第9話 人を殺しても救われない

 ×××は英雄的行為からしばらくして殺人罪で起訴された。それにともなって面会が許可されたので、わたしは×××に会いに行くことにした。

 刑務所は部外者の出入りを拒むような陰鬱とした建物で、受付前の椅子には背を丸めた面会希望者が座っていた。わたしは面会の手続をしている時に初めて差し入れができることを知った。何か用意してくればよかったなと思う。

 やがて渡された番号札の数字が呼ばれ、わたしは接見室という部屋に入る。接見室は分厚いガラスで仕切られていた。まだ×××はいなかった。古ぼけたパイプ椅子に座り待っていると、ガラスの向こう側にある扉が開き、刑務官と×××が入ってくる。×××はわたしを見るといつもどおりふざけたような笑みを浮かべた。

 久しぶり、元気してた?

 ×××は何事もなかったかのようにわたしに尋ねる。事実、×××はちょっと多めに人を殺傷しただけで他には何もしていなかった。

 元気っていうか、まあ、仕事辞めたよ。せいせいした。

 マジか。良かったな。労働は体に悪いし、仕事はしないに限るよ。

 全くだな。

 そう言って二人で笑いあう。

 そういえばさ。と×××が言う。テレビとか新聞とかどうだった? 騒ぎになるだろうなーとは思ってるけどやっぱりそうだった?

 まあすごかったよ。どいつもこいつも勘違いした妄言ばかり連ねて嫌になるくらいさ。

 だよなー。まあ仕方ない。人間は見たいものしか見えないから。結局真実なんてものは誰の手もつかめないんだ。

 あのさ、ありがとう。わたしは心からの感謝を伝える。たとえ誰がなんと言おうとわたしはお前に救われたよ。だからありがとう。

 そっか、良かったな。別にお前のためじゃなかったけど、それでも俺のやったことがきちんと誰かの救いになったことは嬉しいよ。

 ×××は微笑む。

 けど、やってみてわかったのは、誰かを殺しても俺の世界は変わらなかったってことだな。相変わらず四角い部屋のなかさ。いいか、人殺しじゃ誰かを救うことはできても自分自身を救うことはできない。おすすめしないぜ。

 わかったよ。

 わたしは頷いた。

 あーあ、失敗したな。×××は嘆息する。きっと凡人を救うのは通り魔とか殺人みたいなドラマチックな出来事じゃなくて、もっと平凡でつまらないことなんだ。誰かがおはようと言ってくれたり電車で席を譲ったりとかさ、そういうことなんだよ。けれどそれは社会の枠組みにきちんと収まっていることが条件で、そうじゃない奴は劇的にも救われないし平凡にも救われない。居場所がないんだ、社会ってやつに。だから救われない。俺達はさ、たぶん最初からもう駄目だったんだ。

 ああ。

 生きることは理不尽だ。なればこそ人間は不合理で理不尽に満ちた愚かこの上ない言動を疑いもせずに行う。疑うことこそが不幸だ。そんなことをすれば自分と世界が穴だらけの欠陥品であることに気づいてしまう。幸せでいる秘訣は目をつぶって愚かでいることなんだ。

 ああ。そうかもしれないな。

 でも俺はそれに我慢できなかった。だからこうして死刑になる。

 死刑になるのか?

 なるだろ。

 なんとか生きようとしたら死刑になるなんて、ほんと面白い冗談だよな。

 傑作だろ。でも冗談じゃないんだな、これが。

 ×××はさも真面目な顔を作るので、わたしは思わずふきだしてしまった。それを見た×××も笑う。

 あのさあ。とわたしは言う。尊属殺法定刑違憲事件ってあるじゃん。

 いや、知らんわ。

 あるんだよ。ざっくり言うと、実の父親が娘を中学生の時から犯しまくってわんさか子供を産ませたあげく殺された事件。

 何それすごい。

 わたしはその父親になりたかったんだよ。自分の欲望のままに生きて死ぬ。最高じゃないか。他人の尊厳を踏みにじる快楽ってのはそれはもうたまらないんだろうなあ。

 なるほどねえ。確かに他人の尊厳をなんの対価もなく踏みにじることができたらそいつは愉快だろうなあ。まあでも人を殺してみた感想としては忙しくてそれどころじゃなかったってのが正直なところだから、さっきも言ったとおり殺人はやめとけ。

 ああ。わかったよ。

 家畜を屠って食っても許されるんだから、人間の尊厳を踏みにじって好きにしても許されていいと思うんだけどな、俺は。家畜と人間に優劣をつけられるような差異ってのは果たして本当に存在するのかね。

 さあ。人間は人間様なんじゃない。

 わたしは言った。

 そうしてしばらく話していると面会の時間も終わりに近づいてきたので、わたしは立ち上がった。

 それじゃあ。今日はもう時間だし、また来るよ。

 おう、ありがとな。また会おうぜ。そこで×××はあっと声をあげる。そういえばまたラーメン一緒に行こうって話だったのに行きそびれちゃったな。こんなんだともう行けないし。悪いな。

 いいよ。一人で行くから店だけ教えてよ。

 やだよ、俺が行けないんじゃ意味ないだろ。

 ×××の回答は意地の悪いものだった。

 わたしがドアノブに手をかけたところで、なあ。と×××が言う。幸せになれよ。

 おそらくわたしにとっても×××にとっても答えはわかりきったことだった。だから振り返って笑顔で言う。

 なれるわけないだろ。

 だよな。

 ×××は器用に肩をすくめてみせた。それはやけに様になっていた。

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