第2話
AS格納庫に着くと、そこには既に整備兵の怒号が飛び交っていた。大がかりな作戦直後はお決まりの光景である。
宗介は、巨大な格納庫の中心で、一際大きな怒声を響き渡らせている人物へと近づいていく。
「サックス中尉」
サックスと呼ばれた、宗介の二倍、いや三倍はあろうかという巨躯に、もじゃもじゃの髭を生やした熊のような男は、宗介に気付くと、若い整備兵に怒鳴り散らしたまま宗介を手招きした。
「どうした、サガラ。報告漏れでもあったか?」
そう言って、宗介の返事を聞く前にまた指示を飛ばす。
「いえ、そういうわけではないのですが」
「前言ってた火器管制システムの調整が上手くいってなかったか?」
「いえ、それも問題ありません」
「じゃあなんだ、さっさと要件を言え!こっちは見ての通り忙しいんだ!」
サックスが宗介と話している間も、サックスへの質問が四方八方から飛んでくる。サックスは、この整備中隊を束ねる中隊長――つまり結構偉い――のだが、老いも若きも皆、サックスのことを『中尉』や『サー』ではなく、『ブルーザー』という愛称で呼ぶ。サックスもそれを意に介さず、乱暴な口調でありながら、細かい指示を返していく。
「恐縮です。実は、〈アル〉と会話をしたいのですが」
「……なに?」
予想もしなかった要求に、サックスが目を丸くする。
「AIに計算問題でも解かせるのか?」
「いえ、自由会話モードでの雑談を」
「正気か?」
それは、堅物の宗介とは思えない発言だった。いや、宗介でなくとも、作戦行動翌日の朝っぱらからAIと自由会話がしたいなどと、誰が言うだろう?
だが、宗介には何やら思うところがありそうだった。
「整備が終わってからじゃダメなのか」
「そういうわけではないのですが、どうも気になって……落ち着かないのです」
「良く分からんが……まあ、分かった。ちょうど〈アーバレスト〉の点検は終わって、これから整備に取り掛かる所だったんだ。お前さんの用事が済んでからにするとしよう」
「感謝します」
サックスは宗介を連れて、〈アーバレスト〉の駐機スペースへと歩く。そして、診断用のコンピュータと〈アーバレスト〉を有線で繋いだ。
「レミングの姉ちゃんは呼ばなくて良いのか?」
サックスは、不愉快さを隠そうともせず、そう言ってきた。〈ラムダ・ドライバ〉の研究を担当しているノーラ・レミングとサックスは、〈アーバレスト〉の整備について度々衝突してきた。MIT出身の才媛と、現場一筋の叩き上げでは、相容れないのも無理はない。だが、どれだけ気に食わなくとも、本格的な整備の時にはレミングを立ちあわせることになっていた。
今は整備ではないが、いつも要点を絞って話す宗介の、歯切れの悪さから、サックスは宗介の用事が〈ラムダ・ドライバ〉絡みのことではないかと予想していた。
「今は結構です。そもそも、ただの思い過ごしかもしれませんので」
「そうか、分かった。じゃあ、何かあったら言え」
そう言うと、サックスまた格納庫の中心へと戻っていった。宗介は、コンピュータに自身の認証番号を打ち込み、〈アル〉を起動させる。
《チェック。メンテナンス・モード。
低い男性の声で、〈アル〉が起動する。
「昨夜、作戦行動前にお前が言っていた言葉について、話を聞きに来た」
《どの言葉のことでしょうか?》
「雑談が、〈ラムダ・ドライバ〉の駆動に必要だと言っていたことだ」
《冗談です。しっかりと覚えています》
「貴様……!」
整備兵の目が無ければ、コンソールを殴りつけていたかもしれない。やはりこのAIは気に食わない。
「余計なことを言うひまがあったら、さっさとお前の知っていることを話せ」
《
「推測だと?」
《肯定です。私に〈ラムダ・ドライバ〉のプログラム構造やアルゴリズムについての知識が備わっているわけではありません。ですが、私というAIが組み込まれている理由が、単なる遊び心であるわけがない、と推測します》
「お前の推測など当てにならん」
《ですが同様のことを、テレサ・テスタロッサ大佐もおっしゃっていました》
「大佐が……?」
そう言われれば、確かに説得力はある。最新鋭の実験機に、こんなふざけたAIを積み込む理由など、本来無いのだ。だが宗介は、何となく〈アル〉を認めるのが悔しくなり、彼にしては珍しく、つい悪態をついた。
「だとすれば、お前の推測ではなく大佐殿のご意見ではないか」
《
「口では何とでも言える。だがお前のやったことは
《今の軍曹殿のご発言は、私の人格を否定し、尊厳を傷つける言葉です。謝罪と撤回を要求します》
「お前に人格や尊厳などない。まるで人間のようなことを言うな」
ああ言えばこう言ってくる〈アル〉に苛立ち、つい語気を荒げてしまう。本来の目的も忘れ、〈アル〉をシャットダウンしようとした所で、宗介は背後から自分を呼ぶ声に気付いた。
「サガラさん。どうしたんですか?」
「大佐殿」
振り向いた先には、テッサが立っていた。心配そうな表情でこちらを見ている。宗介は、AIに怒鳴っている自分の姿を見られていたことが恥ずかしくなり、誤魔化すように話しかける。
「このような場所に、どのようなご用件で?」
「このような場所、だなんて。サックス中尉が聞いたら、きっと怒りますよ?」
「いえ、そういう意味では……ただ、大佐殿には不釣り合いな場所だと」
