2.歪むホイール・オブ・フェイト
第1話
〈トゥアハー・デ・ダナン〉の艦内は、静寂に包まれていた。作戦行動を終えた宗介達の回収を無事終え、潜望鏡深度から再び深海へと姿を隠したためだ。通常推進モードへ移行した〈デ・ダナン〉は、その巨体から想像も出来ないほど静かに、厳かに泳ぐ。テレサ・テスタロッサが設計した、世界に唯一の、自慢の
その〈デ・ダナン〉の、潜水艦にしては広く整然とした通路を、カリーニンが早足で歩いていた。宗介が捕獲した敵ASパイロット、ガウルンを拘留している、第一状況説明室へ向かうためだ。だが、背後からこちらへ駆けてくる足音が聞こえ、カリーニンは足を止めた。
「カリーニンさん、待ってくださ……きゃっ!」
ただでさえ大股で歩くカリーニンの早足に追いつくため、艦内を駆けてきたテッサが、つまづくものなど何もないはずの廊下で、『ずるべたーん!』という音が聞こえてきそうなほど見事にずっこけた。
「いたた……」
「ご無事ですか、大佐」
「ちょっと膝をすりむきましたけど、大丈夫です。すみません……」
差し伸べられたカリーニンの手を取り、服をはらいながらテッサが立ち上がる。
「どうされました」
「あの、今から例のテロリスト……ガウルンの取り調べに向かうんですよね?カリーニンさんにお任せしようと思ってましたが、やっぱり私も入ります」
テッサは傾いた階級章を整えると、背筋を伸ばした。
「ガウルンは恐らく、〈ウィスパード〉や〈ラムダ・ドライバ〉について、多少なりとも知っているはず。それに、背後の組織についても気になる事があるの。私の思い過ごしであればいいんですけど……」
「承知しました」
テッサの『気になる事』について詮索せず、カリーニンは無表情に頷くと、テッサに歩調を合わせ歩き出す。途中、カリーニンのPHSに電話が入り、短く応答して通話を切る。
「チドリ・カナメを乗せた〈ペイブ・メア〉は、重点警戒空域を無事通過。あと三時間ほどでメリダ島へ到着するそうです」
道すがら、カリーニンが報告する。コードネーム〈エンジェル〉と呼ばれていた、北朝鮮でマッカランの率いる救出部隊が救い出した少女のことだ。何かしらの人体実験を施された形跡があり、錯乱がひどく後遺症の可能性もあるため、メリダ島にある医療施設で検査と治療を行う手はずになっている。
部屋が見えてきた。テッサ達が姿を現すと、見張りをしていた
部屋の中には、
カリーニンが、ガウルンの猿ぐつわを外す。猿ぐつわを外されたガウルンは、美味そうに大きく空気を吸い、カリーニンを見上げた。
「よお、
「悪運の強い奴だ。生きていたとはな」
カリーニンの刺すような視線をあっさりと受け止め、ガウルンがパイプ椅子の背もたれに体を預ける。
「相変わらず陰気なツラだ。久しぶりの再会を楽しもうぜえ?」
「余計な問答をする気はない。貴様が知り得る全ての情報を吐いてもらおう」
「いいぜ、別に。だがその前に、喉が渇いた。冷えたビールの一つでも――」
言い終わる前に、カリーニンが目にも止まらぬ速度で、ガウルンの頬に左フックを見舞った。あまりに突然の出来事に、思わずテッサは身をすくめる。拘束されたパイプ椅子ごと壁まで吹き飛んだガウルンが、血とともに折れた奥歯を吐きだす。
「もう一度言う。余計な問答をする気はない。貴様がこれから話すことが出来るのは、我々の質問に対する答えと、尋問が終わった後の死に方だけだ」
ガウルンは床に転がった姿勢のまま、くっくと笑った。
「おお、怖い。オーケー、分かった。降参だ。何でも話すよ。これ以上殴られたくないんでな」
表面上は従順な振りをしているが、ガウルンにカリーニンの暴力が堪えた様子は無い。カリーニンも、そんなことは大して期待していなかったのだろう。それ以上は何も言わず、乱暴にガウルンを起こす。
カリーニンが自分のそばに戻ってから、テッサはガウルンの正面に着席する。目線を同じくしたガウルンは、より一層恐ろしく見えた。人の命を、何の躊躇いも無く奪うことの出来る、殺人者特有のくすんだガラス玉のような目の奥には、深い闇が広がっている。そんなテッサの怯えを感じ取ったのか、カリーニンが一歩テッサに近付き、ガウルンを睨めつけた。
「はじめまして。戦隊長のテレサ・テスタロッサよ」
テッサが名乗ると、ガウルンは初めて興味を引かれたように、テッサに焦点を当てた。
「ふうん、そうか、あんたがね……」
「どこかでお会いしたことがあるかしら?」
「いや?だが、俺はあんたを知っている」
思わずテッサの表情に動揺が走る。
「どういうことだ」
カリーニンの問いに、テッサから視線を外さないまま、ガウルンが答える。
「おいおい、焦るなよ。何でも話すって言ったろ?俺は約束を守る主義なんだ……。クハッ!本当さ!」
