第3話 パーティ会場

一か月後――。


 春子はパーティ会場で『****』を読みつつ、壁の花に徹していた。

 衣装は、シンプルなミディラインの黒いノースリーブドレス。

 大人しいデザインながらふんわりと柔らかい生地が、やさしいシルエットを演出していた。細かいレースのボレロから伸びるすんなりとした腕は、華奢で儚げにすら見える。


 が、その手の先にあるのは、ぶ厚いハードカバーである。

 おまけにパーティ会場のシャンデリアの光が眩しいためか、春子は目をすがめていたのでなんか変な迫力がでていた。壁の花(威圧感)


 春子は片手でハードカバーを閉じ、目頭を押さえた。

(能力は使ってるけど、今のところ全部外れ。本当にここにアスタリスクはいるのかな?)


 そもそも伊口さんの推論が間違ってるかもしれない、――と春子は疲労感を隠し切れずにうっそりとため息を吐いた。

 伊口の見つけた“アスタリスク発見の突破口”は、『****』の巻末に掲載されている膨大な参考文献だった。ちなみに二十ページで二百五十件はあった。多すぎる!


 伊口によれば、『アスタリスクはこの参考文献をすべて読んで執筆に生かしたはず。そこで春子の能力でパーティ会場の作家の読書履歴を調べて、巻末の参考文献と読書履歴がすべて一致した人がアスタリスクだ』――ということらしい。


 しかし、会場中の作家の読書履歴を能力で覗いてみても、今のところ該当者は一人もいなかった。

 ただひとつ気付いたことがある。この会場には、作家がやたら多いのだ。もちろん、話題性のためかマスコミや出版関係者もいるのだが、招待された作家の方はその二倍はいた。


 おかげで、春子は能力を使いすぎて頭が噴火しそうだ。

 唯一の救いは、ほとんどが若手作家だということくらいか。ベテラン作家ともなれば読んだ本は膨大で、下手すればそれを全部読み込んでしまい、能力の暴走で春子の方が倒れてしまう。


 かつて司馬遼太郎は軽トラックいっぱいに参考資料を買い集めたというが、春子は同時代の人間でなくて心から安堵した。数千冊の読書履歴を頭に叩き込まれたら気絶は間違いない。

 春子は気を取り直すように頭を振った。思考がずれてきた。


「しかし、私がこんなに頭を痛めて頑張っているのに、伊口先生は女の子との立ち話に夢中だし」


 じとっと見つめる視線の先には、十七歳くらいの女の子の背中と伊口先生の楽しそうな顔。まぁそりゃあ、女の子と話すのは楽しいでしょうけど……。

 春子の恨めし気な視線に気づいたのか、伊口はこちらを向いて手招きした。

 近づくとお酒臭かった。


「春子ぉ、聞いてくれよ。彼女がお前の能力を信じてくれないんだ」

 おまけに泣きつかれた。どうやら自分をネタに盛り上がってたらしい。


「別に信用してないわけじゃないですよ~。ただ、本当なのかなぁって思っただけです~」


 そう言って女の子は困ったように笑った。

 それを信用していないというんじゃないかとは言わぬが花である。

 女の子は、『ここなし心』と名乗った。児童文学作家らしい。どこかで聞いたことがあるような……。春子も困ったように首を傾げた。


「うーん、私も本当です、と言いたいところだけど、証明する方法がないですからね」

「あ、じゃあ私の助手がどこにいるのか当ててもらえませんか。彼はやたら物騒な本ばかり読んでいる助手で、この前読んでいたのは確か……、【海外逃避行の旅――ヤッちまったあなたへ――】ってタイトルでした」


 ジーザス……! そんな奴一人しかいねえ! 

 引きつった顔で会場を見回した春子の視線は、一人の人物にぴたりと吸い寄せられた。どんなに能力を使っても、同じ読書履歴の人はいなかったのである。


 二つ先のテーブルで料理を皿に取り分けていたのは、あの『いずれさん』だった。

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