第11話  働かないという事

働くという言葉に抱く印象は、人によって異なるでしょう。

まぁ大抵の方は、ネガティブなものとして捉えているでしょう。

理不尽な要望、積み上げられていく案件、解決の見えないトラブル。

お金を得るというのは楽じゃあございません。


ですが、辛くとも続ける価値はあります。

手遅れになってから慌てても遅いのですから。



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閑静な住宅街にある一軒家。

豪邸とまではいかなくとも、平均的な家よりも大きく、庭も広い。

建物の所有者は、さぞや良い暮らしをしているであろう。

だが近所の人々は知っている。

かの家では朝も夜も無く怒声が飛び交い、幸福な日々からはほど遠いことを。



「クソが。全ッ然出ねぇぞ!」



部屋でスマホを片手に、男が苛立っている。

8畳程のスペースにはベッドにPCにテーブルがあり、それ以外は趣味関連のアイテムが乱雑に置かれていた。

積み上がた通販の箱の数から、金遣いの荒さが透けて見えるようである。



「何が確率大幅アップ、だよ。ゴミばっかじゃねぇか」



端末の液晶には、華やかな少女のイラストと、流麗な書体で書かれたRの文字が映し出されている。

かなり丁寧な『塗り』が施されたイラストも、男の欲求を満たすには不十分だ。


ーードンッドンッ!


