第9話  歯は大事

みなさん、歯は大事にしてますか?

歯磨きはもちろん、フロスを使ったり、定期検診に足を運んだりは?

歯医者は嫌いだと、ついつい先伸ばしにしてしまったり。

今回はそんなお話です。



ーーーー

ーー



「歯が痛い」


水曜日の朝。

夫の第一声がそれだった。

おはようの一言すらなく、絞り出すような声で言った。



「歯が痛いって、急に?」

「うん、寝てたらすっごい痛くなってさ。全然眠れなかった」

「そんなに? じゃあ午前は休みをとって歯医者に……」

「今日はちょっと無理かな。昼休みに会社の近場でやってもらうよ」

「そう。無理しないでね。朝御飯出来てるけど」

「いや、いらない。食欲無いし」

「コーヒーくらいは飲んだら?」

「ムリムリ。熱いものなんか痛くて飲めないよ」



その言葉を残して夫は顔を洗い、妙にじっくりと歯を磨き、そして会社に行った。

眠れないほど痛むのに仕事が優先されるのだから、少なからず不条理なものを感じる。

高熱でも出してたら休みやすいけど、歯痛だと周りの賛同も得にくいのかもしれない。

どことなく『自業自得』感があるせいだろうか。



「今晩はシチューにしようか。おじやの方がいいかな?」



医者でも無い私に出来ることといったら、柔らかい食事を用意することくらいだ。

今日の昼に歯医者に行くらしいから、それで改善はすることを願うしかない。


そんな考えも、家事をこなしていくうちに頭を過らなくなった。

掃除が一段落した11時頃。


ーープルルッ


スマホが鳴った。

今のはメッセージ受信の通知だ。

画面を開くと、差出人は夫だった。



「歯が痛いいいあああ! 仕事に身が入らないいいい!!」



断末魔が聞こえてきそうな文面に、私の胸にも痛みが走る。

あれから短時間の間で悪化してしまったらしい。

無理にでも休ませた方が良かったのかもしれない。

……今そう思っても仕方がないのだけれど。


ひとまず心を落ち着けてから、救難信号めいたメッセージに返答した。



「大丈夫?! 今からでも歯医者行きなって!」

「無理今日ばかりは休めないの、今日の昼納期でも仕事すすまないいいい!」



痛みのせいなのか、それとも焦りからなのか。

文面はかなり怪しい内容だった。

そんな状態で仕事に臨んでも仕方ないだろうに、というのは外野の意見だろうか。


こちらが返信を出す前に、また夫から受信が入った。



「もうだめ、いたすぎる。僕のなかのなにかがめざめちゃう」



これ、どういう意味?

『第三の目が開く』的なやつ?

人間は追い詰められると意味不明な言葉を口走ったりするけど、テキストデータ上でもあり得るんだろうか。

というか、こんなメッセージを打てる余裕があるのなら、案外症状は軽いのかもしれないと思ったり。


返信について考えていた、その時だ。



「臨時ニュース、臨時ニュースをお届けします!」



つけっぱなしだったテレビから、緊張感溢れる声が聞こえてきた。

さっきまで放送されていた情報バラエティ番組が切り替わったようだ。



「東京に突如、巨大な化け物が現れました! 人型をしており、なにやら『歯が痛い』と叫びながら暴れまわっています!」



はぁ?

タイムリーすぎるでしょ、その話題。

もしかして手の込んだCMだったり?

注意深く画面を見ていると、それはしっかりと映し出された。



「……嘘でしょ?!」



夫に極めて良く似た巨大な人間が、街中を闊歩していた。

高層ビルの倍以上の大きさで、顔は凶悪そうに歪みきっている。

あの顔は、かつて1度だけ見た怒りの表情だ。

贔屓にしていたラーメン屋に並んでいて、自分の目の前で売り切れになった……あの時のものだ。


ーープルルッ


メッセージを受信した。

差出人は、また夫だった。

あれ、じゃあテレビに映ってるのは誰?

