第8話  幸福な食卓

皆さんは、食べ放題のお店には出掛けますか?

食べに行ったとしたら、高そうな料理ばかりを選びますか?

どうにかして元をとろうとして、無理矢理に食べたりした経験は?

そんなあなたには、この話はどうでしょうか……。



ーーーー

ーー



「たーべほぅだい!」

「だい!」

「たーべほぉぅだい!」

「だい!」



真昼の繁華街を3人の親子が歩いている。

父親と手を繋いだ少女は、歩いているのか飛び跳ねているのか判別がつかない程に浮かれていた。

父親も愛娘の可愛さにすっかり夢中だ。

母親はその2人とは対照的に、財布を開きつつ何やら呟いている。

今月はあまり余裕が無いらしい。



「着いたよ。随分駅から離れてるんだな」

「そりゃあ、こんな大きな建物だもの。駅前では無理よね」



昼食の為にやってきたレストランはかなりの大きさだった。

一階建てではあるものの、敷地面積は体育館並みにありそうだ。

中の様子はここから窺えないが、ネットで噂になっているお店である。

きっと店内は大盛況に違いない。



自動ドアを抜けて入店すると、中は赤茶色の木の壁、重厚な木の扉、そして受け付けの男だけが見える。

その男は新たにやってきた一家を恭しく出迎えた。



「ようこそいらっしゃいました。当店は『元の取れる食べ放題レストラン』でございます」

「ええ、その事はネットで見ました。90分間の1人4000円で合ってますか?」

「仰る通りにございます。お連れ様はおいくつでしょうか?」

「5歳になったばかりです。だから子供料金になりますよね」

「はい、お子様は2000円となります。清算は後ほど」



店員の男はそう言うと、腕時計らしきものを差し出した。

デジタル形式のものだが、時刻などは表示されていない。



「これは何ですか?」

「お客様がおいくら分食事されたかを自動計算する機械です。まずはこちらをお付けください」

「へぇ、面白いサービスねぇ。こんな事までして、経営大変じゃないですか?」

「皆さま方にご好評いただいておりまして、それでどうにか……」



促されるままに3人は装着する。

それを見届けてから、両開きの赤茶色のドアが開かれる。

しかし、現れた部屋の中は何もない。

真っ暗な空間が見て取れるだけだ。



「えっと、これは……」

「では、せいぜい上手くやりやがってください」



受け付けの男による強烈な蹴りが、一家の背中を襲う。

抵抗することもできず、そのまま部屋へと押し込められた。

3人とも第1歩を踏み出すが、それは見事に宙を泳ぐ。

なにせそこには床など無いのだから。



「うわぁぁああー!」

「きゃぁぁああー!」



暗闇の中を勢いよく転がり落ちていく。

そこは遊具のような、螺旋状の斜面となっていた。

滑りやすい材質のためか、勢いを殺す事すらできない。



「パパァ! ママァ!」

「ミユ、こっちへ来るんだ!」



暗がりのなか、両親はなんとか体勢を立て直し、娘だけは守ろうとした。

小さな体を抱き締め、ひとまず安堵を得る。

それから傾斜は徐々に緩やかになり、自然と減速していく。

そして次の部屋の入り口へとたどり着いた。



「何だってんだよ、全く!」

「ねぇ? ここはどこかしら?」

「レストラン、じゃないのか?」

「だって、この雰囲気……。刑務所みたい」



室内は飾り気が一切なく、とても飲食店の内装とは思えない。

古い会議室を思い起こさせる、薄汚れた長テーブルにパイプ椅子が一面に並ぶ。

壁はコンクリートがむき出しで、離れていてもシミだらけなのが見える。

そして店内の灯りも時おり点滅し、視界にうっとおしい負荷を与え続けた。



「パパァ……」

「ミユ、離れるなよ?」



子供が怯えるのも無理はない。

中にはすでに客らしき人間が多く居るのだが、みんなが苦悶の表情だった。

ヒステリックな呻き声や、子供の泣きわめく声も聞こえてくる。


だがそれらの悲痛な声も、コックの登場によって打ち払われる。



「ようこそ、元の取れる食べ放題の店へ! 今日はオレの料理を好きなだけ食っていくといい!」



現れたのは固太りした中年の男。

眼は野性味と不誠実さが入り交じっていて、油断がならない気にさせる。

父親は溜まらず声を上げた。



「なぁ、キャンセルだ! オレたちを帰してくれ。まだ何も食べてないし、構わないだろ?」

「ダメだ。ここへ来たからには料金分食っていってもらう」

「じゃあ金だけ払う。すぐに出してくれ!」

「それもダメだ。きっちり食え。逃げようとしたら、その腕のものがドカン、だ」

「な、なんだとっ!」

「せいぜい頑張ることだ、死にたくなければな?」