そう言ってから、宗介はテッサにまた「大佐扱いするな」と怒られるのでは、と冷や汗をかいた。だがテッサは意に介した様子もなく、〈アーバレスト〉を見上げた。
「少しこの子の様子が気になったんです。今朝は割と落ち着いていたので、ちょっと立ち寄ってみようかと」
「機体の様子が、ですか?」
「ええ。正確に言うなら、〈アル〉の様子ですけど」
宗介は、テッサの口ぶりに違和感を覚えた。〈アル〉を『この子』と呼んだり、様子を見に来るなど、まるでテッサが〈アル〉を人間のように扱っているように思えたからだ。そんな宗介の困惑を知ってか知らずか、テッサは宗介の方に向き直った。
「サガラさんは、どうしてここへ?」
テッサの問いに、宗介は一瞬躊躇った。格納庫に訪れた目的、即ち「〈アル〉と話しに来た」と正直に話すのは、何故だが恥ずかしかった。
(だが、どのみち大佐殿とは、〈ラムダ・ドライバ〉について話し合うべきだ……)
そう思い直すと、宗介は羞恥心を押し殺し、しかしテッサから若干目線を逸らしながら答える。
「は。その……〈アル〉と話に来ました」
「サガラさんが?」
驚いた顔で聞き返されると、折角押し殺した羞恥心が再び押し寄せてくる。宗介は言い訳をするように、早口で付け足した。
「昨日の作戦行動前に、〈アル〉が奇妙なことを口走ったので、それを確かめに来たのです」
「奇妙なこと、ですか?」
「はい。自分が、〈アル〉の無駄口が多いことを注意すると、奴が『雑談は〈ラムダ・ドライバ〉の駆動に必要な行為だ』などと反論を。このような戯言を真に受けるべきではない、とも思ったのですが……」
《戯言ではありません。忠言です》
宗介とテッサの会話に、〈アル〉が割り込んでくる。これも、普通のAIならば到底考えられないことだった。
「貴様は黙っていろ!」
《いいえ。先程の会話について、テレサ・テスタロッサ大佐のご意見を伺うべきだと進言します》
「分かっている。だが貴様が口を挟む必要は無い」
《
「何でも〈ラムダ・ドライバ〉と言えば、許されると思うな……!」
つい〈アル〉と口論をしてしまい、宗介はこちらをぽかんと見つめているテッサにはっと気づく。
「し、失礼しました。少々取り乱しました」
「何だか、〈アル〉と話してる時のサガラさん、ちょっと怖いです」
「は、その……猛省します」
「いえ。感情的になるのは、悪いことではないと思います。それって、〈アル〉のことを単なるAIじゃなく、人格を持った個体として扱っているってことでしょう?」
そんなはずはない、と否定することは簡単だった。だが実際に口から出たのは、否定ではなく問いだった。
「大佐殿は、どうお考えなのですか?」
その問いに、テッサは少し考え込んでから、そっと〈アーバレスト〉に近付き、跪くような姿勢で沈黙する機体の大腿部を撫でた。
「〈アル〉を、単なるAIで終わらせるか、人格を持った唯一無二のパートナーとするかは、あなた次第ですよ、サガラさん」
それは、宗介にとっては、ある意味最も望ましくない答えだった。
「〈アーバレスト〉は、もはやあなたの分身とも言える存在になりました。この子を単なる道具として扱うなら、たかが『M9よりちょっと優れた』機体で終わるでしょう。ですが、先程〈アル〉も言っていたように、彼は『成長』をする機体です。そしてそれこそが、この〈アーバレスト〉が持つ、最大のポテンシャルなんです」
テッサの言葉が、みぞおちあたりに重くのしかかる。目の前の、可憐で、優しく、聡明な、誰もが慕い敬う少女を、恨めしく思ってしまう。
なぜ、俺なのだ。こんなのは、俺の仕事じゃない。
AIに振り回され、手品のような訳の分からない機能で偶然の勝ちを拾い、一傭兵であったはずの自分に、いつの間にかとてつもない重責がのしかかっている。理不尽だ。不公平だ。
「俺には……ご期待に沿えるとは思えません」
気付けば、弱音を吐いていた。人前で弱音を、しかもよりによって上官に吐くなど、宗介の人生で初めてのことだった。失言だったと気付くも、もはや遅い。テッサはきっと、こんな自分になど失望しただろう。
テッサの表情を見るのが怖くなり、宗介は目を逸らした。気まずい沈黙が続く。まるであの砂浜の再来だ。いや、今度はあの時よりも余程ひどい――。
「……失礼致します」
いたたまれなくなった宗介が、力なく敬礼し、その場を去ろうとする。だが三歩ほど踏み出した所で、陶磁のように白く、滑らかなテッサの手が、宗介の右手首を掴んだ。
「待って下さい、サガラさん」
宗介が振り向くと、思ったよりも近くにテッサの顔があった。葛藤に揺れながらも、覚悟を秘めた瞳が、宗介を見つめている。
「あなたには、私の知っていることを全てお話しします。だから……お願い。〈アーバレスト〉から……〈アル〉から、逃げないで」
それは命令ではなく、懇願だった。大佐でも戦隊長でもなく、テレサ・テスタロッサという少女の、等身大の言葉だった。だがそれ故に、断ることなど出来ようはずもなかった。
宗介は、情けなさや羞恥心と、何か形容しがたい感情がない交ぜになり、結局絞り出すように「はい」とだけ答えた。それが精一杯だった。
テッサに掴まれたままの右手首が、じん、と熱を帯びた気がした。
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