森島章子は人を撮らない

作者 秋永真琴

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★★★ Excellent!!!

面白い。

章子ちゃんのセリフ回しや描写がとてもリアルで、作者さんの近くにもこの手のタイプの天才がいるのかしら、と思いました。
 こういう、人とは違うぞ、という人物を描けるのはとても羨ましく、見習いたいです。

また感想になってしまいますが、
章子ちゃんの作品に触れた時の主人公はここからどうなるのだろうとハラハラして読んでいました。
しかしそこでキチンと素直に自分の気持ちを言えるほど強く、また自分の表現活動に誇りを持っている主人公でよかったです。
徐々に興奮していくのがとても表現されていました。

ただ、「ファイルを閉じる頃に手が震えていた」描写がありましたが、そこまで肉体的な興奮の描写がなかったために(あったらごめんなさい)、現実にひゅっと無理に連れ帰られた感じがしました。
感情の高ぶりに肉体的な描写や、五感によるアプローチを入れるとさらにあのシーンが印象付けられるのではないかなと思いました。

また、これは本当に難しいことだと思いますが、この素敵な物語、文章の作者さんだからこそ章子ちゃんの写真を、才能をさらに翻訳してほしいと思いました。

とても面白かったです。
ありがとうございました。

★★★ Excellent!!!

才能って何だろう?

目に見えない、テストや検査で測れない、つかみどころがない。
けれども確かに、どんな分野でも何かにつけて取り沙汰される。
才能というものは存在し、人によってその多寡が異なるらしい。

どちらも若くて繊細な、才能に溢れた人と平凡さを自覚する人。
世界を翻訳してみたいと望む切実な心はよく似ているけれども、
傷つけることや傷つけられることを恐れれば、触れ合えない。

振り返って、私自身はどうだろう?

打ち砕かれたり嫉妬したり曲解したり、しなくなってきました。
物凄さに衝撃を受けたり悔しくなったりすることはあるけれど、
さんざん痛い目に遭って、したたかに開き直れてきたようです。

くるしくなったときに、また読みたい。

★★★ Excellent!!!

表現する方法にも色々あって、例えば綺麗に見えるテクニックをふんだんに使ってひたすら見映えを追求したようなものだって一つの方法だし、そういうのを好む消費者だっている。しかし、この小説に登場する女性二人が追っている表現は違う。彼女らが追っているのは、自分の中に入っているものを実直に見つめ直し、世界で自分一人にしかできないような方法で見ているものを”翻訳”することだ。それはとても勇気の必要な行為で、全部出し切った作品が評価されなかったらどうしよう、自分に才能なんてなかったらどうしようという恐怖が常に付きまとう。それでも、愚直に書き続けることしかできないし、結局表現者ってそういう生き物だよね。表現を志す多くの人に響く短編小説だと思います。

★★★ Excellent!!!

カクヨム登録者二十五歳以上の六割を殺す物語ではないでしょうか。創作にもがく人々の話はあまりに自らを投射するので避ける傾向だったのですが、〝彼女〟が出てくるのならば読まねばならない。結果、殺され、でもまたキーボードを打ち付けているのですから不思議なものです。

さて、下記は「カクヨム金のたまご」 髙橋剛氏の言葉の引用です。(勝手にして怒られるかなあ、多分、大丈夫だと思いたい)
『リアリティには文字通りの現実味のほか、物語的な現実感も含まれます。現実味を出すには事象をご自身の観点から捉えて文章で過不足なく説明する必要がありますし、現実感を出すには設定が著者の都合ならぬ必然性をもって練られている必要があります。』
ああ、通ずるものがあるな、と思いました。
道は繋がっている、けれど一通りではない。私は私の物語を紡ぎましょう。

★★★ Excellent!!!

 これは天才の物語です。
 この言葉は白旗のようなものだ。
 あまりに美しいストーリーライン、あまりに美しい文章、そのまま商品にしてしまえるのではなかろうかという作品だった。
 勿論面白い。勿論惹かれる。
 だがそういうことじゃないのだ。
 この作品は天才を美しく丁寧に精緻に描いた話であり、その描写の見事さに私はすっかりやられてしまった。
 きっとこれを読む貴方も同じ感想を持つことだろう。
 そして「これは天才の物語です」としか言えなくなる。

★★★ Excellent!!!

というタイトルを書くために
アントニオ・サリエリと同時代の天才画家を頑張って探しました。
ダヴィッドとサリエリはほぼ同時代人です。生没年的に。

私がここで言うサリエリは、アカデミー八冠に輝いた
かの映画『アマデウス』の中のサリエリのことです。
史実のサリエリの実像とはかけ離れた話ですが、その前提で筆を進めます。

アマデウスのサリエリは、自分の才能に限界を感じている凡人です。
そして、同じ道の天才であるW・アマデウス・モーツァルトに出会い、
異常なまでの崇敬と、そして狂おしいほどの嫉妬と憎悪を抱きます。

本作『森島章子は人を撮らない』は「天才の物語」という
レギュレーション上に構成されるわけですが、
サリエリがモーツァルトに見い出したのと似たような天才性を、
語り手である小説家志望の女性は、自分とは全く別の、
写真撮影という道の天才の中に見い出し、そしてやはり苦悩します。

単に天才が天才として何かをする、という話ではなく、
天才が天才として在ることが、物語の上で、
登場人物の心情に対して、強く大きなメッセージを発する。
これは、そういう作品です。キャリアのあるプロフェッショナルの、
確かな力量と、そしてその筆さばきの洗練を感じさせてもらいました。

★★★ Excellent!!!

