第75話 贄(にえ)
「信じられませぬ。あのやさしいおじいさまが」
記憶の中の祖父像との乖離に、虚脱する千姫。
「千は、徳川にとって大事な政略の具。父上は、おのれの利になる者にはいくらでも好々爺をよそおえるお方であった」
親父は、そうなぐさめつつ、おれに視線を向ける。
「父上は、凡庸なわしを厭うていただけでなく、信長公の姪であるお江も嫌っていた。ゆえに、使い道のある千には温和な祖父として接し、織田の血筋の男には酷薄な面を見せていたのだ」
「おじいさまにしてみたら、わたしが三代将軍となるのは、苦労してようやく手にした天下を、信長公に取り上げられる心もちだったのかもしれませんね。だから、わたしにだけは、将軍位をゆずりたくなかったのでしょう」
家康と織田信長は攻守同盟をむすび、協力して乱世を乗りきったとよくいわれるが、実際のそれは、主従関係にちかく、そのため家康は、信長の要請を受けて、自領から遠く離れた越前や京都にまで従軍させられた。
二家の同盟関係は、本能寺の変で信長が斃れるまで二十年以上つづくが、家康からすると、はじめは対等な盟友だったはずなのに、信長の力が強大になるにつれて、家臣あつかいされるようになり、理不尽な命令を受けることも増えて、しだいに鬱屈と憎悪がたまっていったのだろう。
ジジイが長年恨みつづけた信長の大甥の
ジジイに嫌われているのは感じていたが、その誘因が
そんな理由で、あやうく消されるところだったなんて、笑うに笑えない。
「それはともかく、後継者に不満があるからといって、子をすり替えるなど、あまりにも常軌を逸しております。そのような悪事、いずれ破綻するとは考えなかったのでしょうか?」
凹んだおれを気づかうように、姉貴が話を変える。
千姉ちゃんが言うように、家康はこの時代にしては長寿だったが、自分亡きあと、息子夫婦に不正を暴露され、全部ひっくり返されることくらい、あのタヌキジジイなら想定していたと思うのだが。
親父はしばし沈思し、
「……将軍家の醜聞を、天下にさらすことなどできようか」
苦悶まじりに吐き出される嘆息。
「徳川が天下を取ったとはいえ、その足元はいまだ脆弱。つけいる隙を見せたとたん、世はふたたび乱れる」
たしかに、いまは恭順姿勢をつらぬいている大名連中も、将軍家に内紛が起きたら、おのおの自分に都合のいい候補者を旗印にして、立ちあがるだろう。
そうなったら、また戦国時代に逆もどりだ。
なにしろ、存命の戦争経験者も多く、豊臣方の残党や、改易された大名家の家臣たちまでいる。
そんなやつらが、政権がゆらいだ瞬間、一発逆転を狙って、あちこちで騒乱を起こすのはあきらかで、家康は、その可能性を危惧したからこそ、伊達政宗の婿だった忠輝を失脚させたのだ。
用意周到なジジイは、秀忠なら性格上、そんな選択をするわけがないと見すかして、こんな舐めくさったマネをしかけ、ムカつくことにその読みは、みごとに当たっていた。
「そうかもしれませぬが、国松は二代将軍の嫡男。かたや竹千代は、おじいさまの御子とはいえ、庶出の十二男。偽りを重ねてまで、三代将軍に据えた意図がわかりませぬ」
「竹千代は、嫡男でなければならなかったのだ」
親父は、うっとおしそうに家光を見やり、
「アレは、たんなる中継ぎにすぎぬ」
―― 中継ぎ ――
その語を耳にした瞬間、いままで蓄積していたすべての疑義がひとつに収斂していった。
「おじいさまが、将軍にと切望なさっていたのは、別の方なのですね?」
「さすがだな、国松」
遠方から賞賛の声があがる。
「父上は、義直を将軍位に就けるべく謀ったのだ」
「尾張の叔父上を!?」
忠輝の告発に、室内はシンと静まり返る。
ややあって、
「なにゆえ、おじいさまは……」
「嫡男に擬しておかなければ、母上以外の女子に父上の御子が生まれたとき、紛糾しますからね」
おれの解説に、姉貴は目を見開く。
「母上が前夫・豊臣秀勝どのとのあいだにもうけたのは姫ひとり。そして、父上との御子も、わたし以外は姉上をはじめみな女子。さらに、母方祖母・お市さまが産んだのも、母上ら三人の姫のみ。だから、おじいさまや側室たちは、御台所は男を産めぬ、『女腹』だと見なしたのでしょう。
しかし、母上以外の女子からは長丸兄上が、のちにはお静どのも幸松を産んでいます。つまり、側室からなら、世継ぎの男児が誕生する見込みもあったわけです」
「そこで、母上の死産を利用して、竹千代を嫡出子に仕立てあげ、世継ぎの座にすわらせた、ということか?」
衝撃から復活した千姫が、正鵠を得、
「しかし、竹千代が三代将軍になってしまっては、義直叔父上が将軍になれぬではないか?」