理解が及ばなくて、ついテレビとスマホを交互に見てしまう。

テレビではリアルタイムで巨大な男が吠えていた。


まぁ、さすがにあり得ないか。夫が巨大化なんて。

それから思考を整理して、メッセージを確認した。



「いやー、痛みが無いって素晴らしいね! こんなにも快適なんだなぁ」

「どうしたの、歯医者行ったの?」

「それはこれからだよ。さっき『痛い自分』と『痛くない自分』に別れたんだ」

「何その技聞いてないよ」

「痛い自分は……でっかくなって大暴れしてるね。まぁいっか」

「良くないよ?! これどうやって止めるの?」

「ごめん予約の時間だから行くね。またあとで」

「対策教えてから行ってよ!!」



それきり返事はなかった。

少なくとも治療が終わるまで、この怪物に対して何もできないだろう。

こうしている間も、巨大化した夫は街を占拠していた。

レポーターが悲痛な声と共に実況を続ける。



『歯ガ、痛ィィイイ』

「ビルが今、雄叫びと共に壊されました! どうやら予算がなくて解体待ちのものだったようで、人的被害は出ていない模様!」

「良かった、犠牲者がでなくて……」



正直言っておっかない。

この旦那らしき巨人が何を仕出かすかと想像するだけで、生きた心地がしなかった。



「今度は建設予定地がメチャクチャにされました! 数々の黒い噂や事件から、汚職の温床と呼ばれた土地です!」

「うん、良かった……かな?」



数十メートル級の巨人の癖に、妙に動きが細やかだった。

無作為に暴れまわるのではなく、狙い済ましたかのような破壊だった。



「そこは土砂崩れで塞がってた道路! 巨人の手の一振りで開通しました!」

「うん、良かったじゃん」



いや、本当にさ。

前より快適になってるじゃん。


それからも巨人は首都圏のあちこちをうろつき、破壊という名の解体作業を担ってくれた。

老朽化から通行止めになっていた橋を破壊し、土砂で埋まっていた川を正したり。

報道陣も気持ちを切り替えたようで『次ここお願いしまーす』とか言い出す始末だ。



「歯ガ痛ィィイイ!」

「すいませーん、そこの土の山をここに置いてもらえますー?」

「歯ガァァ痛ィィイイ!」

「あぁ、もうちょいこっちで……。そこでオッケーです!」



何だろうこれ。

土方のおっちゃんと巨人が共同作業してる。

人畜無害と知れた今では、化け物も立派な労働力だ。

早くも依頼待ちの人間で長い列が出来ていた。

たくましいな、日本人!



「歯ガァ、痛……クナイ!」

「すいませーん。今度は茨城の方へ向かって欲しいんですけど」

「痛クナイ……。痛クナイゾォォ……」

「ちょっと! どこへ行くんですか?! そっちは南ですよ!」



巨人は苦悶の表情が溶け、清々しい顔になっていた。

あの晴れやかな顔は見覚えがある。

夫からのプロポーズにオッケーを出したときのものだ。


当時の事を思い出して、ひとり恥ずかしくなってしまった。

そんな所までトレースしなくて良いのにと思う。



「謎の巨人は東京湾へと向かっていきます! もう戻ってくることは無いのでしょうか? 付近住民は最初こそ恐れたものの、今となっては惜しむ声すら聞こえてきます!」

「また来いよー! 今度は掘削を頼むぞー!」

「これからは歯磨きちゃんとやれよー?」



良かった、何とか丸く収まったみたいだ。

そう思うと力が抜け、床にへたりこんでしまった。


しばらくそうしていると、夫からメッセージが届いた。

『なんかすっごく削られたー。でももう大丈夫だよー』なんて能天気な文面を送ってきた旦那この野郎。



木曜日の朝。

寝ぼけ半分の私の耳に、大きな声が響いた。



「おっはよう! 清々しい朝だな!」

「うるさっ。7時からうるさっ」

「いいじゃん。あれだけの痛みが消えて嬉しいんだから。もう生きてるだけで素晴らしい!」

「わかったから、パン食べちゃってよ」

「はーい」



それからの夫もややウザかった。

『噛める喜び』がどうのと、いちいちうるさいのだ。

まぁ辛そうにしてるよりはずっといいけどさ。



「じゃあ、そろそろ行くかな」

「はいよ。気を付けてね」

「気を付けるのは通行人でしょ、僕じゃないよ」

「うーん。そうかもね」



玄関を開けると、あの巨人が待ち構えていた。

夫はその巨人の体をスイスイよじ登り、肩に座り込んだ。

その時おり見せる超技術は何なのかと。



「よっし、じゃあ会社に向かってくれ!」

「振リ、落トサレルナヨ」



辺りに地響きを起こしつつ、夫は出社していく。

突然にやってきた非日常の一幕。

私は小さくなる夫の背中を見つめつつ、こう思うのだった。



あれ、どうすんだよ……と。




ーーーー

ーー



いかがでしたか?

あなたも歯を大切にしないと、2つの命に分裂してしまうかもしれませんよ?

障害の友をもっと大切に扱いましょう。



ー第9話 完ー

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