時は南宋開禧二年──公称五十万の金軍を迎え撃つ孤城はどう戦うのか?

襲いかかる金軍は五十万と号する大軍、迎え撃つ襄陽@漢江河畔を守る軍勢はわずか一万、撤退やむなし超劣勢、守将・趙淳と愉快な面子は金軍の猛攻をどう凌ぐ?!





以上、アオリでした。
さて、本作は楽しい超訳と中二な原文訓読(訓読文ってなぜか中二風になるのです)で人気の下記作品と密接に関わります。

『【漢文超訳】襄陽守城録―最前線に着任したら敵軍にガチ包囲されたんだが―』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884171637

こちらの超訳はラノベ風に読みやすいけど原文に忠実、つまり小説的な仕掛けは施されていません。搾りたて生(粗濾し)と申し上げてよろしいかと思います。
対する本作は小説ですから、原文から構築した情報に基づきつつ、小説に再構築する工程を経ている点が異なります。搾りたてではなく、熟成を経ているわけですね。

すなわち、『襄陽守城録』原文→超訳→本作という順に作者の頭の中でどのように史料が処理され、小説として再構築されたのか、舞台裏を垣間見れる点で、書き手が多い本サイトユーザには興味深く、かつ、特異な作品になるかと思います。

見聞や体験を小説にする手法もおそらくは近いものがあるでしょうから、純粋な歴史小説や時代小説好きだけでなく、創作方法を模索中の方も、二作を比較することでご自身の創作の参考になりそうですね。

という、ちょっと違った観点からも注目に値する作品ですので、二作併読を無責任にも強くオススメすることでもって、レビューに代えさせて頂きましたが、以下、完結を受けて追記させて頂きます。



局地戦の描写は常に想像して補われるものですが、本作は豊富な情報を元にして史実に即している点で、他の作品とは大いに異なります。リアルです。

プラス、筆者の筆が熱量多いめの描写を得意とするだけに戦闘の迫力は十分、史実を踏まえつつ得意の描写力で肉付けされた物語は他にちょっとない分厚さの戦闘小説になっています。分厚いのは量ではなく、あくまで奥行きですよ。これだけリアルな土山造成を描いた小説は他にありますまい(笑)

しかし、です。
小説は熱いばかりではなく、冷やっこいところも必要でありまして、この冷やっこさは、いわゆる喜怒哀楽の哀ではなく、情理の理に属する冷やっこさです。

襄陽の戦では、死んではならない人が失われる悲哀も二つばかり、要所を締めるように置かれています。この悲哀も情理の面では情に属するものでありまして、悲哀の描写こそ熱量が高くなりがちなのです。だから、やっぱりこのあたりも熱いです。

小説の熱量を冷ますのは、引いた目で全体を俯瞰する際に、読者の頭が冷えて生み出されるものですから、等身大の視点ではなかなか難しい。本作で違和感なく読者の頭を冷やす突破口は、ほとんど現れない金主と名前だけ出演の僕散臨喜にあったように思われます。

この二人だけが襄陽の戦場を見ていないんですよね。

この二人から見た襄陽戦は全体の中での局地戦であって、その撤退に到る経緯も見えていたわけです。だから、彼らの目線から見た襄陽戦も読者に冷えた目で熱い戦を見せる上では有用だったかと思います。

複眼的視点で悲劇を見せるような小説の方が最近は現代的になっているようにも思いますので、より幅広い読者を獲得する小説を書く上では必要なように思いました。

以上、蛇足ながら完結に際して思ったところでした。

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