コックは父親がはめている腕の機械を指差し、そして厨房へと消えていった。

慌てて腕元をいじくるが、特殊な加工でもされているらしい。

その機械が外れる兆しは全くない。



「あなた! どうしよう?!」

「こうなったら、まずは食べよう。4000円だったら、きっとすぐだ」



食欲などとうに失せていたが、状況ゆえに食べなくてはならない。

3人は冷たい金属製のトレイを手に取り、紙皿に盛り付けられた料理を選んでいった。



「じゃあ、食べようか」

「……いただきまぁす」



ここまで痛々しい『いただきます』もなかなか無いだろう。

葬式の時でさえもう少し生気があるはずだ。



「ママァ。これおいしくないよ」

「そうね……普通に不味い」

「味付けは妙に濃いし、食感も悪いし……」



ローストビーフは噛みきれないほど固く、嫌気が差すほど塩辛い。

ミートパスタはソースの濃淡が疎らで、麺も水気が多くてベチャベチャしている。

シチューは野菜に火が通っておらず、半分生の状態だ。

もちろん、他の料理も散々である。

不満をあげればキリがないほど、料理の出来はお粗末だった。


ーーちゃりーん。


一皿食べ終わった段階で、腕の機械が音を出した。

人の神経を逆撫でするような、ポップな音が。



「食べ終わると、こんな風に加算されるのか」

「えっと、値段は……82円?!」

「マジかよ。オレのも126円って、安すぎだろ!」

「クックック。料理の方はいかがかな?」

「てめぇは……コック!」



いつの間にかテーブル脇にコックが立っていた。

そんな暇があるなら料理をちゃんと作れ、との声が聞こえてきそうであるが。



「なんせ廃棄寸前の激安食材だ。値段はせいぜいそんなもんだろうよ」

「こ……こんな価格帯じゃ、値段分食いきれる訳がないだろう!」

「ちなみになぁ、それは税抜き表示だ。消費税は別で4000円分食え」

「この、悪魔めぇぇええーッ!」



消費税がここまで恋しくなるのは、とても稀有な例であろう。

だがどんなに騒いだ所でカウントは伸びない。

どうにかしてノルマを達成するしかないのだ。

そう意気込んでも100円、せいぜい200円しか加算されないのだから、結果は見えていた。



「パパァ。もう、はいんないよぉ」

「オレも……限界だ」

「お腹苦しい……まだ2000円超えたくらいなのに」



食事の制限時間は残り10分を切っている。

どんな手を使っても達成は不可能であろう。

またしても厨房からコックが、狙いすましたようにやってきた。

勝ち誇った顔で、ニタニタと笑いながら。



「お客様ぁ。料金に届いてないようですがぁ?」

「クソが! 達成出来るわけ無いだろ!」

「まぁまぁ、大きな声を出すなって。うちはレストランなんだ。カラオケ屋じゃねぇんだよ」

「もう何だっていい! ここからオレたちを解放しろ!」

「額面に届かなきゃねぇ……。じゃあ、延長するか?」

「延長だと?」

「30分1000円だ」



そこまで聞いて父親はハッとする。

この店の常軌を逸したルールが頭を過ったからだ。



「それは、もしかして」

「もちろん! 解放条件に1000円上乗せだぁぁああーッ!」

「ふざけんなよテメェェエエーッ!」



父親は殴りかかるが、コックの方が早い。

首元に突きつけられた牛刀によって、拳は振り抜かれる事はなかった。



「お前らの金が尽きるまでは客扱いしてやる。財布が空になったら、その時は……」

「その時は?!」

「……教えてやるものか! せいぜいオレの手料理を平らげることだな!」



コックは再び厨房に戻っていった。

ひどく不快な笑い声を残して。



「あなた、延長するのよね?」

「……悔しいが、そうするしか無さそうだ」



この店は後清算形式だが、父親はすっかり気が動転している。

求められていないのに、財布から延長代金を取り出そうとした。

憤り、不安、焦り。

指先が震えてまともに動かない。

そのせいで財布の中の小銭が勢いよく飛び出してしまう。


ーースポッ。


百円玉が父親のTシャツのなかに入り込んでしまった。

苛立ちの余り乱雑にTシャツを捲り上げた、その時だ。


ーーちゃりーん。


一同は確かに聞いた。

その不愉快なほど能天気な音を。



「ねぇ、今のってひょっとして!」

「小銭を落とした音じゃないぞ!」

「数字はどうなってるの?!」

「……増えてる! きっちり100円カウントされてるぞ!」



偶然にも裏技による攻略法を見つけることができた。

そうと解れば話は早い。

服のなかにがむしゃらに金を詰め込んだ。


ーーちゃりーん、ちゃりーん、ちゃりーん。


