第4話

基地に向かう道すがら、宗介は事の顛末をテッサから聞いた。

ヤン・ジュンギュ伍長のミッションは、コードネーム〈エンジェル〉と呼ばれる一人の少女を護衛することだった。だが、そもそも敵が何者で、その少女にどんな価値があるかさえ、他のSRTメンバーはおろか、ヤン自身すら聞かされていなかった。

「申し訳ありませんが、今も詳細は明かせません。ですが一言で言えば、その少女には私と同等……その価値を秘めた可能性があります」

「大佐殿と同等、ですか?」

「はい」

「俄かには信じられませんが、それが本当なら、大変なことです」

 テッサは神妙に頷いた。

「本当は、ヤンさん一人では荷が重かろうと、メリッサやウェーバーさん、サガラさんを護衛につけるという案もありました。でも現段階ではその少女の価値は未知数なため、皆さんには〈アーバレスト〉の方を優先してもらったの」

 〈アーバレスト〉。また奴か。宗介は小さく舌打ちをした。

「敵は恐らくKGBよ」

「それは、二週間前のソ連での救出作戦と関係が?」

「そう考えています。なぜなら、その救出作戦でサガラさんが助けた少女もまた、〈エンジェル〉と同じ可能性を秘めた者だからです」

 あの薬漬けの少女が?宗介にはとてもそうは思えなかった。しかしテッサの表情に、冗談を言っている様子は一切無い。

 だが、いずれにせよKGBなど大した敵では無い。いや、KGBだけでなく、然るべき作戦と戦力をもってすれば、この〈ミスリル〉に敵などいない。それ程までに、〈ミスリル〉の装備は現代戦の遥か先をいっている。問題は、〈エンジェル〉とヤンが、救出まで無事でいられるかという点だけだ。そう考えながらも、テッサが強い緊張感を滲ませていることが気にかかった。

「ですが、事は単純でないかもしれません」

 やはりというべきか、話には続きがあった。宗介は気を引き締め直し、聞き返す。

「どういうことでしょうか」

「あのヤンさんが、こちらに何の連絡も出来ない状態まで、簡単に追い込まれるとは考えにくいわ。これは私の勘ですけど、KGBの背後に何かがいる気がします」

「KGBより強大な敵ということでしょうか?」

「ええ、あるいは」

 果たしてそのようなことがあるのだろうか。あの閉鎖的でプライドの高い組織が、他を頼ることなど。ましてや、ソ連のような軍事大国の擁する軍を凌ぐ戦力を、〈ミスリル〉以外の組織が保有しているとは到底考えられなかった。そんな宗介の心の内を覗くように、テッサが言った。

「油断というのは、自分が優位だと勘違いした時に生まれます。油断に気付いた時には、既に戦況はに入っている。だからこそ、常に最悪の事態を想定するの」

「は、承知しました」

 これ以上考えるのはよそう。俺は単なる一下士官だ。上官の命令に従い、役割をきっちりこなす。それだけ出来れば上等なのだ。

 基地に着くとすぐに作戦会議室へと入る。私服姿で同時に入室した宗介とテッサに、皆好奇の視線を送ったが、流石にこの場で野次を飛ばす者はいなかった。

「一通りの状況は説明し終えた所です」

 スクリーンの前に立つカリーニンが、テッサに告げる。

「結構です。サガラさんにも経緯は伝えてあるので、そのまま続けて下さい」

「承知しました」

 テッサがカリーニンの横に腰掛け、宗介がクルツの隣に移動した所で、再び会議が再開される。

「今回のミッションは、〈エンジェル〉およびハイジャックされた航空機の乗客、そしてヤン伍長の救出だ。言うまでもなく〈エンジェル〉救出が最優先事項となる」

 誰も口にはしないが、もしヤンが敵に捕まっているとすれば、無事である可能性は低い。拷問を受け、最悪殺されているだろう。何らかのトラブルで通信不能となっただけで、今尚逃げのびていることを祈るしかない。〈エンジェル〉も、ソ連で助けた少女の様子を思えば、殺されはしないまでも、既に何らかの薬物を投与され、精神を破壊されているかもしれない。