もっともな疑問に、忠輝は苦笑しつつ、
「家光は男色家だ」
「あっ!」
「将軍の務めは、政は無論のこと、早々に世継ぎとなる男児をもうけることも肝要。なれど、家光の日常すべてを掌握しているはずのお福は、世継ぎどころか、正室との床入りを拒む家光をいさめもせず、おのれの義孫を夜伽に差しだしたのだ」
たしかに、鷹司孝子との婚礼の夜、家光は床入りをバックレて、堀田正盛(三四郎)とイチャイチャしていた。
いくら男とくんずほぐれつしたって、子はできない。
乳母のお福は、そういう性癖を矯正し、男系継承がスムーズにいくよう指導するべき立場なのに、これまでお福がやってきたことは、それとは真逆の行動 ―― 世継ぎ誕生のため、女性に興味をもたせる努力をするのではなく、自分の身内(
そのおかげか、あっちの世界の堀田は、とくに目立った功績もないのに順調に加増されて、最終的に十一万石もの大領を得ている。
「お福は、義直の生母・お亀と手をむすび、末子である竹千代を三代将軍にするかわりに、絶対に子は作らせず、次代は尾張に将軍位がまわるよう約したのだ」
「だとすると、竹千代もある意味、
姉貴がボソッとつぶやくと、
「父上は、義直をことのほかかわいがっておられたゆえ」
忠輝も苦々しげにこぼす。
「信長公の大甥である国松よりは、実子である竹千代のほうがはるかに好ましかったであろう。しかし、このなさりようは……」
義直は十二歳のころ、天然痘に罹った。
その際、家康は積極的に調薬に口を出し、快方に向かうと、阿茶とお亀あてに回復をよろこぶ手紙を送っている。
そこには『めでたく』『うれしく』という語が繰り返し何度も出てきて、義直に対する愛情の深さがうかがえる。
一方、家光は、おれに将軍位を渡さないための一代かぎりの将軍となるべく、幼少期からゆがんだ嗜好を植えつけられた。
そして、じつの母と思っていたお江にはつめたくあしらわれ、たくみに男色に誘導する乳母(実母)を唯一の味方と信じた。
実父が愛する異母兄を、天下人に押し上げるための踏み台になることを強制されているとも知らずに。
忠輝は、そんな弟を哀れんでいるのだろう。
「いや、それだけではない」
真横からもれる、よわよわしい歎声。
「お亀には、公にはできない大きな功績があったのだ」
「お亀に?」
「お亀の父は、もとは石清水八幡宮の社人で、山伏だった男。山伏がどのような者か、わかるな?」
「はい。表向きには、険しい山に分け入り修行をする者ですが、諸国を自在に行き来できるその特性上、他国に入りこむ忍びが、それに身をやつして策動することが多いとか」
「そうだ。さらに、石清水八幡宮は、桂女をその配下にもっている」
桂女とは、もとは京都西部の桂周辺に住み、石清水八幡宮などで巫女をやっていた女のことだったが、時代が下ると、桂川で獲れたアユや飴を売り歩くようになり、しだいにその行商圏は京都外にまで広がると同時に、公家や武家の屋敷を渡り歩くデリバリー遊女に変質していった。
ということは……、
「桂女も女の忍びが扮するには最適ですね」
「そのとおりだ。お亀の実家はそうした者どもを使うことに長けていた。ときに、小早川秀秋、浅野長政、加藤清正、前田利長ら豊臣恩顧の大名が立て続けに鬼籍に入ったのは、偶然だと思うか?」
「ま、まさか……」
小早川秀秋は、秀吉の正室・ねねの甥で、浅野長政もねねの義兄。
加藤清正は、秀吉の母方の遠縁にあたり、前田利長の父・利家は、秀吉一家とは親類同然のつきあいがあり、晩年には五大老筆頭に任じられた重鎮。
その子・利長は、秀吉と利家が相ついで他界したとき、遺児・秀頼の後事を託されるほど、豊臣家から信頼されていた。
そんな武将たちが、関ヶ原の戦後からつぎつぎに死んでいった。
死因はいちおう病死ということになっているが、小早川秀秋の場合、同居していた兄・木下俊定が急死した
「もしや、その死にお亀が?」
もし、徳川にとって存在自体が脅威となる豊臣系有力大名たちをひそかに葬ったとしたら、その功績は巨大だが、表立ってほめたたえられる類のものではない。
ジジイは、お亀一族への褒賞がわりに、義直に武家の棟梁の座を与えようと思ったのか?
あきらかになる陰謀の全容を考察していると、
「それだけではない。わが長子・長丸、兄の結城秀康、弟・松平忠吉もまた、お亀の野心の餌食になったのだ」
「!!!」
親父が、本日最大の炸裂弾を投げつけてきた。
粛清一直線のイケメンに転生しました 岩槻はるか @totopomu
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