第74話 真実


「「「子では、ない!?」」」


 愕然としたのは、おれたち三人だけ。


 どうやら、ほかのやつらには、既知の事実らしい。


 重い沈黙が場を支配する。



 ややあって、


「千」


「は、はい」


「秀頼どののもとに嫁いだときのこと、覚えているか?」


 なぜか、まったく関係ない話をしはじめる親父。


「あれは、慶長八年。そなたが七つのときであった」


 千姉ちゃんを見るその目は、慈愛に満ちている。

 最前、兄貴に向けていたものとは真逆な、やわらかなまなざし。


「お江は、いくら政略のためとはいえ、敵地にも等しい大坂に、幼きそなたを送り出すことを、ひどく憂いておった。あげくには、『お千があまりに不憫じゃ』と申して、輿入れ行列についていってしまったほどだ」


「覚えております。母上は江戸からずっと付き添ってくださいましたゆえ、まことに心強うございました」


 突如はじまった回顧譚に、そのころまだ生まれてもいなかったおれと兄貴は、完全に蚊帳の外。


「行列が江戸を発ったは、五月のはじめ。お江が江戸にもどったのは、十一月に入ってからであった」


 手放さざるをえなかった幼い長女、実姉たちとの再会、なじみ深い土地 ―― おふくろは、なんだかんだで半年も、上方に滞在していたらしい。


「長旅の疲れもあろうかと、ふたたびお江と同衾したのは、翌月からでな」


「ちょ、父上っ!?」


 なんで、いきなり自分たちのエッチ事情を暴露してんだよ!


「 ―― お待ちください」


 赤面するおれの横で、千姉ちゃんが声をあげた。


「たしか、上さま家光は七月生まれだったはず」


「ほう、気づいたか」 


「はい、わらわとて、二児の母にございますれば」


「「え!?」」


 ドヤ顔の姉貴とは裏腹に、困惑しまくるおれと兄貴。


「なんだ、国松。三人も子をもうけておきながら、まだわからぬか?」


 いまだ兄貴の背後霊化している忠輝が、苦笑まじりに揶揄する。


「産み月が合わぬだろう」


「「産み月?」」


「閨事を再開したのが十二月なら、子が生まれるのは早くて九月。なれど、竹千代が生まれたのは、七月十七日。ヘタをすれば、ふた月以上早く生まれたことになるではないか」


 いわれてみれば、妊娠期間は最終月経からおよそ二百八十日。

 仮に、十二月に受胎したとしたら、出産は早ければ九月初旬。

 もっとも遅い場合は、十月ということもありえる。

 医療技術が未発達なこの時代、もし出産予定日より二ヶ月以上早く生まれてしまったら、生存はむずかしいだろう。


 自分の子ではないと断言する父親。

 月齢的に、不自然な出生。

 だったら、家光の本当の両親は……。


「たしかに、当時、お江は身重であった。わしは初夏より上洛しており、帰府したのは中秋のころ。はじめて対面した竹千代は、生後ひと月ほどのはずだったが、丸々と太っておって、とても月足らずで生まれたようには見えなんだ」


「もしや……兄上はおじいさまの?」


「ああ。おまえが兄と呼んでいる男は、わが末弟。産んだのは、そこにいるお福よ」


 思わず、お福をガン見するおれと千姉ちゃん。

 将軍は、そのとなりで完全に固まっている。


「いくらなんでも、出生を偽ることなどできましょうや? ましてや、将軍の世継ぎを!」


 ヒステリックに叫ぶ娘に、親父は土気色の顔をゆがめた。


「できる。それが、天下人の望みであれば」


「だとしても、周囲が……」


「奥の女子どもに御殿医、そして、表の者数名が口裏を合わせれば可能だ。現にできたではないか」


 そういえば、御殿医は、家光の出産について、『十箇月に満たずといえども平産』と書き記している。

 もしかすると、二ヶ月以上早かったかもしれないお産を、『平産』(安産)と。


 御殿医は、当代一の医者たち。

 その医師団が、平然と不自然な記録を残した。

 バックに天下人の指示があったと考えれば、合点がいく。



 ふと、脳裏に、ある男の顔がうかんだ。


 「表の者とは、本多上野介でしょうか?」


 親父は渋面のままうなずき、


「あやつが中心となって、すべて取り計らったそうだ」


「なるほど。それで……」


 ようやくわかった。

 元和八年に、本多上野介正純が突如、失脚した理由が。


 あいつは、父・本多正信とともに家康の側近として仕えていたが、元和二年に、主君が亡くなったあとは、駿府から江戸に居を移し、秀忠の幕僚に加わった。


 そう、本多はつねに家康の傍らにあって、長年ジジイの手足となって働いていたから、親父秀忠の家臣としての経歴は、土井利勝たちよりずっと浅かった。


 将軍の嫡出子のすり替えなどという犯罪は、いくら御殿医を抱きこんだとしても、奥の女だけで実行できるはずがない。

 公式記録の改ざん・各方面への根回し・風聞の拡散防止等々、あるていど力を持った上位の役職者がかかわらなければ、ここまで完璧に隠しとおすことなど不可能だったろう。


 本多の忠誠は、生涯旧主家康にのみささげられ、二代目には、面従腹背を貫きとおして、このチェンジリング取り替えを完遂したのだ。


 つまり、あの不可解な改易騒動は、秀忠夫婦の二十年越しの復讐だったわけだ!


