第4話 わたしひとり裁判
人を殺すのは簡単だ。理不尽に対してはいわかりましたと笑顔で頷けばいともたやすく自分を殺すことができる。
はいわかりました。とわたしはクソ上司に笑顔で頷いた。わたしはわたしを殺した。殺人犯になった。けれど警察は来そうになかった。逮捕してわたしの罪を裁いてほしかった。
人を殺したなら死刑にすべきです。わたし検察官が朗々と述べた。命とはかけがえのないものであり、これを喪失させることは何事にも勝る重罪に他なりません。人間は自分こそが最も頼みすべき存在であり、自分を裏切り殺害するという行為態様は非常に悪質と言わざるを得ず、その動機も身勝手で情状酌量の余地はありません。よって被告人の罪をあがなうには極刑以外にありません。
いいえ、命には優劣があり必ずしもかけがえのないものとは言えません。わたし弁護士が明々と弁論する。もしも遍く生命が等価であるならば我々の肉食は重罪であり死をもって償うべきであるということになってしまい不合理です。そもそも憲法上保障されている自己決定権からすれば、自己の殺害が違法であったとしてもその量刑は通常の殺人罪と比べて軽微であるべきことは刑法第二〇二条からして明らかであります。どのような人生にするか否かは個人の自由です。したがって、被告人には無罪です。
それでは被告人。とわたし裁判官がわたし被告人に尋ねる。最後に何か言いたいことがありますか。
自分を殺すことが罪だというのであれば、この現代社会でどう生きていけばよいのですか。自分を殺さずに生きろと言うのは死ねと言ってるに等しいと思います。
それでは判決を下します。もう決めました。とわたし裁判官が鼻くそをほじりながら言う。判決、被告人を無罪とする。
検察官は人命の価値は等しい旨を主張する。しかし、最高裁判所昭和48年4月4日大法廷判決において、尊属の殺害は通常の殺人に比して一般に高度の社会的道義的非難を受けて然るべきであるとして、このことをその処罰に反映させても、あながち不合理であるとはいえない。としている。親が子供ぶっ殺すことよりも子供が親を殺すことの方が社会的道義的非難を受けるべきであるということは、法律が卑属より尊属の生命を厚く保護しているに他ならず、おのずと尊属と卑属の生命の価値には差異が生じる。このように社会において生命の価値に差異を設けることは一定の合理性があるならば許されるものと解する。
然るに本件を見ると被告人が殺害したのは被告人自身である。刑法第二〇二条に定められているように憲法上保障される自己決定権を考慮すると、被告人の行為の違法性が大きいとは言えない。さらに、被告人が殺害したのは社会的に見て極めて価値の低い存在であり、それどころか存在しない方が社会に資する塵芥の如き人間である上、むしろ殺害されることにより唯一の社会的意義を果たせる者であったことからすると、このような人間の生命の価値を通常人と比べて一段と低く設定することにも十分な合理性が認められる。
そもそも、被告人が殺害した被告人自身はあくまで精神的、観念的な自己であり、生命の侵害は発生していない。以上のことからすると、被告人が自己を殺害する行為が刑法第一九九条に該当するとは言えず、したがって被告人は無罪である。
やりました、やりました! ひゃっほい! わたし弁護人はうひょほひょーいと叫びながら法廷を飛び出し、裁判所前に集まっていた報道陣に対して勝訴の巻紙を広げる。パシャリパシャリとフラッシュが瞬く。
そして報道会見。わたし記者が尋ねる。無罪判決が出たわけですが、裁判について何か一言お願いします。
まずは無罪判決が出て本当に良かったと思います。とかなんとかわたし被告人が言うので、わたしはわたし被告人の顔をラーメンのどんぶりにつっこんで溺死させてやった。
ああ、なんということを! わたし記者その他諸々が騒ぎ立てる。そうしてわたしは逮捕され、わたし警察官の取調べを受ける。
どうしてわたし被告人を殺した。
命ばかりが大事にされて、わたしが大事にされないのは納得がいきません。わたしが殺されたわたしなんて死んだも同然です。
言いたいことはそれだけか。
腹が減りました。かつ丼が食べたいです。
と。
そこでわたしは仕事の手が止まっていることに気がついた。
わたしは再びパソコンのディスプレイとにらめっこしながら依頼者に送るための文面を作成していった。
晩御飯はスーパーかコンビニでかつ丼を買うことにした。
今日は給料日だ。
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