「〈エンジェル〉に関しては、情報部のエージェントが追っている。どうやら敵は〈エンジェル〉の修学旅行中を初めから狙っていたようだ。〈エンジェル〉の搭乗する機にハイジャックを仕掛け、北朝鮮へと向かった。ヤンの行方は不明だが、〈エンジェル〉の近くにいる可能性が高いだろう」

 それにしても、ハイジャックだと?たかが少女一人を拉致するのに、随分と大がかりな手だ。〈エンジェル〉の重要性を物語るだけでなく、敵が〈ミスリル〉の存在に気付いており、事前に用意周到な計画を練っていたということでもある。KGBの背後に何者かがいる、というテッサの言葉が、俄かに現実味を帯びてきた。

 それからカリーニンは、作戦の詳細を淡々と説明していった。ただでさえ救出作戦というのは難度が高いのに、数百名単位の救出など、最早ウルトラCを通り越し無謀である。だが、冗談めかした不満を口にする者はいても、心の底から反対する者はいない。皆知っているのだ。ということを。

「AS六機は〈ペイブ・メア〉で運ぶ。八時間以内にアルコールを摂取した者は申し出ろ。……それでは詳細についてはマッカラン大尉から聞け。以上、諸君らの働きに期待する」

 解散が告げられると同時に、怒号のような大声でマッカランが指示を出していく。マッカランのコールサインはウルズ1、宗介達SRTのトップナンバーだ。一通りの指示を聞き終え、宗介がAS格納庫まで向かおうとすると、カリーニンに呼び止められた。

「サガラ軍曹」

「なんでしょうか、少佐」

「お前には、〈アーバレスト〉に乗ってもらう」

 その言葉を聞いた時、宗介は心のどこかで『やはり』と思った。しかし、だからといって何も言わずに頷くことも出来ない。

「今回のミッションは、簡単なものではないはずです。実戦テストが必要な機体だということは分かりますが、俺はまだ、あの機体に命を預けることは出来ません」

 〈アーバレスト〉の性能は、M9に勝るとも劣らない。〈ラムダ・ドライバ〉が気に食わなければ、そんなものは無視すればいい。そうすれば通常のM9と何ら変わらないはずだ。しかし、どうしても宗介には〈アーバレスト〉の存在が受け入れられなかった。あの機体に乗ることで、これまで自分が積み上げてきたものが否定されてしまうような気がしていた。だが、カリーニンは無表情のまま首を振った。

「テストのつもりはない。その必要性があるからだ」

「どんな必要性でしょうか」

「分からんか。〈ラムダ・ドライバ〉を使う必要があると言っている」

 宗介の知るカリーニンは、自分と同じ、いやそれ以上の現実主義者リアリストだ。とても〈ラムダ・ドライバ〉のような得体の知れない装置に頼るとは信じられなかった。だからこそ、余計反発せずにはいられない。

「手品を使わなければ、俺に敵が倒せないと……?」

「どんな技量を持ってしても、〈ラムダ・ドライバ〉に通常の兵器では対抗できない」

「敵もまた〈ラムダ・ドライバ〉搭載機を持っているということでしょうか」

「その可能性は低いだろう。だがゼロではない」

 カリーニンは、宗介の肩に手を置いた。その右手は大きく、岩肌のように固く、ずしりと重い。

「良く聞け、軍曹。お前があの機体を嫌う気持ちは分かる。だが、私がこれまで生き抜いてこれたのは、常に最悪の事態に備えてきたからだ。僅かでも心が警報を鳴らした時、決して聞き漏らしてはならない。それが誤報ではないと知った時、備えがなかったならば、死ぬだけだ」

「俺にはその備えが、あの機体だとは思えません」

「見解の相違だな。だが私にお前を説得する義務はないし、そのつもりもない。作戦前にレミング少尉からこれまでのレポート結果を聞いておけ。以上だ」

 カリーニンは冷たく言い放つと、何事もなかったかのように背を向け、会議室を出て行った。宗介はその背中を睨みながら、マッカランに名を呼ばれるまで、強く拳を握りしめていた。




 MH‐67改、通称〈ペイブ・メア〉は、ASなどの兵器を輸送するための中型ヘリである。ECS電磁迷彩システムも搭載されており、速度や航続距離、ステルス性などあらゆる面で他の追随を許さない。