ガウルンが笑いだす。カリーニンは、拘束されているガウルンの両手を机の上に引っ張り上げ、右手の小指を掴む。
「質問に答えろ」
「ふん、冗談の通じん奴だ。いいぜえ、やりな。それで俺が屈服すると思っているならな。ただ、折角話すと言っている俺の機嫌がどうなるかは知らんがな」
ガウルンは、なおもテッサを見つめたまま、平然と言った。一瞬の静寂。
「カリーニンさん。結構よ」
カリーニンが力を込めるより一拍早く、テッサが制止した。カリーニンは、静かに下がる。
「そうそう、その方がお利口だ」
「勘違いしないで。あなたのご機嫌を取ったわけじゃないわ。その方が手っ取り早いと思えば、後のことはカリーニンさんに任せます」
テッサは机の上で手を組むと、ガウルンにぐっと顔を近づける。
「あいにく、あなたと違って暇ではないの。早速聞かせてもらいます。まず、なぜ私を知っているの?」
ガウルンは、数秒黙ったままテッサを見つめていた。口角は上がっていたが、目は全く笑っていない。まるで何かを値踏みしているようだった。やがてガウルンが、もったいぶるように口を開く。
「……あんたの兄から聞いたのさ。最新の
その言葉を聞いて、テッサは重い鈍器で頭を殴られたような衝撃を感じた。それは、ガウルンの言葉が予想外だったからではない。予想はしていた――ただ、その予想が外れてくれればと、願っていただけだ。
テッサの兄は、レナードと言った。レナード・テスタロッサは、若干十六歳にして歴戦の兵を率いるテッサをして、劣等感を抱かせしめる、天才の中の天才であり、テッサと同じく〈ウィスパード〉と呼ばれる者の一人である。
敵に〈ラムダ・ドライバ〉を搭載するASを建造する技術がある時点で、〈ウィスパード〉を擁することはほぼ確実であった。そして、千鳥かなめや、宗介がソ連でKGBから救出した少女――クダン・ミラを除けば、テッサが知る限り、今この世にいる〈ウィスパード〉はレナードしかいなかった。だが、実の兄が敵対する組織に属し、どのような形であれ、非人道的な行為に関わっていると知るのは、想像以上に辛かった。
無意識のうちに、組んだ手に爪が食い込むほど力が入っていた。テッサは下唇を強く噛み、己の感情を必死に押し殺す。今は駄目だ。この男に、微塵も隙を見せてはならない。
「そう。やっぱり」
まるで無関心である風に装い、テッサはにこりと微笑んだ。ガウルンは、つまらなそうに息を吐く。
「予想はしてたようだな。まあ、そうなんだろう。お察しの通り、あのAS――〈コダール〉は、あんたの兄が造ったのさ」
「あら、随分サービスが良いのね」
「回りくどいのも嫌いじゃないが、無駄なことはしない主義でね」
どうやら、本当に全てを話すつもりのようだ。
「では、あなたの属している組織についても話してもらおうかしら。組織の構成、保有している戦力、目的は何なのか、なぜ『千鳥かなめ』を狙ったのか――あなたの知る全てを」
「アイ・マム」
ガウルンはおどけたように、手錠をつけたまま両手で敬礼をする。そしてひとしきり楽しそうに笑った後、ガウルンは手を下ろした。
「俺の組織は〈アマルガム〉と呼ばれてる。規模については正確に知らんが……まあ、少なくともあんたらよりでかいはずだ。レナードがそう言っていたからな。戦力についても良くは知らんよ。あまり興味が無いんでね。ただ〈ラムダ・ドライバ〉を搭載したASは、〈コダール〉以外にもいくつかあると聞いている」
あの〈ラムダ・ドライバ〉搭載機が、複数機――どうやら敵の戦力に関する推測を、大幅に上方修正しなければならないようだ。
「トップは何者なの?幹部は?」
「知らん。俺も一応、幹部ってことになるんだが……なあ、そうなんだよ。俺って実は偉いんだぜえ?」
「全て話すんじゃなかったの?」
「本当に知らんのさ。正確に言えば、〈アマルガム〉にトップは存在しないことになっている。全てを把握している奴なんかいるのかね」
「つまり、一般的なピラミッド型ではなく、まるでインターネットのように、それぞれの意思が独立している組織なのね……」
テッサは、髪先で口元をくすぐり始める。
「〈ラムダ・ドライバ〉を扱えるパイロットも、貴様以外にいるのか?」
カリーニンが口を開く。ガウルンは気怠げにカリーニンを見上げた。
「俺は今、艦長さんと話してるんだがね……。まあいい。ああ、いるぜ。うようよな」
「誰でも扱えるものではないはずだ」
「お前らのような偽善者とは違うのさ。適性の無い人間は、適性の有る人間に作り変えてやればいい。最も、そんな奴に大したパイロットはいないがね」
目の前の男に、『偽善者』と呼ばれたことに、テッサは激しい憤りを覚えた。偽善者だと?どの口が言っている。許さない。大切な仲間を何人も殺したお前を、私は生かしてやっているのに――!
