、いつもは絶対に有り得ないんですけど……」
テッサが顔を赤らめる。とりあえず、怒ってはいないようだ。宗介は心の中で胸をなでおろした。
「サガラさんこそ、約束の時間までまだ五十分もあるのに」
「特にやることもありませんでしたので」
「サガラさんって、お休みの日は何をしてるんですか?」
「は、特には……釣りや読書、トレーニングと銃器類の整備点検くらいです」
「はあ……」
どれもこれも、宗介らしいといえばそうなのだが……。
「私が言うのも何ですけど、なんだか年寄りくさいですね」
思わず笑ってしまう。だが、宗介はどう反応して良いか分からず、困ったような表情を浮かべた。
「恐縮です」
「ごめんなさい、悪く言うつもりはないんです。私が言いたかったのは、その……親近感が沸いた、ってことで」
慌てて取り繕うが、宗介は更に首をかしげた。
「親近感……大佐殿が、自分に、ですか」
「おかしいですか?」
「はい。想像が出来ません」
そこまできっぱりと言い切られると、流石のテッサもむっとした。怒りなのか、悔しさなのか――感情の正体を確かめる前に、言葉が口から滑り出る。
「サガラさんから誘っておいて、ずっと大佐扱いですか?ちょっと、傷つきます」
それは、まともな男性からみれば、むしろ思わず抱きしめたくなるほど愛らしい拗ね方だったが、あいにく相良宗介はまともな男性ではなかった。テッサの言葉を額面通りに受け止め、脂汗を流してうろたえる。
「申し訳ありません、大佐殿。その、自分はこういった経験に疎く……」
「ほら、また」
テッサがぴっと人差し指を立て、宗介の言葉を遮る。
「私、テッサって呼んで欲しいってお願いしました」
「ですが……」
「サガラさんも、オーケーしました!」
「それは、しかし……」
「うそつき」
テッサが宗介を、恨みがましく睨む。宗介からしてみれば、上官に睨まれているわけなのだが、なぜだか怖くはなかった。
だが、確かにテッサの言う通りだ。半ば押し切られるような形ではあったが、テッサの申し出を自分は受けた。ならば、約束は守るのが道理だ。
宗介は一度唾を飲み込むと、意を決したように口を開いた。
「テッ――」
「店先で何を騒いどるんだ、ばかもん」
しかし、宗介の一大決心は、〈ダーザ〉マスターの怒声にかき消されてしまった。
「さっさと店に入れ。一番乗りのお前さんらに、特等席を用意してやる」
そう言うと、マスターは店の看板を『CLOSE』から『OPEN』にひっくり返し、さっさと店の中に入っていった。宗介とテッサは一度顔を見合わせてから、マスターの後を追い店内へ入った。
店内には、簡易的なステージが出来ており、一通りの機材も揃っていた。マスターに促され、ステージに最も近い席に座る。テッサの身長だと、最前列でなければ何も見えないだろうから、早めに着いたのは正解だったかもしれない。
「注文は」
「私はホットミルクを」
「俺はオレンジジュースを頼む」
「貴様ら、ここは酒を飲む場所だ」
「いけません、アルコールは脳細胞を破壊します」
「わしに言うセリフか、ばかもん」
ぶつぶつ言いながらも、マスターはシナモン入りのホットミルクとオレンジジュースを用意してくれた。
飲み物を口にしながら他愛もない話をしていると、あっという間に店内は人で賑わってきた。皆テッサの姿を見つけると、畏まったり、宗介とのことを冷やかしてきたりしたが、それも一瞬のことで、すぐにアルコールとこれから始まるライブへ関心を向ける。
(これも大佐殿の人徳か……)
普通は、戦隊長がいる前で、普段通りの振る舞いなど出来ないものだろう。だが、少なくとも宗介には、〈ダーザ〉の店内に流れる雰囲気が、この前クルツと訪れた時と変わりないように感じられた。
やがて、各々楽器を携えた出演者たちが登場し、ささやかなライブが始まった。
皆、二、三曲を演奏して次の出演者へと交代する。演奏が終わった者や順番待ちの出演者は、控室などないので、席に紛れて酒宴を楽しんでいる。素人同然のグループもあれば、プロ顔負けの歌唱力を持つ者も、中には酔っ払って呂律が回らない者もいた。だが観客は、どんな演奏にも全力で盛り上がっている。きっと曲など聴いていないのだろう。ただ、この雰囲気を楽しんでいるのだ。
宗介は、ふとテッサが気になった。彼女は、楽しんでくれているだろうか?