瞬く間に数字は伸び、5000円を超えたときに機械は外れた。

そしてファンファーレが鳴り響き、怒りを助長するような音声が聞こえた。



ーーご利用ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております。



「二度とくるかボケェェエエーーッ!」



忌々しいその機械が壁に叩きつけられた。

そして小さな爆発を引き起こして、ファンファーレが止んだ。


それを見ていた母親、娘、そして周りの客もそれに倣う。

あちこちで歓声が沸き起こり、そして小爆発が咲き乱れた。

中には厨房に投げつけた客もいたようで、向こうからは悲鳴と煙が上がっている。



「次は脱出か、出口はどこに……」

「こっちに従業員用の出入り口があるぞ!」



遠くの客が声をあげた。

そして全員が一斉に走り出した。

そのドアはというと大勢を通すには余りにも小さく、中の通路もひどく狭い。

大人1人通るのがやっとの広さだ。



「待ちやがれぇぇええー!」



後ろからコックが追いすがってきた。

その両手にはニホンノ牛刀が握られており、感情に任せるまま振り回されている。

行列の歩みは遅く、いずれ追い付かれてしまうだろう。


意を決した父親は愛娘を母親に預けて立ち止まった。



「ミユを頼むぞ、無事に逃げ切ってくれ!」

「そんなっ あなたはどうするの?!」

「このままだとヤツに追い付かれる。そうなる前に足止めをしなくちゃいけない!」

「そんなこと止めてよ! 危険すぎるわ!」

「全てはミユのためだ。すぐに戻るから、安心してくれ」

「……絶対だからね?」

「約束するよ」



家族を逃がした父親は通路で仁王立ちになる。

ここから先へは1歩も進ませない構えだ。

そこへ半狂乱のコックが押し掛ける。



「テメェから血祭りにしてやらぁぁああー!」

「地属性魔法! 奈落の檻!」



父親は得意の魔法で攻撃した。

美しいほどの正円の穴が地面に生じる。

突然の出来事にコックは対応できず、穴へと落下した。

その瞬間に穴の口が閉まる。

コックは首から上だけを残し、床に食われるようにして囚われの身となった。



「そこで大人しくしてろ。ついでに反省もな」

「この手際の良さ……ひょっとしてテメェはあの伝説の!?」

「……ただのホールスタッフだよ」



父親は背中に投げ掛けられる罵倒を聞き流し、地上へと向かった。

階段をひとしきり昇ると、赤茶色のドアの近くに出た。

そこには逃げた客どころか、受け付けの男も見当たらない。



「なんだこの金。なんで1000円札がこんなに……?」



床には紙幣が散乱していた。

みんな無銭飲食を嫌がったらしい。



「レジがどこかわからんから、ここに置いていくぞ」



父親は5000円札を放り投げて、店を後にした。




1週間後。

無事ピンチを切り抜けた一家は日常を取り戻していた。

母親は台所で料理を、父親はスマホでゲーム、娘はテレビを眺めていた。



「今日のニュースです。元が取れる食べ放題との謳い文句で客を集め、客から金を強引に巻き上げていた経営者が逮捕されました」

「けーえーしゃ。たいほー」

「男は巧みに客を騙して借金漬けにし、不当に身柄を拘束していた模様です。人身売買の容疑もかけられており、警察は慎重に調べを進めています」

「バイバイー? バイバーイ!」

「ミユー、ご飯よー。こっち来てー」

「はぁーい!」



食卓にはカレー、ミニサラダ、グラタンが並べられている。

香辛料の濃厚な香りが食欲をそそった。



「にんじんさん、ぴーまんさん!」

「なんだ、野菜が食べられるようになったのか?」

「うん! たべられるー!」

「ここ最近残さず食べてるのよねぇ」

「そっかぁ。ミユはおりこうさんだなぁ!」

「えっへへー」



食卓は賑やかだった。

料理が旨いと、自然と空気も明るくなるものだ。

父親は慣れ親しんだ味付けに心底安心しながら、小さく舌鼓を打つ。



「カレーはまだあるからね?」

「おかわり!」

「ミユも!」

「もう?! 少しはゆっくり食べなさい?」



たしなめられた父親と娘。

2人は眼を合わせ、どちらからでもなく笑った。

それから娘は満面の笑みで言うのだった。


「ママのごはんが、いちばんおいしいね!」




ーーーー

ーー


いかがでしたか?

食がもたらす幸福とは、なんでしょうか。

額面を気にしながらの食事は、豊かと言えるのでしょうか。

目先の数字に惑わさる事なく、幸福なひとときをお過ごしください。




ー第8話 完ー

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