覆面作家『****』の殺人
北斗
第1話 常連の『いずれさん』来店
「ま、また来てる、あのお客さん……」
磯崎春子は本棚の影に隠れながら戦慄した。挙動不審の書店員である。
本棚を物色している客の男は、どこにでもいそうな風貌だった。黒い短髪にスーツ、重そうな書類カバンに磨かれた革靴。
誰の目にも、仕事帰りに本屋に寄った二十代後半の普通のサラリーマンにしか見えないだろう。
だが、春子の目には男の異常ぶりがありありと映った。
春子の視界には、男に重なるように本のタイトルがずらりと並んでいたのだ。
春子以外には誰にも見えない、この客が今まで買った本の履歴だ。
その内訳は……。
【完全殺人マニュアル】
【ザ・殺人術】
【古今東西犯罪者物語――逃げ切った指名手配犯――】
【犯罪かかるお金とリスク】
などなど。とにかく物騒な本しかなかった。
そしてその履歴に、新しくぴかぴかと点滅する本のタイトルが一つ。
これは彼が探している本らしいが、物騒度はさらにレベルアップしていた。
【海外逃避行の旅――ヤッちまったあなたへ――】
この本を探しているということは、つまり――。
春子は、内心悲鳴を上げた。
(やだ、とうとうヤッちまったのね。あの人……!)
春子は少女漫画のように白目をむいた。
客が読んできたあんまりな本のラインナップに、今まで客のことをこっそり『いずれ殺人犯(略していずれさん)』と呼んでいたが、とうとう『指名手配犯』と呼ばねばならない日が来てしまった。
悲鳴も上がろうってものだった。
頼むから、物騒な本が好きなだけの好青年であってほしい。
……いやでも五十冊近く危ない本しか買ってない好青年とかいるんだろうか。いやいない。
春子はダラダラと冷や汗を流した。
――そう、春子は『人の顔を見ただけで、その人が読んだ本と探している本が分かる程度の能力』を持っていた。
□□□
(こんな能力、持ってなければよかった……)
すぐさま駆け込んだバックヤードでへこみつつ、段ボールを開ける。
そこには、取り置きしていた他の本に交じって、あの客が探している【海外逃避行の旅――ヤッちまったあなたへ――】が鎮座していた。
買った本の履歴が分かるということは、その人の好みを網羅できるということである。『いずれさん』の本も今までの傾向を見るに、この本をいずれ欲しがるだろうというのは予測できた。
そう、春子は自身の能力により、『とても口には出せない本or探している本』を必ず見つける凄腕書店員として名を馳せてしまっていたので、……書店員のプライドに掛けて、注文される前に取り寄せざるを得なかったのだ。
(まさか届いた当日に欲しがっていることが分かるとは……)
渡す心の準備ができていないのに。
犯罪をいつかやらかしそうな人に、犯罪に関しての本を渡すのはとても気が引けるものだ。
タイトルからして意味深すぎるし、どういう目で『いずれさん』を見ていたのか、まるわかりになってしまう。普通の接客なんかできるわけない。
だから、今までも春子は先回りして『いずれさん』の寄りそうな棚にバレないように本をそっと差し込む、という方法で直接の接客を避けるようにしていた。
が、何の因果か春子がレジ担当に入っている時に『いずれさん』がやってくる確率は八十%。高い。
春子は今日こそはと思い、一計を案じることにした。
(――バケツとタコ糸と水風船を使って、担当呼び出しボタンに細工をしよう)
春子の能力のおかげで、春子でなければ対応しないという大口の客もいる。その客からの呼び出しがあったということにすれば、レジを替わっても店長も許してくれるはずだ。
春子は罪悪感を押し殺しつつ決意に燃えた。
どちらかというと、春子が犯罪者の気分だった。
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