第10話 生きることは踏みにじること
新しい職場は先輩がいるので困ったことがあったら先輩に訊くことができるし、上司もクソ上司のように丸投げちちんぷいぷいみたいな理不尽なことをしないので、心配していたよりも上手く働くことができている。というようなことを転職を勧めてくれた売春婦に話した。
へえ。よかったじゃん。と売春婦は今日も晴れたねの聞き間違えでもおかしくないようなごく軽い調子で言った。考えてみればわたしにとっては大きな変化でも彼女にとっては他人の見えない変化だ。よかったと言ってもらえるだけマシなのだろう。
転職できたのは君のおかげだよ。ありがとう。
どういたしまして。お礼ならなんかおごってよ。なんつって。
わたしは少し考えた後に、いいよと言っていた。それくらいの感謝を示してもいいだろう。どっか飲みに行こうか。
マジで。やった。と売春婦は喜ぶ。
わたしたちは一戦を終えた後イタリアン系の居酒屋に入り、そこで初めてお互いの本名を知った。正直なところ彼女のことをどうせろくでもない人間に違いないと見下していた部分もあったが、そもそもわたしの方がろくでもない人間なので他人様を見下せる立場にないことに気づいた。むしろ話しているうちになかなか気が合い、わたしは久しぶりに気分が楽しいと感じた。
わたしたちは連絡先を交換し、それから時折飲みに行ったりもするようになった。
もしかして。何回目かの時にわたしは尋ねる。これってデートなのかな。
どっちでもいいけどデートでもいいじゃない。と彼女は答えた。
その後も飲んだりセックスしたりを繰り返し、いつしかわたしが彼女に性的奉仕の金銭的対価を支払うことはなくなっていた。なるほど、確かにこれはデートかもしれないし、わたしたちは男女交際していると言ってもよかった。
彼女の容姿は別に好みではなかったが、他愛ないことを話し、セックスをできる相手はわたしの人生のなかでは希少だった。だから彼女との関係を継続することは楽しいことだった。もしかしたらこれを恋愛と呼ぶのかもしれない。この恋愛をもってしてもわたしの心の奥底が満たされることはなかったが、それでもまあなんとか生きていた。はっきり言ってわたしの人生はもはや余生だった。×××が通り魔をしても救われなかった時、わたしの人生は失われたのだ。これから死ぬまで生きること、それがどうも現実感がなく、ふわふわとした他人事のように感じられた。きっとわたしの余生は週刊少年漫画雑誌の続きと等価だった。
彼女はわたしと親密になってからも売春を繰り返しているのかは正直わからなかったが、なんとなくしてほしくないなとは思った。わたしは彼女を独占したかった。彼女とセックスをするのはわたしだけがよかった。
最近家賃がやばくてさ。ある日、彼女が言った。
お金ないの。
ない。というかあるけど家賃払うとマジ厳しい。
ふーん。大変だね。
あのっさ。彼女はわざとらしくわたしに抱きつく。そのわざとらしいわかりやすさがありがたかった。一緒に住まない? 同棲しようよ。
わたしは同意した。
すると一か月後くらいにはわたしと彼女は同棲していることになり、同じ部屋で寝るようになっていた。人生何が起こるかわからないなと彼女に言うと、マジそれと笑った。
同棲のメリットやデメリットは色々あるが、その中でも一番のメリットをあげてみると、それはいつでも簡単に彼女とセックスができるということだ。いちいちデートの予定を取り付けて会うというプロセスを踏まなくてもやりたいときに部屋でやれるというのはとても便利だった。セックスは人間が動物であるが故の原始的快楽だ。セックスに拘泥していればわたしは人間的な理性という楔から解き放たれて束の間の安らぎを得られるような気がしていた。もちろん気がするだけだとはわかっていた。けれどそれでも構わなかった。所詮愛情も安寧も幸福も全て気のせいだ。
彼女は基本的にセックスを拒まなかったし、拒ませるつもりもなかった。しかし生理のときはセックスができないと言われた。わたしは女性とはそういうものなのだと思って生理期間中のセックスを控えるようにしていたが、しばらくしてからふと気になって検索してみるとどうやら生理期間中にセックスをしても問題ないことがわかった。なんだ、大丈夫じゃないか。てっきり生理期間中にセックスをすると生理が悪化するのかと思っていた。
わたしはベッドに寝ている彼女の布団をはぎ、丸みを帯びた体をまさぐる。彼女の体はやわらかかったし、それでよかった。
やめて、何するの。
しようよ。
駄目、まだ生理だから。
別に生理でもできるだろ。
嫌、したくない。
なんでだよ。
嫌だから。
そうしてしばらく押し問答をしていたが埒が明かなかった。だんだんと腹が立ってくる。この女は何を言っているのだろう。意味がわからない。わたしがしたいのだ。ならすればいいのだ。どうして彼女は大丈夫なのにセックスを拒むんだ。付き合っているんだから家にいるときくらい好きにセックスをさせてくれてもいいじゃないか。それをどうしてさせないんだ。ふざけている。そうだ、馬鹿にしている。彼女はわたしを馬鹿にしているのだ!
我慢の限界だった。わたしは彼女の左頬を殴った。ついでに右頬も殴った。おっぱいを乱暴に握りつぶす。わたしはそのまま泣き叫ぶ彼女を犯したが、あまりにもうるさいので思わず首をしめた。するとずいぶんと具合がよくなったが、彼女の顔が赤黒く鬱血してきたので手を放した。彼女は金魚のように口をパクパクして酸素を求める。それがあまりに滑稽でかえって昂った。もう一度首をしめて味わった後、わたしは射精した。
そうしてセックスの昂揚が終わった後、わたしは自分が何をしたか気づいた。ああ、なんてことをしてしまったのだ。わたしは思う。これが、これこそが人間の尊厳を踏みにじる快楽なのか! これならもっと早くやればよかった。だが足りない。こんなことじゃわたしは満たされなかった。わたしが彼女とセックスをできるのは当然のことで、いわば本来あった権利を取り戻しただけだ。失った人生を取り戻しただけだ。わたしはそれ以上がほしいのだ。
けれどすすり泣く彼女を見ているとどうにも罪悪感がわたしを苛んでしかたなかったので、誠心誠意彼女に謝ってどうにかこうにか許してもらうことができた。
それからも彼女との同棲生活は続いた。彼女がセックスを拒むこともあったが、そういう場合わたしは適切な暴力を用いてセックスをした。時には暴言も用いた。
そうしてわたしが暴力の利用に慣れた頃、彼女の妊娠が発覚した。
どうしよう。と彼女は期待と怯えのいりまじった顔で尋ねる。
わたしの答えは決まっていた。
わたしたちは結婚した。
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