我慢できず、呪詛の言葉が口から飛び出そうになるテッサの肩に、カリーニンが静かに手を置いた。それはほんの一秒ほどだったが、テッサは何とか怒りをこらえた。ここで我を失っては、この極悪人を喜ばせるだけだ。
テッサは大きく息を吸って、独り言のように話した。
「パイロットは慎重に選ぶべきね」
それは単に、質問の前に自身の気持ちを落ち着かせようとしただけの言葉だったが、それを聞いたガウルンは、意外な反応を示した。
「全くだ。いくらパイロットの替えが効くったって、下手な奴に乗られて毎回機体をおしゃかにされたんじゃ、たまらんよ」
パイロットの替えが効く。どういうことだ。
「あなたたちは……あの機体を使いまわしているの?」
「あいにくまだ実験段階でね。だから大事な場面でオーバーヒートなんかしやがったのさ。だがいずれはそうするつもりだ」
「そう……新車が不良品で残念ね……」
生返事をしながら、テッサは思考を巡らせる。レナードが設計した〈ラムダ・ドライバ〉と、亡きバニが設計したそれとは、違いがあるのだろうか。つまり、〈アーバレスト〉をオーダーメイドスーツとするなら、〈コダール〉と呼ばれる〈アマルガム〉のASは汎用性のある量産型といえるのか。あるいは、〈ラムダ・ドライバ〉搭載機への、パイロットの
単にガウルンが、〈ラムダ・ドライバ〉搭載機が複数のパイロットを受け付けないことを知らないだけかもしれない。だがもし、〈コダール〉に汎用性があるのだとすれば、安易に分解することは出来ない。テッサはポケットから端末を取り出し、〈コダール〉の調査を命じていたレミング少尉に、『敵ASの分解は外装までとし、コアユニットの解体は禁止。再利用の可能性あり』と短いメールを打つ。
「もう一つ、大事な事を聞かせてもらいます。チドリ・カナメについて、知っていることを話しなさい」
「あの小娘が、お前らと同じ〈ウィスパード〉ってことくらいだ。順安で拉致した後に行った実験で、何かしらデータを得られてるのかもしれんが……あいにく、それを聞く前に捕まっちまったんでね」
「それにしては、あまりに大がかりでリスキーな拉致方法だったんじゃないかしら?」
「そいつは俺の趣味だ。だが、実際に手こずっただろう?」
悔しいが、その通りだった。だがもう二度と、後手は踏まない。
「私達に喧嘩を売ったことを後悔させてあげます。あなたにも、〈アマルガム〉にも……兄にも」
そう言い捨てると、テッサとカリーニンは部屋を出る。カリーニンが見張りの二人に「しばらく水以外は与えるな。徹底的に痩せ細らせろ」と指示をする。
「どうにも気になります」
発令所へと歩きながら、珍しくカリーニンが歯切れ悪くそう言った。
「ガウルンのことですか?」
「はい。奴は決して自暴自棄になったり、恐怖で従順になるようなタイプではない。今も虎視眈々と、この状況から生き延びるためのチャンスを狙っているはずです。だが、そのためには〈アマルガム〉に関する情報が奴の生命線となる」
「ああも軽々しく、情報を明かすはずがないと?」
「肯定です」
それはテッサも感じていた。ガウルンのことを良く知るカリーニンも同じように感じたのであれば、この違和感は間違いないのだろう。
「どんな交渉材料があろうが、彼を解放することは有り得ません」
「同感です。まずはこの後、自白剤を用いて証言の裏を取りますが、よろしいですか?」
「許可します」
敵は、こちらの予想を遥かに上回る規模かもしれない。対策は急ぐ必要がある。テッサは、大きく獰猛な肉食獣が、自分を前に舌なめずりしているような映像を思い浮かべ、それを必死に振り払うように、足を速めた――。
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