宗介がさり気なく視線を向けると、テッサは微笑んだままステージを見つめていた。笑顔ではあるが、明らかに周囲の盛り上がりからは浮いている。
「大佐殿。……大佐殿?」
「えっ?サガラさん、呼びましたか?」
テッサが宗介の口元に耳を寄せる。アッシュブロンドの髪から、花のような香りがした。
「申し訳ありません。ライブというものが、ここまで騒がしいとは知りませんでした」
「なぜ謝るんです?私、とっても楽しんでます」
「それならば良いのですが」
「サガラさんは、どうですか?」
テッサが宗介の目をじっと見つめる。嘘をつくことも出来たが、宗介は正直に言った。
「良く、分かりません」
言ってから、テッサの気分を害したのではないかと心配したが、彼女は楽しげに微笑んだだけだった。
結局、宗介が一度も「テッサ」と呼べないまま、ライブは終わりを迎えた。
(失敗、か……)
宗介が人知れず肩を落としていると、テッサが声をかけた。
「少し、歩きませんか?」
そうして、二人は今、店からほど近い浜辺を歩いている。
いくら鈍感な宗介とて、テッサが自分を気遣ってくれたことは分かっていた。ライブの中でミッションを達成できなかった自分に対する、いわゆる「泣きの一回」というやつだ。折角テッサから与えられた機会を無為にするわけにはいかない。だが、やはり何かきっかけが必要だった。先程から、ずっと会話の糸口を探しているのだが、考えれば考えるほど何も浮かばない。二人とも無言のまま、砂を踏みしめる音だけが続いている。
「サガラさん」
結局、テッサから話しかけられた。宗介は、助かった、という気持ちと情けない気持ちがない交ぜになりながら返答する。
「なんでしょうか」
「何だか私、サガラさんにご迷惑をかけてますね」
思ってもみなかったテッサの言葉に、宗介は思わず立ち止まる。
「いえ、決してそのようなことはありません」
「でも、無理してますよね?」
「それは……」
「ごめんなさい、責めるつもりはないんです」
そう言って、テッサはやはり微笑んだ。しかし、その笑顔に翳りがあるのは明らかだ。宗介は、これ程強烈に自分の口下手を恨んだことはなかった。
「謝るのは自分の方です。大佐殿の好意を無下にするつもりはないのですが、どうも……上手くいきません」
それだけ何とか喋り、また沈黙が訪れる。
浜辺はずっと先まで続いている。だがいつまでもこうしているわけにはいかない。多忙なテッサの貴重な休日を、俺ごときが浪費してしまっている。マデューカス中佐が見たら、何と言うだろう。
本当は、話したいことはたくさんあった。ラムダ・ドライバのことや、テッサの真意、なぜ自分やクルツ、マオだけが、〈アーバレスト〉のテストパイロットに選ばれたのか……そうしたあれこれを質問したかった。
そろそろ勇気を出すべきだ。ただ一言、『テッサ』と呼ぶだけのことだ。何を躊躇う必要がある?第一、既に一度呼んでいるではないか。だが、しかし、文脈が繋がらない。あまりに唐突すぎる。いや、もう言い訳はやめろ、相良宗介。言え。言ってしまえ。
「っ……」
宗介が大きく唾を飲み込み、意を決して口を開きかけたその時、テッサの携帯電話に着信が入った。テッサが宗介に断りを入れ、電話に出る。
「もしもし、私です。どうしましたか?」
テッサは短く言葉を交わし、通話を切ってから宗介を振り返った。その表情は、既に宗介の上官であり、戦隊長のものだった。
「すみません、サガラさん。折角の休日なんですが、これから私と基地に戻ってください」
「非常事態ですか?」
「ええ。ニッポンに潜伏中のヤン伍長からの連絡が途絶えました。恐らく、まずい状況よ」
テッサの言葉を聞いた宗介の脳裏に、何故かあの憎らしい機体、〈アーバレスト〉が浮かんだ。あの機体に乗り、実戦をする時が来る……そんな予感がした。
宗介は頭を振り、馬鹿げた妄想を振り払うと、テッサと共に駈け出した。
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