本気で表現したものを他人の目に晒すって、とても勇気のいることだと思うのです。そのうち迎合して他人の喜びそうなものを作り始めたり、生活に紛れて表現することをやめてしまったり。
作中の女子二人も怖さを抱えて、でもその先へ行こうとしている。私、この子たちなら大丈夫だと思えるんです。応援したい。安物のワイン一瓶差し出すくらいしかできませんけど。
読者に応援する手段を考えさせるくらい、この子たちは生きています。少なくとも私のなかに根を張ってしまいました。また別のお話で再会できると嬉しいです。

★★★ Excellent!!!

これはラノベではありません。一度でも作家を志し、物語を完結させるという壁にぶつかった者が感じる、よくある体験談です。
しかし新鮮な視点があります。壁を乗り越え作家になった、先を行く人々の視点が見られるということです。
……怖いんだ、やっぱり。
自分は小説の才能がありません。ひとりっきりで物を書く孤独に耐えられないのです。
それでも書ける文章があるのではないか、そんな気持ちがぼんやり浮き沈みしています。
良い短編でした。

★★★ Excellent!!!

>自分に生まれた負の感情をごまかさずに受けとめれば、それは健やかな燃料に変わるはずだ

それはきっと創作に関わる人だけでなく、すべての人に同じく響く言葉だろうと

創作に「しなきゃ」って感情はどうなんだろう? って思ったけれど、たぶん何かを創り出す人はそんな気持ちに突き動かされているんでしょう
何かを創る人ではない私はそう受け止めました

★★★ Excellent!!!

自分には、ほんとうは才能などないのではないか──これは、創作に携わるものなら誰でも一度はもったことのある恐怖だ。
そんなことはない、と心の中で打ち消していても、圧倒的な「本物」の才能の輝きを目にしたとき、創作者は徹底的に打ちのめされ、惨めなまでに萎れてしまう。そして、天才を受け入れることのできない自分の小ささにもまた、ショックを受けるのだ。
この作品は、そんな残酷な現実を突きつけられた主人公の挫折と再生を描いている。自分の小ささを知り、それを苦い思いとともに飲み込んだところからが本当の勝負のはじまりなのだ。

★★★ Excellent!!!

才能とはなんなのか——突き抜けたオリジナリティなのか、創り上げたスタイルなのか、天賦の素質なのか、努力できる強度なのか、継続できる資質なのか、何度でも立ち上がることなのか、群れないでいることなのか、人に盛り立てられる力なのか、売れることなのか、ひとりにでも深く届くことなのか——痛いほどのたうちながら、捜し求めた軌跡を、この作品には感じます。その答えを深く求めたことのあるひとほど、作者が考えたことの痕跡を多く見つけられるのではないかと思います。
ふたつの才女が、対比的に付置され、才能について真剣に語り合います。時に緊張感を醸し、一方が謳えば一方が支える、二重協奏曲を聴いたような読後感があります。
別作品のヒロインである、章子のキャラクターはやはり出色です。なにげに小塚くんが一般人には十分説得力を持つラインを保っていることが、二人の才女のいる次元を際立たせる、いいコントラストになっていると思います。

★★★ Excellent!!!

拝読しました。
「才能」とは何か。秋永さんのおっしゃる通り、それは視えないし、さわれないものです。だからこそ、局面によってはハッタリや思い込みでやり過ごしてしまうことができる。
しかし時に、自分の才能じゃ勝負にならないモノとぶつかってしまう時がある。ハッタリが唯一、通じない相手は世界で一人、自分自身ですね。
そして正直に告白すると、読後に私はこう思いました。もし自分にその時が訪れたなら森島章子の役回りで居たいと。自分の残酷さと対峙させられた思いです。
商業でも書いておられる秋永さんは、きっと森島さんの役回りも、新井さんの役回りも、両方経験されたことがあるのでしょう。だからこそ新井さんは自分を諦めず、昨日よりちょっとでも先に進む選択をする。
北村薫氏は「本当にいいものはいつでも太陽の方を向いている」と言いました。秋永さんの小説も、そしてきっと作中の森島さんの写真も、力強く太陽に向いて、後から来る人たちに正しい方角を示しているのだと思います。

★★★ Excellent!!!

 もうわたしは秋永さんの文が好きすぎて小説として妥当に評価できない自信があるんですが、それくらい文じたいの居心地がよくてなんだかボーッと読んでいたくなるんですよ。結局、人間ってどんな話を面白く感じるとかじゃなくて、好ましい人が喋っているならどんな話だって聞いていたくなるんですよね。そういう感じで、わたしにとっては秋永さんの文というのはなんでもいいからつらつらと読んでいたい類のものなんですけど、これって褒めてることになるんでしょうか? 褒めてるつもりです。