チンポに突き刺さるディストピア感

ささやか

第1話 素晴らしき近親相姦

 下級人間が食事を摂取する安っぽい牛丼屋にしみったれた怒声が響きわたる。

 だっらよー、おれはセットじゃんくて、別々に、べーつべーつに、牛丼と豚汁と卵を頼みたかったんだよー。え、何、それで、お前、勝手に、セットにしちまってどう責任とってくれんの? もう食っちまったんだけど、え? え? え?

 ですがお客様。白い店員がくそが死ね的営業スマイルしている。セットの方が60円お得なんです。ですから自動的にセットになりまして。

 あぁ? 関係ねえよ。今日のおれはリッチにいきたかったの! それをてっめーが勝手に邪魔したの! どうすんの、ねえ、どうしてくれんの。おれの気持ちめっちゃ傷ついたんですけど。足りないんですけど、誠意。

 大変申し訳ありませんでした。と謝罪している。それを見聞きしながら食べる牛丼は薄給に拘束される奴隷の味がした。

 もう人生にはうんざりだった。向いてない。わたしは人生に向いていなかった。美味しいと思えない牛丼を食べ終えて店を出る。クソクレーマーの怒声はきっと店員があいつの汚い靴をぺろぺろなめるまで続くのだろう。

 昼間だというのに外は暗かった。どうせ暗かった。それは分厚い曇天のせいでもあったし、単純にわたしの気分の問題でもあった。

 目の前を真っ赤な自転車が通り過ぎ、ちょっと立ち止まる。そのせいで渡ろうと思っていた信号が赤になってしまった。交差点を渡るのを諦めてスマートフォンをポケットから取り出して、ふと馬鹿馬鹿しくなる。なんでこんなふうに生きていなくてはいけないのだろうか。社会には優しさが足りない。社会には寛容が足りない。そして何よりも理性が足りない。

 今は昼休み中だった。息を吐く。これから職場に戻らなければならない。ならないだって? そうだ、どうしてわたしはあんなクソみたいな場所に好き好んで戻ろうとしているのだろうか。本当にうんざりする。

 ブックマークしていたWikipediaをひらく。尊属殺法定刑違憲事件。わたしがこれを知ったのは中学生の社会の授業だった。社会科教員は痛みをこらえるようにして過去に起こった陰惨な悲劇を語った。

 実際、尊属殺法定刑違憲事件は人間の醜悪さを煮詰めて凝縮させたようなクソくらえな事件だ。十四歳のころから娘が実父に犯されて妊娠・中絶・出産を繰り返したのだ。それでも彼女は結婚を考えるような恋人ができるのだが、これに激怒した実父が彼女を監禁し、最終的に彼女が実父を殺害してしまったのだ。

 近親相姦の最悪とも呼べる事件が現実に日本で起きていたというのだから反吐がでる。まっとうな人間として忌み嫌うべき事件だ。何が日本は素晴らしいだ、美しいだ、社会には溝泥よりも汚い人間の本質が満ち満ちているじゃないか。そう、思う。

 けれどもわたしはこうも考える。この父親のように一人の女を自分の所有物としてほしいままに犯して使うことができたらどんなに愉しい人生なのだろうか、と。きっと欲望が充足された毎日で、人はそれを幸福と呼ぶ。幸福の終わりと共に父親は死んだ。

 可愛い娘がほしいな、と思った。毎日でも犯したくなるような。尊属殺法定刑違憲事件はわたしの希望でもあり安らぎでもあった。

 そして現実は青信号を渡りてくてくと歩けば職場についてしまう。最悪だ。仕事をする。するとクソ上司がクソい面をさげてクソ的な声でクソほざいた。

 マキアH楽、ちょtいいkあな。

 なんでしょうか。とわたしは言う。

 線J地出したもらて、訴類なんだけどね、Aレジェあ子案るよ。モイスが多くて、全然戊クの言ったAことができたに得たないじゃないか。君、研修で蘇南子供y田こtなかたの?

 すみません、すぐに修正します。

 うm、よろしくね。

 クソ上司からみみずがのたくったようなと言えばみみずに失礼なほど汚い赤文字で修正されたペーパーを受け取る。この他人に判読させるという文字の機能を一切理解していないかのような汚字を解読することから始めなくてはならない。

 このペーパーはわたしが一か月ほど前にクソ上司に渡していたものだった。クソ上司はクソ意味不明なことにずっとこれを放置していたのだが、最近になってクライアントから不審の電話がかかり、昨日慌てて今日中までにやってとわたしにぶん投げたのであった。やむなく他のタスクを後回しにして急いで仕上げたわけだが、如何せん初めてやってみる仕事だったためとてもつらかった。すると君はミスが多い、研修で何をやっていたのかと言われるわけだ。死にたい。

 クソ上司はやっといてと指示すればちちんぷいぷい仕事が完成と信じているようなクソ頭わいている人種なので頼ることもできない。なんでそんなこともできないのと言われるだけだ。小さな職場なので同僚もいない。要するにクソ上司はクソ死ねってことだ。

 わたしはWordをひらき、そこで手がとまる。やらなくてはいけない。それはわかっている。わかっているけれど、何からどれをどう始めればいいのだろうか。また間違っていると言われるのではないだろうか。わたしは全て間違っているのではないだろうか。わたしは何もできない無価値な人間なのではないだろうか。わたしは生きているべきではないのだろうか。わたしはまた失敗する。わたしはまた間違う。わたしはまたできない。心臓の奥までしみついた不安が肺腑に届き、血液と共に全身をめぐる。わたしは何をやっても間違えている、わたしは何をやっても間違えている、わたしは何をやっても間違えている!

 右手で目もとを覆う。涙はでなかった。わたしは人間ではないのかもしれない。

 それから三回ほどリテイクをくらってなんとかペーパーを完成させる。クソ上司はクライアントに対して難しい案件なので時間がかかってしまった、すみませんとクソさえずっていた。



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