〈アーバレスト〉を載せた〈ペイブ・メア〉を駆るのは、〈ゲーボ9〉のコールサインを持つエバ・サントス少尉だ。どんな危険なLZランディング・ゾーンにも、必ず辿り着き、宗介達を生還させてくれる、頼もしい女性である。宗介も、サントスの胆力と操縦技術には信頼を寄せている。

「しかし、また奇怪な機体だこと」

 サントスが独り言のように言う。

「白い塗装のASなど、俺も見たことがない」

「サガラ軍曹も大変ね。貧乏くじを引かされて」

 全くだ、と思わず口から出そうになった言葉を、宗介は飲み込んだ。無論、未だ〈ラムダ・ドライバ〉なる代物を認めたわけではないが、何故か砂浜でのテッサが思い出され、愚痴を言うのがはばかられた。

「俺は、例えどんな機体であれ、やるべきことをやるだけだ」

 代わりの答えがつまらなかったのか、サントスは鼻を鳴らし、また黙った。宗介もまたむっつりと押し黙り、ブリーフィングで渡された書類に改めて目を落とした。

 今回の作戦は、〈エンジェル〉およびヤンの捜索班と、航空機に閉じ込められた人質救出班の二班に分かれている。宗介は捜索班として、クルツと共にASを透明化させ待機し、斥候隊の補助をする役割だ。

 目標が無事保護されれば、後はただ向かってくる敵を殲滅すれば良い。宗介とクルツが揃っていれば、例え戦車付きの一個小隊でも相手にならないだろう。だが問題は、目標を保護する前に敵に発見された場合だ。その場合は当然、敵は〈エンジェル〉やヤンを盾にするはずだ。そうなってしまえば、ASで出来ることなど無い。よもや、〈エンジェル〉やヤンもろとも敵を吹き飛ばすことなど出来る筈が無いからだ。つまり今回の作戦の成否を握っているのは斥候隊だと言える。

 宗介は、得体の知れない〈エンジェル〉などよりも、ヤンのことが心配だった。救出の優先順位が〈エンジェル〉の方が上であることは理解していたが、心情としてはヤンを優先したかった。傭兵の集まりである〈ミスリル〉では、粗野で下品な連中も多い。そんな中、温厚でお人好しなヤンは、好感の持てる人物だった。またASの扱いはからきしだが、ドライビング・テクニックに関しては右に出る者がいない、貴重なスキルの持ち主でもある。同じSRTの仲間として、ヤンを失いたくなかった。

 〈アーバレスト〉など、密林の中に置き去りにして、自分も斥候隊としてヤンの捜索に加わろうか。

 自分がそんな選択をする筈が無いと知りながら、宗介は搭乗者の居ないまま、うなだれた乗降体勢で森の中に佇む〈アーバレスト〉を想像し、密かに溜飲を下げた。

「そろそろ準備して」

「了解した」

 サントスの指示で、宗介はヘリ後方の格納スペースへと移動した。今回はパラシュート降下ではなく、ヘリが着地するのだが、万が一に備え上陸までASにはパラシュートが装着されている。宗介は、整備クルーとの確認を済ませた後、窮屈そうな恰好の〈アーバレスト〉にするすると登り、コックピットへと乗り込んだ。

 そんな、ほとんど無音と言っていいコックピットの中で、宗介が〈アーバレスト〉に搭載されたAI〈アル〉を起動させたのは、彼にしては非常に珍しい、ただの気まぐれだった。

おはようございますグッドモーニングサガラ軍曹サージェント・サガラ

「今は朝ではない」

『知っています。ですが、私は今起きましたので』

 相変わらずの憎たらしさに、宗介は早くも自身の気まぐれを後悔した。

「やはり、いけすかないAIだ、お前は」

『サガラ軍曹は、私がお嫌いでしょうか?』

「ああ」

 すると〈アル〉は、ほんの一瞬黙った。機械のくせに、まるでショックを受けているかのような反応だ。

『では今後のために、改善点を教えていただけますでしょうか』

「必要なこと以外口にするな。俺はお前とお喋りを楽しむつもりはない」

了解ラジャー。しかし、私はこれまで必要なことしか話しておりません』

「口答えや軽口が、必要なことだと?」

『肯定です、軍曹殿』

 これがテッサやカリーニンの命令でなければ、機体を降りていたかもしれない。あまりに馬鹿げている。

「では、その必要性を説明してみろ」

『それが〈ラムダ・ドライバ〉の駆動に必要と推測するためです』

「……なんだと?」

 〈ラムダ・ドライバ〉。そのキーワードを聞き逃すわけにはいかなかった。だが、宗介が口を開こうとした時、サントスからの通信が入った。

『ゲーボ9より各位へ。目標地点へ到達。これより着陸態勢に入る。ウルズ7を除く全クルーは着席せよ。繰り返す。ウルズ7を除く全クルーは着席せよ。……ウルズ7、出撃準備は?』