男が床を2度蹴った。

八つ当たりではなく、下に居る母親への合図だ。

1度のときは食事、2度のときは金の催促である。

ほどなくして階段を昇る人が現れる。

この理不尽なローカルルールは、かなり厳格に守られてるらしかった。


ーーコンコン。


部屋のドアがノックされる。

それに対し、怒声が飛ぶ。



「なんだよ、廊下に置いとけよ!」



食事にしろお金にしろドアの前に置いて、何も告げずに立ち去ること。

これも男が強引に決めたルールであるが、今日ばかりは様子がおかしい。

男の怒りも通じずにドアが開く。

そこには30歳前後の女性が立っていた。



「開けんなよババァ! 殺すぞ!」

「ダイスケ。お金ならもう無いよ」

「ハァ?! 無いってどういうことだよ!」



その言葉にダイスケは狼狽した。

期間限定のガチャが今日限りで終了してしまうからだ。

一刻も早く資金を得ないことには、望みのカードが手に入ることは無い。



「いいから金作ってこいよ、三万でいいからよ!」

「だから、そのお金も無いの。全部ね」

「あり得ねぇだろ、親父の遺産はどうした!」

「何言ってんの。この前アンタが投資で溶かしたじゃん」

「……あっ」



ダイスケの錆び付いた記憶回路が動きだす。

そして断片的に甦る光景。


『楽してウハウハ儲かる方法』という見出しのサイト。

難解なグラフに細かい数値、見慣れぬ用語。

そして開始時点では億に迫る程の額面が、瞬時にゼロを4つ消し飛ばされたこと。

それでしばらくの間機嫌が悪かった事を、この時になって思い出す。



「だったら、この家を売り払ってチンケなアパートにでも住めば……」

「それも無理。家はとっくに抵当に入ってるよ。明日立ち退きだから」

「ちょっと待て! 聞いてねぇ!」

「何度も言ったよ、口でもメモ書きでも」

「クソ、クソッ! クソォッ! こうなるまでテメェは何してやがった! 働きもせずに怠けてたろ!」

「やってたよ、仕事。でも毎月100万200万も取られちゃあね。焼け石に水だよ」



母親は無表情で視線を向けた。

ダイスケの手元のスマホを。

そこからは今もなお、ポップなメロディがループしつつ流されている。



「という訳だから、荷物まとめといて。ここに置いといたら捨てられるからね」

「おい、これからどうすんだよ?」

「私は実家に帰るけど」

「オレも連れてってくれるんだよな?」

「なんでよ。そこまでしてやる義理はないから。つうかさ、いい加減働きなよ」

「働きなって、オレもう58だよ! 数年働いたら定年退職じゃねえか!」



60男と30歳前後の女が向き合っている。

父と娘のようにしか見えないが、戸籍上は男の方が子である。

ダイスケの父が、孫世代の女と再婚したが故に。



「アンタの父親はマジで格好良かったよ。渋いし、頭いいし、男気溢れてたし。心底惚れてたわ。だから忘れ形見のアンタの言う事も聞いてきたけど、それももうお終い」

「無責任だろ! オレは1度も働いたことねぇんだぞ? どうやって自立しろってんだ!」

「さぁね。なんとかしたら? それじゃあさようなら」

「お、おい!」



ーーバタン。


冒頭の望み通り、ドアが閉められた。

それがダイスケの心に平穏をもたらしはしなかったが。



翌日。

朝早くにやってきた業者が、居座るダイスケを追い出した。

権利だなんだと主張すれば多少粘れた可能性もあるが、彼にそこまでの知恵はない。

何せ部屋の中が世界の全てであり、全知識はブックマークのサイトのみという男であったから。


彼はトートバック片手に途方に暮れるしかなかった。

中には財布と読みかけのマンガ数冊があるのみで、実用的なものは何もない。



「どうしろっつうんだよ。住む家どころか食うものも……」



公園のベンチに力無く座り、スマホをいじり倒している。

何か突破口をと調べてはいるが、都合の良い話はない。

諦めて検索を止めようとした時に手が止まる。

『無料ネット小説』の広告バナーが目に映ったためだ。



「これだ、異世界転生! トラックにでも轢かれりゃ異世界でハーレムライフだ!」



現実逃避と偏りきった知識が化学反応を起こしてしまった。

子供でも解りそうな論理の破綻を、ダイスケは気づかない。



「まずはトラックに轢かれて!」



その腰は異様に軽かった。

決断するなり大通りに足を運び、目ぼしいトラックを見つけては華麗にダイブ。

そのまま天に召されるかと思ったが。



「あぶねぇ! 死にてえのかジジィ!」



ドライバーにも生活はあり、法の下に暮らしている。

簡単に人身事故など起こしてはくれなかった。

ダイスケは繰り返し飛び込むが、避けられるか停車されるばかりで、一向に死ぬ事はてきなかった。



「クソッ。こうなったら刺殺! 強盗とか通り魔に殺されれば……」

「キャァァアーッ!」

「騒ぐなオラァン!」



予定を変更したそばから不穏な叫びが耳に入る。

白昼堂々強盗が現れたのだ。

これ幸いとばかりにダイスケは全力疾走する。



「おおおお、オレを、殺せぇぇーー!」

「うわぁッ! なんだお前!?」

「いいから殺せ! 早く刺し殺せ!」

「ヒィッ! なんつうクレイジー!」



強盗が恐れをなして逃げていった。

ダイスケは諦めずに追うが、駆けつけた警察によって断念せざるを得なくなる。

またもや失敗であった。


そうこうしている内に夕暮れとなり、やがて夜が来た。

本日の戦績は8連敗。

車に轢かれることも、強盗に刺される事もなかった。



「明日こそ死ななきゃ」



空腹感がダイスケの背中を煽る。

体力のある内に事を成し遂げるべきである、と。

公園の遊具で風をしのぎつつ、眠りについた。


翌日以降も挑戦は続いた。



「火事だー、火事だぞー!」

「あぁ、子供がまだ中に!」

「奥さん、近づいちゃダメだ。死んじまうぞ!」

「離して! タクヤ、タクヤーッ」

「うおおおおーー! オレを殺せぇぇーー!」



ダイスケは焼け落ちる寸前の家屋に突撃した。

勢い余って止まることができず、裏手から再び生還してしまう。

なぜか幼い少年を片手に掴んだまま。



「あぁ、あぁ! タクヤ!」

「ありがとうございます! ありがとうございます! 是非ともお礼を……」

「また失敗か! オレを殺してくれぇぇーー……」



ダイスケは渇望した。

己を死に至らしめる場面を。



「熊だー、みんな逃げろー!」

「猟友会に連絡するんだ、急げ!」

「クマー」

「なんて獰猛な声。きっと怒ってるぞ!」

「クマァー」

「よっしゃー! オレを殺してくれぇー!」

「クマッ?!」



ダイスケのアツい拳が熊の顔にクリーンヒット。

それに驚いた野生の熊は驚き、山奥へと逃げ去っていった。

ちなみに何故殴りかかったかは、当人にも解らない。



「熊を、素手で。こりゃあビックリだ」

「なぁお前さん。もしかして名のある格闘家なんかい?」

「あああああー! ふざけんなぁーーッ!」

「ヒェッ。何を怒ってんだよぉ?」

「なんで死ねねぇんだーーーッ」



ダイスケは熊の後を追いかけた。

付近の住民たちは、唖然として見送るのみである。

そして、それ以降彼の姿を見たものは居ない。



都内某所、夕暮れ時。

部活帰りらしい高校生たちが下校していた。

その中の一人が興奮気味に話している。



「ねぇ、これ知ってる?」

「いきなりだな。どの話だよ?」

「あのね、板橋で出たっていう、徘徊ジジイの話だよ」

「知らね。なにそれ」

「そいつに見られると、殺してくれーって追いかけて来るんだって」




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いかがでしたか?

働かないで済む環境、状況が必ずしも幸福をもたらすとは限りません。

あなたが日々感じている苦痛は、生活力という名の、生き残る為の財産として蓄積されているのです。


さぁ、また月曜日から頑張りましょう。



ー完ー

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