 過去の因縁を知らなかったおれは、青山忠俊を罷免した家光と同じように、親父も、なにかと反抗してくるムカつく老臣を排除したんだと思って、ちょっと引いたけど、そんな単純な動機でおこなわれた処分ものではなかったらしい。



 十年前の左遷の真相に唖然としていると、


「ときに、父上」


 姉貴がためらいがちに切りだした。


「すり替えられた御子はいずこに?」


 千姉ちゃんは、二度目の結婚で二児をもうけたが、待望の嫡男は三歳で亡くなっている。

 だからよけいに、行方不明の兄弟の末路が気になるのだろう。

 

「お江の子は……」


 親父も、そんな娘の心情を察してか、一瞬口ごもり、


「七月に入ってすぐに流れたらしい。自然にか、人為的にかはわからぬがな」


「なんと無体な!」


 残酷な回答に、千姫も絶句する。


 千姉ちゃんは、おふくろと一番仲が良かった。

 その敬愛する母親が、堕胎薬を盛られて流産したかもしれないと告げられて、嗚咽をもらしはじめる。


「お江は子が流れたあと、しばらく床に臥していたそうだ」


 なんでも、流産した子は性別がわかるほど大きくなっていたので、母体へのダメージもデカく、御台所お江が無力化しているスキに、奥の女どもが総力をあげて、お福が産んだ男児を『ご嫡男誕生!』と大々的にでっち上げて、既成事実化したようだ。 



「しかし、なぜすり替えを?」


「それは、この女子どもに聞くがいい」


 冷ややかに吐きすてる忠輝に、阿茶たちは、能面のままダンマリを決めこむ。


「なぜ、か」


 親父は、鮮やかな大輪の椿が描かれた襖をにらんだまま、ぼんやりとつぶやいた。 


 西ノ丸の各所には、椿の障壁画が描かれており、この病室もいく種もの、色とりどりの花々で埋めつくされている。


(そういえば、親父は椿が好きだったな)


 やつれきった横顔をながめつつ、そんな益体もないことを想起して、つい涙腺がゆるんでしまう。



父上家康は、凡庸なわしを二代将軍に据えたことを、悔いておられたのだ」


「まさか」


 秀忠は、徳川家の公式記録『徳川実記』の中で、『仁孝恭謙じんこうきょうけん』と称されるほど、家康に忠実で、その意向に背くことはなかった。 

 そんな孝行息子になんの不満があるんだ!?


「いや、兄上だけではない」


 褥の向こうから、忠輝がしずかに異議を唱える。


「父上は、われら年長の息子を疎んじておられた。晩年にできた義直たちは気味の悪いほど、かわいがっていたのとは対照的にな」


「そうだな。わしは幼少のころでさえ、父上に抱かれた覚えがない」


 弟の爆弾発言に、力なく首肯する親父。


「なんの。わしなど、生後すぐ『顔が気に入らぬ』と罵倒され、ずいぶんと冷遇されたものよ」


 忠輝には、二歳下の同母弟がいたが、先に大名となったのは弟のほうだった。

 忠輝は、八歳のとき、弟が夭折して、その遺領である武蔵国深谷一万石を継いで、ようやく大名になることができた。

 

 それに対し、義直は四歳のときに甲斐二十四石を拝領し、すぐ下の頼宣は、二歳で常陸水戸藩二十万石を与えられ、翌年には、とくに功績もないのに五万石も加増されている。

 頼宣の同母弟・頼房にしても三歳で常陸下妻十万石をもらい、三年後、兄・頼宣の転封にともない水戸藩二十五万石の主となっている。


 家康臨終の際、忠輝が必死に面会をもとめたのは、最後にひと言だけでもやさしい言葉をかけてほしかったからだが、父親はそんな悲愴な願いすら却下したのだ。


 また、家康の嫡男・信康は母とともに殺されているし、次男の結城秀康は、母親の身分が低かったせいで、かなり後まで認知すらされず、忠輝同様、容姿のことをあげつらわれて、「ナマズ目の淡水魚・ギギに似ていてキモイ!」と、幼名を『於義伊おぎい』と名づけられた。

 年かさの息子の中で比較的マシなあつかいを受けたのは、四男の松平忠吉くらいだろう。


「忠吉は美男だったゆえ、気に入られていたのだ」


「しかし、忠吉叔父上は、父上の同母弟。さして、容貌が異なるとは……」


 ドンヨリする親父を力いっぱい持ちあげるが、


「忠吉は顔が良いだけでなく、からな」


 あちゃー!

 最大の地雷を踏み抜いたかも!

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