「ウルズ7、問題ない」

『了解。ではこれより降下を開始する』

 通信が切れて間もなく、ヘリが降下を始めた。着陸後すぐに作戦行動開始だ。今は余計なことを考えるべきではない。

「今の話、帰投後に詳しく聞かせてもらおう」

了解ラジャー。今は作戦行動に集中下さい』

「貴様に言われなくても分かっている……!」

 宗介は、コンソールを殴りつけたい気持ちを堪え、大きく深呼吸をした。




 宗介達が〈ペイブ・メア〉でメリダ島を出発したと同時に、テッサは強襲揚陸潜水艦〈トゥアハー・デ・ダナン〉を出航させていた。超電導推進による全速航海で、〈ペイブ・メア〉を追っていく。

「サガラさんは、〈アーバレスト〉に乗ることに納得してくれましたか?」

 テッサは艦長席に腰かけたまま、背後のカリーニンに尋ねた。

「いえ、不服な様子でした」

「そうですか。……まあ、そうでしょうね」

 予想通りの答えに、特に気にした様子もなく、テッサは頬杖をついた。代わりにカリーニンの反対に立つマデューカスが、言葉を続ける。

「だが少佐。そもそも本当に、今回の作戦に〈アーバレスト〉が必要だったのかね?あれは代えのきかない機体だろう」

「問題ありません。通常の敵ならば、サガラが機体を大きく損傷させることはないでしょう」

「何事にも万が一はある」

「その通りです。そののために、〈アーバレスト〉が必要だということです」

 上手くやり込められたマデューカスは、まだ不服そうだったが、それ以上は黙った。

 最も、カリーニンとて今回の選択に自信があるわけではなかった。仮にカリーニンが想定する最悪の状況になったとして、その時は撤退が最善の選択肢だろう。宗介は未だ〈ラムダ・ドライバ〉を使いこなすどころか、二回目の駆動すら実現していないのだ。そもそも、宗介のような堅物が、手品のような装置を使いこなすことに無理があるように思う。

「きっと大丈夫です」

 そんなカリーニンの心の内を呼んだかのように、テッサが言った。

「もしも、我々の想定する最悪の事態、つまり敵もまた〈ラムダ・ドライバ〉を有していたとしても、きっとサガラさんは勝ちます」

「失礼ですが、艦長。その根拠を聞かせていただけますか?なにせサガラはテストパイロットとなった初日以降、一度も〈ラムダ・ドライバ〉の駆動を成功させていないのですよ」

 マデューカスの言葉に、テッサは振り向いて言った。

「サガラさんが〈ラムダ・ドライバ〉を駆動させたのは、きっと偶然じゃありません。〈アル〉が彼を選んだんです」

「〈アル〉……あの、〈アーバレスト〉のAIがですか?」

「ええ。バニ……〈アーバレスト〉を作った天才は、そのためにあんなヘンテコなAIを搭載したんです」

 テッサは、自分で言った『ヘンテコ』という言葉に、くすりと笑った。そして、懐かしそうに目を細めた。

「パイロットと共に成長し、自我を持つ機体。〈アーバレスト〉は、単なる兵器ではありません。パイロットの分身とも言うべき存在なんです。だからこそバニは、〈アーバレスト〉を誰もが扱える機体にしなかったんだわ」

「つまり、サガラが選ばれたのは、〈アーバレスト〉を作った製作者の意志であると?」

 表情を変えることの滅多にないカリーニンも、訝しげに眉をひそめた。テッサは、部下のそんな反応を楽しむかのように、今度はカリーニンを振り返った。

「私はそう思います。私は、バニ・モラウタという人物を……そう、よく知っていますから。そして、そんな彼が作った機体が選んだサガラさんを信じます」

 そう言ってからテッサは、今の言葉を宗介本人へ伝えられなかった自分の意気地の無さを、少しだけ後悔した。

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